第296話「真説~辿り着く者2~」


 9歳の頃。

 私はこの数年の間の知識、技能習得の成果か。


 野戦将校系コース内でも特に良い適正を出すのが難しい難関な艦内将校としての適正でオール良を取る事が出来た。


 これを機に私は海軍勤めになれるのかなと思っていたが、そもそも海軍というものは当時、ほぼ存在しないも道義な事も知っていた。


 理由は戦争が無くなった世界に軍艦が必要無くなるからだ。

 旧時代の遺物たる艦船は次々に解体。


 多くの船乗り達の活躍は新たな艦種……宙間戦闘艦の登場を待たなければならない。


 大戦終了後、技術飛躍の結果として量子転写技術を用いた大規模な宇宙開発が取り沙汰されていた。


 大戦期にも軍は戦闘用の宇宙艦種を製造していたが、それはほんの数隻。


 それが平和になった時代。

 宇宙開発によって大幅に必要とされるようになった。

 警護、護衛、デブリの掃除。


 やる事は山積みであり、私が艦内将校としての適正を出した当時は正に軍はどんな軍人でもいいから、宇宙で仕事をしてくれる人間を求めていた。


 従来の軍艦から宇宙船に乗り換える事を余儀無くされた男達の半数は地表に残り。


 もう半数は宙に上がっても半世紀せずに寿命を迎える。


 一応、寿命を延ばす薬くらいはあったが、あまり人口増加しても困るという政府の本音の為か。


 一般には市販されていなかった。


 となれば、若い艦内将校は正しくお宝であり、少しでも技能や知識があるのならば、引き抜く為に多少は成績に色が付く……というのが恐らく当時の私の適正が高かった理由だ。


 確認していないが、同じような例が多かったと同期には聞いている。


 結果、私は見事に宇宙へと配属される事になった。

 勤務先は地球月面軌道艦隊のパトロール艦の幼年将校向け部隊。

 大戦終了後、月内部の基地化は軍において急務とされた。

 火星圏や木星圏への玄関として使われるのみならず。

 今現在の地球環境の悪化は必至である以上。


 L1を始めとして複数のラグランジュポイントでの多数のコロニー建造が政府の公約であった。


 地球人類総数30憶を空に上げる為に必要なコロニーの数は少なくない。


 それを護る為の戦力。

 それを造る時の護衛。

 幾らでも宇宙船乘りは必要だったのである。


 私は今までのクラスメートとボロボロ泣いている両親に手を振って、月面と地球間を行き来する第一艦隊所属の護衛艦ヤマキとランデブーする事となった。


 当時のパトロール艦の特徴は粗製乱造。

 つまりはとにかく数。

 その為に色々と生活は不便だった。


 艦内導線が考えられておらず非効率に動かなければならなかったり、無駄に男女の生活スペースが合同であったりと苦労した。


 此処で私達を預かってくれた隊長はまたも女性士官。


 彼女、ディアス中尉は女性ながら、男性みたいな名前なのがコンプレックスらしい、筋肉の逞しい人だった。


 基本的には操艦を学ぶ事になっていたが、それと同時に当時既に使われ始めていたNVの宙間作業タイプがピカピカな状態で配備されており、同時にパイロットとして、宙間作業工作の現場指揮を行う為の経験を積むべし……という……要は人手が足りないから建築のエキスパートにもなってねという政府首脳部からの無言の圧力に私達は圧倒された。


 艦内将校って何だっけ?


 そう思いつつも私は新しい部隊の子と一緒に宇宙での作業の基礎を学ぶ事になったわけである。


 その結果が人類のコロニー移住に資すると思えばこそ、子供ながらに頑張ろうと決意した記憶がある。


 恐らく大人になった時に関係無い部署で働く。


 そう理解したとしても、経歴に箔が付くかもくらいの気持ちで毎日、移動方法を研鑽していた。


 その結果が私の所属したヤマキ宙間幼年大隊が2年を掛けて造ったL1域の小型補給基地ヤマキ三型である。


 11歳になる頃。


 この基地の完成と同時に操艦技能はほぼ完璧なまでに仕上がっていた事は正しくディアス中尉の熱心な指導の賜物だろう。


 4か月に1回2週間の里帰りの度に両親が私のお気に入りのワンピースを涙と鼻水でグショグショにした事を覗けば、とても良い経験であった事は間違いない。


 ヤマキでの操艦訓練と宙間作業訓練を終えた幼年大隊は解散となり、私は今度は何処に跳ばされるのだろうと考えていたが、今度は月……ではなく。


 首都の本部勤めだった。

 え?

 と思ったものである。

 何故、自分が本部に?

 野戦将校コースだったよね?

 と思うのも無理からぬ話だ。


 一応、NVの操縦技術もマスターしてはいたが、その程度の事なら地表でやれる。


 ヤマキの一件での功績とて、本部勤めになる程とは思えない。


 ならば、どうして戻って来たのか?


 その理由が分かったのは幼年大隊で色々とヤマキ内部での問題点を洗い出した報告書を改善されるかなぁ?と疑いつつも参謀本部に提出していた事を思い出してからだった。


 技術屋の巣窟と噂されて久しい帝国の軍技研前での事である。


 報告書のせいでヤマキの設計者が首になった後。


 私の事を気に留めた技研の技術中佐が私を直に本部勤めに押して、その上で技研で野戦技術将校として働かないかと聞いてくれたのである。


 ナガイ(仮名)技術中佐は今現在、宇宙で働いた事のある技術者と軍人を求める技研の偉い人であり、次世代の宇宙艦種を設計している部署のトップだった。


 私は大きく頷き。


 彼の下で毎日のように宇宙艦種の設計と軍での使い勝手やら現場での様々なノウハウや問題を洗い出し、それを解決する為の装置や設計への注文やアドバイスを行った。


 両親は実家暮らしISグッドと超笑顔だったし、隣のおばさんも祝福してくれた。


 本部で着替えて技研に直行という毎日。


 私は宇宙で伸びた背丈が10cmから5cmまで縮んだ事を少し惜しく思いながらも悪くない生活環境に久しぶりの首都暮らしを満喫し、実家で娯楽データを見る毎日に戻ったのである。


 こうして一年が過ぎた頃。

 私の語れる事も尽き。

 とうとう青年大隊への編入が決まった。


 ナガイ技術中佐がそっと参謀職のエリートコースに乗れるよう一番厳しくて一番上に行ける鍛え方をしてくれる大隊長がいるところへ押したのは間違いない。


 私はその頃には軍内部でもそれなりに希少な技術将校系の知識技能と資格を幾つか取っていたので何とかテクノクラートとしては合格ラインになっていた。


 首都で大隊が編成される事となり。

 私が大隊のある市街地近郊の基地に向かった十月。

 この時、まだ私は何も知らなかった。


 そう、私はまだ単なる青年大隊の一番下っ端に過ぎなかったのだ。


 あの事件が起こるまでは………。

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