第264話「見る者、見られる者」


「吾輩もこの業界に長いが、今度は時間旅行と来たか。これはまったく驚きと言う以外無い」


 肩を竦めた老人が秘密基地の最中。


 大量に仕入れて来た缶コーヒーを器用に開けながらグビリとやって、バクバクとクッキーの詰め合わせを頬張る。


 その横では物凄くビク付いた黒髪に白い肌の秋田美人的な身長170cmの二十代後半女性がチビチビとペットボトルのお茶を嗜んでいた。


 その瞳はこちらを見る毎に泳いでいる。


 ちなみに背後には2m超えのHENTAI巨漢が漫才やってるテレビを見ながら、ビール缶をやりつつ、サラミの束をボリボリと肴にして噛砕き、晩酌していた。


「驚いてないだろ。って言うか、絶対想像だけは付いてただろ? つーか、ちゃっかり現地人誑し込んでるじゃねーか。ウチのマイン・フューラーは」


「はははは、そのようなものじゃないさ。このお嬢さんは本当によく出来たお人だ。この老骨の無理に付き合ってくれた。勿論、此処で開放させて頂くとも」


「……それならいいが、そもそもだ。病気は?」

「いや、それが死んだはずなのだよ」

「何?」


「延命は意識が亡くなった時点で止めるよう言っておいたが、あの混乱の最中に悪化して、家族にお別れは言ったのだ。あの子だけには言えなかったが」


 あの子が誰なのかは言わずとも分かった。

 一番忙しい男の親族など一人しか思い浮かばない。


「つまり、死んだと思ったら、この時代にいた、と」

「そういう事だ」

「……この場合、オレが考えられるアンタの状況は二択だ」

「吾輩が本物のコピーである場合かね?」


「―――そんなあっさり言うなよ。オレだって、少しはショックだったってのに……」


「だが、これで吾輩も君と同じ立場だ。まぁ、寿命がどれくらい残っているにしても、あっちでは死んでいるわけだしなぁ……」


 夜なのにコーヒーをガンガン行く老人は自分が当人の記憶を持った完全なる偽物である、という事実を自己言及しておきながら、まったく活力に溢れていた。


「何か前よりフレンドリーになってないか?」


「しょうがあるまい。これが素だ。人生は全て順風満帆であった。だから、おまけくらいは何一つ偽らぬお茶目なアイトおじーちゃんとして過ごそうかと」


「……はぁ、好きにしろ。アンタの人生だ。元独裁者」

「そうさせてもらおう。それで、此処にいる君は本物なのかね?」


「ズバリ聞くんだな。恐らく、オレはあっちの時代にいたオレ本人だ。理由は単純にオレがあの電車で送られて来たからだ」


「あの乗り物か」


 元独裁者おじーちゃんが後ろの車両をチラリと見る。


「詳しい原理は省くが、実体をアレは運ぶ。情報だけをコピーして別のところに転送するみたいな仕掛けじゃないとオレは考えてる」


「つまり、君がこの世界で拾ったという後ろの彼も?」


「まぁ、途中で話したけど、生きている限り、何処だろうと自分のやる事は変わらないし、思い悩むような事でも無いそうだ。アンタより人生経験豊富らしいぞ」


「はははは、いや、あそこまでエキセントリックなのと比べられるとさすがの吾輩もどうかと思うよ」


「………ぅう」


 何やらそろそろ限界らしい女性の方を向く。


「一応、記憶を消す前提で喋ってるわけだが……アンタ、オレの本当の姿が見えてるんだな? というか」


 音声通信用の魔術をタワーの上でやったような装置の極小規模版で行う。


 机の下に形成した機器一式を喋らせてみた。


『アンタ、魔術使えるな?』


「!?」


 ビクッと女性が反応した。

 介護職らしいのだが、非合法の副業もやっているらしい。

 勘というものは侮れない。


 もしかしたらそうなんじゃないかという言葉にし難い違和感を積み上げた結果としての感想は正しかったようだ。


「やっぱり」

「やっぱり?」


 老人が首を傾げる。


「アンタが誑し込んだお嬢さんなんだが、どうやら魔術が使えるらしい」


「マジュツ?」


「プリカッサー連中の別バージョンみたいな技術や力を持ってる連中だ」


「おお!? それは気付かなかった」


「それで現在オレはこの世界が大戦に突入する前の段階での介入を進めてる。抑止は出来ないだろうが、結果を変えられるかと思ってな。それで特殊な技術を持ってる連中、つまり魔術が使える連中とちょっと戦争しなきゃいけない状況になってる。で、この人がそのドンピシャな層なんだが」


 こちらが言いたい事を察したか。

 缶コーヒーを置いた元独裁者が女性に向き合う。


「お嬢さん。怖がらせてしまって済まない。どうやら、ウチの若者がお嬢さんの属するコミュニティーに迷惑を掛けているようだ」


「あ、いえ、迷惑というか。戦争というか。世界の危機というか、絶滅云々というか。お爺ちゃん……その物凄い人生を歩まれてたのですね」


 オズオズと上目遣いで女性が恐縮したような顔となる。


「そう固くならずに。吾輩は単なる耄碌した老人でしかない。自慢なのは弁舌くらい。それとてもう往年の時とは程遠い。自分で造ったものは全て時の彼方……うん、浪漫はあるが、こうして観ると本当にお嬢さんが助けてくれなければ、何一つ出来ずに死んでいた男だろう」


「アイトお爺ちゃん……」


「君に無理を承知で警察のご厄介にもなってしまったし、君にこれからもウチの若者が迷惑を掛けるそうだし、此処でお別れかな。だが、心配しなくていい。この若者は決して君を傷付けないだろう。記憶を消すというのも君を慮っての事なのだ。だから、何を覚えていなくても、安心して日常を過ごせるとこの老人が確約しよう。お嬢さんは少なくとも戦う人ではないのだろう?」


「あ……はぃ。その……私、魔術を預かる名家に生まれているのですけど、才能は然程でも無くて……千里眼と透視を少々、それ以外は……」


「ほう? 名前からしてとても素晴らしい才能に聞こえるが?」


 女性が何処か自嘲気味に首を振った。


「いえ、超常の資質としては良いと言われましたが、それを生かせる魔術がウチには縁もなく。実家は兄と妹が継いでいまして……一般人として生きていく事にしたのです」


「何とも大きな家系にもよくありがちなパターンだ。だが、それが悪いという事は無い。あなたは人を尊重出来る人だ。それは生きていく上で何より、そう……戦う術よりも重要な事が多い」


「アイトお爺ちゃん……あ、いえ、お爺様とお呼びするべきですか?」


「あははは、お爺ちゃんで構わないよ。君に……あ、いや、うっかりしていた。お名前を聞かせて頂けるかな? 可愛らしいお嬢さん」


 女性が僅かに頬を染めた。


(何処が往年よりも、なんだろうな……物凄く口説いてないかコレ?)


亜東千音あとう・せんねと申します」

「アトウ?」

「あ、は、はい。亜鉛の亜に東と書いて亜東と書きます」

「……遮って悪い。知ってる奴の苗字だったから」

「ほう? 君にも縁があるのかもしれんな。千音さんは」


「ああ、そういや、畏まらなくていい。本当はオレがアンタへ年上に対しての礼を取るべきだからな。ただ、この姿の時は気が抜けないから一々そういう風にはしてられないんだ。一旦気を抜くと自分を立て直すの骨だから」


「君の未熟を女性に押し付けるものではないよ。エニシ君」


「心には留めておくが、もしもって言う魔物はオレにとって確実に致命傷なんだ。そこは勘弁してくれ。で、記憶を失うと言っても改竄に近い方法になるんだが、別れの挨拶でもするか?」


「あ、あ、あの!? エ、エニシさんでいいですか?」


 女性、亜東千音が少し身を乗り出した。


「今し方の、その、アイトお爺ちゃんとの話は半分くらい理解出来たと思います。つまり、あなた方は遥か未来の方でこの世界が破滅する前に助けようとしている、という事なのですよね?」


「大まかに言えば、そうだ。魔術出来る連中の大半に宣戦布告した理由は大戦争が起こる前にある程度、連中を戦力化して今静かにしてる第三次世界大戦の勝者になる奴らと戦ってもらう為だしな。ぶっちゃけ、それだけじゃないが、単純に言うとそうなる」


「それでお訊きしたい事があるのですが」

「どうぞ」


「……それが真実だとして、どうしてあのような……世界の敵になるような事を?」


「ん? ああ、それが一番手っ取り早いからだ」

「手っ取り早い?」


「人間は善意でこそ大げさに人を殺す。それの極限が次の大戦。十万の月日を数える事になる人類最後の戦争だ」


 ゴクリと思わず千音が唾を呑み込む。


「だから、オレは人の悪意で人を救おうと思った。悪意は何よりも強く、何よりも早く、何よりも簡単に人の善意を踏み躙るからだ。観念論的だと思うかもしれないが、オレの敵は善意の先にいる怪物だ。これを倒すには人類の悪意を結集するしかないと思った。人の悪意を集める方法が何だか知ってるか?」


「………共通の敵を得る事」

「アンタ、見掛けに拠らず、そういうの分かる人なんだな」

「お嬢さんを虐めないでくれるかな?」


 ジト目の老人に両手を挙げるジェスチャーで応えておく。


「悪かったよ。でも、それが答えだ。人間はずる賢い生き物だ。敵を倒す為の敵が欲しい。自分達を倒す敵を殺す武器が欲しい。その為の方法を何だって造って盗んで競って来た。そして、一番強い奴が嫌いだ。それに付き従うしかないならまだしも、相手が誰からも敵ならば、悪意は必ず全てを一つにしても、その敵を打ち砕く謀略に辿り着く」


「世界を一つに……」


 柔らかな唇が正解を紡ぐ。


「そうだ。だから、こういう手法を取らざるを得ない。国家だの、国連だの、組織だの、集団だの、宗教だの、主義主張だの、そういうのを直接的に支配して動かす事は膨大な手間と労力が掛かる。だが、それを一度に動員する方法があるなら、それを使って束ねるのは合理的だろう?」


「だから、戦争を……」


「しかも、魔術師は今のところこの世界でそんなに数が多くない。国家相手に総力戦するより確実に労力が少なくて済む。その割に政治経済軍事ついでに世界の趨勢にも手を伸ばすだけの力も持ってる」


「よくお考えですね……確かに、確かにソレなら、あなたが止めたい戦争も最初の段階で芽を摘む事が出来るかもしれない。でも、その後は?」


「考えてる。此処で仲間以外にそういうのは明かせない事は断っておくぞ」


「分かりました……あなたの言っている事は一定水準の合理性が在り、その上でとても考えられている。あの放送が世界中に渡ったのを……それくらいは分かります」


「……見ていれば、か」

「お嬢さん?」


 僅かに俯いた千音に老人が首を傾げる。


「最初、あなたを見た時、どうしてあなたはこんな事をするのか。それが分かりませんでした。ですが、話は聞きました……これから私の記憶を消すのは止めておいた方が良いと思いますよ」


「理由は?」


「誰があなたのいる場所を見て、あの方達にお教えしたか。と言えば、お分かりでは?」


「!?」


 そうだ。

 あの駅での襲撃。


 何故、完全に等しいステルスを敷いていたのに見付かったのかと魔術の凄さにちょっと関心したのは記憶に新しい。


 というか、その相手を途中で絶対見付けねばとは思っていたのだ。


 その為に端末内の情報を精査したが、相手は遣り取りを人員で行っていたらしく。


 結局、その情報を探り当てた魔術師に関する情報は無く。


 あの襲撃者達が某県の一部地域に入った事だけしか分からなかった。


「そうか、千里眼と透視、だったな」


「はい。ですから、私がもしも記憶を失って元の女に戻れば、それは同時にあなた達の動きの全てが他の方々に示される、という事になります」


「お嬢さんがまさかそのような仕事をなさっていたとは……」


 クルリと振り向いて、アイトに千音が恥ずかしそうに微笑む。


「いえ、友人から日本を救う為だと言われて……」


「……本来、この一件の内実に現地の人間を関わらせるつもりは無かったんだが、アンタは自分から危険に飛び込むつもりなのか? 言っておくが、同業者から物凄く狙われるぞ?」


「国内で私以上の千里眼は此処二十年以上生まれていません。見る事と見通す事は別の問題。そして、どちらも宿しているのは国内では私だけです。そして、この力の宿業からは逃れられない……真実を見通してしまう以上、それ自体が私を突き動かす事は……定めですから……」


「定め、ね……まぁ、それがどういうものなのかオレにはさっぱりだが、此処でその定めとやらが有効かどうかはそこの元独裁者の答え次第だ」


 チラリと老人を見やる。


「アンタの恩人だ。アンタが決めろ。オレはこの人の言う不利くらいは覆すだけの準備がある。だから、最後にどうするかはアンタ次第だ」


 老人がしっかりとした瞳で横の相手を見やる。


「いいのかね? 少なくとも命の危険ばかりか。更に周囲にも迷惑を掛けてしまうかもしれない」


「……実はもう家からは勘当されていまして。それに福祉職のベテランは今は何処も欲しがる人材なんですよ? ですから、ちょっと休職してお爺ちゃんのお手伝いを終えてから復職しても、問題ないと考えます。ダメですか?」


 老人がその瞳の真摯さを汲んでか。

 ふぅと、息を吐く。


 何か大仕事を前にして決意する為に必要な、長い長い感情を堪えているように見えた。


「お嬢さん。吾輩が、この吾輩が保証しよう。君の前にまず死ぬのはこの吾輩だ。吾輩には今、盾となる兵も槍となる武器も補給する場所も無いが……意志を持った若者とその仲間……何よりも肝心なこの胸の決意がある。こんな老骨で良ければ、君の盾となり、その決意と行く末を見届けさせてくれまいか?」


 コクリと千音が頷く。

 そして、眼鏡を外した。


「最初に見た時から、お爺ちゃんは何よりも重く苦しく暗く、でも輝いた魂を宿していました。己の罪から逃げず、背負い続けた人の色……それはとても稀有な事なのです……そして、そんな人の言葉だからこそ、私は信じる事が出来る。いえ、信じさせて欲しいと思うのです」


「……了解した。年若いお嬢さんに期待される以上の事などありはしない。この身の限りに応えよう。よろしくお願いする。千音さん」


「はい。お爺ちゃん……」


(何かやっぱり口説いてないか? 無いか? いや、うん……ハーレム・マイスターなオレが言っていい事じゃないけどさ。一応、そこの独裁者も妻と愛人の掛け持ちだったはずなんだが……)


 何やら結局、仲間が増える様子。


 頼もしい仲間と言えるかどうかは置いておくとしても、恐ろしい障害が一人減った事は喜ぶべきだろう。


 こうして夜は過ぎていく。

 新たな風がもう吹き始めていた。

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