第309話「暗闇に続く物語の続きを」


―――ごパン大連邦首都ファースト・ブレッド。


 今正に世界が混沌の淵に沈む傍ら。


 その一室に押し掛けようとする多くの連邦国家の重鎮達は総司令部の長である連邦軍のトップ。


 巨女ベアトリックス・コンスターチの軍権を盾にしたお断り戦術を前にして挫折する事となっているらしい。


 英雄の帰還。


 いや、今まで何してたんだと言われていた男が突如として軍中枢たる施設へと来たのである。


 逸早く会おうとするのは政治家にしても経済界の取締役達にしても役人のトップ達にしても極めて正しい。


 だが、今非常事態宣言が出され、ほぼ軍に掌握されているファースト・ブレッド内は完全に軍管轄。


 無茶と道理を引っ込めて会えと圧力を掛けたところで法律と軍規のせいで無しの礫。


 彼らの代理人達数十人が施設のエントランスに押し寄せていたが、今ポ連戦に関わる重大な軍事機密を要した会議中であるという話を前にやきもきするしかなかったのは御愁傷様としか言いようがない。


 その今、大陸で一番人に会われたいと思っているだろう自分は総司令の執務室内のソファーに座り込み。


 秘書が出した紅茶と焼き菓子をボリボリと喰らっている。


「うん。マズイ」


「あははは。仕方ありません。彼女の作るものに比べれば、我が軍の糧食などこんなものです」


「そういや、リュティさんの前歴って軍関係者だったな」

「ええ、一応は知っていますし」

「優秀だったんだな……」


「我が軍の食工兵が他国の数世代先の装備を使っていたのは彼女のおかげだったりします」


「……本題に入ろう。情報を今から全部羅列する。読み終わったら声掛けてくれ」


 来るまで文面に起しておいた今の自分の現状を完結に記した文章をザッと魔術で部屋の白壁に投影する。


 魔術とてある程度は脳裏で自動化可能だ。

 些細な代物ならば、曼荼羅は必要無いので出す必要も無い。


 魔術用のメンタル・トレース系のプログラムだけは事前に脳髄に刻んでおいたので意識するだけで十分に機能する。


 オカルト使用の為、事前に色々と準備はしていたのだが、それにしてもあの鬼との恣意的な接触はまったく成功していなかった。


 ぶっつけ本番では何とかなったが、かなり際どいタイミングだった事は間違いない。


 それなりに切り札のストックは用意してこそいたが、だからってその大半が使用不能になるとは思っていなかったのだ。


 一応、そういう可能性を重要視して帰還時からのスケジュールも組んであった為、最大の危機を脱した今は状況的に安定しているが、鳩会の幹部級や総帥本人が来たら厳しいと言わざるを得ない。


「……カシゲ・エニシ。貴方はこの国“でも”重要人物だったようで」


「プロパガンダの材料だけどな」


 中佐にそう返しておく。


「とんでもない。我が国で唯一、大連邦の首席議員であった父から薫陶を受け、実際に一人省庁として今も議員として議席を有しています。特別枠ですよ」


「オイ。あんまり盛るな。一回だって議会なんぞ参加してないし、議決権も行使してないだろ?」


「我が国の議席数が減って他国も喜んでいましたよ。連邦の首席議員、議長の座も狙えるでしょうね。オリーブ教徒である貴方に上手く娘を嫁がせて我が国とのパイプを太くしようという方も大勢おられますが」


「勘弁してくれ。もう嫁を増やす気は無い」

「その言い分ではまた増えたように聞こえますが?」

「ノーコメントだ」


 自分の失言に視線を逸らす。


「ふふ、父も貴方の事を最後まで気に掛けていましたよ」

「ああ、あの独裁者なら別人になって過去の時代でピンピンしてるぞ」


―――。


 一気に空気に掛かる圧力が高くなったというか。

 いきなり、超高気圧地帯に出てしまったような気分というか。


 とにかく、物理的に普通の人間なら汗が止まらなくなるレベルの圧迫感が押し寄せて来た。


 中佐などはそれに自分が今受けているのが目の前の人物からの猛然とした気配。


 殺気ではないにしても、剣呑な動物の気配だとは理解出来ないのか。


 いきなりの周辺の空気の変質に驚き。

 身体をプルプルさせて、周囲を何事かと何度も見渡していた。


「お話を。カシゲェニシさん」

「今、何処まで読んだ?」


「月で魔王になって神に手も足も出ない状態にされた辺りですが」


「その後、過去に飛ばされた」


「ええ、今見ています。冗談みたいですが、本当なのでしょうね」


「そこで出会ったんだ」


「………人格の複製……本人の完全なコピー……この情報を要約すると……つまりはプリカッサー関連技術で父が何者かに蒐集されていたと?」


「ああ、あいつは完全な複製だ。オレと同じでな」

「“その方”は今も過去に?」


「ああ、オレが身の安全を保証出来なかったから、安全が確保されるまでは過去に滞在する事になった」


「………そうですか。父とは死に際に会えませんでしたが、きっと今頃は余生を満喫しているのでしょうね」


「ああ、満喫してるとも。美人な福祉関係者にお世話してもらってるしな。そして、満喫し終わったから、この時代に帰って来る。オレがそう出来る状況になったならな」


「……何故?」

「ソレを今更オレに訊くのか?」


「父は自分のやってきた事で押し潰される前に逝けた事を後悔していましたか?」


「ああ、してたとも。だからだよ。ただ、全てを見届けたいんだと」


「自分が本人ではないと知っていても?」

「ああ、最初から分かってた」

「馬鹿ですね。まったく……救い様の無い独裁者です……」


 初めて彼女の人間らしい本音を聞いた気がした。

 それと同時に周辺の空気も元に戻る。


「緩やかな民族浄化に国民を均質にしようなんて政策してた人間に今更だな」


「……父は……人間としては歪んでいましたし、独裁者としては大勢の人間を戦争や政策で直接間接問わずに殺しましたが、その行動に意味が無い事も私欲や国家に対する献身以外の感情がある事も無かった。いえ、最後には私欲全開で貴方の為に無茶はしていましたが、少なからず……国家に対してある程度の責任は取っていた。下半身事情とて清廉な方だったでしょう。他の国の指導層に比べればですが」


「……オレはそれに対してコメント出来る立場にはないな」


「だからこそ、苦しむべきでしたし、だからこそ、見届けるべきだった。そして、それを自分で自覚しているからこそ、そうさせてやれなかった事は私の生涯において唯一の……親不孝であったと思います」


「で?」

「私は“その方”が誰であろうと父とは呼べません」

「まぁ、あの独裁者なら納得するだろ」


「ですが、我が国に正式な手順で入って来たとしても、何かを押し付ける気もありません」


 その曖昧な物言いこそが親子である事の証。

 感情なのか。


「何か父親に対して伝える事はあるか?」


「何も……死人は黙っているべきですし、蘇りもせずに結構……来たならば、蘇ったそっくりさんとして有名になる程度でしょう」


「まぁ、当人fはその気満々だな。恐らく」

「ならば、私から言う事などありません……ただ、1つ」

「何だ?」

「伝えて頂けますか。その父の“複製”に」

「ああ、いいぞ」

「部下より先に死ぬ独裁者など為政者失格だ、とだけ」

「分かった。オレが死ななかったら必ず伝えよう」


 それから無言の数十分が過ぎ。

 こちらの提出した情報を全て見終えた視線がこちらを向いた。


「読み終わりました。そちらの分派したアメリカの方は……何かワナワナしてますが大丈夫でしょうか?」


「ああ、自分の喧嘩売ってる人類の真実とか、月の現状とか、過去の話とか、他座標宇宙とか、過去とか、諸々頭が整理し切れて無いんだろ。声聞こえてないみたいだし、我に返るまでそっとしといてくれ」


「分かりました。で、正直な感想を申し上げます」

「想像は付くな」


「これがこの時期に戻って来た貴方の報告でなければ、危険な誇大妄想狂を即座に警察へ通報して精神異常者として病院送りにさせているか。あるいは我が国の娯楽小説の出版社に面倒見させている事でしょう」


「随分、全うな話だ。だが、信じてくれるんだろ?」


 こちらの悪い笑みに仕方なさそうに肩が竦められた。


「残念ながら」

「そりゃ良かった。この惑星の真実とやらは理解出来たか?」


「つまり、我々もその本物の複製。いえ、複製された惑星が年月を刻んだ10万年後だという事でよろしいですか?」


「理解が正確で助かる。ちなみに最後に書いたが、この地球は現在宇宙中心部。恐らく太陽に向かって加速中だ。理由はオレが得てきた情報から推測した通り、宇宙の収縮が始まったって事なんだろう。アメリカさんからの情報提供もあり裏付けも取れた。恐らく下っ端には教えてない機密情報も満載だろうが、それもさっきのに全部入ってる。実際、まだ本格的に調べたわけじゃないが、恐らく星系内の惑星がほぼ全て太陽に向けて落下中のはずだ。降下前に色々してたら妙な感じだったから調べたんだよ。さっき見てた具体的な数字はその時に収拾した情報から推測して出したものだ」


「この天変地異はそのせいだと?」


「それもあるかもしれないが、基本的には月の消失が原因だ。引き潮とか満ち潮とかの原理はこの世界だと分かってるんだっけ?」


「一応」


「月は恐らく物理的に消されたが、存在が消えたわけじゃなく。通常の空間から切り離された場所にある。原理は不明だが、間違いないだろう。理由はポ連の後ろにいる鳴かぬ鳩会が何かを引き起こしつつあるから、と推測される」


「………我々に何を用意して欲しいのですか?」


「対ポ連戦は恐らく鳩会の総帥がポ連軍の完全掌握ついでにやってるだけだ。片手間だな……だが、その片手間をしなきゃならない理由は今まで裏から操ってた責任を取る、とかではなくて。単純にポ連軍で何かしてるんだと思われる」


「何か、とは?」


「この地球に降下した時、一瞬だけこの大陸の中央部。荒野地帯と南部の境目辺りに高エネルギー反応が出た。巨大な熱量反応だったが、連続しててな。恐らく、天海の階箸から数百km離れた場所でロクでもない事をしてる可能性が大だ」


「世界が滅んだりしますか?」


「少なくとも世界平和には資さないだろ。大規模な掘削工事でもしてるんじゃないかと思ってる」


「掘削工事? この資料内にある地球中心部に存在する船を得る為ですか?」


「たぶんだが、至高天を掌握するのに大規模な関連施設でも立ててるんじゃないか? 正規ルートで使えないから、天海の階箸を掌握したついでに諸々の干渉用の機材とか持ち込んでてもまったく驚かない」


「あちらからの報告は有りませんが、階箸自体が既に手の内だと?」


「それもあって中央へ即座に向かう必要があるが、まずは階箸を開放してからだ。あそこを固めれば、あっちも本気で手出しし始めるだろう。その前には中央に向かう突入用の戦力も欲しい。カレー帝国で諸々話し合う事も必要だな」


「納得しました。だから、最初に此処へ来たのですね?」


「相手はこっちよりも技術が進んでるし、数枚上手だ。だから、直接干渉で出来る事は正面突破のみだ。小手先の子細工はもう仕込んである。それこそオレが月に行く前から……だから、此処からが正念場と言っていい。ポ連軍の攻勢はそっちで何とかしといてくれ。後で無茶ぶりはするかもしれないが、滅ぶよりはマシだろ?」


「本来ならば、あなたに戦線を支えて欲しいところでしたが、それどころではないようですね。分かりました……我が国が滅ぶかどうかは貴方に委ねましょう。それは我々には手出し出来ない領域の出来事でしょうし、“天変地異”の類にわざわざ喧嘩を挑む事も国家権力では手に余ります」


「空飛ぶ麺類教団や公国の上層部、地表のアメリカ単邦国と日本帝国連合、妖精円卓、あの海賊連中にこの情報を全部流しといてくれ。知ってようが、知らなかろうが、鳴かぬ鳩会の一人勝ちでいいならオレを手伝わなくていい。もし手伝いたいと言うなら、入場券をやると言ってな」


「……まったく、悪い事を考えますね。敵の敵は味方にならなければ、死ねと言われて、黙って指を加えて見てる為政者はいないでしょう。事実、此処で動かなければ、生き残れるか怪しい。生き残れても何一つ得られないのは確実でしょうね」


「戦いは数だろ? 囲んで棒で叩くが必勝パターンだ。あっちが神の力なら、こっちは人の力とやらに期待しよう。オレ一人で勝てるなら、そもそも此処に来る必要もないわけだし」


「……あの少年が随分と逞しくなりましたね」


「そうか? そう思えるとしたら、それはオレのせいじゃない。お嫁様とオレを今まで助けてくれた人達のおかげだろうさ」


「……分かりました。全て承りましょう」


 そう言っている傍から執務室の電話が鳴った。


「カシゲェニシさん。準備が出来たと。複数の輸送機を各地で用意させてあります。予備も含めて12機程。これからそのまま向かいますか?」


「ああ、最優先は階箸の機能回復だからな。もし公国がこの報を受けて動くなら羅丈総出で来る事を期待すると一言多く言っておいてくれ。後、コレを」


 コトリと執務机の上に掌に収まる水晶にも見える球を置く。


「これは?」


「使い方は簡単だ。増殖しろと命じれば、周囲の特定の物質から完全に同じ物を複数個複製する。もしもの時の御守りに大陸全土に行き渡るよう軍に持たせてくれ。出来るだけ多くの民間人に渡して欲しい。“敵味方関係無く”だ」


「……敵味方という事は最終的な保険ですか?」

「オレの些細な善意というやつだ。やってみてくれ」

「はい。では……増殖せよ」


 その途端、球体が僅かに紅の燐光を上げたかと思うと虚空からゴトゴトと同じ球が執務机の上に転がった。


「まるで奇蹟ですね」


「奇蹟じゃない。技術と科学だ。魔術もちょっと入ってるから、その類ではあるけどな。おまけ機能として食べ物を出せと言ったら、そいつの耐性食料が出て来る」


「………ふぅ。おまけですか?」


 こちらの言葉に苦笑ですらなく半笑いの溜息が零された。


「ああ、おまけだ」

「分かりました」


「ああ、大陸西に輸送する際には極めて最重要物資って偽って、適当に輸送ルートと機密情報を垂れ流しておくといい。ポ連に奪われたら、大変な事になるってな謳い文句でな。奪うな、使うなはそうさせる為に一番いい言葉だ。ルートは陸路も使え。輸送機は無人でも行ける仕様だよな?」


「ええ、天海の階箸からの貰いものですので。一応は軍人を載せていますが」


「なら、問題ない。一週間くらいで大陸に行き渡るようお願いする」

「すぐに配布と配給を開始します」

「じゃあ、次に会えるかどうかは分からないが、頑張ってくれ」


「そう何度も思った手前、その言葉は後半だけ頂いておきましょう。では、ご健勝をお祈りしていますよ。カシゲェニシさん」


 やる事は終わったので何やら壁の報告書を何度も何度も読み返している中佐の襟を摘まむようにして揺さぶる。


 ハッとした様子で名状し難き顔をした少女の手をそのまま引いて、執務室のドアから出れば、衛兵がガッチリと敬礼で送り出してくれた。


 自分でようやく歩き出した中佐は未だ思案顔で何かを考え込んでいる。


 外に出てすぐ係の者だという関係者らしい男が出迎えてくれた。

 発着場はすぐ横にあるので出発はもう出来るとの事。

 その足で向かう傍ら。

 多くの軍人、軍属達の敬礼があった。


 外に出てからもそれは変わらず。輸送機の後部ハッチが開いている手前では警備達が周囲を警戒してくれている。


「悪かったな。余計な仕事を増やして」

「いえ!!」


 隊長と思われる40代の男が直立不動でこちらを見やる。


「パイロットに行先を伝えれば、そのまま飛ぶとの事です。航路管制は全て、カシゲェニシ・ド・オリーブの搭乗機を優先すると」


「助かる」

「一同!! 無事のご帰還を祈っております」


 ハッチ内部に入った背中へそんな声が掛かった。

 見なくても分かる。


 敬礼してくれている男達の姿が閉まると同時に機内の搭乗員が掛けて行先を告げれば、すぐに航路は南へと向かう事が決定。


 先に出されていた壁際のシートに腰を下ろしたのと同時に輸送機がゆっくりと動き出したのが分かった。


「………我が国のストーリーブックみたいね」

「読み物がお前の国にもあるのか?」

「馬鹿にしてるの?」


「してないが、世界の外に飛び出した連中が過去の情報をどれだけ持ち出す気なのかには興味がある」


「我が国は地球より逃れたアメリカの生き残り……そして、陸軍大元帥閣下率いる軍優先の国家でもある。でも、議会制民主主義は生きている。アーカイヴから近年は娯楽も開放されているくらいには生活も安定していたわ」


「宇宙の方のアメリカは結局、外宇宙への進出を諦められないのか?」


「……委員会にその身を晒す危険を回避しながら、国力と蓄える為にどれだけの年月が掛かったか……想像が付くかしら?」


「………」


「年間、宇宙開発で人口の1%が死亡。新技術、新型艦船、無機有機問わずの生体改造、生体強化、ゲノム編集、あらゆる宇宙適応の為に積み上げて来た叡智と技術によって我ら99%の国民は生かされている」


「よく志願者がいなくならないな。それともそういう仕組みでも導入してるとか?」


「よくお分かりで……我が国は生存に必要な仕事に分けて重要度の高い人物を徴用する。生まれて来る人物達の成長予測と10歳になるまでの記録から最も蓋然性の高い優秀になる人材を選出して高度技能職に付ける。犯罪、その他の他者との共感能力や連帯性能力の欠如をポイント式で減算。階層性社会として最下層域まで重要度が下がった人材は1%に分類され、先端技術の実験台となり、その命を全うする」


「生存競争原理を社会の発展と維持の為に無理やり階級制度へ落とし込んだって聞こえるが?」


「養えるのは養う必要がある者だけというのが我が国の国是だから仕方ないわ」


 そう話す相手の顔は戦場で平静を保とうとする新兵の顔にも思えた。


「だけど、この宙域の異変を観測してしまった我々は動き出さざるを得なかった。それがいつからの事かは分からない。けど、99%を生き残らせる為に多くがその身を捧げて来たのが、この迫る現実のせいで更にそのパーセンテージが下がるかもしれない」


「何%までなら許容範囲だって?」


「我が軍が今回の作戦において失敗すれば、5分の1程度までなら許容される。それは同時に反発を産み、大規模な国力の低下にも繋がりかねない」


「だが、技術開発なんて一律に人命を糧にしたって進むわけじゃないだろ」


「確かに……でも、我が国の軍研究所の試算によれば、人類を生命体として宇宙に適応させる事は出来なくもないとされた。多大な犠牲を支払えば、だけど……」


「宇宙人になりたい連中が多過ぎるって正しく星間国家っぽいな。人口問題も面倒そうだ」


「ぽいではなく、そうなの。人口統制を敷いているし、今のところ過剰人口になる事もないけれど、規模の拡大とその維持は常に綱渡り。想像が付かない?」


「ふむ……じゃあ、どうなったなら、お前らアメリカはオレの側に付けると思う?」


「話を聞いていなかったの? それとも今まで自分がやってきた事を忘れたとでも? 普通に考えれば、我々はラスト・バイオレット権限とあの船を奪取すれば、この宙域から数年で離脱するわ。禍根を残すような事はしない。常識的に考えて」


「だが、お前のような奴が派遣されてきた」

「?!」


「それは誰が決めた。何故、お前のような奴がオレの前に出て来た? それは一体、何処の何方の思惑なんだ?」


 こちらの言葉にしばしの沈黙が降りる。


「……ハト派がいるのよ」

「想定の範囲内な解答だ」


「貴方が宇宙艦隊に齎した情報を下にして、彼らは軍内部でも動き始めてる。私は……属しているわけではないけれど、その意見に賛同はしてる。同胞にもう犠牲は出したくなかったのよ……」


「大変結構。じゃあ、後はそのタカ派な皆さんや国是とやらの必要性を消してやるだけだな」


「え?」


「さっきの報告書には書かなかったが、ちょっと宇宙くらいなら救える技術と方法は確立した。さっき、至高天のレポート読んだろ? アレはな。無限に複製可能だ。オレの使う技術……魔術を使えば、無限に物質は再生産出来る。そして、物質さえあれば全てが可能な至高天という存在は宇宙全体を制御するに足る力だ。というか、今も過去でソレが疑似時間移動で光速を超えて拡大してる最中でもある」


「―――わ、私はあんなお伽噺のような事は」

「信じないか?」

「信じろと?!」


 その顔はもう一杯一杯ですと如実に示していた。


 彼女の中の交渉系技術や技能、知識を総動員してもこちらの反応から読めるのは全部真実でしかない、という一点のみなのだ。


 信じられずとも彼女の中の正論はYESとしか答えようがない。


「今更、狂人にお前は狂っているから信用出来ないと言ったところで、意味ないぞ。その狂人に祖国の現状を嘆願すると決めたのは中佐殿だろ?」


「く、だからと言って信憑性の無い事を信じるかは―――」


 パチンと指を弾く。

 先程の玉がこちらの目の前に落ちて掌に収まった。


「コイツはオレが脳内に記憶しておいた唯一、オレ単体がオレの脳髄の処理能力で生成出来る複雑な代物だ。情報そのものは脳内のデータバンクに入ってるから、物凄く簡単に造れる以外はぶっちゃけ、玩具だけどな。つーか、脳単体だと容量無さ過ぎでカツカツとか外部ストレージの有り難さが身に染みる一品でもある」


「量子転写技術……あの女の力……」


「コイツはオレ個人の処理能力だけで量子転写技術に手を出す為に創った。そう設計してある。能力的には設定してある物質を周囲の物質から生み出して適当に形成するんだが、この地球周辺にある囲い込まれた場に干渉する装置への通信端末でもある」


「深雲のシステムを通さずに単体で量子転写技術を扱うスタンドアロン型のシステムなの!?」


 さすがに相手の顔色が変わる。


 技術の詳しい仕様に関してもレポートには書いておいたが、その事実から導き出される答えにすんなり辿り着く辺り、呑み込みは良いらしい。


「まぁ、入れられる情報、出せるものがかなり限定されるけどな。月面下で魔術コードを解析した際。処理能力を個人に付与する神の水ってのを発見してから、それを道具の形に落とし込む事を考えてたんだよ。アレに比べれば、児戯に等しい超絶劣化模造版だ。機能はそれだけじゃないが、基本的にオレがあらゆる物資を持たず、身包み剥がされた時用だな。結局、場を囲い込むシステムの影響範囲外にいたら脳髄に場と交信する能力があるオレやラスボス連中以外には単なる水晶玉だし」


「なら、どうしてソレをあの場で使わなかったの……ソレがあれば、処理能力が低くても万能の力とやらは使えたはずよ。それこそ貴方は私に助けを乞う必要もなかった」


「使ったら解析されてただろ。あっちはそもそもそんなの解析する必要も無いくらいの技術がある。オレを今も捕捉してるし、幾らでも殺す機会はある。ただ、捕まった時の感触から言って、オレを必要としてる。そう感じたから、大人しくしてたんだ。まぁ、そのせいであの場で取れる選択肢が極めて限られてたわけだけど」


「必要とされたから大人しく……選択肢が限られるとは?」


「話し合いの余地があるか。もしくは相手の情報に触れる機会があるか。そういう機会は大局的に見たら、今の危機よりも価値がある」


 こいつ、狂ってやがると言いたげな顔をされた。

 それはそうか。

 己の命の危機を戦略的な理由から受け入れたと言うのだから。


「では、どうしてあのまま大人しくしていなかったの?」


「アンタがいたからだ。思ってた以上にあっちは容赦が無かったからな」


「容赦が無かった? 逆では……それに私がいたからというのはアメリカと交渉するつもりだったという事。なら、私をわざわざ軍から引き離す必要は……」


「いいや、アンタがいたからだ。アンタ……あのままじゃ3分後には死んでたぞ。どんな死に方とは言わないが、トマトジュースとかになりたくないだろ?」


「は? ジュース……って」


 思わずの声か。

 ポカンとした顔が呆ける。


「……オレが一番我慢ならない事はオレの傍で勝手に死人が出る事だ。オレだけなら別に構いやしなかったし、オレの傍に来なかったらそもそもそうする必要も無かったが、アンタはオレのいる場所まで来た。無茶してオレと面会してただろ?」


「―――」


「オレの脳には今もある程度の精度が出る予測演算用のプログラムがあるんだが、目の前で死なれるのはちょっと……」


「………ぁ………あなたは私を助ける為にあの場所から脱出したと?」


 無理やり喉から声を絞り出すように訪ねて来た。


「首輪を外す事が出来なかったら、そうなってたってだけの事だ。それをオレは見たくなかったし、そんな目に合う人間を放っておくのもポリシーに反する」


「あのNVをたった一人で道具も使わずに倒す人間がどうして私の事なんて!?」


 激高にも近く。


 そう言い募る彼女の顔は複雑過ぎるモノによって占められ。


「別にお前じゃなくてもそうしてた。オレの精神衛生的な問題だ。せっかく力があるのに使わずに見捨てるのも後味が悪い」


「―――三分後に私が死ぬと確信する程の予測が出たから、私を誑かした? そんな馬鹿な事……見知らぬ軍人なのよ……」


 こちら見やる中佐の顔はもう泣きそうだ。

 それは己の情けなさからか。


 それとも交渉相手にそもそも相手にされていなかったと感じたからか。


「残念ながら、精度は高く無いが、その精度が高く無いプログラムが98%って数字出してくれて困った。ちなみに三分後にやって来る奴の筆頭は“あの女”とやらだったぞ」


「!?」


 どうやら、殺されるくらいの原因は思い付くらしい。


「いいか? オレは別に誰だろうとそうした。オレがそれを見たくないからだ。だがら、この件に関して恩を感じろとか、その分だけ協力しろとか、そういう事は言わない。ただ、宇宙のアメリカを生き残らせたいって言うなら、それはアンタ次第なんだ……オレはアンタを通して後ろを見てるって事を心に刻んどいてくれ」


 その身体が震える様子はようやく。


 本当にようやく彼女が自身と目の前の化け物との交渉が始まった事を悟る故のものか。


「私に何をさせたいと……」


「連絡手段と降下部隊の本陣の場所を教えてくれ。予測してもいいが、時間も掛かる。階箸の件が終わったら、中央に向かう前にケリを付けておきたい。他にも仲介者として期待してる」


「それが私の願いを叶える方法だと?」


「お前は祖国を救いたい。オレはオレの大切なものを護りたい。そして、互いに取引出来る条件を満たせる。契約が違えられた時はお前らが一方的に損する事になるし、それを今更疑う事に意味も無い。何故なら、お前の選択が間違ってるなら、最初からお前の後ろにいる国もまた間違えてた事になる」


「な、何を言って!? わ、私は単なる戦術単位の―――」


 真面目な瞳で相手を見れば、言葉が呑み込まれた。


「お前の死はお前の祖国の死だ。お前の行いはお前の祖国の行いだ。お前の失敗はお前の祖国の失敗だ。いいか? オレが本物だと思うなら、お前はもうオレの前で自分の出来る限りを全うするしかないんだよ。後ろを見てるってのはそういう事だ」


「そんな傲慢ッ」


「それを押し通せる力がある以上、それをお前が確信している以上、そうやってお前は現実と戦い続けるしかない。オレはお前が敵になったなら、容赦なくアメリカを潰すだろう。お前が失敗したなら、容赦なくその分だけオレの要求を呑ませるだろう。これはオレの最低限度に抑えた怒りって奴だ。お前らはオレをザックリ殺せそうな連中と取引した……そして、間接的に協力している以上、オレから時間を奪ったに等しい……忘れるな……アメリカへの報復を猶予してるのはアンタという交渉をする存在がいるからなんだ。中佐殿……」


「―――」


「オレはそのアンタの命を賭けても交渉しようって姿が無ければ、アメリカにはもっと厳しい対応をしてただろうよ」


 ちょっと、ドスを入れて睨み付ける。

 相手は脂汗ジットリだ。


 まだ、覚悟が決まっていなかった少女もまたどうやら目の前の相手が何なのかをようやく理解し始めたか。


 毅然とした視線をこちらに向ける。

 それが強がりだろうとも、確かに彼女は軍人だった。

 それに笑みを浮かべて肩を竦めておく。


「そもそもだ。アンタには戻るって選択肢が無い。今からオレから離れて生き残れるか? 今からオレから手を引いて天海の階箸を手に入れる算段があるか? アメリカがオレに勝てるビジョンが見えるか? 力がオレにある内は迎合しとけって事だよ。それこそ力が失せて消えたら、殺すなり、解剖するなり、本国に輸送するなり、好きにすればいいさ。それが出来たならな」


「―――このペテン師と詰るべきかしら?」


「生憎と約束は守る主義だ。だから、お前も信じるしかない……口で何と言おうと……アンタの人生最大の選択はあそこだった。約束が守られる限り、損はさせないとオレが誓おう。近頃、真面目に約束を守ると評判な魔王様がな」


 ジッと見られた。

 それを見返せば、こちらを覗き込む事すらなく。

 ただ、眺められている事が分かる。


 表情筋も仕草も瞳の動きも人間から遠ざかる相手を前にして、それを考える材料は単純に現状と与えられた情報のみだ。


 明晰であればこそ、頭脳が信頼されていてこそ、軍の交渉役としてやってきた女が、今更に己の成果を疑う事など出来るはずも無かった。


 これは分の悪い賭けなどではない。


 単なる現実なのだと理解するのに時間は掛かっても、否定はされないだろう。


 予測も計算も無しにソレだけは自分にも分かった。


「………」


 無言で手を差し出せば、相手もまたそれを見て震えを抑えるようにして手を差し出す。


 ガッチリと握手された手は小さく。

 しかし、力強さに満ちていた。

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