第23話「北部大計Ⅲ」


「此処がユラウシャか。ああ、やっぱりさすがに門は閉じられてるな。陣の構築もやってるようだが、まだまともに動ける状態じゃないな。ありゃ」


 双眼鏡で海辺への緩やかな坂を降りていくと。


 そこには壁に囲まれた街があった。


 左には北部を流れ流れて海に注ぐ一級河川。


 右には岸壁付近の岩場を刳り貫いたのだろう高さ30m近い海風に晒される古城。


 いや、どちらかと言えば、岩窟の城とでも言うのだろうか。


 そのような粗削りに掘られた要塞のようなものがあり、その端から白いレンガの街並みを囲う木製の丸太を使った壁が延々と海岸線沿いを囲っている。


「大門は閉まってるが小門は空いてるな。ついでに停泊してる船は……?……大型帆船が無い? 埠頭にも沖合にも見えない。外洋に逃がしてるのか? それとも海岸線沿いの何処かに……」


 よく見ても小型の漁船が数十隻あるだけだった。


 川沿いの周囲には大型の船は一つも無い。


「まさか? どんな時も大抵は大型の帆船が並んでいるはずなのに……」


 アテオラも驚いた様子で双眼鏡を見ていた。


「これは何かあるな。戦争前に船がいないって事は何処かで仕事してるって事だ」


「どうしますか? このまま小門の方へ?」


「いや、一端夜を待とう。ゾムニス」


「解った。周辺の林の方に向かう」


 ノイテがデュガを起こして共に得物を腰に装着し始め、アテオラが訊ねて来る。


「どうするのですか? フィティシラ姫殿下」


「此処からは徒歩だ。あの様子じゃもう疑心暗鬼でヴァドカに対する準備で手一杯。普通に向かったら捕縛だろう。怪し過ぎるってな」


「じゃあ、夜になってから潜入を?」


「試みなくてもいい。此処はゾムニスに頑張って貰おうか」


「どういう事かな?」


「無理の無い役柄をくれてやる。一緒に台詞覚えろよ?」


「……嫌な予感しかない……はぁぁ……」


 ガックリと大男は項垂れたのだった。


 *


『おう。そこの連中止まれぇええ!!』


 夕方頃。


 馬車を捨ててゾロゾロ粗末なフードに身を包んだ数人がやってくるとなれば、門の前で今も大量の木材で陣地を作っている軍の部隊にはまったく怪しい奴らに見えるはずだ。


 どうやら傭兵のような身なりだったが、その様子は何故か傭兵にあるまじく黙々と作業しており、微妙にオカシイ気もする。


 もしかしたら北部の傭兵は無口なのかもしれない。


「そうだ。そこのお前らだぁ」


 それは正しく大当たりだし、予定通りの静止であった。


「お前ら、何者だ!! 今、ユラウシャには入れんぞ!!」


 門を護る部隊なのだろう騎馬隊の1人がこちらにやって来る。


 こちらの方が余程に騒がしい。


 それに対応するのはゾムニスだった。


「おう!? 此処で戦争すんじゃねぇのかよ!?」


「な、何ぃ!?」


 ジロジロと男の目がゾムニスに向く。


 不適な笑みを浮かべるゾムニスはジャラリと鎖を引っ掴んでこちらの首輪を引き寄せながら、クツクツと悪い笑みを浮かべた。


「オレぁよぉ。此処で戦争になるって話を聞いたから、来たんだ!! まだ、傭兵は募集中だろぉ?」


「お前、用兵か? 良いガタイしてんじゃねぇか? あ? そっちのは奴隷か? 随分と多いな。しかも小せぇのから大きいのまで……汚れてるが、まぁなかなかイイ面してんな」


「はッ!? 抱きたきゃコイツをたんまり出してから言うんだな?」


「チッ、オレは此処の門を預かってんだ!! オレが口ぃ聞いてやれば、すぐに登録出来んぞ?」


「ははは、その手ににゃ乗らねぇよ。そういうのは先にやってから言うもんだ。それが本当なら、ちゃぁんと抱かせてやるよ? オレのお古でガバガバだがな」


 ガハハハハと下卑た嗤い越えでゾムニスがまた首輪をジャラリと鳴らして、こちらを引っ張り、女奴隷という事にした如何にも墨と土で汚しましたという顔の女奴隷をより取り見取り腕に抱くようにして見せ付ける。


「約束だぞ? オイ!! まだ傭兵登録してたよなぁ」


 騎馬隊の男が背後の同僚にそう叫ぶとああという声が返る。


「ついて来い。入ってから妙な事すんじゃねぇぞ。戦線送りになるまで軍の詰め所だ。いいな?」


「はいはい。精々、稼げる場所にして欲しいもんだぜ。おう、お前ら!! 面ぁだけはいいんだ。面倒事になる前に頭に被っとけ!!」


「は、はぃ。ゾム様……」


 そう弱々しい声でそっと手を震わせながらフードを被る。


 それに機嫌良さそうにゾムニスが再びジャラリと鎖を片手で引きながら、半ば引き摺られるように旅行用の荷物を持って門を潜る。


 すると、内部は正しく戦場のようだった。


 あちこちから大量の馬車が木材を運んできており、他にも食料や武器の類まで兵の外に運び出していく。


 あちこちで奴隷達が水夫に混じって働かせられており、鞭こそ入れないが、怒鳴り声で誰もが急かされていた。


 粗末な麻布の服を汗と埃と潮に塗れさせた男達がいる一方。


 街を歩くとすぐに娼館と宿屋らしき場所があちこちにあり、酒と女の嬌声と笑い声が響く。


 そろそろ夜という事で明かりの灯った街は大通りを境にして歓楽街と商業街に別れている様子で小道にはケバイ化粧の路娼達がこちらを何処か虚ろな視線で見つめつつ、働き時の男達にシナを作っては色仕掛けに励んでいた。


 アテオラはノイテが、こちらはデュガが隣に付いている。


「ようやく入れたな」


 案内している騎馬隊の男の先導で向かうのは岩窟の城。


 港に出る道はまだ見えてこない。


 陸地から直接港を攻められるのを防ぐ為にわざと遠回りするように出来ているのだろう。


「おう!! ここらの宿はどうなってんだ!! 前線行く前に一杯引っ掛けて、こいつらを愉しみてぇんだけどよぉ!!」


「ああん? 今、もう少しでヴァドカの連中が攻めてくんだぞ!? んな余裕あるかってんだ!?」


「はは、オレに掛かりゃ、大半がゴミみてぇなもんだ!! いいから、宿屋を教えやがれ!! 登録したっつってもコイツらみたいな荷物まで置いとける場所じゃねぇだろ!! 盗まれねぇところだぞ!!」


「チッ、我儘なヤツめ……解った解った。じゃあ、その時に愉しませてもらうぜ!!」


「ああ、いいぜ!! 何なら全員そのときゃ持ってけ。だが、持ち逃げしたら、殺す。返さなくても殺す。お前一人だけだ……いいな?」


 低い声でゾムニスが脅すと殺気は伝わったらしい。


 騎馬隊の男もさすがに怯んだ様子になる。


「わ、解った。解った!! あーもうめんどくせぇ。でも、ホントにイイ女連れてやがる。こんな上等な奴隷共、何処で手に入れたんだ」


「ひゃははは、そりゃぁ、帝国よぉ!! 帝国に入るはずだった奴隷が積まれた馬車を襲ってよぉ!! ぶっ殺して奪ってやったのさ!!」


「おま、なんつー事を……」


「ハッ!! こんなところまで帝国がやって来るかってんだ。さっさと登録して宿屋にこいつらを置きに行く!! 愉しみてぇなら、さっさと済ませな」


 明らかにゴロツキ。


 傭兵という名の悪人。


 もう完全に信じ切った様子の騎馬隊の男は面倒そうな相手だと思っているのだろうが、それよりもこちらを見て、僅かに鼻の下を伸ばして、鼻息まで荒くした。


 何を考えているのかは男として言わずとも解る。


 まぁ、世の女性が軽蔑の視線やらゴミを見るような瞳で見て来る事は間違いないだろうあれやこれやだろう。


 こうして数十分後。


 晴れて傭兵として登録したゾムニスは騎馬隊の男に連れられて、市街地で奴隷が盗まれないくらいの格はある宿へと向かう事になったのだった。


 *


「カハ?!」


「ふぅ……」


「ご苦労様だ。ゾムニス」


 騎馬隊の男を縛り上げて猿轡を噛ませ、お相手用のグルグル巻きにした毛布に抱き着かせ、それにカツラを被せて更に上から少し上等なブランケットを数枚。


 後はちょっと多めに麻酔薬を唇に塗っておく。


「名役者だな。今度、帝都の劇団に推薦しておく」


 いつでも外せる奴隷用の本物の首輪を外してゾムニスがこちらに持たせていた粗末な幾つかの鞄から衣服を取り出し、部屋をノイテとデュガにシーツで仕切らせて、すぐに着替える。


 代わる代わる着替えているとこちらに背を向けたゾムニスの肩が煤けていた。


「何落ち込んでるんだ?」


「………これでも繊細なんだ。放っておいて欲しい」


 どうやら悪党役が酷く似合っていたせいで落ち込んでいるらしい。


「大丈夫だ。問題無い」


「問題しかない!? それ相応の悪党は見て来たつもりだが、ああも通用するとさすがに傷付くぞ!?」


「大きい癖に傷つき易いヤツだな。元襲撃犯とは思えないな。だが、上手くいったろ? 気にするな。傭兵が戦場で消えるなんてよくある事だからな。だが、こいつはそうも行かない。こいつがこの状態で発見される前にさっさと仕事を片付けよう」


 アテオラに途中の街で調達させた町娘風やら娼婦風の装束に身を包んで、ゾムニスに肩を竦める。


「ほ、ホントに悪人の方にしか見えなくて、ちょっと怖かったです」


 アテオラの言葉で更にズーンとゾムニスが沈んだ。


「あ、だ、大丈夫ですよ!? ゾムニスさんは良い人って解ってますから!!」


「それを追いうちと言うんだ。覚えて置け。アテオラ」


「何をやってるんですか? 行きますよ」


「ふぃーもだけど、ゾムニスもやるよなぁ」


「だから、追いうちを掛けるなと。はぁぁ……後でそこらの娼館の情報集めるぞ。行動開始はその後だ」


 デュガの言葉で更にガックリと肩を落とす巨漢なのだった。


―――数分後。


 しばらくは落ち込んでいそうなゾムニスにフードを被せて、左右からしな垂れ掛かるように抱き着きつつ、宿から出た。


 さすがにこう騒がしく戦争前の気配で浮かれていては誰も何も気付かない。


「で、これからどうするんだ? ふぃー」


「明日までにまず此処のお偉いさんを襲撃する」


「話し合いに来たのではないのですか?」


「だから、話し合い(拉致)をしに来たぞ?」


「ああ、もう聞いているだけで何をするのか分かる自分は毒されている気がするなぁ……」


 しみじみとゾムニスが大きく息を吐いた。


「だが、それは可能なのかな? 浮ついているが、軍人は気を張ってる様子だ」


「ああ、ちゃんと考えてあるから気にするな」


「だが、逃げ場が無いと思うが?」


「そもそも海にまで来たんだ。海……使わないのはもったいないよな?」


「海は使うものではなくて、入るものですよ」


 ノイテがやれやれと肩を竦める。


「戦争中だが、他国に逃げ出したいヤツはいる。船の一隻や二隻は漁船買収出来るだろ。情報集める時にな。初夏で水温も高いし、まず落ちても死なないから」


「泳げない人間もいるのでは?」


 ノイテが致命的な点を指摘する。


「泳げないヤツ、手を挙げろ。今なら怒らない」


「……は、はぃ」


 アテオラが手を上げる。


「じゃあ、もしもの時は泳げるヤツに乗っかってくれ。人間は力を抜くと海水なら浮くから大丈夫だ。筋肉は重いから沈むが、泳げる、よな?」


 巨漢を見やると頷きが返った。


「一応は。川での経験しかないのでよければ……」


「立ち泳ぎは?」


「出来るけれど、どうもなぁ。沈まないように泳ぐのは結構疲れて」


 ゾムニスの言葉にアテオラを預ける事を決定する。


「それじゃ、さっそくオハナシを聞いてくれるユラウシャの一番上を捕まえよう」


「どうやって位置を特定するんです?」


「普通、権力者ってのは一番堅固な場所か一番安全な場所にいるってのが相場だ。行く場所は決まってる。何の為に傭兵として登録させたと思ってるんだ?」


「ぬ、抜け目ないです……」


 アテオラがそんなところまで考えていたのかぁ、と。


 目をキラキラさせる。


 まぁ、大体行き当たりばったりで予見されていた色々な状況に対応するプランを引っ張り出しているだけなのだが、何を言う必要も無い。


「だが、お前達はどうする? さすがに入れないだろう」


 ゾムニスの言う事は一々最もだ。


「それはどうかな?」


「あ、また悪い顔してるぞ」


 取り敢えず、姫メイドの言葉は無視して相手の懐にお邪魔する準備を始めるのだった。


 *


「か、火事だぁああああああ!!?」


「火の手が回って来てるぞおおおおおおおおおお」


 鞄に詰め込んで来ていたスモーク・グレネードを3つ程、岩窟も程近い民家近くの路地付近に放り込み。


 ついでに黄色い悲鳴と共にゾムニスに嘘を城の方へと叫ばせた。


 もう岩窟付近の路地に人が集まって来る頃には大量の煙が運の良い事に岩窟の方へと流れ出しており、煙を節約出来たとニヤリとなってしまう。


 スモーク・グレネードは長時間大量に焚ける事を目的に開発したものだ。


 閃光を出さない分、良く煙が出る。


 ゾムニスの幅広の外套の内部に自分とアテオラ。


 更に娼婦風な衣装の2人は集まって来た娼婦達という設定で酒瓶も持たせた。


 ゾムニスを壁にしてこっそりと大量の煙の中、岩窟内部に入るのは容易だった。


 というのも、やはりノイテとデュガの脚運びや位置取りはかなり良い。


 戦をしていただけあって、潜入スキルも高いようだ。


 人混みに紛れるようにして岩窟の門を潜り抜け、構造物内部へと侵入してから最初に来た時に把握していたトイレの方へとゾムニスを盾に向かう。


 ヴァドカの攻撃だ何だとざわめいている間に男女別ではない海にそのまま落とすタイプの木製便座が大量に並ぶシュール過ぎるプライベート絶無空間で人がいない事を確認して一息吐いた。


「で、どうする? 此処から」


「ここからは娼婦の護衛にしとこうか」


「護衛?」


「途中でノイテに店の名前を調べさせたり、お前に娼館の情報を探らせたのは何でだと思う?」


「………そういう事か」


「それに情報でも此処の岩窟の連中が娼婦連中をデリバ……此処に来るよう頼んだりする事があるって話だったろ? 誰が頼んだかなんてどうでもいいんだ。だから、堂々と入れ」


「……今日一日で何役やるんだ。一体」


 額に手を当てた巨漢の苦労は解るが、やってもらわねば困る。


 一応、ランタンは非常時なので灯されたトイレ内でまた着替え。


 娼婦風とお嬢様風。


 いや、いつもの衣装を懐から取り出し、皺をちょっと伸ばして着込み。


 ゾムニスとアテオラを後ろに付けて、ノイテとデュガを横に出ていく。


 すると、煙の大本を特定出来ずにまだ混乱している様子で更に人混みはロビーに増えていた。


 上に昇る階段へと向かうと。


 すぐに兵士と出くわす。


「オイ!? 何してる!!」


「あ、そのお店の方からこちらへ来るように言われたのですが、何処の方がご注文されたのかお知りになりませんか?」


「何?」


「この騒動でソレを知っている方と逸れてしまい。わたくし達は二番街のシュオという店から派遣されて来たのですけれど」


「あの店か? ああ、こんな時に誰だよ。頼んだの……はぁぁぁぁ」


 兵士が思わず溜息を吐いてから、こちらをチラリと見て、ちょっと鼻の下を伸ばす。


「実は今日は小さい子も連れていて、傭兵さんをお店側が付けてくれたのですけれど……」


「た、確かに小さい……いや、君の方も小さいが、うむむ……解った。後で君を買った人の名前だけ教えてくれるかい?」


「ぁ、ありがとうございます。これからもお店を是非ごひいきに」


 ちょっと花の咲くような笑顔というヤツは前々から女の武器として練習していたので理想の彼女が欲しい前世的に合格なラインまで仕上げた。


「そ、そうかい。こ、今度言ったら、指名するよ!! 絶対!!」


「は、はい。どうぞ、よろしくお願い致します」


 深く頭を下げてからゆっくりと進む。


 すると、後ろでゾムニスが声を掛けられたようだった。


「オイ。傭兵!! あの子の名前はなんてんだ!? 教えろ!!」


「確かフィーとか言うんじゃなかったか?」


「もういいぞ。行け!! あの子達に手出すんじゃねぇぞ」


「仕事だよ。仕事。まったく、付いてねぇぜ」


 やはり、ゾムニスには今度帝都の劇団でも紹介しようと決めて、イソイソと上層階へと向かう。


 岩を刳り貫いたらしい内部はしかし、しっかりと溝が掘られていたり、掃除した後に水を排水する為の穴や溝が設けられていたりと案外しっかりした作りだった。


 滑らない床を歩いて数人の兵士達に同じように聞きながら周囲でお目当ての人物のいそうな場所を物色しているとようやく最上階に辿り着く。


 部屋の前には兵士が2人付いていたが、事情を話してから、内部の人間に確認を取ってくれるだけでもいいと言うと仕方なさそうにこちらへ背を向けたので、ゾムニスとノイテが首を腕で頸動脈毎閉めて失神させていく。


「な?! だ―――」


 デュガが瞬時にミサイルの如く飛び出して内部の椅子に座っていたでっぷりと太った男の口内に刃先を突っ込む。


 それで身動きが完全に取れなくなった男が驚愕に目を見開きながらもすぐに両手を上げて降伏の意を示した。


 最後に1人で扉を閉めて、そこらにあった適当な槍で固定してデュガに目配せするとすぐに背後に回った。


「………お前らはヴァドカか?」


 でっぷりした男は50代くらいだろう。


 禿げた頭に如何にも成金らしい大きな紅い宝石の付いた指輪を指に数個。


 衣服は貴族風だったが、はち切れそうなシャツは少し垢染みており、この数日はずっと決済でもしていた様子であった。


 相手をテーブルを挟んだソファーに座らせた後。


 デュガを背後から外して扉の前の見張りに戻らせる。


「ただの盗人の類ではないな」


「話が早くて助かります。お名前を教えて頂けませんか?」


「此処に来て名前を聞く、だと?」


「人の顔までは分からない身分なもので」


「フン……我が名はビダル。ビダル・ノーランド」


 アテオラを向くと頷いた。


「ビダル・ノーランド。ユラウシャの大船主です。此処の海軍の偉い人で商会の偉い人でそれから王様をやっつけた人の子孫、だったはずです」


「成程。つまり、ユラウシャで一番偉い人という事ですか?」


「一応、取り纏め役という話だったはず……」


 そのこちらのやり取りを見て、ビダルがその弛んだ無精髭の伸びた顎を僅かに撫でた。


「何だ……お前達は……一見してまるで道化屋ではないか」


 この世界におけるサーカスや見世物小屋を扱うような連中は一括りにそう呼ばれていたりする。


「さすが商人の一番上に立っているだけはあります。御慧眼ですよ……ええ、我々は産まれも育ちも違う。それこそ北部諸国の人間ですらありません」


「ッ、何だ!? 帝国だと!? そういう事か!?」


「どうやら頭の回転もおよろしいですね」


「―――まさか、情報にあった? ありえん……帝国貴族がこの北部に来るだと? 馬鹿馬鹿しいにも程がある!!」


 どうやら色々と推測して察したらしいビダルが常識を語る。


「その常識はもう古いと言ったら、ノーランド様はどう思われます?」


「古い? 常識が? 何だ?! 何を画策している!! 北部諸国を此処まで育て上げた貴様ら帝国が今更に肥え太った我らを刈り来たとでも!!? まさか、ヴァドカも!?」


「いえ、ヴァドカの事はユラウシャの自業自得です。帝国は何ら間接的にも直接的にも干渉しておりません」


「信じられるものか」


「今までは信じていたような口ぶりですが?」


「ッ、名を聞こう。お嬢さん。いや、帝国貴族」


 立ち上がって、カーテシーと共に微笑む。


「フィティシラ・アルローゼンと申します。どうぞ、お見知りおきを……」


「―――悪夢だ……」


 思わずビダルが額を手に当てて嘆いた。


「すぐに信じて頂けたようですが、それだけの理由はあるのでしょうか?」


「フン。もう取り繕う必要も無いから言うが、あの老害に幾度辛酸を嘗めさせられた事か……」


「御爺様とお知り合いでしたか?」


「商売上の付き合いだ。帝国の武器輸出も元はと言えば、我々の特権だった。だが、商売敵によって、ユラウシャの北部での武器輸出は低迷した」


「ああ、そういう事でしたか。ですが、ユラウシャは外にも様々な品目を北部諸国に降ろしているようですが、武器なんて一割にも満たないのでは?」


「……武器というのはなぁ。小娘……本当に信頼出来る者からしか買えない商品だった……それがどういう事か分かるか?」


「信用問題で帝国によって各国家との繋がりが薄まった。そのせいで商売の円滑な活動が困難になった、と?」


「そういうのは解るのか。クソ……此処まで来て、此処まで来てか」


 ビダルが悔しそうな顔になる。


「御爺様にバレぬように他国とのやり取りで随分と船を保有するようになったようですが、さすがにヴァドカへの物流を締め上げるのはやり過ぎだったのでは?」


「馬鹿を言え!! いいか!? 小娘!! ヴァドカはなぁ!! 最初からユラウシャを併合しようと要求を送って来ていたのだ!!」


「……それはあの方からは聞いていませんでしたね」


「何? まさか、あの王太子とも会ったのか!?」


「ええ、軍を半数程まで引き上げさせて、後の半数が来るのは数日後ですよ」


「な―――どんな手段で!? あの王太子が軍を引くだと!? さすがはあの老人の孫娘と言うべきか……」


 ビダルが感心を通り越した様子で目を細める。


「少しお話合いをしただけですよ。それでこちらの要件は三つです」


「……言うだけ言ってみろ。聞くかは知らんがな」


「では、アテオラ」


「はい。姫殿下」


 アテオラが今までの旅の集大成となるだろう地図を商人ビダルの前のテーブルに広げた。


「何だ。地図? 全景か? 一体、なに―――ッッッ」


 今度こそビダルの声が止まった。


 息をするのも忘れているようだ。


 ついでにギョロギョロと物凄い速度で地図が端から端まで確認している。


「そこの小娘!! カンテラを端に置け!!」


「は、はぃ!?」


 アテオラが慌てて、ビダルの言った通り、部屋の端に幾つも置かれていた帝国製のカンテラを地図の端に置く。


 すると、ビダルが今度は眼鏡を取り出して掛けながら緻密に書き足された地図を指でなぞるようにして次々に見て、地図の端に何がどの色でどのように書き込まれているのか。


文章で理解しながら読み解いていく。


「…………………………………つまり、だ」


「?」


 ニコリとしておく。


「お前の要求は三つ。この馬鹿げた戦争を無かった事にして、ヴァドカと和解し、貴様らが創る北部諸国とやらに参加し、我らの背後にいる国家と縁を切れ。


 そう言うのだな? フィティシラ・アルローゼン」


「この地図がお判りい頂けるだけの聡明さで助かりました。この状況で1から10までご説明して差し上げるのは骨が折れたでしょうから」


「く、くくく、くはははははは!? 何だ!? この地図は!? この狂った地図は!? いいか!? 小娘!? 百年後の地図を書いて、交渉をしようなんてのは狂人の妄想か英雄の戯言と言うのだ!?」


「そこまで解っているのならば、ご理解されたのでは?」


「貴様ら帝国にその技術と資本があると言うのか!!?」


 激昂せんばかりに男がこちらを睨む。


「ありますとも。商人を相手に夢だけを売るつもりは毛頭ございません。ですので、当座の資金繰りの種と融資条件もご提示しましょう」


 アテオラが二枚目の透ける紙の地図を取り出して、同じように重ねる。


「………コレは、この線は何だ? この物流を司らんとばかりに各国へ伸ばした線は一体何なんだ? まさか、船でも通そうというのか? 運河を掛けるのに千年いるぞ?」


「いえ、コレは鉄道です」


「テツ、ドウ?」


「簡単に言えば、この北部で良く取れる燃える石。石炭を用いて、水を加熱し、上気の力を使って動く乗り物です」


「―――何だ。そんなものは」


「ええ、今の帝国にはございません」


「………」


「ですが、一年後の帝国にはコレの試作品とそれを作る過程で出来たものが大量に出回るでしょう。最初は小型帆船の10分の1程の荷しか扱えません。ですが、2年後ならば小型帆船の半分、3年後には小型帆船分、4年後ならば、小型帆船二隻分くらいにはなるでしょう」


「馬鹿馬鹿しい。百年後の地図の次は戦争間直な国に数年後の話だと?」


「ええ、ですが、これでグッと身近に感じて頂けるのでは?」


「それがすぐの利益でなければ、我々が動く理由にはならないとは考えなかったのか?」


「考えました。なので、三枚目があります」


 アテオラが今度は三枚目の透ける紙を取り出して二枚目と交換した。


「コレは………地図ではなく設計図と来たか」


「はい」


「一つは船? だが、この船は……鉄か? 鉄の船か!? こんなものが浮くのか!? 本当に!!?」


「鉄とて浮きます。無論、木材も使いますが」


「それにこの船は帆船ではないな? どうやって。いや、石炭と蒸気、だったか?」


「はい。こちらはもっと単純ですが、小型船の船舶に関しては帝国内で既に試験的に動かしています。勿論、通常の帆船よりもずっと早かったですよ」


「………そして、こっちは何だ? 指のような物体に、筒と何かの仕掛けのある握り……兵器なのか?」


「はい。コレです」


「?!!」


 ゴトリと相手の前に実物を置く。


 リボルバー拳銃。


 この世界においては恐らく初めての兵器。


「どうぞ。手に取って見て下さい」


「………成程? この形状。この指のような物体。この匂いは火薬か? この重さ。何かの合金を使っているな。この指のようなのが火薬の塊ならば、この筒の中で燃えたら、この筒の先に何かを飛ばす。いや、鏃か?」


「はい。この指の中に鉛の玉が詰めてあります。それが、燃焼によって加速し、弓の如く飛び、人間の力よりも遥かに強い力で相手を貫きます」


「―――この悪魔め。こんな、こんなものを帝国は……」


 何かを諦観したかのようにビダルが息を吐く。


「交渉の材料を見てからではなく。中身を聞いてから、その言葉は仰るべきでは?」


「……聞いてやる? 何だ? ヴァドカにコレを渡して北部を統一するか? それとも我らを滅ぼした後、貴様らが自分で併合するか? その企みに加担しろだと? 御免被る」


「あははは、ビダル様は早とちりがお上手ですね」


「何?」


「誰もそんな事は言っていません。コレはわたくしが御爺様の力も使って進めているです」


 何故か、相手の顔に衝撃というよりは虚無のような、何かが音を立て崩れた気配がした。


「金策だと?」


「はい。“大陸統一前のちょっとした実験”ですよ」


「………………(´-ω-`)」


 もうビダルは頭に片手を当てるだけとなる。


「ビダル様。わたくしからビダル様への要求は三つです。あなたの命と全財産をわたくしの計画に投資して欲しい。手始めに北部諸国の貧乏国家にあなたのお力を貸して欲しい。最後にユラウシャの民を護る為、わたくしに博打の勝ち方を教えて欲しいのです」


「博打とは?」


「わたくしはこの北部諸国に左程詳しくありません。博打が博打でなくなるには貴方のような巧緻に長け、知識に長じ、民の為に働く人間が必要なのです」


「今、決めたような話だな」


「今、決めました。わたくしのお抱え商人として少し? 貴方の才知と人生を掛けて最も高い買い物をわたくしにさせて下さい」


 何だか後ろでは呆れを通り越した男女の気配。


 もう疲れたよと言わんばかりの溜息がセットでハモっていた。


「く、くく、くくくく、はははは、あはははははははははっ!!!!」


 心底に大笑いした男が目の端にまで涙を貯めて拭って、こちらを見やる。


 息を整えた男は


「これが……この兵器と地図が担保と言うわけだ」


「はい。大陸の国家において人を最も殺し、滅ぼすかもしれない悪魔の兵器。そして、大陸の海、川を遠く繋ぐ新たな箱舟と無限の大地を征く無欠の車輪。更に、百年後の平和な世界の地図……独占販売するだけの規模が整うまでの融資もお付けしますよ。勿論、このユラウシャの地で全てを作りましょう」


「これで人々が本当に豊かになると?」


「これが貴方を動かすに足らないとするならば、貴方は海の商人ではなく。小さな商店の店主に収まっているべきですし、実際そうではない」


 ビダルがこちらを睨んだ。


「貴方は国を動かしているのですよ? 最も商人として大事なのは信頼と信用。ですが、ソレは行動でしか示されない」


 その言葉に男がボリボリと頭を掻いた。


 今の相手に祖国の独立を本当に護る術など無いのだ。


 言うまでも無く傭兵を幾ら雇ってもヴァドカが本格的に潰そうとすれば、落ちてしまう可能性の方が高いのは言わずとも解っていただろう。


「……夢を追う男の落とし方など何処で覚えた小娘。いや、フィティシラ・アルローゼン姫殿下」


「習ってはいません。女はいつでも男の前では魔性でありたいものではないでしょうか? 飽きられて捨てられたくありませんから」


「くく、毒婦め。我が国を救うと言ったな」


「いいえ、民を護ると言ったのですよ。民とは国家にとって全て。そして、同時にまたその民の財産失くして、国家は無い」


「……いいだろう。その誇大妄想に付き合ってやろう。まずはこの状況を打破する計画を話してみろ」


「それにはまず背後の方々と船の行方を教えて抱きたいですね」


「フン。それもそうか。どうやら、貴様はあの連中よりはマシそうだな」


「それであの連中とはどちらの方々の事なのですか?」


「……継承戦争は知っているな?」


「ええ、バイツネードが付いた方が負けたとか」


「我々に船を揃えるだけの木材を融通し、傭兵を山のように送り込んで来たのは、正しくその国だとも」


「南部が? ザルデアス皇国ですか。それもディアス家……」


「奴らの国土の一部は海に面している。ついでに大陸でも有数の木材の産出地帯だ。要求は二つ。この地に反帝国の橋頭保を確保する事。そして、我が国から奴隷を大量に輸出して欲しい、との事だ」


「奴隷を?」


「理由は知らん。戦争で人が少なくなったのか。それとも奴隷貿易を本格的に始めるのか。どちらにしても我々に選択肢は無かった。ここ数年、漁獲量が落ちてな。蓄えはあったが、ヴァドカの侵攻が秒読みとなっていた。自治独立を諦めろと言われては傭兵を雇うしかない。だが、その傭兵がそもそも雇える程に北部では多く無かったのだ」


「そういう理由でしたか。それで船は何処に?」


「あちらの要望で更に沿岸諸国で奴隷を買い増して盾にしろという話だ。融資する以上は勝てとな」


「………ああ、どうやら少し遅かったようですね」


「遅かった?」


「傭兵はこちらで雇ったのではなく。あちらから送り込まれたという事ですが、彼ら本当に傭兵でしょうか?」


「何?」


「一応、それっぽく見える姿はしていましたが、黙々と陣地の構築作業をする傭兵なんて聞いた事も見た事も無かったので」


「な―――まさか!?」


 どうやら気付いたらしい。


「もしもそうなら……まぁ、戦争になれば、おのずと答えも出るでしょうが、それを待っていられないのは自明……相手側の傭兵がそうであった場合、目的は……マズイですね」


「どういう事だ?!」


 ビダルが何を気付いたとせっつくように訊ねて来る。


「船は本当に奴隷を買っているのか。それとも奴隷も買わずに何か別のものを運んでいるのか。どちらにしてもユラウシャには時間が無いかもしれません」


「解るように説明しろ!!」


「つまり、ユラウシャは最初から北部諸国侵略への足掛かりにされていたのかもしれない、という事です」


「――――――」


 ソファーを立ち上がる。


「融資やお抱え商人の件はまた後で。まずは確認して来ます。相手の目的が解れば、どうすればいいのかも判明するでしょう」


「どうするつもりだ?」


「取り敢えず、傭兵は最前線で前面に押し出して護りを固めさせて下さい。それくらいなら、さすがにやるでしょう。それとその船とやらの設計図などがあれば。ああ、それに船を確認しに行くので速い船を一隻借り受けられませんか?」


「それでどうする?」


「相手の船に潜入して怪しいものを探すのですよ。適当な理由で乗り込んでもいい身分などもあるとありがたいのですが?」


「……いいだろう。少し待て」


 その時、兵士が走って来る音がした。


『衛兵がおりませんが、どうされましたか!!』


 それに緊張したゾムニスとノイテだったが。


「何でもない!! 今は有事だ!! 此処はいいから、外の方を手伝って来いと砦の者達にも伝えよ!! また、追って新たな命令を通達する!!」


『了解致しました!!』


 すぐに何やら紹介状やら命令用の羊皮紙に何かを書き込んだビダルがそれをこちらに渡してくる。


「死んでくれるなよ? 商売の機会を逃して、あの老人に恨まれては我が国は結局潰れるのだから……」


「お約束しますよ。どんな姿になっても生きてまた会いましょう」


「フン……書面でしか会った事は無いが、その考え方、その突拍子も無さそうにも見えて、実際には恐ろしい謀略を紡いでいるところも……まったくそっくりだな」


「誉め言葉として受け取っておきます。では、また」


 こうして駆け足になった旅は更に速度を増す事になるらしかった。


 何事も話を持っていってみるものだ。


 商人だろうと海の男ならば、ロマンと言う単語にはきっと弱いに違いないという思い込みはこの世界では有効なようだった。

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