第308話「兆し」


「付いたな」

「うぅ、酷い目にあった……」


 中佐殿はもはや完全に軍人らしさ0だ。

 年頃の少女並みな苦労をさせてしまった。


 軍服だと危ないので上半身も下半身も下着で人気のある中をスニーキングミッションする羽目になったのである。


 ズボン入手の為、荒野から程近い草原の遊牧民の集落から強制徴用(せっとう)してきた様子は正しくHENTAIの仲間入りであろう。


 まぁ、誰にも見られず成功したので問題は無いのだが。


 軍服は途中で廃棄。


 必要なものは遊牧民の少し派手目の色の民族衣装のあちこちに入れられている。


「此処が大連邦の首都ですか……」


 物珍しそうに彼女が辺りに視線を向ける。

 ファースト・ブレッドは今や人間の坩堝になっていた。


 というのも、明らかにキャパシティーオーバーな人口を抱えているようだからだ。


 市街地の外には軍の野戦装備や掘っ立て小屋が無限にも思えて長大に外縁部を縁取っており、恐らく従来の田畑の合間を埋める形で20km以上広がっている。


 夕暮れ時。


 あちこちで煮炊きの煙も見えており、都市部ではとにかく軍の高射砲や対空迎撃陣地が目立った。


 人種が雑多に詰め込まれ、着の身着のままといった様子の人々が軍の配給所に長い列を作る様子は極めて戦時下を思わせる。


 事実、小銃片手の軍人達が車両でパトロールする姿は日常の風景とばかりに溶け込んでおり、多くの難民達が彼らが通り掛かると頭を下げていた。


 どうやらまだ不満らしきものはぶつけられていないらしい。


 後は公衆トイレらしきものが街中に乱立して周囲に大量の臭い消しらしい白い粉が撒かれているくらいか。


 外縁部の難民キャンプは昼夜無く到着しているらしき難民達でその厚みを淀みなく膨らましている。


 連邦軍が妙に防衛戦で少ないと思っていたが、こういった難民キャンプの管理に軍は謀殺されているのだろう。


 だが、それでも何とか回っているのは恐らく外縁部を整備している巨大な工作機械の類のおかげだ。


 ロードローラーがあちこち無人で整地を進めていたし、その後ろには大量の車両が控え、次々に巨大なタイルだのを敷き詰めていた。


 簡易にでも道が整備され、区画毎に平穏が保たれている様子は本来の責務である防衛戦争を放り出して尽力している賜物だろう。


 市街中央のナットヘスなタワーにはデカデカと黒い幕が下げられており、喪に服している事が一目で分かった。


 軍の中心地である五角形のアメリカの国防総省を思わせる建造物の周囲には無数の車両が出入りしており、今も彼らが仕事に忙殺されている事が分かる。


 駐車場の中央に降りてから透明化を解いた。


 それから数秒後にサイレンが鳴ったかと思えば、次々に車両が急行し、迅速にこちらを遠巻きに包囲。


 続いて、基地の傍にあった駐機中の戦車の砲塔が動き出す。

 フードを取ってから僅かに掌に小さな極小規模の曼荼羅を展開。

 声を魔術で拡声器のように響かせる。


『帰って来たぞ!! 此処で一番偉い奴に馬鹿な夫が嫁を一応助けて帰って来たって伝えてくれ』


 こちらの声に一瞬の困惑。

 しかし、包囲は解かれず。


 だが、すぐに異変が広大なエントランス付近から巻き起こった。


 次々に兵隊が出て来たかと思えば、左右に道を造り。


 中からヌッと少しだけ狭そうに身を縮めた巨女が前に出会った時よりも精悍になった気がする顔立ちで出て来た。


 こちらまで数百mはあるだろう距離。

 すぐ車両が用意され、こちらに軋んだ車体が近付いて来くる。

 10m先でその瞳がキロリとこちらを見やった。


「遅いお帰りで」

「ええ、まぁ……」

「そちらの方は?」


「今、この状況を作った宇宙に脱出したアメリカ単邦国の分派。その外交大使です」


 その言葉と同時にベアトリックス・コンスターチがキロリと横の少女を見た。


 瞬間に中佐殿は汗がダラダラし始める。

 彼女も理解したのだろう。


 目の前の人間が一瞬で自分を縊り殺せるくらいにはヤバイ人物だと。


「カシゲェニシさん……私を過労死させたいと仰る?」


「残念ながら、嫁がまだ月にいるのでせめて全部終わるまでは生きててくれると嬉しいです」


「……月も消えたというのに?」


「生きてましたし、この状況でもし死んでいるなら、どんな事をしても蘇らせます。オレはまだ甘い新婚生活も送ってなければ、幸せな家庭も築けてないので」


 クッと巨女が笑みを思わず零した。


「その物言い……カシゲェニシさんで間違いないようですね。12時間前の防衛部隊からの報告ではポ連軍らしき者達があの船の壁の付近で誰かを連れ去ったという事でしたが、貴方でしたか」


「その件も含めてまずは互いの状況の説明と共有を。そして、今現在のこの世界が直面する危機に付いて話し合いたい。後、天海の階箸への連絡とかも」


「分かりました―――『敬礼後、通常業務に復帰せよ!! 英雄の帰還である!!!』」


 その巨大な声に周囲を遠巻きにしていた部隊が一瞬でその動作をやってのけた。


 こちらに一糸乱れぬ統率で敬礼後、すぐに任務へ戻っていく。


 オープンカー型の車両に乗った者達の中にはこちらを見て、再度頭を下げる者もいて……それを見た中佐が何か言い様の無い顔でこちらを見やる。


「どうかしたか?」


「……我が国が相手にしなければならないかもしれない暗い未来と貴方の地位が気になったもので……」


「調べて無いのか? つーか、鳩会の総帥から色々と聞いてるかと思ってたんだが……」


「我が国が降下作戦を行ったのは12時間前。下準備は行ってきましたが、この大陸の実情を知っているとは言い難い。それまでは特使が数人、“あの女”と連絡を取って多くの情報を入手していました」


「つまり、お前は交渉担当官として最初から現地で任務に当たってただけでオレが捕まったのを機にオレと交渉してただだけなのか?」


「ええ、まぁ」


「軍事機密ありがとさん。じゃあ、行くぞ。これから戦争だ」


「それは誰と?」


 その言葉に僅か瞳を細めた中佐が訊ねる。


「無論、オレの幸せの前に立ち塞がる馬に蹴られて死んだ方がいい連中との、だけど何か?」


 その言葉に巨女が苦笑した。


「ふふ、相変わらずですね。ですが、いつもの調子を取り戻している以上、あの子も無事だと確信出来る……ごパン大連邦の要人の一人として迎えましょう。カシゲェニシ・ド・オリーブ」


「よろしくお願いします。後、これからオレに会わせろって言ってくる議員連中の声はポ連関連以外は全部遮っといてください。これからまたあちこち回らなきゃならないので。話し合う内容次第ですが、天海の階箸に向かう為の輸送機の手配を」


「分かりました」


 車両に乗って玄関前まで行くと先程の兵達が不動のままに小銃を持って直立していた。


 そして、こちらが通り過ぎる度に最敬礼で出迎えてくれる。


「あぁ、そう言えば、一応言っておきますが、彼らは貴方の部下ですよ。カシゲェニシさん」


「は?」


アズールは現在大隊規模で此処の警備に付いてもらっています。無論、最精鋭として」


「はぁ……人の冗談真に受ける奴、多過ぎだろ」


 思わず愚痴が出た。


「それと羅丈からも数人参加しています。生憎とお知り合いはいないようですけど」


「……そういや、公国の方はどうなってますか?」


「難民が我が国の3分の1くらい流入していますが、何とかやっているようです。あの耐性薬のおかげで食糧事情も随分と改善されましたから」


「……備蓄は?」


「残り3か月分を切りました。もしそれまでに事態が収拾されなければ、あるいは新しい食糧確保先が無ければ、我々は確実に3分の1が餓死。大連邦は瓦解、無政府状態になるでしょう」


「………」


「こういう事を他者に訊ねる事は生涯無いかと思っていたのですが、敢てお訪ねしますね。何か対策はありませんか?」


「あります」

「それは良かった。では、お話を聞きましょうか。蒼き瞳の英雄殿」

「オレがそんな柄ならとっくの昔に死んでますよ」

「ですが、生憎と誰もそうは思っていないようですよ?」


 何?と訊ねようとしたところで。


「―――ぁ」


 何やら息を呑んだ中佐が立ち止まる。

 エントランスを抜けた通路の先。

 全ての部署が交わるのだろう五つの道の交差路の中心。

 そこには……まるで鮨詰め状態の人の輪が出来ていた。

 一糸乱れぬ整列は内勤の職員すらもだ。

 中には書類を手に持っている者もいる。


 恐らく、忙しい誰もが合間を縫って、自らの休みの帳尻を無理やり合わせなければならないはずだが……それを押してか。


 数百人が身動き一つせず待っていた。

 そして、数秒の沈黙の後。


 誰の声を待っているのかようやく悟って、大きく溜息が零れた。


「自分の仕事をやり切れ。お前らの祖国と大切な誰かを護る為に。行け!!」


 敬礼と同時に全員が慌ただしく四方八方、速足に動き出した。

 数秒で掃けていく彼らを見送って、再び巨女と共に歩き出す。


「減俸処分はオレの給料から差っ引いておいてください」


「ええ、勿論。僅かたりとも減ってない貴方の給料口座が初めて減った美談として語り継がれるでしょうけれど」


「勘弁してくれ……」

「ふふ、そちらの口調の方が取っ付き易いですよ。貴方は……」


 いつの間にか口調が砕けたこちらを見てか。

 あるいはその巨女の言葉を聞いてか。

 何やら難しい顔で中佐が溜息を吐いたのだった。

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