あてのない旅へ
人形になるということ
故郷のウィルドラドを発ち、今は昼を過ぎたところだ。太陽が最も高い位置から少しずれた場所にある。
現在プリムたちがいる周辺は低木の果樹園。その中を柵に仕切られた一本の道が通っている。ウィルドラドの町から馬車で半日ほどかかる隣町ウィニスに向かう通りで、旅人が利用するのはもちろんのこと、農道としての利用もされる道である。
農業を主体とするウィルドラドと違ってウィニスは交易を主体とする町である。町の中心部には大きな市場があり、ウィニスに接している町からさまざまなものが運ばれる。もちろん、魔導人形も例外ではない。
故に魔導人形の管理やそれを扱う傀儡師を育成するためにこの町には魔導人形協会の支部が設けられている。本部は首都にあるが、たいていのことは支部でできるのでプリムは何度かお世話になっていた。最後にこの支部を訪ねたのは傀儡師の許可証を取得したときだったのでそんなに昔ではない。
プリムたちはとりあえず目的地をウィニスにして馬車を進めている。目的地をそこに決めたのはプリムが魔導人形協会の支部に用事があるからだ。
今回の用事というのは傀儡師の移動申請手続きのためだ。傀儡師にはいくつかの制限があり、その一つが移動の制限である。傀儡師はどこに誰がどんな目的で存在するのかを協会に申請しなくてはならない。協会が傀儡師を移動規制という形で管理しているためだ。とはいえたいていの許可は下りるので、手続きが面倒であるということ以外は何の問題もない。各地を回っている傀儡師はいくらでもいる。プリムの両親が良い例で、魔導人形の研究と魔導人形がらみの事件の解決のためにあちらこちら回っている。きちんと手続きを踏めばいい。
(でも、どう申請したものかしら……)
プリムは馬車に揺られながらずっとそのことばかり考えていた。どこに行くのかは決まっていないし、目的を素直に書くわけにもいかない。当てのある旅とはいえないし、どのくらいの期間が必要なのかもさっぱりと検討がつかない。こんなことになるとは予期していなかったので、プリムはどうやって生計を立てていくのかさえ考えていなかった。
許可証を取得したものの、プリム自身は傀儡師の才能はないと思っていたし、ましてや旅などもってのほかだ。実のところ、町を出ようとはこれっぽっちも考えていなかった。自宅での研究を中心とするスピリアの影響もあったのかもしれないが、なにより自信がなかった。ローズ家の血を引きながら落ちこぼれ同然の自分が嫌だった。
許可証を取得したのも、自分がローズ家の人間だったからという単純な理由だけで、傀儡師にあこがれたりすることはなかったし、職業として続けていくこともないだろうとぼんやり考えていた。誰かと結婚して、子育てをしながら一生を送れたらそれが良いな、と思っていたのだ。――だというのに、こんな事態になるとは誰が予想しただろう。
(最悪だわ……)
思わずため息が出る。昨日のことを思い返す度にため息が出る。恨み言こそ出なくなったが、行き場のないこの憤りは代わりにため息になったらしい。何度目か数え切れないため息に、御者台に座るリーフが声を掛ける。
「あんまりため息をつくと、ますます不幸になるぞ」
からかいの様子は全くなく、静かに真面目な声で言う。ため息の原因がわかっているので、できるだけ角が立たないように淡々としてしまうのだ。
「…………」
プリムはそっぽを向いて黙る。馬車を借りて出発してから、プリムはリーフと口をきいていない。口を開いたら責め続けてしまいそうだと感じたプリムは、それだけはしたくないと黙っていることにしたのだ。
(あたしにどうしろと言うのよ)
リーフはその様子にやれやれといった表情をする。何度同じ台詞を言ったのかわからない。無難な話題を振るきっかけを逃してしまったことをリーフは悔やんでいた。というのも互いに気を紛らわしたいと思っていても、如何せん果樹園がただ続くだけで面白みのない道。すれ違う馬車や人も滅多になかったので話題にさえならないのだった。リーフは町に着いて沈黙状態が解けることに期待しつつ手綱を握る。ウィニスまではあとわずかだ。
「――ねぇ、リーフ君」
意外にも、沈黙を破ったのはプリムだった。呟きとも取れる声に、リーフは反応する。
「ん?」
プリムはリーフの横顔を見つめる。
「頬、痛むんじゃないの?」
リーフの家に立ち寄ったときのことを思い出す。彼は家で父親に思いきり頬を殴られていた。激しく殴られたにもかかわらず、その処置をしていなかったことにプリムは気付いたのだ。確かにあの時はばたばたしていて処置どころではなかったが、今でも痛むであろうことは想像できる。
心配そうなプリムの目を、リーフは視界の端に捉える。
「大した怪我じゃねぇよ。――心配してくれるの?」
茶化すようにリーフは正面を向いたまま問う。
「だって、腫れているでしょ? みっともないじゃない」
ごまかすようでもなくさらりとプリムは答える。
「あー、見てわかるぐらいに腫れちまってるか。親父、加減って単語を知らないからな」
わざと軽い口調で言う。深刻な話にはしたくない内容だった。
「それってさ、すぐに処置をしなかったからじゃないよね?」
プリムの鋭い指摘に、リーフは一瞬困ってすぐに返事ができない。プリムは声をひそめて続ける。
「魔導人形になったから?」
不安げに揺れるプリムの瞳。リーフは直視できずに、正面を向いたままでいる。
「さぁね」
努めて軽い口調でそれだけを返す。
「正直に言ってよ。あたしはそこまで優秀な傀儡師じゃない。人形に対する知識だってまだまだ不足しているわ。それなのにこんな特殊な事例に……」
そこで一度区切り、さらに声の音量を下げてプリムは続ける。
「……人間である人形だなんて。あたしはきっとあなたの変化をすべて把握できない。だからその部分を補う必要があるの。あなたを人形にしないためにも、必要なことだわ。はぐらかさないで」
「俺だって戸惑っている」
同じように音量を下げて、プリムだけに聞こえる大きさで続ける。
「殴られたのはそんなに前のことでもないわけだし、腫れたり痛んだりするのは人間だろうが人形だろうが同じことだろう? 治る治らないといった例にするにはまだわからないだろうな。具体的に何が知りたい?」
見える範囲には人はいない。それでもこの話をするときは用心深く声の音量を下げるべきという暗黙の決まりごとが二人の間にできていた。
「そうね――怪我の具合はどう? 痛みに変化がある?」
一瞬だけ、彼を疑う言葉が出かかったが、プリムは抑えて別の質問をする。
「それがどういうわけか全然ひかないんだ。逆に言えば、酷くなることはないってことでもある。変わらずに痛い」
リーフは正直に答える。プリムが言うのももっともだと思ったからだ。今はプリムを主人とする人形の身。完全に服従するわけではないが、傀儡師としての専門知識と技能を持っていることは許可証が保証している。参考意見を求める上でも十分に必要な情報交換といえた。
「今まで、そういうことはあった?」
「記憶している範囲ではないね」
「じゃあ……」
プリムは自分の出した結論は言わずに、視線を足元に向ける。言いたくもなかった。自分がその言葉を口にしたら、もう本当に戻れなくなってしまうような気がしたから。
その気持ちを察してか、もしくはそうでないのか、町の入口を示す看板が見えてきたのでリーフは馬の速度を遅くする。
「見えてきたぞ。ウィニスだ」
言われてプリムは顔を上げる。
「プリム、暗い顔するなよ。本当に幸せが逃げちまう」
「でもにこにこしていられるほど、あたしは大雑把な性格じゃないの」
誰の所為だと思っているのよ、という台詞はぎりぎりのところで呑み込む。
「わかっているよ」
リーフは短く、あっさりとプリムの台詞を肯定する。
「だからこそ、俺はそういう言葉を掛けなくちゃいけない」
「…………」
リーフなりの気遣いだということに気付き、台詞を続けなくて良かったと心から思う。責めていても始まらない。
「プリムはプリムらしくしていればいい。無理強いはしないつもりだが、暗い顔だけはするな」
馬車は街の入口にある貸し馬車屋に近付き、やがて静止する。それまで少しの時間があったが、プリムは一言も喋らなかった。
「さ、着いたぞ。俺は宿の手配をするから、お前は協会で手続きを済ませてこいよ」
先に馬車から降りて、プリムが降りるのを助ける。軽く飛び降りるような形でプリムは着地すると、不安げにリーフを見上げる。
「ったく」
リーフはプリムの頭をわさわさとなでる。プリムは嫌そうに片目を細めてリーフを見つめている。
「大丈夫。行ってこいよ。夕方にまたここに集合で良いだろう?」
「う、うん……」
頭の上に乗せられたまま動かない手のその大きさを実感しながらプリムはうなずく。
何も変わっていないように感じられるその身体のどこが人形だというのだろう。プリムは自分が出した結論を完全に否定するわけでもなく思考の片隅に追いやる。
「あんまりしょぼくれた顔してっと」
頭に乗せていた手をプリムのあごに回してくいっと持ち上げる。
「口付けするぞ」
冗談っぽい言い方だったが、プリムはリーフが本当にしそうな気がして慌ててその手を払う。頬が真っ赤なのは言うまでもない。
「ば、馬鹿なこと言ってからかわないでよ!」
リーフはその反応ににっこりとする。
「もう大丈夫だな。ちゃんと協会に行けよ」
軽く手を振るとさっさと町の中に消えていく。
「ちょっと!」
引き止めようと声を掛けたが、リーフは立ち止まらなかった。
(もう! 勝手なんだから!)
プリムは頬を赤らめたまま小さく膨れる。口付けという単語で昨日のあの感触を思い出してしまったことが非常に腹立たしかった。
(なんであたしがこんな目に遭わなくちゃいけないのよ)
膨れたまま、何度か足を運んだことのある協会へと歩き出す。言い訳はもう思いついていた。
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