第261話「真説~お爺ちゃんと外套~」


―――日本国内某県某所特別養護老人ホーム。


「まぁ、宮田さん。凄いんですね」


「おうよ!! これでも昔は竹とんぼ作りの名人と言われてたんだぜ」


「まぁまぁ、宮田さんの玩具、どれも懐かしいわねぇ~」


「あ、多田さん!! そっちはお外よ。こっちこっち」


「ぇ~そっち?」

「いや、こっちよ。こっち」

「ぁ~~~はいはい。電気工事はこっちかね」


「いや、工事はもう終わったわよ。だから、お食事しましょうね?」


「食事ぃ~~さっき食ったよ?」


「いや、南さんがお爺ちゃんの為にまた作っちゃったんだって、だからね? お願い。もう一回食べてくれないかしら?」


「仕方ねぇなぁ~~おりゃぁよう。こう見えても大食漢だからな。がははっ!!」


 施設内のレクリエーションが一段落しようかという時間帯。


 リノリウム製の床に零された食事を片付けていた眼鏡姿の職員の一人が横から差し伸べられあバケツに目を瞬かせ、一人の老人を見上げた。


「あら。ありがとうございます」


「いえいえ、記憶が無いというのに助けてもらって。それに落ち着くまで警察にも言わないで貰えただけで感謝してもし切れませんよ。お嬢さん」


 まだ若手の20代後半。

 大学を出てから数年であろう女性が少し頬を染めて頷いた。

 片付け終えてから、その車椅子の老人に女性が近寄る。


「それにしても本当に日本語がお上手なのですね?」

「ええ、まぁ、母国語のようなものだと思いますから」

「あら、じゃあ、届け出は出ているかもしれませんね」


「あはは、そうだと嬉しいのだが、何とも……こればかりは確認してみなければ」


「ご家族の事は覚えてらっしゃるのですよね?」


「ええ、まぁ。ですが、皆と涙で別れたような記憶がありますから」


「あぁ、辛いご記憶を思い出させてしまいましたか?」


「どうでしょうか。末期の病状だと言われていた事だけはハッキリ覚えていますが」


「……それにしても本当に紳士なのですね。何処か普通のお爺ちゃんとは違うみたい」


「普通、ですか。いや、お恥ずかしい話ですが、昔は考古学者になりたかったんですよコレでも」


「考古学? 恥ずかしくなんてありませんよ。凄いじゃないですか」


「恐縮です。お嬢さんのようなお若い方にそう褒められると照れてしまいそうだ」


「まぁ、お上手」


 クスクスと慈愛深く。

 女性が微笑む。


「それにしても、此処は良い国だ……彼のメンタリティーはこのような場所で育まれたのか……」


「彼?」


「実はこの場所に来る前、一人若者を応援した事がありまして」


「あら? お孫さん、かしら?」

「いえ、孫は他にいたのですが、彼は私と同じだった」

「まぁ、お爺ちゃんと?」


「ええ、人に馴染めず。人が見え過ぎた……だからなのか。それが運命だったとしたなら、何と皮肉な事だったか……若者に後を託して老兵はただ消えゆくのみ。そう思っていたのだが……どうやら、まだ続きがあるらしい」


「………お爺ちゃん。もし、連絡をするところを思い出したら、遠慮なく言って下さいね?」


「ええ、はい」

「あ、それとお爺ちゃんの外套。お洗濯しておきましたよ」


「おお、それは何と感謝していいか。本当にお優しくして頂いて、この老骨感激の至り」


「ふふ」


 女性が微笑む。

 そんな時だった。


 不意にレクリエーションルーム内のテレビに前日から続く事件の続報が入って来る。


『見て下さい!? 周辺ビルの壁面が破壊されています!! あ、今、警察車両が駅構内に付けられました。どうやら被疑者を確保した模様です!! 今回の一連のテロと目される活動に関わった人物が今度は都内の駅を狙って事件を起こしたのではないかと周辺住民は戦々恐々と―――』


 周囲の老人達の前日からのテロの話題で持ち切りだ。


 怖いねぇという世間への評価が為されていたが、その画面を僅かに見ていた老人が不意に視線を細めた。


「……お嬢さん。一つお願いを聞いてもらえないだろうか?」

「あら、何でも仰って下さい」

「この宝石を質屋があれば、換金してきて欲しい」

「え?」


 老人が懐から一個のダイヤらしいものを女性に手渡す。

 少なくともそれは数十カラットはあるだろう代物に違いなく。


「お爺ちゃん。コレどうしたの?」


「もしかしたら、帰れるかもしれない。移動するのに代金が必要なのだ。もし、良ければ、あの場所までの道のりを教えて頂けないだろうか?」


 老人が指差したのは今正にテロがあった場所の近く。

 駅前には落書きなのか。


 という紅いスプレーで殴り書きしたコンクリの壁が映し出されていた。


「……本気なの? お爺ちゃん」


「ああ、“我が闘争”は未だ終わらず。この異国の地で生涯を終えるとしても、最後までやらねばならない事がある。それが人の上に立った者の義務だ」


 老人の真摯な瞳に女性が頷いた。


「……施設長。ちょっと、今日早退してもよろしいでしょうか? ええ、ええ、あのお爺ちゃん、どうやら記憶がちょっと戻って来たみたいなのです。これならご家族の方にも。ええ、ええ、はい。分かりました。では、数日。後は夜勤シフトにええ、ええ、はい」


 女性が話を付けている間にも老人はゆっくりと車椅子から立ち上がり、その自分のいつも着ていた勲章の付いた外套を羽織る。


 その背中には大きく白い正鍵十字のマークが付いていた。


「お爺ちゃん。行きましょうか。あ、その外套よく見たら……お寺の関係者の方だったのかしら?」


「オテラ? よく分からないが、昔所属していた場所で着ていた代物だ」


「それもお爺ちゃんの思い出した事を辿れば、分かるかもしれないわね。まずは質屋さんからでいい?」


「済まない。お嬢さんの仕事を邪魔してしまった」


「ふふ、そんな事……お爺ちゃんのお口がちょっと上手いだけですよ」


「そうだろうか? 昔は人の上に立っていたが、人を不幸にしてばかり来た。誰もを幸せには出来なかった……復讐に駆られて、ただ口が上手いだけの男だったかもしれない……」


 女性はそれを悔恨のように、単なる懺悔のように、あるいは……過去を今一度と望む熱意を、感じたような気がした。


「……さぁ、行きましょう。急ぐんじゃありませんか?」


「ありがとう。この恩……この身が朽ちても忘れぬと誓おう。そして、名乗らせて欲しい」


 僅かに膝を付いて、手の甲に口付けした老人はちょっと頬を染めた女性に背を向けて、バサリと外套を翻し、施設の外へと向かっていく。


 その様子を複数人の老人達は目撃し。


『ありゃ、名の知れた軍人さんだ』

『ウチのオヤジや祖父の写真に背中がそっくりだったよ』


 後にこう周囲へ語ったという。


「お爺ちゃん。お名前思い出したのですか?」

「ああ、吾輩の名はアイトロープ・ナットヘス」


 玄関で振り向き様にウィンクするお茶目な元独裁者は若い頃なら二枚目でも通っただろう顔でこう一礼した。


「しがない小国の村に生まれた兵隊崩れだ。親しみを込めてアイトおじーちゃん、そう呼んでくれると嬉しい。遠き異国の優しいお嬢さん」

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