第57話「南北海戦Ⅵ」


「うわ……うん……何かそうなる気がしてたぞ」


「あのバイツネードの高位者連中を抱き込みましたか」


「さ、話して貰おうか。後続艦隊は結局何を積んでる?」


 飛行船が見える基地の一角。


 部屋の窓から外に浮かぶソレにもはや大きな溜息しか出なかったマルカスが物凄く渋々な感じに部屋の中央にあるテーブルで必要な駒を並べ始めた。


 バイツネードの買収後、翌日の朝の事である。


 ちなみにデュガとノイテ以外にはフォーエ、ウィシャス、ゾムニス、バンデシスが詰めており、誰も彼も微妙に不憫そうな顔になっている。


 というのも、昨日の今日でメッキリと老け込んだ気もするマルカスの気落ちのしようがどう見ても、誰の成果……いや、せいかは丸解りだからだろう。


「後続艦隊を率いているの中型の海洋類系を操るバイツネードの笛吹きと呼ばれる相手だ。名をエラッテと言う。ヤツの喉で出す音は鳥類型のバルバロス【ファークリ】のものだ。生物の誘導に威力を発揮する。人間のような理性の強い動物には効果が薄い。が、本能の強いバルバロスの誘因には一役買う」


「で、船を引いてるバルバロスは?」


 船を総勢で30隻近く付近の海域の上に並べ終えたマルカスがチェスで言うところのビショップ役の駒を多数の駒の前に置く。


「エラッテの口笛の効果は1日で掛け直さねばならない。指定のバルバロスもしくは調教済み以外では海洋類に属するものを海の上にも呼び出せる」


「ふむふむ」


「時間は掛かるが、それで疲れたバルバロスを挿げ替えて船を引かせ続ければ、替えの時間を差し引いても通常の帆船の3倍の速度は出る」


「つまり、4か月掛る旅程が1か月くらいになるのか」


「そういう事だ。我らは本来、あの【イオリッサの眷属】たる【ガランドゥ】を用いて先遣艦隊でユラウシャを制圧。その後、本隊である後続艦隊を迎え入れ、本格的にバルバロスの捜索に入る予定だった」


「後続艦隊の到達日時は?」


「1週間から2週間程後と見積もっていた。良いバルバロスが掴まるかどうかも含まれる」


「現地調達……羨ましい話だ」


「フン。海域でバルバロスが少なければ、集めるのに時間が掛かる。集めても足りない場合は複数のバルバロスに引かせて速度も落ちる」


「なるほど。この海域に到達したとしても、バルバロスを集める時間さえなければ、船を引く方の怪物は疲弊してるわけか。なら、海域到達後に集める寸前を狙うのが良いな」


「………そうだ」


 マルカスが言わない事を当てられて、渋い顔になる。


「船の積み荷は?」


「……殆どの積み荷は単なる兵隊とエルペの【イグリッサ】を寄生させた子供だ。兵隊として一応は使えるように仕立てたが、死んだ後に死体を媒介にして周辺地域に拡散させる予定だった」


「まったく、非人道的過ぎて困るな」


 お前が言うなという瞳が微妙に周囲から突き刺さる。


「……それと艦隊の後方に引いているものがある」


「引いている?」


「……貴様が何処かへやったガランドゥの本体だ」


「本体? あの巨大イカの?」


「そうだ。もう殆ど枯れ掛けた旧い母体だ。新しい母体は卵から選別済みで飼育中だ。古い方は図体こそ通常のガランドゥ程だが、狂暴性は極めて高い」


「それが大人しく運ばれていると?」


「エラッテの口笛で誘導している。だが、もしもとなれば、狂乱させ、海域で敵艦隊や敵の集まる沿岸地域を壊滅させる手筈だった」


「他に載せてるバルバロスは?」


「獣型を300頭……餌が尽きる前に船から出さねば、兵員が食われるだろうな」


「乗り物か……」


「そういう事だ。皇国が現在に至るまで集めたバルバロスの一部だ。普通ならば、海運などには適さないが、エラッテの能力で寝かせている」


「益々、有能だな。そのエラッテってヤツ」


「ファーナ・エラッテ。今や貴様に落とされたに等しいサイラスの異母妹だ。本家で調整を受けて、こちらに送られた」


「サイラスの兄弟姉妹って事か?」


「家は違う。我らバイツネードは資質毎に赤子の時から選別されて、最適な家で育てられる。見知らぬ父母が同じ兄妹姉妹は多い。ファーナはファイナの姉であり、サイラスの姉でもあるが、奴らに面識はない、はずだ」


「ずっと、本家で調整されてたとか?」


「いいや、バルバロスを使わずとも能力が使える者が本家筋の直系として引き取られる。あの喉は本家筋に値するが、移植はしなくても使える反面。本物よりも随分と効力が弱い」


「つまり、能力はバルバロスの劣化版て事か」


「そういう事だ。そんなものは本家も必要としない。今回の事で使い潰しても良いくらいの感覚で少し手を入れただけだろう」


 話が終わると億劫そうに失礼させて貰うとマルカスがイソイソとその場を後にして消えていく。


「好き勝手にさせて良いのですか?」


「この建物どころか。この国で悪さ出来ないようにしてるからな」


「成程。また、悪魔のような功績が詰み上がったようで」


 ノイテが肩を竦める。


「さ、情報は出揃った。30隻はさすがに全部一度に相手は出来ない。先日の船と今回の拿捕数を含めても数で負けてる。バルバロスもいない。ついでにあっちは音波兵器染みたバルバロスの指揮能力まで持ってる」


 ゾムニスが手を上げる。


「今回のように船底へ張り付いて内部を侵食すれば、簡単に相手をどうにか出来るのではないかと思うんだが……」


「今の話で不可能なのは解った。バルバロスが見知らぬバルバロスに騒がないわけないし、すぐに対応されたら、そういう隠密作戦やってる間に状況が悪化する」


「では、エラッテというバイツネードを暗殺するかい?」


 ゾムニスの提案は最もだ。


「殺す前に狂乱しろーとか命令されたら、困るだろ。バルバロス全部相手にし切れないぞ? それに誘導能力を喰らったら竜も恐らくまともに戦闘出来ないな」


「じゃあ、どうするんだい?」


 ウィシャスに肩を竦める。


「正面から喧嘩を売る。ついでに子供連中が使われないように目標地点への上陸も阻止する。後、沈んでも困るから船も傷付けない。バルバロスは……まぁ、さすがに面倒見切れないから、後で墓でも立てよう」


「どうやって戦えと?」


「乗り込んでくんだよ。自分からな。目標海域まで出向いてのハロー降下作戦だ」


「ハロー?」


「相手を油断させつつ、相手を無力化しつつ、相手の目論見を全て叩き潰す簡単なお仕事だとも。お前らがまともに仕事をすれば、な」


 微妙に全員の額に汗が浮かんだ。


「し、知ってるぞ……アレだな!! 相手が酷い目に合うんだろ!?」


 デュガが力説する。


「まぁ、うん。そうだな。酷い目には合って貰う。使い処の無い能力にすれば、後は兵隊を降伏させて終了だ……こっちから仕掛ける。気を抜いて死ぬなよ」


 誰もが頷いた。


 こうして、飛行船の戦闘準備が開始される。


 重要なのは哨戒能力。


 ノイテ、デュガ、フォーエ、ウィシャス。


 四人の竜に乗れる部下と共に連日の捜索活動になる事は間違いなかった。


 *


 ―――1週間後、大陸北東部洋上。


 ファーナ・エラッテは沈んでいた。


 世界が色褪せて見えるのは何も彼女の心のせいではない。


 いや、彼女自身の心のせいでもあるのは間違いなかったが、それ以上に彼女の肉体の影響が大きい。


 バルバロスの一部の移植。


 それは極めて寿命によろしくない事はバイツネードの誰もが知る話だ。


 そして、彼女は今や移植された“喉”に頭部を侵食され、薄い血管が脈打つ侵食痕が瞳の端にまで達していた。


 まるで喉から生える大樹を想起させる血管の枝葉で顔は明らかに見れたものではない化け物染みたものとなっている。


「………ファイナ」


 船の軋む音。


 船首に起つ彼女が灰色の外套のフードを被ったままに謡い始める。


 それは童謡に伝わる旧い伝承。


 海の魔物を呼び寄せる人とも魚とも付かない女の声。


 次々に彼女のいる先頭の船の停止に伴い。


 後続の船が船首の綱を引くバルバロスの停止と共に速度を落としていく。


 完全に洋上で止まった艦隊の多くが海の中に綱が伸びている様子を確認しつつ、内部の兵員達が小舟をフリゲート艦の横に降ろし、歌い続ける魔女の音色に惹かれた新たなバルバロスの到来を待つ。


 その間に今まで綱を引いていた海中のソレらは消えていき。


 雑多な海の生物に似た数mはありそうな怪物達が顔を出すと一本綱の先にある複数の綱の輪へと次々にその首を兵員達が入れ始めた。


 謡い続ける彼女が役目を終えたのは1時間後。


 再び出航した後続艦隊の船内は喪中のように静まり返っている。


「(あの子達も我々バイツネードと同じ……)」


 兵としての素質があると見出された年若い子供が大人の元傭兵と一緒に船旅などしているのだ。


 食料は最低限しか持たされていない。


 一応、軍の規律を護れと子供に手出しはされていないようだが、それでも傭兵達の部下へのハラスメント染みた体罰的な訓練とやらは横行している。


 それを遣り過ぎれば、反逆されるかもしれず。


 微妙な均衡の下に壊れそうな兵団は進み続けていた。


 30隻の艦隊に乗った人数は2100人を超える。


 一隻にぎゅう詰めにされた兵員達は日夜食うや食わずであり、早く目的地に着かなければ、彼らがどうなってしまうのか。


 解ったものではなかった。


「(もう少し……もう少しで……)」


 陸地が近い沿岸部で水が足りない場合を想定して補給も可能なようにと航路を進めて来た彼女であるが、そのおかげで今は小康状態を保っている。


 船に積まれていた水は殆どが使い果たされ、今は小便だって惜しくて飲まねばやってられないという状況にある。


 此処で一端、休憩を入れねば、船の兵員の反乱で艦隊は自壊する他無い。


 そう思うからこそ、彼女はすぐ近場の入港出来そうな港街。


 もしくは上陸可能な地点を探していた。


 もしも街が見付かれば、可哀そうな事になるが……預かっている艦隊が壊滅するよりはマシだと彼女は諦観の心情で略奪を認めるだろう。


 人は殺さない。


 女子供には手を出させないという条件でだ。


 まぁ、この秋から冬に掛けての時期に食料を失えば、どうなるかは分かり切ったものだろう。


 それでも最後の良心とでも言うべきだろう人としての最低限の死に際くらいは誰かに蹂躙されずに……というのは優しさとは呼べまい。


「……ガランドゥの母体……まだ、眠っていてくれているようね」


 未だ彼女の耳には海域のあちこちから聞こえる音に溢れていた。


 魔性の喉は音の良し悪しを聞き分ける耳と共にある。


 だが、彼女の耳は人の押し殺した無数の荒い飢えた獣のような吐息に圧し潰されそうだった。


 不安、後悔、猜疑心。


 人の不の感情に塗れた音色が艦隊を覆い尽している。


 耳を塞いでもバルバロスの能力は彼女に限界に近い兵員達の渇望を教えていた。


(どうか……このまま何も無いまま。艦隊が先遣隊に合流出来ますように)


 そんな彼女の願いは耳に聞こえて来る異音によって引き裂かれる。


「何? この音は何処から?」


 周囲を見回した彼女は船の後方に走る。


 そして、薄暗がりに明ける陽射しの零れ落ちる刹那に見た。


「―――光が」


 あまり鮮明に見えないはずの彼女の瞳に遥か天空から落ちて来る誰かの影。


 その暁光の先触れに陰影を刻む誰か。


 腕を下に突き出し、その先にある何かを撃った。


 爆発、爆光、爆音。


 まるであの戦争で見た業火を吐く翼竜。


 その最大級の個体の放つブレスの如く。


 猛烈な閃光が奔り、その下にいるのは―――。


「本体を?!!」


 彼女が叫ぶものの、もう遅い。


 船で引きながら、自分でも進むようにと半分眠らせて操っていたガランドゥは今や動く小島だ。


 その図体の頭上。


 少しだけ出ていた岩肌が爆散し、更に連続した爆発に次々に岩の如き殻が破られ―――ズグンという音を彼女は聞いた。


 キュシュゥウウウウウアアアアア?!!


 海面が爆ぜて猛烈な脚の強打で海面が爆発する。


「きゃ!?」


 艦隊の後方に脚が向いていて助かった。


 もしも、そうでなければ、艦隊に被害が出ていたかもしれない。


 猛烈な後方からの波で船が次々に押し流されて加速。


 彼女が喉を枯らして船を運ぶバルバロスに陸へ誘導するようにと全力で叫ぶ。


 その合間にも後方の本体を引いていた船の幾つかが海中へと引きずり込まれそうになり、その綱が次々に上空から降下した竜達の上に載る者達によって切り裂かれていく。


「アレは!? まさか、北部の竜騎兵!?」


 艦隊は大混乱だ。


 彼女の号令で次々に陸地に逃げ込む形になった彼らは近くの砂浜のある海岸線沿いに船を突っ込ませ。


 バルバロス達は我先にと縄を振り解くなり、食い千切るなりして逃げ出していく。


 だが、彼らの絶望は止まらない。


 今も狂乱するガランドゥ。


 しかし、未だ上空からの来訪者は海面まで到達していない。


 その片腕が大きく振り上げられた時、滑らかな黄色み掛った乳白色の鱗が腕の先から成長しながら生えて巨大な剣のような形を取った。


「あの鱗は!!?」


『悪いな。だが、お前の存在は陸には不用だ。海の底で眠れ。もう戻って来るなよ……海の怪物……」


 何処か優し気な声。


 だが、その声を彼女は聞いた事がある。


 いや、聞き慣れてすらいた。


「―――」


『突き抜けろぉおおおおおおおおおおおおおお!!!』


 上空から剣の切っ先が、その躰を覆うように透明な何かが溢れ出し。


「竜の頭?」


 ガランドゥ本体上部の外殻の中央部10m程が吠え猛る竜の頭部がブチ当たった瞬間に吹き飛んだ。


 剣は確かに半分程も頂点部分から内部に埋め込まれ。


 そして、狂乱していた長大な無数の脚が自分の外殻上部を狙い打ち据える寸前。


 まるで干物のように硬く。


 その触手が硬直し………シオシオと海面に緩く降ろされるとゆっくりと陸地から遠ざかっていく。


 巨大な水で出来た竜の頭部のようなものに包まれた誰かが、その場から走り、呆然とする彼女のいる砂浜へと向かって跳び。


 綱を斬った数騎の竜騎兵によって拾い上げられ。


 最後には低空で砂浜に侵入し、大混乱中の砂浜に乗り上げ折り重なる艦隊の最中にいる彼女の船へと投下された。


 ファーナ・エラッテ。


 彼女のいる船尾甲板。


 降り立ったのは仮面を被った外套の主。


 その声の主を彼女が聞き間違えるはずはない。


「……ファ、ファイナ、なの?」


「またか……はぁぁ」


「ま、また?」


 思わず彼女が訊ねた。


 その声に聞き間違え等無いはずだ。


 しかし、その口調も語調も記憶の中のものとはまるで違う。


「ファーナ・エラッテ。この艦隊の最高指揮権を持つ貴方に降伏勧告をしに来た。我ら帝国は大人しく降伏する者には寛大な措置と命の保障を確約する」


「な―――ファイナ!? ファイナなのでしょう!?」


「先に来た先遣艦隊は壊滅した。貴方の異母兄に当たるサイラスや他の者達は生きている。それを言われるのは二度目だ」


「二度目?! それ以前に艦隊が壊滅するなんて!? そんなわけが!?」


「我が名はフィティシラ。フィティシラ・アルローゼン……残念ながら貴方の知るファイナと似ているが、同一人物ではない」


「いいえ!? その声はファイナのものよ!?」


「骨格や顔が似ていれば、声も似る。そういうものだ。ちなみにこちらは生まれてこの歳になるまで帝国から出た事が一度もない。そもそも貴女と出会うのもこれが初めてだ」


 その声の調子には嘘偽りが一つも含まれていなかった。


「そんな……じゃ、じゃあ、先遣艦隊は……」


「此処に我々がいる事が最大の証左だ。貴女の仲間は無傷なのに我々を後続艦隊に向かわせられる程に無能なのか?」


「っ」


「全員が降伏した。今はユラウシャで長期逗留して貰っている。もしも、こちらに降伏する意志があるならば、衣食住を提供しよう。無論、武装や武器は全て捨てて貰う事になるし、降伏後の反乱を抑止する為にも処置を受けて貰うが」


「………嘘よ。嘘……ファイナ……ぅぅぅ……」


 思わず彼女はへたり込む。


 バイツネードは正しく壊滅状態だが、その本家以外の最後の纏まった戦力が倒された……というのはどう考えても破滅以外の何かでは無かった。


「しっかりしろ……」


「?!!」


 泣き崩れる彼女がその声にビクリとした。


 何処か強められた言葉は何処か諫めるような声音だった。


「今、貴女の手には大勢の子供達の命と未来。そして、傭兵達の行き先が掛かっている。人の上に立つ事を強要されていたのだとしても、それを選んでしまった以上、その決断は最後まで自分でやれ。それが貴女の此処まで誰もを連れて来た義務と責任だ」


 そうして初めて彼女は思う。


 今、目の前の相手の声に籠る真摯さが、厳しいのに優し気なのはどうしてか。


 それは少なくとも彼女が密かに見守っていた唯一の肉親と言って良い相手である少女の声として語られている事の奇跡を。


 もういない人の言葉ではないかもしれない。


 だが、その言葉に確かな対等にあろうという誠実さを彼女は聞く。


「………フィティシラ・アルローゼン。小竜姫……つまり、この攻撃は……」


「後方には我が覇竜師団ドラクーンが控えている。無論、攻撃準備は終えられた後だ。貴女がバルバロスを再び呼び寄せるより、こちらの攻撃で全滅する方が早い。今の混乱した状況なら尚更だろう」


 彼女が聞く限り、嘘偽りは無かった。


 2000人以上の人命というものを預かる事になっているのは彼女だ。


 陸軍の正規兵は殆どが北部皇国との最前線に張り付けられている関係上。


 バイツネードを指揮官として登用する以外に海軍の建造には道が無く。


 彼女以上の上官も存在していない。


「………そう、ですか。私は負けたのですね。ふふ、最後にファイナの声が聞けて嬉しかった……」


 そう言って、彼女は素早く腰の短剣を自分の首に突き立て―――ようとして、その刃を片手に止められる。


 その手は金色の模様に彩られていた。


「もしも死ぬのならば、全てが終わった後にするべきだ。それは貴女が導いて来た全ての人が故郷や自らのあるべき場所に帰るまで終わらない」


「死ぬ事すら、許されないのですね……私は……」


「何れ寿命が貴女にも来る。だが、その時に後悔して死ぬとしても、真っ当に生きたと胸を張ってから逝けばいい。まだ、時間は残されている」


「……解り、ました」


 彼女がゆっくりとフードを剥ぐ。


 その喉の赤黒い大樹に侵食された顔は腫瘍に侵されたかのようだ。


「降伏致します。フィティシラ・アルローゼン姫殿下」


「……承った。必ず、兵と子供達には約束のものを。まずは貴女の処置から始めよう……」


 目を閉じて身を任せた彼女が喉に温かいものを感じる。


 そうして、ズズズッと自分の喉から何かが侵食して来て、まるで今まで自分を犯していた悪くて熱い何かを引き抜かれたような気分になった刹那。


 彼女の意識はカチリと落ちた。


 背後。


 駆け付けて来た傭兵達がその2人の女の様子に息を呑む。


「聞いていたな!! 全ての兵に告げろ!! これで戦争は終わりだ!! 我らドラクーンの前に南部皇国後続艦隊は降伏したと伝えろ!! 行け!!!」


 その叫びに男達が喉を干上がらせながら、後ろに下がり、悲鳴を上げながら逃げ出していく。


 自分達の指揮官の喉を食い破るかのように赤黒い心臓のようなものを透明な粘体の触手で引きずり出し、その内部で噛砕くように消化しているのを彼らは見てしまったのだから。


 頼みのバイツネードの敗北は確定的。


 そして、竜騎兵による総攻撃を受ければ、死ぬのは必定。


 生き残る為には少しでも早く負けた事を告げて戦闘を止めさせるしかないのだ。


 それを遠目に見ていた四騎の竜騎士……デュガシェスがポツリと止まり木代わりの崖の上から砂浜に詰め込まれた帆船の群れを見て呟く。


「なぁなぁ、今絶対、ドラクーンが後ろにいますとか言ったろ。ふぃー」


「ええ、そうでしょうね。本当の事ですから」


「覇竜師団に編入したから嘘じゃないけどさー。此処にいるの四人だけじゃん」


「だから、何百人もいる、だなんて嘘はいってないのでしょう」


「解ってるなー。ノイテも……」


「あはは……はは……話を聞いた時は吃驚したけど、うん……ホント、フィティシラってスゴイよね……」


「ええ、生身で落下。あのとんでもない威力の銃で島に等しいガランドゥの外殻を破砕しつつ減速……ついでにグアグリスと例のフェグさんに使った鱗を使って竜の頭部を模した衝撃の吸収と剣の生成……もう彼女だけで師団を名乗ってもいいのでは? ウチの連隊規模でも持て余しますよアレは……」


「取り敢えず武器を捨てるよう武装解除の勧告を」


 ウィシャスが生真面目に砂浜の上空へと降りていく。


「僕はゾムニスさんに報告して来ます。行くよ。ゼンド」


 フォーエが愛竜と共に上空に大気中の飛行船に向かう。


「じゃ、こっちはノイテと一緒に周辺警戒しとくぞ」


「そうしましょう。例の見えざる間者がいないかどうか確認せねば」


 こうして四騎の竜騎兵達は次々に飛び立ち。


 自らの使命を全うする為に動き出した。


 それから3日後。


 2000人程追加された捕虜が船着き場に到着するなり、いきなりバーツ移民街の連中によって旅の垢を落とされ、子供達は娼婦に洗われ、新しい服を貰って、街の整った寝床や基地に通され、温かい食事を得た。


 この事実は後々、御伽噺に書かれる事となる。


 最新の物語を紡ぐ吟遊詩人曰く。


『おお、帝国に君臨せしは大公竜姫。幾多の船を護りし、大いなる女神。汝、幾度の海戦を終えて不敗。汝、幾多の戦場を駆けて無双。戦わずして頭垂れる者は涙せん!! ああ、あれこそはっ、あれこそは帝国の大公竜姫!! 畏れよ!! 全能たるはあの悪虐大公を超える大公竜姫也と……』


 計数千人の捕虜(子供含む)がユラウシャにおいて衣食住と引き換えに増設される工業ラインや土木建設業や街の運転の為の各種の業務に就かされた事は北部の王達には良いものか悪いものか判断せずとも恐ろしい事だと理解された。


 だって、そうだろう?


 何故か、戦争に来た人間が戦う事をいきなり止めて、まともな労働力に化けたのだから……驚こうというものだろう。


 それもこれも事前準備を怠らない相手の仕業だと理解しない者は無かった。


 バーツ移民街。


 まだ冬の雪も降らないユラウシャの郊外には今日も大量の建築資材が川から運び込まれ、大量の土建業者による実地による兵達の訓練と冬を越す為の新型宿舎。


 要は帝国研究所で造られた高効率で急造出来る断熱材入りの新型建築物の試験建築が行われていた。


 子供達は働ける者は働き。


 兄妹姉妹のような幼い子を見る者は娼婦達を手伝い。


 工業製品を作る為の細々とした作業をこなす工員として従事し始める。


 子供は1日4時間労働。


 大人は8時間労働。


 トイレ休憩、小休憩、昼休憩有り。


 ついでに教育まで帝都から呼んだ教育志望な貴族子女達によって行われ始め……もはや元の住人が戻って来る頃にはどうなっている事か。


 そう、ユラウシャの指導者たるビダルは効率的に回されていく市街地の拡充に溜息を吐くのだった。


 その裏で捕虜を昼夜無くぶっ通しで診察し、罠であるバルバロスを血液から抜き出して磨り潰し、健康体にする片手間で寒さに強くしておく苦労人がいた事はあまり知られていない。


『これが噂に聞くブラック企業のデスマーチ……ふふ、さすがに240時間労働は……ヤバイ、だろ……』


 基地の子供達や娼婦達。


 ユラウシャの市街地の兵達。


 バーツ移民街の捕虜達。


 一括で大量の人間を数十人単位で処置していく事を課された噂の大公竜何某の人はこうして一週間以上ぶっ通しで人々の健康面を支える触手の女神様になった。


 何せ、大部屋に入れられた半裸の人々が触手を口からバリウム張りに飲まされて、数分後に気が遠くなってニッコリ笑顔で少女に送り出されるとあら不思議。


 不健康なところが一つも無くなっているのだから。


『めがみだ……はっ……そうだ!! 建立しよう!!』


 あの最初の海賊家業をしていた頃に作った邪神像の造り主達が、顔と身体を女神様にした触手の海神像を密かに自費で建立。


 同じ造形のものを海の男達の間に広め、その後に沿岸各国でバカ売れした事はひっそりとした歴史の闇に埋もれる事実に違いなかった。


 勿論、ちょっと背丈とか女性らしい場所が詐欺師並みに盛られたりしたが、後世の人間にはきっと関係ない事である。


 数か月後には見た事も無い新たなる触手を背負って人々を癒す海神が新興宗教張りに爆誕して、人々の祈りを集める事になるのであった。

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