第213話「竜臥す地」


 月猫の強襲に端を発した芋虫の策謀。


 相手がこちらを追い落とす為にモーションを掛けてくるのは会話後には予想していたが、その方法がまさか他人を乗っ取っての月竜からの攻撃に繋がるとはさすがに予想出来ていなかった。


 前々から戦術レベル、戦略レベルでの予測行為は繰り返していたが、こちらの知らない要素がイレギュラーとして挿入されると一気に事態は流動化するようだ。


 そのせいで今までに立てた複数の予定。

 結果を導き出す為の方法に手直しが必要になっている。

 ぶっちゃけ、人間を乗っ取る芋虫とか。


 過去の地球は一体どうなっていたのだろうかと首を傾げざるを得ない。


 麒麟国のちゃぶ台返しに始まる財団関連のオブジェクト群の胎動。


 それらが正しく物理法則ブッチギリな代物ばかりとあってはこちらがどれだけ予測を立てようが、次から次へと後出しジャンケンよろしく前提が引っくり返され続ける。


 これらに対抗するだけの方法は今のところ神格の親玉であるギュレン・ユークリッドしか保持しておらず。


 そのレベルの力は世界改変くらいの事が出来なきゃ話にもならないようだ。


 麒麟国とその切り札たるオブジェクト、魔法使い。

 魔術コードの極限を司る唯一神の量子転写技術。


 これらに通じるマスターマシン、メンブレンファイル……世界を過去に滅ぼした事にする窮極の救済システム。


 そして、それらを取り巻く世界の初期化用ユニットや至高天と呼ばれる言葉に群がる化け物。


 事態は世界が二転三転しながら、急速に不安定化している事を示している。


 嫁は無事という話をされてはいたが、そんなのは当てにならない。


 また、芋虫みたいな人を乗っ取るオブジェクトが他にいないとも限らない。


(なら、オレが、魔王イシエ・ジー・セニカがやる事は一つだ)


 自分の母親が遺した力の根幹たるマスターマシンを制御下に置く。


 これでようやくファンタジー世界に食み出しながらも、その外側で暗闘を繰り広げている連中の戦場へと突入出来るだろう。


 広大な月という天体の全てを捜索するのは現実的ではないと月面世界に到達した時から練ったプランは……まず何よりも、月面下の巨大施設内で見付けた複数の情報から分かっていた相手、神格と呼ばれる者達の干渉を排除し、それに伴ってメンブレンファイルを確保するという一点に絞られていた。


 状況が変わっても、マスターマシンの正体が分かっても、システム自体の価値は何ら変わっていない。


 いや、逆に上がったとさえ言える。


 ならば、アスクレピオス……アシヤ・エマから齎された情報を持ってプランの確度をさらに上げ、神格の一部や邪神達からの支援を受け、唯一神派を制圧、麒麟国を排除する力を手に入れ、ちゃぶ台返しを阻止して、芋虫も焼き芋虫にするという無茶な話もやり通さねばならない。


 それが困難だろうが何だろうが、そうしなければ、自分の望む安穏とした日々は戻ってこないだろう。


 ただ嫁達を助けて逃げ出してたとて、世界そのものが地球も含めて初期化されては逃げ場にも困るし、メンブレンファイルによる世界改変も避けたい。


 化け物だって駆除せねば、やがては自分すらも乗っ取られて消されかねず、最悪は成り済まされる事も有り得る。


 こんな現状では敵は全てぶっ倒すというシンプルな答えに行き付くのも道理だ。


(オレがもっと主人公らしい魅力だのに溢れてれば、色々と融通も効いて魔王じゃなくて、名乗るのは勇者とかでも良かったんだろうが……勇者よりも使うなら賢者、ロボならスーパーよりリアルって柄なんだよなぁ。銃に剣で無双するより、銃で剣に無双する方が好きだし……)


 カシゲ・エニシの性格や魅力なんてのは単に行動した結果、誰かと相互理解した時の誤差、くらいな話だろう。


 今まで自分が何人いたのか知らないが、こんなにハーレムだの女性関係で頭を悩ませた個体はそういないはずだ。


 誰かに好かれるなんて、自分から一番程遠い事象であったはずだ。


 此処まで来た事件の結果が全て自分のおかげで解決したのではないし、少なからず……あの母親の影響が遠因として大であると認めるべきだろう。


(遺跡の力が無けりゃ、オレはただのヲタ兼ヒキニート……あいつらと交流したり、分かり合ったりする時間すら持てやしなかった……漫画の主人公みたいに誰かと戦えたりなんて出来なかった。人を傷付けて平然としているのも不可能だった……幾度となく試行された末に偶然上手くいったのがオレだとするなら、此処にいるのは天文学的なカシゲ・エニシにとっての可能性における最高の結果……そう捉えるべきだな……)


 自分がこの自分でなければ、到達し得なかった場所にいる。


 ならば、その利点を最大限に活用する事は遠慮して然るべきだろう。


「ヒルコ」


『分かっておるぞよ。こちらの準備は万端じゃ』


 自分には自分のやり方がある。

 だから、巨竜兵を虚空で開放して墜落させた後。


 その森林地帯の山岳の中腹、石製の崩れ掛けた鋼の門が地表に表出する遺跡の上に対して先手必勝で速攻を掛けるのは卑怯とは言うまい。


 明け方前の僅かな光明。

 空に棚引く雲が紅に染まっていく最中。


 落ちていく同胞に目を見張り、こちらが近付いてくる致命的な時間を見過ごしてしまった竜の国ご一行様凡そ1200匹。


 虚空に陣取っている無数の影は密度だけで4km四方を埋め尽くすような勢い。


 大小様々な形を持つ人型竜の群れを排除するのに今までのような人間相手なら必要ないと切らなかったカードを振る舞うのは致し方無い。


 生憎と面倒事は少なく済ませたい性質だ。


 この場には核も気化爆薬も無いが、範囲の面制圧の方法は考えていた。


 地球よりも格段に小さい月面下世界において最大現の巨大さを誇るだろう巨竜群。


 こんなのをまともに相手には出来ない。

 生憎と此処が分岐点になるかもしれない、という場面に手加減も不可能。

 だから、自分はこう相手に告げるしかない。


『月竜臣国の軍に告げる。我が名はイシエ・ジー・セニカ。その遺跡、貰い受ける。此処で死す全ての命へ哀悼の意を……貴官らの働きは必ず祖国に伝えよう。さらばだ。竜の戦士達……』


 相手のリアクションの間は3秒程。

 その合間に全ての準備は完了している。

 事前に仕込んだ魔術は全て起動。

 更に対神格用の策である一つの魔術による対抗戦術を開始。


―――!?!?


 相手側の動揺。


 魔術の不発及びあらゆる魔術コードによる生命活動維持以外の全てを無力化。


 どうやら飛行用のコードは生命活動には含まれないのか。

 地面へ重力に捕まったように墜ちていく。

 相手が立て直すまで12秒。


 それまでにこちらのみ魔術コードが……蒼い光の柱と化して地面に降り注ぐ。


 それは地表に振れた瞬間には真横に水の如く広がり、広がり、広がり……何処までも青き真円を、魔術方陣を、拡大しながら複雑化させていく。


(ソースコードはあいつのを拝借したが……実践で試すのは初めて……事前の神剣でのエミュレートでは上手くいったが、どうだ?)


 魔術具を使う時、それをシステムが認識する故にコードが起動するというのは解き明かされた事実の一旦だ。


 また、魔術コード自体を一部の人間が並列起動出来るのは時間差での連鎖起動、設定しての遅延起動……そして、ガルンのような魔力、水素原子を加工した“神の水”内に自己の人格を形成するグリア細胞を連結する際、人格形成に必要な脳細胞の繋がりのパターン化した情報を強く焼き付けているからだと発覚している。


 これが何を意味するのか?


 要はシステムが人格と誤認する魔力、肥大化した自我の分裂、一種のペルソナが水素の構築するネットワーク内に残留。


 バグのように機能し、魔術コードを複数人で起動したに等しい状況を生み出している、らしい。


 ガルンが魔術具以外で自分を複製する魔術しか使えないのはその魔力が無数の自分という魔術コードを常に奔らせているようなものだからだ。


 これによって、自己複製しながらも、一つの意識を保ち、その上で明らかに常人なら処理出来ない量の情報を処理している。


 これが機械の並列処理に似ているのはこの情報が発覚した時に思った事だ。


 通常の魔術コードは1人に対して1人分の処理容量を割り当て、その分からしか出力を可能としない。


 しかし、ガルンにはこの事実が当てはまらない。

 到底、1人分では賄い切れないような処理容量が割り当てられている。


 神の水を魔力と称し、魔術コードの処理能力を魔力容量という形で表現するこの世界において、この事実が指し示すのは……この不正な処理に対してシステム側で未だ対処が行われていないというものだ。


 なので、それを存分に使う事はチート、とは言うまい。

 これはシステムの欠陥を突いた《裏技》だ。


「構築完了。轟きし地の嘆き……疾く伏すものを喰らい抱け!!!」


【大地覆滅】


 そう大した術ではない。


 高々、10m×10m×10mの大地を自分の好きなように動かすだけの魔術だ。


 しかし、現在この地域に広がった蒼き方陣はこちらの脳内の情報をパターンとして焼き付けた水の結界フィールドを展開している。


 総勢50のカシゲ・エニシの権利を持つ個体が使う小規模魔術の凝集はすぐに大地を流動的に動かし始めた。


 竜達が何かをする前にズブズブと沈み込んでは無限の底なし沼に引きずり込まれて深淵へと消えていく。


「どうやら動作は大丈夫みたいだな」


 一個体に割り振られる処理容量はラスト・バイオレットとて、そう多くない。


 神格達もこの枷は外せていないらしい。


 これは魔術コードを奔らせるシステム自体の優秀さと万能性に起因するのだとか。


 殆どの事象を起こすのにそこまで個人の魔術コードは処理能力を食わない。


 何故なら大抵の事が一人分に与えた処理許容量で足りてしまう上、処理内容にて設定としての魔術を演出し、制限を加えている。


 なので一気に情報処理が重くなる大魔術などでもどこかしらに制限が存在し、早々処理限界でフリーズしたりはしないのだという。


 マスターマシンと深雲の情報の遣り取りに割り込んでコードを奔らせている関係で、唯一神も大規模な介入はプロテクトの誘発を招くと避けているらしい。


 神の水自体が簡易の処理能力を有し、システム側への処理能力の間借りに対しては常に余裕を持たせているのも、電子戦防衛用のプロテクトの起動を防ぐ為という。


 この為、処理不能なくらいの情報がシステムを奔る事はなく。


 オーバーフローなどの事態もほぼ起きない。


 処理容量を無制限に使えるのはシステムを構築した当事者のみという話だ。


 だが、一時的とはいえ、このような唯一神の特権に近しい処理能力を備えるガルンという存在を認識した時、こういう悪知恵が閃いたのは天啓と言えるだろう。


(とりあえずはMODとやらで出てきた竜の国には早々に退場してもらうか。この世界の命運を掛けた遣り取りから脱落してもらわないとな)


 未だ億人単位の処理能力を獲得は出来ていないが、規模を拡大する魔術を限界まで駆使すれば、唯一神に近いくらいの魔力容量は確保できるだろう。


 しかも、ラスト・バイオレット権限付のこちらは処理している大本のマスターマシンと深雲側からの制限らしい制限やプロテクトの影響を受けない。


 つまり、唯一神側からの妨害以外ではコードによる妨害はほぼ無いものと見ていい。


 現在、マスターマシンが解放されているとはいえ、その掌握にはまだ時間が掛かると邪神側は見ていた。


 ならば、それまでは神格側への勝機の一つとして、極限規模の魔術はカードに入れて当然だろう。


(それにしてもこいつら……100m単位の小惑星なら、簡単に破壊出来そうだな。この様子じゃ、死にそうもないし……拘束を強めておくか)


 地面内部から熱線だの、竜巻のような豪風だの、爆発的な轟音だの、ドッカンドッカン大騒ぎで正しく地表は地獄。


 灼熱と爆発と閃光と衝撃に支配され、竜を埋葬する大地は融解していく。


 が、所詮は悪足掻きだ。

 ゆっくりと相手側の抵抗が収まっていく。


 km単位の地面に取り込まれ、その膨大な土という珪素の中で圧力を掛けられ続けるのだ。


 どれだけ生物的に強かろうが、魔術無しでは生体に生み出せる力なんて限界がある。


 生物として存在する以上は生物が生存可能な環境でなければ、適応出来ない。


 また、周囲の環境に適応しようとすれば、動かずに延命を図るのが妥当。


 大人しくなるまでしばし待っていようかと一息吐こうとした時。

 未だ流動化している地獄の大地に何かが一斉に湧き出した。


「うわ!? グロ?!! というか、この数……全部乗っ取ってたのか?」


 昔、動画サイトで見た事があるのだが、焼かれた甲殻類から無数の寄生虫が飛び出すというシーンがあった。


 今、目の前で起こっているのはそれに近しい。


 焼結し、掻き混ぜられ、閃光と灼熱によって渦巻く大地の上に次々地中から白い芋虫の群れが這い出てきては身悶えしながら、自分達の操っていた竜達の発した攻撃の余波で焼き芋虫となっていく。


 死んだと思われる個体を観察するも、消えない。

 どうやら、死ねば消えられないらしい。


「………」


 適当に一区画分の土の流動化を説いて横に分ける。


 すると、ドバッと土を大きな鱗に覆われた腕が次々に這い出てきて、首筋がニョッキリと迫り出す。


 ゼエゼエと息をする竜達がこちらに気付いた後、真っ青になり、プルプルと震えた後、暴風のような音圧でこう叫んだ。


「降伏!! 降伏する!!」


 口々に泣き喚く声。

 号泣する者に両手を上げる者。

 ヤル気も削がれたので流動化を全域で解く。

 すると同じように地中から幾らも腕と首を出す者達が多数。


 死に掛けた事を理解して青褪めているようだったが、それ以上に問題なのは精神的に追い詰められているらしき者が多数という事か。


 中には泡を吹いて気絶する者。


 『イモムシがぁ!!?』と絶叫する者。


 オリヴィエラ・チェシャと同じように自分があの物体に乗っ取られていた時の記憶は持ち合わせているようで周囲に散乱する焼き芋虫という光景に気を失う者まで出ていた。


『この部隊の中で階級の高い者は!!』


 全域に声を届ける。


 本来、徹底抗戦されて土中から脱出されたら、こちらに回してもらったドローンだの、近くに待機させてある輸送車両からレールガンだの引っ張り出して戦う予定だったが、それも必要なさそうだと周囲を見渡す。


 すると、反応があった。


『私だ。魔王イシエ・ジー・セニカ』


 紅の角を持つ竜の一頭の声に聞き覚えがあるような気がして、首を傾げる。


 すると、竜の額の中央が開いたかと思うとヌウッと人の上半身が出てきた。


 それが輩出された次の瞬間、ボトボトと竜の肉体が崩壊しながら腐り落ちるように溶け、紅の燐光となって巨大な空洞を地面に開ける。


「お前は……クルーテル・ランチョン」

「お初にお目に掛かる、と言うべきかな?」


 アステに似てはいたが、スラリとした体躯と20代の若々しい肉体は何一つ隠さず。


 その胸のラインから臀部まで羞恥に震えるという事すらなく。


 魔術なのか。


 未だ熱量に支配される大地を、焼き芋虫達を潰しながら歩いてくる。


 さすがに此処で視線を逸らすわけにもいかないので大地に降り立ったと同時にCNTで薄布を生成して、傍まで歩いて来たクルーテルに羽織らせた。


「心遣い痛み入る」


 緊急事態で映像越しではそう気にしていなかったが、まるでアステを10年後を見ているような相手は美人だった。


 背の高さも相まってスレンダーな筋肉質な美女というところだろうか。


 髪の毛から瞳の色から角から爪から全てが赤く。


 その上で、体の幾つかの部位に鱗を持つ彼女は数時間前とは打って変わって、こちらに頭を下げた。


「魔王閣下。此度の事を心より詫びる……軍人なればこそ、私は軍規と軍令以外に従った事を謝罪せねばならない」


「芋虫の呪縛は解けたようだな」


「ああ、他者に躰を乗っ取られていた間の記憶は有している。あの己の中で蟲が蠢く感覚……死んだはずの我が身を動かされた気色悪さ……吐き気のするような卑劣なる謀略……例え、誰が許しても、私は私を許せるものではない……」


「アステ・ランチョンはそう喋らないが、武人の心得があるとは思っていた。アンタもそうらしい……取り敢えず、話がしたい。部下連中が全員解放されたのかどうかは確信が無いから、まだ埋まっててもらうが、構わないな?」


 クルーテルが頷いた。


『全隊に告げる。魔王閣下との話し合いが終わるまでそのままの状態で待機せよ。まだ、乗っ取られている者がいる可能性もある互いの状況を会話しながら、常に確認し、別人かと思われる者がいた場合は後で申告するように』


 耳元に手を当てて、魔術の燐光を輝かせたクルーテルに付いてくるよう促して、数十m先にある遺跡の入り口へと向かう。


「呪縛は解けたように見えるが、一応の用心だ。アンタの事はまだ疑わせてもらう。シュレディングの連中にもう状況は伝わってるはずだ。妹の方に繋がる連絡先を後で教える。身内には自分で謝るんだな」


「……ああ、そうだな」


 恐らく、クルーテルは皇女誘拐の主犯にして首都襲撃部隊の隊長だ。


 本来ならば、月猫の法に照らすまでも無く犯罪者扱いされる。


 だが、事が事だ。


 事前にヒルコにはこちらの状況で伝えられるものは伝えておくように言っておいた。


 あちらではガルンとオリイヴィエラが状況を説明しているだろう。


 遺跡内部へと続く穴へと入れば、先程の攻撃の余波か。

 至る所が熱された様子でシュウシュウと音を立てていた。


「さて、遺跡の奥に行く前に訊ねたい。フラウをは何処に送った?」


「月猫の大蒼海の逃走経路は囮だ。人型化した者達が月猫の国境近くに魔術の高速飛翔で送り届け、輸送部隊に引き渡された。その部隊が我々のように汚染されていたのかは分からないが、既に月竜臣国内の首都に身柄は輸送されたはずだ」


 振り返れば、クルーエルは憂いを帯びた瞳を静かに伏せている。


「あの化け物に乗っ取られたのはお前が何処かで死んだからか?」


「あ、ああ……私はあの月亀と月兎の戦場に月亀側への義勇軍として参加していた。そこでどうやら死んだ、はずなのだが……そう、そうだ……私はそもそも月竜の軍人……では……無い? なん、だ? この記憶は……ぅ……ッ」


 フラリと倒れそうになったクルーテルを下から支える。


「オイ。大丈夫か?」


「わ、私は軍人、いや? 軍人だったはずだ……だが、あの子の姉で、私は……私は……」


 混乱しながら、片手で頭を押さえる様子は頭痛に呻く患者のようだが、実際には違うのだろう。


 どうやら、あの芋虫による寄生は同時に世界改変前の記憶を呼び覚ます効果もあるらしい。


 だが、そんな事になれば、自我の崩壊すら起きかねない。


「あの芋虫に乗っ取られた後遺症だな。何も考えるな。取り敢えず、お前はアステの姉なんだろ? 重要なのは今までの事じゃない。これからだ」


「……ぁあ、そう、だな……魔王閣下に未来を説かれるとは……」


 僅かな苦笑に肩を竦める。


「とにかくだ。乗っ取られていた時の事を思い出して、重要そうな情報を教えてくれ。軍規だ何だは今だけ忘れろ。お前達に起きていた事が軍上層部にも起きていたとすれば、命令系統なんざ有って無いようなもんだろ? まずはあの芋虫野郎をぶっ飛ばしてから賠償だの責任だの義務だのは話してくれ」


「……了解した。はは、魔王とは常識の通じない恐ろしいものだと思っていたが、どうやら我々の方がソレそのものだったようだ」


「お前らは被害者だ。そう卑下するな」

「優しいのだな。魔王閣下」

「優しいんじゃない。人情味の分かる合理主義者と言ってくれ」

「……ふ、勝てぬわけだ」


 何やら大きく息が吐かれた。

 肩の荷が少しは降りたのだろう。


「此処で話し合いが終わった後の事だが、とにかく原隊にはまだ復帰するな。命令でいいように芋虫共に使われる事になるぞ。身を隠す場所だの、色々世話はしてやる。だから、月猫からの追及はこの事態が全部収拾された後と考えてくれ。それまでお前らは月竜からの観光客だ。いいな?」


「観光客……我が国がした事を知っていて尚そう通せるものだろうか?」


「オレがそれで押し通す。祖国への言い訳はどうにでもなるさ。例えば、魔王に操られていました、とかな。芋虫に乗っ取られた連中が五万といるんだ。それくらいは押し通せるだろ」


「色々と迷惑を掛けた上に我々の処遇まで……済まない、ではそれこそ済まない借りを作ってしまったな……」


「これは借りにならない。その分の働きはしてもらうつもりだ。月竜のまだ乗っ取られてない連中だって巻き込まれてる。それを開放してやる手伝いに駆り出させてもらうぞ」


「承知した。全てが終わるまで、我ら部隊とこの身柄は貴方に預けよう。魔王閣下」


「セニカでいい」

「分かった。セニカ殿」


 どうやら遺跡内部に突入寸前で新しい協力者が出来たようだ。


 出来る事はしてみるものだと染み染み思う。

 アシヤさんの遺したものはすぐ目の前に迫っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る