第46話「帝都の落日Ⅱ」


 この世の9割くらいの仕事は誰でも出来る仕事だ。


 その内の誰でもに入らない“持っていない人々”はいるにはいるが、大多数派ではないし、差別や偏見の結果として見捨てられても9割の人々が彼らを救済する事は稀だ。


 誰でも自分や周りが生きていくので精一杯。


 意識が高い連中や高学歴知識層はそういった人間を憐れむか蔑むが、そういう層の大半が9割の中に自分がいる事を知らない。


 貴族階級、知識階級、努力階級と呼ばれる環境以外の因子で成功する人間。


 最初から持っている人々は出来ない人間や持っていない人間の事が分からないというのは現代では極々一般的に言われていた事である。


 だから、そういうのを最後に救済するのは公的なシステムの役目だし、殆どの差別される側や蔑まれる側は自分に問題があるとは思っている、いないに関わらず、実際にある現状が先天的な自己の遺伝的な素質、後天的な環境においての欠落の結果である事を知らない。


 腕の無い人間に腕でモノを掴め。


 というくらいの無茶を出来るヤツ、持ってるヤツが持っていない人間に言っても反発を買うだけだ。


(それが分からない人間が多過ぎる)


 故に差別に敏感な人間程に持っていない人々に対して努力が足りないだとか、どうにか出来るはずだ、努力する方法を教えるというような的外れな事を言い始める。


 変われるヤツは最初から変れる資質がある、という事なのだ。


 環境によって変化した身体精神の悪化や劣化も完全な不可逆である事は少ない。


 だから、人間に努力させる事も夢を持たせる事も報われるシステムを作る事も指導者には必要だが、国家の究極的な安定を求めるのならば、無能の無能さをそのままに彼らに足りているものを物・事・場所として更に足してバランスを取って養ってやる必要がある。


 殆どの9割は不足なところはあっても、環境さえあれば、補えるところや自己肯定感や満足を引き出せるし、喰うに困るという事もないよう何とかなるのだから。


 問題はその9割の中でどうやっても悪化するしかないような連中が混じっている事であり、それを差別する事を管理手法とする国家は多かった。


 これに対し、差別以外の手法で管理しようと試みるのが現代式だ。


 要は社会の安定の為の生贄にするのではなく。


 社会の最底辺として引き上げなくても生きていけて、その上で他者に迷惑を掛けないように人生を送らせる。


 これらの手法は経済的なものが多いだろうが、そもそもそういう層は書類の書き方も知らなければ、努力出来る精神的な資質も無い。


 なので役所が勝手にやる……つまり、役所が自動で行う方式が最も良いだろう。


 努力出来る因子を持たない者。


 運動出来る因子を持たない者。


 美醜だって環境では変わるだろうが、余程におかしな社会にならなければ、健康的で外見的に生理的嫌悪が無い容姿が好まれるのは共通であろう。


 現代でならば、差別というのは大概にして2種類に分けられる。


 差別される理由がある人間がいるのは大前提として、差別をする理由が2種類になるのだ。


 片方は差別する理由に対しての差別。


 これは現代の多くの先進国で忌避されるだろう。


 門地、外見、年齢、性別、人種、民族、思想、それらは是正しろと煩いくらいに現代では反差別が正義として語られる。


 だが、これらに対して後者の差別は殆どが無頓着に見逃されているか見えていない人々が先進国でも大多数だろう。


 それどころかその反差別を唱える正義面の人々こそが差別の張本人だったりする。


 そもそも差別が見えない、差別とは思っていない、というパターンだ。


 努力できない人間を蔑むのは差別だ。


 運動出来ない人間に運動が出来るようになると吹き込んで努力させるのも差別。


 自分の状況を役所に訴えたり、書類を書いて現状を抜け出せない人間に偏見の目を向けるのも差別。


 生理的な嫌悪を受ける顔に対して嫌悪を向けるのも差別である。


 それは一般的な事ではあるが、自分の偏見は差別ではないという類の差別は見える差別よりも更に性質が悪い。


 だが、こういった事実を頑なに認めようとしない反差別を掲げる人々は多い。


 差別はしてはいけないものというスタンスが逆に差別を助長する矛盾である。


(こういう時に限って、帝国の弊害が痛い。過剰な成功体験で齎される空気が明らかに平和な帝都だからこそ、無駄に敵が大したこと無いような気にさせる)


 帝国人は知らず知らず、帝国人以外が差別対象として意識せずに差別する質の悪い病に掛かっている事が大半である。


 来る途中、都合8度も足止めされた。


 出来ない事を出来ると出来ない事を見定められない軍憲兵の人間が多過ぎる。


 とにかく大公の命令だと後から事実にする嘘で宮殿域。


 帝国議会の議事堂周辺から兵を引き上げさせた。


 竜に対する装備は既に持っているらしいが、問題はソレが安易に当てられるような作戦を相手が取って来ないという事だ。


(帝国人が元々は被差別民族だったって言うんだから、今の30歳以下は信じられないだろうな……)


 それは帝国勃興前の時代。


 ブラスタの血脈は誇り高い民族ではあったものの。


 他の共同する二民族と同じく。


 エルゼギアと周辺国にいる差別される側だった。


 理由は単純だ。


 異様な程に出生率が高く。


 生涯での出産数が10人を超えていたのだ。


 ブラスタの血脈は丈夫な子を産む。


 そう大昔に言われて後、現在の帝国では極少数になった少数民族であるエルゼギアの支配者層【オーファル】に奴隷として買われ……以降、血筋を増やす為の血統として長らく不遇な扱いを受けていた。


 女は子供が欲しい時の保険として。


 男は安価に増える労働力として。


 が、ブラスタの血脈の人数が増えるとこの状況がゆっくりと変化していった。


 混血が促進された結果。


 純粋なオーファルは減少の一途となり、遂にはエルゼギアの4割にも達する勢力となったブラスタは他民族と共に蜂起。


 こういう経緯から帝国の奴隷関連の法規は昔の自分達を作らぬ為と戒められて、今のような大陸基準でも恵まれた待遇になっている。


 奴隷の輸出も自分達がやったような事が繰り返されないよう、二の前にならないようにとの配慮だ。


(無能で優秀な人間が多いのはいい。だが、過剰に自信を付けて、目に現実が映らなくなって自覚無き差別に陥るのは困る……敵は勝てるもの、なんて傲慢はある意味で選民思想過ぎる差別の類だろう……)


 あちこちで武装した憲兵隊が集結して、宮殿域に進軍しようとしていた。


 それを辛うじて大公命令で下がらせ、馬車を走らせてかなり遅れた学院の正門前。


 ゾムニスのテロで爆破された場所は今や綺麗に治っている。


 そして、そこには血溜まりが……広がっていなかった。


 が、当直の女性騎士の多くがクテッと道端で倒れ込んでいた。


「大丈夫か!?」


 馬車から救急キットを掴んで降り、すぐに気付く。


 殆どは気を失っているだけのようだ。


 匂いを嗅げば、気付け薬のような香り。


 相手を昏倒させる類の薬を嗅がされたのだと分かる。


 殺されなかったのは恐らく時間を稼ぐ為だ。


 救急搬送は必要無いが、此処に置いておく事は普通ならば出来ない。


 少しでも人間が来るまでの時間稼ぎをして、極力戦わずに戦力も消耗させない。


 ついでに殺していないから無用に恨まれて突撃されて死者も出ない。


 そういう類の思考に違いない。


 正門をわざわざ制圧したのに放置しているのだ。


 使う気が無いとなれば、学院に探し物があると見るべきだろう。


「悪いな。詰め所に寝かせてやることしか出来なくて……」


 毒薬が仕掛けられてる可能性も考慮して、ランタンの明かりで目や口内を確認。


 すぐに異常は見当たらない事を確認してから、片腕の手袋を外して、念じる。


「調べろ……死ぬような薬が投薬されてたら抜け。悪いものがいたら傷付けずに追い出せ」


 指先から透明な粘体の触手が伸びて来て、彼女達の口内に口の端から滑り込み。


 すぐに体内の検査を終えて戻って来るが、特に異常は見当たらなかったようだ。


 それとなく自分で自由に出来るようになったバルバロスの力。


 色々とネズミさんでも実験したので出来る事の多くは把握出来ている。


 取り敢えず、戦闘で使う事になるのを想定して、蟲などで体内を破壊出来るか確認したが、出来てしまったのであまり使いたい代物ではない。


「これで良し、と」


 詰め所内部に立て直し時に置いたパニックルーム。


 頑丈な鉄製の扉で数人が入れる緊急避難用の部屋は通常は隠されており、現状では内部の人間しか存在を知らない。


 その扉がある棚の裏へと女性達を押し込めて寝かせるのに数分。


 作業が終わったらすぐに学院内部へと入った。


 敵の足音はしなかったが、問題は各家の館は無視されているのに職員室当たりに明かりが付いている事だ。


 どうやら職員室内の資料が欲しいらしい。


 だが、お生憎様である。


 名簿と人員のリストはゾムニスのテロ後に全て教職員の暗記に切り替えた。


 ついでに生徒に教える情報媒体は全て各家に持ち帰るように言って、大本となる本や資料は価値のある順から全て高耐久の資料保管庫に置いている。


 爆破する以外の方法では開けるのに4つの鍵が必要な上、その場所もわざわざ隠し扉にしておいたのだ。


 無論、大公の寄付という名目での自分のポケットマネーで造った研究所お手製の代物である。


 才媛が揃っていたおかげで極力暗記で資料を作らせたり、済ませている。


 講師達には頭が上がらない話である。


(探してるのは教職員のリスト。学院でしか使わないような帝国内部の資料。それかあるいは……)


『いたぞおおおおおおおおおお!!!』


「ッ」


 振り向く前に物影へと走る。


 すると、すぐに大声を上げた相手の下に走って来る者が数名。


 竜は連れていないようだったが、それにしても軽装であり、明らかに裏工作向きそうな黒いフードを被っている。


『学院に生徒の類はまだいるようだな。捉えて連れ帰るぞ!! 軍団長の御意向だ。傷物にするなよ』


『分かっているさ。オイ!! 出て来い!! 逃げられないぞ!! 今なら傷付けないと約束する!!』


 対バルバロス用の装備を館にまだ取りに行っていないので不安しかないのだが、相手を皆殺しにして聞き出すよりは簡単に情報は手に入りそうだ。


 一応、外に出る時用の外套は今回着込んでいたし、内部は軍装だ。


 拳銃と仮面も常備化したのである程度は大丈夫だろう。


「………」


 大人しく出ていく事にする。


「そうだ。大人しくしろ。危害は加えない。何処の貴族だ? 名前は?」


「………」


 黒尽くめなフード達に無言を貫いておく。


「オイ。怖がってるだろ。取り敢えず、話しが聞ける状態でとのご所望だ。軍団長もさすがにまだ宣戦布告もしてない国の婦女子を絶望させろとは言わん。とにかく付いて来てくれれば、我々は危害は加えない」


 歩き方から既に石畳に靴音が立たない暗部系な男達に付いて行く。


 すると、校舎内部から進んで屋上に出る上層階の扉が壊されており、その先に3m程の竜が数匹並んでお利口に待っていた。


「さぁ、乗ってくれ。馬に乗る要領で後ろにだ」


「………」


 これもまた差別だろう。


 自分達の国ならば、馬に乗れない女子などいない。


 そういう常識を他国でも信じて疑わないのはどの国でもよくある事だ。


 だが、現代式の言葉にすれば『相手が差別と思ったら差別』である。


 乗るのは竜が嫌がるのではないかと思っていたが、すんなりと載せてくれた。


「マヲー」


「猫? この学院、猫までいるのか。何処かの貴族の飼い猫か?」


「いや、変な泣き声だったな。珍しい帝国の種類なのかもしれん。戦利品代わりに持って行ってみよう」


「この子はわたくしの家の子です」


「ようやく喋ってくれたな。解った。手は出さない」


 黒猫がヒョイッと胸元に飛び込んで来る。


「(お前も本当に神出鬼没だな)」


 薄く呟いている間にも竜が飛び上がり、フォーエに載せて貰った時と同じく。


 全てが後方へと流れ去っていく。


 目指されたのは現在、帝国議会がある場所の更に奥だ。


 皇帝個人の住居だが、荘厳さはまったく当人が求めていなかった事から、一部の近衛を置く以外は殆どがもしもの時に自給自足出来るような設備が整った小規模な領主の館のような規模に治まっている。


 さすがに石作りで造られているが、それでも厩舎や井戸、その他もこれが帝国の皇帝の住居かと疑うくらいの規模だ。


 こじんまりとしており、警備人数は10人を越えず。


 寝所も数人の護衛が護るのみ。


 降り立った石作りの宮殿の周囲にはそれを壊してしまいそうなくらいに大量の竜がズラリと壁際に背を向けて整列しており、簡易の宿舎らしい天幕が幾つか張られていて、他の者達は多くが外側に向けた通路に大量の木箱のようなものを運び込んで積んでいた。


(火薬か。あるいはバルバロスの類を入れてると見た。突破して来なければ、無用の長物だ……危なかったな。憲兵の命は治安維持上、絶対に守り切らないとな)


 帝都で日々、自分が出歩いて色々と工作出来るのは基本的に帝都の治安がこの上なく良いからに他ならない。


 彼らの上司の帝都守護職な無能系貴族には悪いが、司令官一人よりも下級貴族のやる気のある憲兵一人の方が個人的な価値は上だ。


 地上に降りると同時にヒョイッと胸元から飛び出した黒猫が何処かに消える。


 男達の脚が天幕の一つに向いた。


「さぁ、こっちだ」


 歴戦の兵士というのは隙が無い。


 此処で用事を終えてから逃げ出すのは骨が折れそうだった。


 カンテラが灯る天幕の先。


 幾つかの椅子の上には軽装な鎧を着た男達が地図を前に副官らしい男達に次々と指示出ししていた。


 その様子は手慣れているが、誰もが緊張していたようで顔は険しい。


 だが、その連中の奥。


 一人、椅子に腰掛けて腕を組んだまま手紙のようなものを読んでいたのは20代後半くらいの青年だった。


 青白い髪が微妙に現実離れしている以外は理知的に見える痩身の眼鏡である。


 第一印象は軍師に向いている。


 だが、この竜騎兵達を使っているのは間違いなく眼鏡男に違いない。


「軍団長!! 学院に残っていた女子生徒をお連れしました!!」


「おや、早かったですね? 学生寮があるという事でしたが、情報は正しかったようだ」


 間違っているが訂正はしない。


 正確には寮染みて寝泊まりする館を個人が学園内に持っている、だ。


 男がこちらを見て、何か不審そうな顔になった後。


 フードを剥いで頭を出すとすぐに顔色が変わる。


 驚きというよりは自分の部下への呆れで。


「はぁぁ、誰がこの国の権力者を連れて来いと言ったのですか。私は学院の女子生徒を連れて来いと言ったんです。情報を聞き出して確認したい相手そのものを連れて来たら、外交問題じゃ済まないでしょう」


「それは冗談ですか? それとも非礼を詫びる紳士の気遣い?」


 周辺の男達もすぐにこちらと自分の上司の視線に気付いた様子になって、まさかという顔をした。


「失礼。女性を前にして少し恥ずかしくなってしまいましてね。こうしておどけて見せないと、どうにも決まりが悪いのですよ」


 立ち上がった男が静かに一礼する。


「お初にお目に掛かります。私の名は―――」


「名乗らずに結構。また、此処で名乗って貰っても困ります」


 不思議そうな顔をされた。


「それは一体何故?」


「此処で事を構えられても迷惑だという事です」


「成程。ご自分の現在の状況にも動じない様子。聞きしに勝る豪胆さ。大公家継承者フィティシラ・アルローゼン姫殿下であらせられる?」


「さて、どうでしょうか。ちなみにご家族で全滅した隊の隊長に妹殿がおりませんか?」


「おや? 何か知っておられるご様子で……」


「我が家で侍女の真似事をして頂いております。今やわたくしの片腕ですよ。彼女の保護者も一緒に……」


「何と? はは、いやいやまったく。これは……そういう事でしたか。もうすっかり諦めていたのですが……」


 青年が苦笑していた。


「毎日、熱いと愚痴を言われるので近頃は氷で冷やした果汁で黙らせているところですよ」


「あははは!!? いや、いやいや、済みませんね。我が妹はあれで豪快なようでいて繊細なもので……」


「それで本日のご来訪の理由はお尋ねしてもよろしいですか?」


「ご来訪、か。うん……貴女は私が今まで見て来た中でも特段に奇抜で奇天烈なようだ……どうです? この国を捨てて、我が国に移住しませんか?」


「老後まで生きていたら考えましょう」


「では、そういう事で……さて、何の理由でという話でしたが、軍略に関わる事故、これには答えられません」


「お答え頂きありがとうございます。そういう事ですか……ならば、皇帝閣下はご無事ですね。済みませんが、そちらに引き取らせるのも困るでしょうし、出来れば死人無しで幽閉しておいてくれませんか?」


 その言葉に周囲の男達が脂汗を浮かべていた。


「……さすがに万里を見通す瞳と謳われるだけはある」


「吟遊詩人が何処まで尾ひれを付けたものか。後で調べたくなりました。ちなみに単純な推測ですよ。そして、貴方達の来訪の理由は分かりませんが、貴方達の行動原理は予測出来ました」


「ほう?」


 僅かに男の瞳に光が奔る。


「かなり、この作戦で此処に来るのはご家臣に反対されたでしょう?」


「いや、ウチの者達は理解を示してくれましたとも」


 男達の顔色が何かげっそりというか。


 脂汗がジットリと額に浮いていた。


「どうやら人材の暗殺が目的ではないようですし、必要な情報と重要な物資を手に入れたらすぐお帰りになるご様子。それは実際正しいですし、帝国陸軍の対空兵器に関してのご懸念は思っている通りですよ」


「はは……本当に何でも知っていそうな気がしますね。貴女と話していると」


 さすがに青年の顔にも『コイツここまでの代物か……』みたいな苦笑が浮かぶ。


「命中率は左程よくありませんが数は揃えておりますし、夜中から夜明け前に掛けての速攻ですぐに離脱するのも悪くない選択肢でしょう」


「光栄ですよ。貴女に言われると何故か」


「被害を出さないようにとの配慮は正直有難いですね。これで人死にが出ると帝国陸軍も黙ってはいられないでしょうし」


「それはどうでしょうか? 今も帝国陸軍の暴虐は続いているはずですが」


「ええ、ですが、それも終わりでしょう。周辺諸国に帝国が潰せる諸民族や小邦はもう存在しないという報告が先日、帝国議会にありました」


「もはや悲劇は量産されないと?」


「今後の予定だけを話すなら、幾ら憎悪を扇動する正当な被害者がいても、憎悪を抱ける者が殆ど数として存在しないのでは意味が無い。その上で帝国の拡大は今日を持って集結するでしょう」


「まるで軍権をお持ちのような言い草ですね」


「帝国の悪行はこの先50年語り継がれ、その先の50年で風化し、その先の未来においては単なる歴史となるでしょう。帝国陸軍の機密の類なのでしょうが、彼らは合理的な判断で将来の禍根を全て強引に断つ方法を取った。という事です」


 男達の顔色は悪くなる一方だ。


 こちらの言葉がどういうものなのかを知れば、その苛烈さと合理性と恐ろしい程に人間味が無い中身に恐怖くらいは覚えるだろう。


「その上で、もはや拡大が不可能である事は軍部大本営も重々承知のはず。となれば、貴方達の来訪はわたくしの助けともなる」


「助け?」


「ええ、帝国陸軍の再編計画は最終段階を通過しました。最後の一手は政治的な干渉ではなく。外部からの影響で後押しされた。これは歴史書に書かれるならば、そちらの国の絶妙な悪手であり、帝国……いえ、わたくしにとっては絶好の妙手と言える」


「………」


 それを聞いた男が真顔で固まっていたが、すぐに計算は出来たらしい。


 クツクツと笑い出した。


「我々は自らの手で歴史の分岐点を帝国に傾けた。そう言いたいのですね」


「ええ、これを持って、今までわたくしの影響下から逃れていた帝国陸軍の殆どの掌握に取り掛かれる。陸軍はこの国において唯一、わたくしの手が届かないところにあったのですよ」


 男達は最初理解が追い付いていなかったが、会話の内容から察し始めると顔が土気色になっていく。


「ああ、まったく……此処で紳士の皮を脱ぎ捨てて、貴女を逸早くこの時代から退場させろと本能が叫んでいますよ。姫殿下……」


「生憎と貴方は察するに最初に決めた事は曲げない御気性のように見えますが?」


「最初にこの作戦を立てた時、無用な刺激はしない事を基本方針にしましたので。幾ら我が国でも死力を尽くした帝国陸軍相手では良くて相打ちでしょう」


「ならば、戦争が起こらないようにわたくしは尽力しましょう。それとこの戦争をご依頼の方々にお伝えして欲しい事があります」


「ほう?」


「当方に国を返す予定在り。我が方は全面的な賠償と国家の独立を承認しても良い。無論、一部の主権には制限が掛かりますが……軍事条約と不可侵条約と経済協定を抱き合わせで受け入れる覚悟がお有りならば、交渉のテーブルは遠くない日に祖国の地に持ち込まれるだろうと」


『………』


 さすがに青年も言葉を失ったようだった。


「今まで帝国人の血と肉と鉄で得て来た領土を放棄すると?」


「放棄ではありません。御返しすると言っているのです」


「同じ、ではないか。だが、それは……」


 相手の言いたい事は言わずとも解るし、最もだ。


 どれほどの反発を生むかは正しく理解の範疇だろう。


「ええ、ですから、軍部の掌握が必要だったのですよ。それがこのような形で成就する事自体、わたくしからすれば、仕事が一つ減ったという事です」


「ははは、我が国は道化ですか……」


「生憎とこの盤面では致し方ないでしょう。皇国の件が片付いたら、その時はわたくしからご依頼しましょう。100年くらいの食い扶持はご用意しますよ」


「ついでに勧誘までされてしまった……完敗です」


「わたくしにはわたくしの理由があり、復讐者には復讐者の理由がある。そして、貴方達には貴方達の理由が……故に感情を捨て切れるなら、人間は平和を勝ち取れるし、それが出来ない多くの人々が戦争を引き起こす」


「……それは帝国ではないと?」


「帝国は止まれと言われれば、止まれます。今まで止まる必要が無いと言われていたので好き勝手にしていただけですよ。皇帝陛下は政治にご興味は無いらしいですし、帝国貴族、帝国陸軍もそろそろ振るいに掛ける時期が来ている」


「恐ろしい方だ。私は色々な敵と交渉の席に付いて来たが、貴女程に明け透けで何一つ問題無いと狂気の沙汰を振り回す方を見た事がありません」


「世界は広いのですよ。この世界にわたくしの代わりなど幾らでもいるでしょう。それは多くの事に付いて同様です」


「御冗談を……」


「本音ですよ。わたくしはわたくしが居なくてもわたくしの願いの為に働く社会を整えた。故に替えが利く人々にこそ、わたくしは住みよい世界を与えます。狂気と見えるのならば、それがやがては普通になる世界にしてみるのも良いかもしれませんね」


 もはや誰からの言葉も無かった。


 ペコリと頭を下げる。


「わたくしはこれから皇帝閣下と周辺の被害の確認をしなければなりません。出来れば、あの通路に置いた罠は持って帰るか破壊しておいて下さい。いつまで経っても憲兵隊は来ませんよ。わたくしがこの地域から下がるよう言っておいたので」


「はは……全てお見通しですか」


 さすがに相手の額には汗が伝っていた。


「被害が出ないように配慮するくらいの善良さ。追手に罠を置く周到さ。そして、軍団長として前線で初陣というのに派手さの為に死人を出せなかった気弱さ。それくらいの方が長生き出来ますよ。きっと……」


「………これは褒められたのかな」


 自分の状況を言い当てられた様子にもはや笑いも起きない様子で男はこの目の前の難物は一体何なんだろうという疑問符に頭を支配されたようだった。


「どうでしょうか? 何れ、また会う事もあるでしょう。その時は是非、何かの盤上遊戯でも致しましょう」


「解りました。その約束は何れ……」


「さすがに明け方まで制止は不可能でしょう。空が白む前に御帰りを……ああ、それと教授に言伝を頼まれてくれませんか」


 初めて青年の顔が本当の驚愕に染まった。


「……何と?」


「『ガスマスクが無いから、いつもの消臭剤の在庫が在ったら、送ってくれ』と」


「発音が少し、それは何処の言語ですか?」


「紙に書いてお渡ししましょう」


 サラサラと日本語を懐の手帳を破いた紙で書き手渡す。


「お頼み申しあげます」


 頭を静かに下げる。


「では、またお会いしましょう。出来れば、次は会談の場で……」


 衛士が制止しようとするが、すぐに背後の青年が止めた様子で天幕の外に出る、


 変わらず男達は忙しくしていたが、すぐに衛士達が何事かを男達に話し始めてこちらを見やる瞳が増える。


「ご案内するようにと軍団長より仰せ付かっております!!」


 その言葉に頭を下げて、付いて行くと宮殿の中央。


 寝所が置かれた場所の扉の先まで案内された。


 数人の男女の歳若い衛士達が一瞬だけ得物を構えようとしたが、すぐにこちらの姿に気付いて取り上げられなかったのだろう得物を降ろした。


「少女? 帝国貴族の子女か? 陛下。どうやら連中は―――」


「ああ、よいよい。そこのはあのクソジジイの孫だ」


「は? ま、まさか!? 誘拐されて此処まで!? ああ、何と言う事だ!? 大公家までも……」


 衛士の1人が驚きながらも悲嘆に暮れそうになったので首を横に振っておく。


「いえ、学院に寄ったら拉致されただけですので」


 女性衛士が気遣うように横に付いて、衛士達の壁の背後。


 月を眺めるようにして寝そべる豪胆な男の横に連れて来る。


 その男は未だ20代に見えた。


 細身の麗人。


 膝丈まであるだろう長い銀髪。


 耽美を絵に描いたら、こうなるだろうというCG染みた美貌。


 絶世の、あるいは幽世の、そのように言われるだろう怜悧な面はシニカルな笑みが浮いており、寝所用なのだろう胸元が大胆に開いた絹の寝間着姿で片手に小さな杯を持って月見と洒落込んでいた。


「陛下……さすがに大公閣下の親族の前です。もう少し威厳を……」


「ははは、良いではないか。良いではないか。あのクソジジイ以外では、我が姿を知る者なぞ。陸軍の古参連中とジジイ共くらいしかおらん」


「は……」


 女性衛士が主のあまりの痴態に微妙な顔をしながらも引き下がる。


「フィティシラだったな。確か」


「はい。陛下」


「お主、欲しいかどうかは別にしてこの帝国を使って何をする?」


「平和を。少なくともわたくしが老衰で死ぬまでくらいの時間はツマラナイ毎日が送りとうございます」


「ははは、いやはや、あのクソジジイも困るだろうなぁ。これは……」


 苦笑というよりはもう好きにしろと言いたげな笑顔だった。


「御爺様とは旧知の中だとは聞いております」


「ああ、あいつに帝国を投げたからな。オレは戦争以外では取り柄のない男だし、その上に今生の伴侶はあの世に旅立った後で子供も無い。だから、あの男が認める者ならば、誰だろうと次の皇帝だ。いや、政体は変わるかもしれんが」


「陛下……」


 周囲の近衛達がさすがに呆れた瞳になっていた。


 だが、意見出来る事でもないと何か微妙に肩が落ちている。


 親しみ易い皇帝らしい。


「取り敢えず、竜の国とは話しを付けて来ました。彼らは何か目的があって襲撃したようですが、探しても発見の報は今のところ無いようで。後片付けと撤退は夜明け前には行ってくれそうです」


「ああ、聞きしに勝る可笑しさだ。ふふ、それがそなたの持ち味か。だが、まぁ……連中の襲撃理由は想像が着く」


「何か見当が?」


「ああ、帝国最大の機密だ。前身であるエルゼギア時代からのものだが、我々ブラスタの血族の根幹にも関わりがある」


「興味深いですね」


「そして、その機密はそなたと我にも深く関係しているが、今は良い。どうせ、あれはもう陸軍の連中にくれてやったものだからな」


「くれてやった、ですか」


「ああ、今の管轄は大本営の上級大将連中だ。どうやら掌握を進めていたようだが、機密を聞き出すには難物だぞ。もしも、それを望むならば、大きな仕事が終わってからにしておけ」


「ご忠告感謝します」


「何、あの親友殿にようやく孫娘が出来たのだ。これが所謂老婆心というヤツならば、我にもまだ人の感情を慮る程度の良識が残っていたと驚き喜ぶところだろう」


 緋皇帝バセア。


 バセア・エルク・ニム・アバンステア。


 そう呼ばれる男は恐らくだが、単独単騎で3000人程殺したし、師団クラスの戦力を用いて戦えば、帝国の興国期においては無敗で師団のキルレートが180対1くらいになる本当の英雄で戦略眼を持った化け物だ。


 元々、数の多かったブラスタの民を戦闘兵団として再編し、戦に出た男達を9割8分以上生き残らせて全ての戦に勝利した。


 緋とは正しく元々数の少なかったエルゼギアの支配者層を7割殺し尽して降伏させた血塗れという意味だったが、銀の髪が血潮に濡れて映える様子を見た兵士達の畏怖と畏敬から生まれた言葉でもある。


「お前達、この子に今の内に挨拶しておけ。将来どうなるかは分からんが、少なくともお前達の上になる事はあっても、下になる事は無い相手だ」


「言い過ぎですよ……」


 と、言ってはみるが、すぐに近衛達が次々に頭を下げて来る。


「あの北部の未来見る男の死に目に会ったそうではないか。まだ、どうやら開眼してはいないようだが、我々は常にそういった事が良くある」


「ッ、それはつまり……バルバロスと縁が深い、と?」


 皇帝と呼ばれる男は杯を煽る。


 どうやら、こちらの特異な能力。


 バルバロスの力なのだろう腕の事はお見通しなようだ。


「この躰もお前と同じようなものだ。あのバイツネードという南部の連中もな。この大陸にはソレと深い繋がりのある一族、民族が少数だが存在している」


「………」


「我が未だ若造の姿のままなのも同じ理由だ。まぁ、エルゼギアの開祖のようにブラジマハターを受け入れようという輩はこの時代にまだ存在せぬし、そなたのように偶然にも受け入れ、積み重ねた者も多くない」


「なるほど……」


 かなり、こちらの腕の事はお見通しなようだ。


 それにしても興味深い話が聞けている。


 もしも、その言葉が事実ならば、エルゼギア時代から続くブラスタの血族にはもしかしたら薄くではあるが、民族の特徴を裏付けるようなバルバロスの力の介入が遺伝的な単位で受け継がれているのかもしれない。


「覚えておくがよい。それは普通の人間には出来ぬ事なのだ。血統で体質を受け継ぐ者は多いが、突然変異や一部の知識と技術でそれを為そうとした者も大陸にはいた」


「つまり、機密とはそれ関連ですか」


「ああ、あのバイツネードとやらの死体も見てみたが、アレはどうやら南部独自の技術。それも出来損ないを血統化したように見受けられたな」


「出来損ない……」


「人間の手であそこまで仕上げているという事は血統は血道に濡れているであろう。己の子を馬を改良するように感情よりも利益の為に掛け合わせ、本物に近いものを得ようとしたと推測出来る」


「……本物、ですか」


「ああ、そなたや我のようにな。恐らく、バイツネードの殆どは肉薄しても本物には至れぬ者ばかり。だが、その開祖の家や一部は本物が混じっているやもしれぬ。そなたの力目当てで襲われる事もあるだろう。気を付ける事だ……」


 難しい話はお終いだとばかりに皇帝はイソイソ近衛達が持って来た皿からツマミなのだろう干し肉を口に放り込んで月を見上げて杯を呷る。


「御一緒出来ないのが残念ですが、そろそろ帰ります」


「いつでも来るがよい。まぁ、二度と会わぬ方がそなたの人生においては良いのかもしれぬがな」


「時が来れば、何れまた……」


 男は後ろ手にヒラヒラと手を振って、月見に興じる。


 頭を下げて、扉を出ると。


 まぁ、聞いていただろう連れて来た男の顔が蒼褪めていた。


「あまり、口外しない方がよろしいかと思いますよ。軍団長にお話ししてもよいですが、そちらの機密にも抵触するかもれないですし、口封じされる可能性もあります。その可能性は重々承知でご報告を……」


「―――」


 男の手は震えていたが、すぐに扉が閉められる。


 その合間にクツクツとこちらの声が聞こえていたのだろう男の低い押し殺した笑い声が僅かに聞こえていた。


 *


 あまり軍機を見ないよう。


 それとなく帝国議会内に仕掛けられた罠の撤去を眺めつつ、静かに被害が無い事を確認したあちこちの様子は家探し以外行われていないようだった。


 一部、帝国議会の議場周囲で騒がしい様子であったが、近づけなかったので恐らく元々ソレが存在した隠し場所でも発見したのだろう。


 だが、それも数十人程が2時間程で戻って来るとあまり成果は無さそうで男達は敵が来ないので引き上げる準備に掛かり。


 空が白み始める直前くらいには全ての装備が撤収。


 竜が整列し、議会の裏庭で木箱に座っているこちらを気にもせず。


 男達は黙々と飛び立っていった。


 たった数時間の占拠。


 とはいえ。


 これで帝国にスイッチが入った事は間違いないだろう。


(紅茶でも持って来れば良かったな)


 お茶が無いのは仕方ない。


 イソイソと弓矢の信号を現場確保という符丁で空に上げると次々に遠方から完全装備の兵士が突撃してくるガチャガチャとした足音が怒涛となって議会に流れ込み。


 肩透かしを食らった顔の憲兵達はこちらを見付けると確保するか保護するか。


 という顔になったが、手帳を破って紙で指示を出す。


 座っている木箱はそれとなく拝借した罠である。


 研究所の安全が確保されているか確認後、もしも確保されているならば所員を連れて来て、これを解除するか解析する準備をさせて欲しい。


 という話をすると。


 男達はしーと人差し指を立てるこちらにゴクリと喉を鳴らしてから、コクリと頷いて現場を封鎖するのだった。


―――数時間後。


 帝都郊外まで避難していた所員は無事。


 また、研究所は一部不法侵入者に荒されたようだが、紙の資料を持って行かれただけで現物で被害を受けた報告は現時点で無し。


 最初に諸々の避難行動計画は策定していたのが功を奏したのは間違いない。


「で、君は此処にいると」


 ゾムニスが呆れた顔で木箱の上に座るこちらを見ていた。


「ふわぁ……問題無いなら寝ていいか。あふぅ……」


 どうやらデュガは寝てたところを叩き起こされて、未だに目がしょぼしょぼしているらしいが、ノイテはこちらにチラリと視線を送るのみに留めた。


「悪いがこの中身を検めなきゃならない。恐らくバルバロスの類か。もしくは薬品や金属類を使った何かだ」


「おーぼーだぞー。ばーやが言ってた。乙女は寝ないとダメって」


「後で好きなだけ二度寝していい。今日は仕事も休みだ。ちなみに上空を運ばれてたから中身はあんまり精細な仕掛けじゃないはずだ。木箱を盾で囲う。焼き潰し用の硫酸も持って来たし、お前らにはもしもの時の為に後方から銃で狙ってて貰うぞ」


「了解しました」


 ノイテがメイド服の上からまだ冷えると薄いマフラー的なものをデュガに掛け、ゾムニスが背後から持ち出して来た巨大なライフルを持って頷く。


 数分後。


 憲兵達に持って来させた合成樹脂。


 プラスチック製の薄茶けた半透明の盾が次々に木箱の周囲を固めた状態で木箱を解体する為の薬品が固定する部位にゆっくりと細いガラス製の管で注がれ、ジリジリと焦げていく木箱がガシャリと僅か崩れた。


 途端、蓋の下からひょこりと頭を出し、内部から飛び出して来たのは……何故か黒猫だつた。


「は?」


「マヲ~~~」


 さっきぶり!!


 と言っているような気がする。


 片手を上げて、こちらに挨拶した黒猫がひょいっと盾の壁を飛び越して、こちらの頭上にドスリと落ちる。


「お前……アレ、密閉式だろ。いい加減にしろ。その神出鬼没は……」


 溜息一つ。


 他の連中もみんな黒猫が出来てた事に安堵しつつも、この黒猫ヤバイものなのではという顔でジト目になっていた。


「で、中身は何だったんだ?」


「マヲヲ~~」


 黒猫が何でも無さそうに片手で木箱を開けろと示すので仕方なく自分で開ける事にした。


 盾を退けて、箱の蓋を剥がすと。


「……これはスチールウールか? ああ、この粉はマグネシウムと……威嚇用に長時間燃える感じか? 炎の壁でも造るつもりだったのかもな」


 ランタンの明かりで確認するが、自分も使っていたマグネシウムさんはすぐに解ったので本当に一番重要な機密を奪う為だけに来たのだと再度理解出来ただけだった。


「議事堂が燃えなくて良かったですね」


 ノイテが半分もう寝ているデュガに横から頭を持たれ掛けられながら肩を竦める。


「いや、議事堂の大半は石材だ。仕掛けられてたのも殆どが石製の大きな通路ばかり。延焼しないように気を使われてたな。コレは……」


 気が抜けたので後方にいた研究者達に他にも何かあるかもしれないからと慎重に新しい木箱に詰めさせることにして、現場を後にする。


 あちこちで確認していた憲兵達は皇帝の住居の方まで押し寄せていたが、すぐに異常無しという事で周囲の厳重な警戒網を敷いてから引いて行く。


 議事堂の外に待たせている馬車に乗ろうと出てみると。


 外には珍しい取り合わせ。


 ビスクードとユイがいた。


 こちらを見て、すぐに駆け寄って来たユイがギュッとこちらを抱き締めて来る。


「こんばんわ。いえ、言うのは早いですが、おはおうございます。ユイ……」


「君はもう!! もう!! よ、良かった……ぐす……」


 式典用の軍装らしい服に厚いコートらしきものを着込んだユイヌだった。


 どうやら陸軍トップの家という事で状況は呑み込めているようだ。


「どうしてビスクード閣下と」


「いやぁ、さすがに帝都に竜騎兵で襲撃なんかされるとね。ほら、さすがに幾ら昼行燈とか呼ばれてても中々こう危機感が出て、ユイヌ嬢の家を確認しに行ったんだ」


「それでユイヌと出会ってしまった、と」


「君の話が同乗していた憲兵からも出ていて。それで連れていけと言われてしまって。落ち着いて下さいと押し問答をしていたら、兵が状況が解消したって話でご家族には自分が責任を持って御守りするとお約束させて頂き。ここにこうして」


「お疲れ様です。後で詳しいお話をさせて頂きますが、今日中は無理でしょうね。わたくしは研究所の方に向かわねばならないので、ユイをよろしくお願いします」


「いや、それにしてもユイヌ嬢とお知り合いだったとは……」


「学院では学友として親しくさせて貰っていますので」


「はは、それにしても今回も全て君任せになったな。帝都守護職のガイゼ卿はもう完全に燃え尽きたようで、これが終わったら職を降りるそうだ」


「そうですか。では、その席にはビスクード閣下を推しておきましょう。まぁ、他派閥から推挙者が出たら、先に生贄になって貰いますが」


「いやいや、前線に戻らな……ああ、そうか。予定が繰り上がるのかな?」


「ええ、今回の事で帝国陸軍の全面撤退が開始されるでしょう。我が国はようやく次の盤面に入れる。今後もどうぞよしなにとわたくしから言うべき状況です」


「覚えておこう。ああ、それとあまりご友人を膨らませない方がいいと目上の者として忠告しておくよ」


「?」


「……もう馬鹿……」


 小さく呟くユイヌは涙目で頬を膨らませる子供のようだった。


「……しょうがありません。では、ご家族にはしばらく友人の家にいて、本日中には戻るとお教え下されば……」


「ああ、麗しいお嬢さんの頼みだ。最前線勤務も出来ないんだから、多少は閑職に飛ばされる事を覚悟でご家族にはこちらから話しておこう」


 ビスクードが胡散臭い良い笑顔で馬車に乗り込んで消えていく。


 一応、いつもの四頭立ての馬車なので一人増えるくらいは大丈夫だろう。


「では、今日はウチの研究所の見学でもしていって下さい。生憎と賊に少々荒されたようですが、被害は無いようなので」


「……ぅん」


「ねむー」


「デュガ。朝食は何にしましょうか? 材料は一応、持ってきましたが」


「それ雇い主へ最初に聞くべきでは?」


「封鎖されてるとはいえ。そろそろ憲兵の目も気になる。行こう」


 ゾムニスに促されて、朝食はどうしようかと話しながら研究所へと向かう事になった。


 終始、子供染みて少し眠そうな瞳でユイに袖を握られつつの鈍行。


 帝都の朝はこうして開けていくのだった。

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