第192話「猫がやってくるカフェ」

 月亀王国首都クルジスには昨今、極めて高価で流行りのカフェが出来た。


 月兎印の喫茶店である。


 今までギルドだの個人が宿や娼館に酒場や食事処を併設する事は常識であったが、軽食とお茶を出す店というのは中々無かったらしい。


 店舗は通常の酒場程あるが、ゆっくりとしたい人々の事を考えて、防音済みで席数を限定。


 軽食の癖に馬鹿高くして客層を狭め、支払いは金貨のみという……潔いくらい客を取る気0と初日から商人達が噂した店舗は現在満員御礼だ。


 怖いもの見たさで一度入店した商人達がその内情の先進性に速攻常連に意見変えした様子は掌返しにジェットエンジンが付いていると言っても過言では無い。


 掌クルーである。


 室内にはジュークボックスよろしくガワが木製にも見える機械が態々銀板CDの入れ替える様子を晒しながら楽曲を掛けている。


 音響機器がスピーカーと共に店内のあちこちに設置され、穏やかな名曲ばかり……モーツァルトだのバッハだの“天海の階箸”のライブラリから漁ってきた古典を引切り無しに流している。


 店舗内は少し狭く作り、ゆったりとした座席数は30を超えない。

 飴色のカウンター席と店舗先のテラス席。


 それからVIP専用の個室と買い集めた書籍のある書棚近くの長机席。


 文豪は文化に触れて良いものを書いたという明治、大正、昭和のような世界を目指したというか。


 結局、みんなこういうの好きだよね、という感じに自分が好きだった店舗を軽く再現した其処は行列こそ出来ていないが、席の空きは閉店時間までまったく見られない現場へと変貌していた。


 その最たる理由は会員制。

 月金貨100枚で時間指定で座席の予約も受け付けているのだ。


 出される軽食と紅茶と珈琲は全てレッドアイで軍の料理人部隊連中に訓練させた筋金入りの軍隊仕込みマスターが作っており、それっぽくこの世界の材料で味を再現するのに苦労した品々を出している。


 まぁ、その甲斐はあって、香りも味も過去の日本に比べてすらだ。


 勿論、それはこの世界における非凡を意味する。

 砂糖を不断ふんだんに使ったラテやカフェオレや菓子。

 程好い苦味と香りに酒でフレーバーを付けた珈琲。


 紅茶もまたお子様用から貴婦人用までストレートからミルクティーまで作れる。


 軽食はサンドイッチからオムライスからナポリタンからと豊富で殆どモドキの類ではあったが、味の再現という意味では7割以上出来上がっている。


 さすがに魔術でずっと物を冷やすわけにはいかなかったので冷蔵庫は脱出艇に備え付けられた個人用の代物を切り出して改造し、電源やソーラーパネル、蓄電池と一緒にモールド・ドローでコピーして各店舗にばら撒いた。


 まぁ、アレだ。


 軽くカルチャーショックで人々が無言になるくらいの文明差である。


 呆然としながらも、出された軽食を食べ、紅茶や珈琲や冷たいドリンクを飲み。


 愕然としつつ、心地良い音楽に揉まれては……如何に敵国印とはいえ、文化大好きな貴族階級や豪商階級は屈服、こぞって会員に成りたがった。


 そして、それから食事やドリンクのグレードを落とした店をやはり支払いを金貨のみとはいえ、ワンコインからというリーズナブルな価格で解放してみれば、もはや連日満員御礼。


 いや、まだ3日しか経っていなかったが、すっかり家猫かと思うような居付きっぷりの常連が至福の表情でテーブルに齧り付いているのは日常的な光景となっていた。


 このような月兎と月亀に事前準備しておいて同時展開まで行った店舗の一つ。


 現在、閉店中という看板を下げさせた場所のカウンターで適度にミルクと砂糖を入れた紅茶を啜っていれば、『おかわりは如何ですかな?』とニコニコした老爺が黒の執事服姿で紅茶のみならず菓子や軽食の皿を次々に持ってくる。


 若い頃なら二枚目だっただろう元娼館勤めな彼。

 バルトホルン・トーチ。


 今や魔王閣下の筆頭執事に名乗りを上げたと部下連中から噂される裏社会に詳しい男は配給した服も着こなして、完全に映画に出てくるヒーローな主を支える頭の禿た育ての親兼執事兼メカだって整備出来ちゃうハイテク大好きお爺ちゃん……みたいに見える。


 いや、本当にただ見えるだけなのだが、雰囲気というのは何事も大事だ。


 要は『このジジイ出来る……』と主従の一部始終を見た人間に思わせれば、勝ちなのだ。


 会議の場とかで後に控えていたら、物凄く置物としては優秀に違いない。


「どうぞ。ガルン様」


 隣のガルン(真)は今も分裂中な自分の制御に脳裏が忙しいようだが、落ち着いた空間で本体が休めているからか。


 少し息抜き出来た様子で出されたクッキーを齧りつつ、送られてくる各地の自分からの情報を統合して地図や書類をカウンター内で作成していた。


 手書きなのだが、棒線すらヤケに正確なので魔術でも使っているのだろう。


 それを横目にしていれば、大抵何がどうなってるのかが、世界情勢の一部が……ガルンの知っている事に限ってという条件付きながらも見えてくる。


「ぁ~~天国やわ~~この音楽とお茶とお菓子は反則やでぇ~~」


 クニャァッと軟体動物よりスライムに近いのではないかと思うようなへたり具合。


 護衛の三人娘。


 二日前に到着した近衛三姉妹(今命名)が鎧も脱いで壁掛けに下げた状態で出された菓子とドリンク……甘味漬けにされた女子特有の至福な表情で蕩けていた。


「本当に美味し過ぎるよ……うぅ、祖国が大変な時にこんな事してていいのかなぁ……」


「大丈夫。このくらいじゃ私達買収されたりしないから。御母さん達も無事だったし、どうにかなるよ」


 と言いつつ、いつも他の少女達に魔王は魔王だと諌める発言が多いはずの武道派少女リリエはその手に特大クッキーを持っている。


 手前にはアイスクリーム山盛りのパフェが食べ掛けで置かれており、どうやらクッキーとの相性の良さにおかわりまでしたか。


 縦長の容器がテーブル端には2つ空の状態で寄せられていた。


「それにこれは護衛業務の最中に出された代物だから、差し入れって事だし、周囲に溶け込む為にもちゃんと食べるべきだよ。うん」


 キリッと言い切った彼女はいつものように凛々しい。


 しっかり、その口元には白いアイスの溶けた甘い液体が犯人はお前だとばかりに懐柔の事実を示し、付着していた。


「リリエちゃん……」

「ま、まぁ、ウチらも似たようなもんやから」


 その事実に目を逸らした二人に首を傾げたリリエがこちらをキッと睨んでから、再び甘味を堪能する作業へと戻る。


 護衛?任務を続ける彼女達の横にあるカウンター端の席には皇女殿下ご一行様がさすがに甘味の虜にされた様子で中睦まじく別々のパフェを分け合っていた。


 フラウは交互にお付きであるシィラとヤクシャのスプーンを咥えさせられて、少し恥ずかしげである。


(もっと忙しくなるかと思ってたが、あれから他の神格側からの接触は無し……どうなってるんだか)


 あの大邪神と四柱の神々との会合から数日。

 予定変更を恙無く終えたのは1日前。

 明日、夜明け前に月猫へと向かう。

 それまでの残り10時間。


 夕暮れ時の黄昏に心を落ち着けているのは終に後半戦が始ってしまったからだ。


 肉体への再接合可能日数は半分を過ぎた。


 これから先は今までのような詐欺師染みたやり方も出来なくなっていくだろう。


 今まで秘匿しながら造ってきたカードはまだある。

 あの半分ケロイド男から貰った装備にしても使ってはいない。


 だが、此処から先は終に神様と嘯く連中との直接対決が避けられないようになる。


 また、神の力と権威を背景にこの世界のスクラップ&ビルドへの抵抗も激しくなっていくだろう。


 現在、計画の進捗は5割。

 この世界を調べてから計画した花嫁達の奪取計画はまだ道半ば。


 だからこそ、前回の一件で神格達の一部から話を聞けたのは極めて大きな収穫だった。


(アシヤさんのデータが手に入れば、恐らく其処から先はほぼ一直線……本来、諜報機関がするはずだった各種の工作予定がガルンのおかげで数段階繰り上げられた……こいつがいなかったら、まだ4割に届かなかったかもしれないな……)


 出された紅茶のカップを空にしてから、魔術でアウルに連絡を取ろうとした直前。


 脳裏に魔術での着信。

 それも掛けようとした当人からの緊急コールだった。


「どうした?」


 音声通信のみ。

 だが、その通信先の音声が聞えてくる。


『こちら、制圧完了しました!!』


『ファストレッグの主要施設の制圧残り4割を切りました。連中、殆ど抵抗してきません。腰抜けですよ隊長。ははははは』


『行政中枢であった庁舎確保との報が入りました。逃走していた庁舎職員も確保終了!!』


『追跡部隊から応援要請!! 目標の部隊が広範囲に拡散して逃げた模様!!』


『ウィンズ卿には逃げられたか……』


『神殿からの使いが、神殿にいる人々に乱暴はしないで欲しいと嘆願のようですが、どう致しますか?』


『御子様の厳命を忘れたか!! 武装解除した者には抵抗しない限り、暴力は振るうな。また、無力化出来る場合は命を取っては成らん!! また、怪我人や病人や女子供老人には手出し無用だ!! 他国の兵にも徹底しろ!! 出来ないというのなら、統帥権はこちらにあるのだから厳罰に処すとな!!』


『ハッ』


「………」


 こちらの顔が険しくなったのに気付いたのか。

 ガルンとフラウがどちらも共に視線を向けてくる。


 それに静かにするよう人差し指を唇の前に立ててから、動き出そうとしたところで磨り硝子のドアが閉店中の看板があるにも関わらず開かれた。


 逆光の中。

 数人の人物が確認出来る。

 アウルからの緊急連絡の直後。

 このタイミングで来るとしたら、敵くらいなものだろう。


 とりあえず、三人娘に視線を向ければ、皇女を連れて二階へとそのまま店舗奥の階段から上がって行こうとし―――。


「おひさしぶり~ふらうでんか~」


 そう声が屋外から掛かる。


 それに一瞬、動きを止めた皇女様が振り返ってから、思わず目を瞬かせ……しかし、自分の今の立場を思い出したのか。


「っ………」


 そっと軽く頭を下げるのに留めて、大人しく上に向かった。

 その場に残ったのはバルトホルンとガルンのみだ。


「突然の来訪。無礼を詫びよう。悪辣なる魔王よ」


 フラウに声を掛けた小さな影の横から前に出て来たのは鎧姿の蜥蜴。


 いや、この場合は正しく蜥蜴人間リザードマンだった。


 何処かの漫画に出てきそうなくらい、完全にファンタジーなのは間違いない。


 緑色の体表というか鱗。

 そして、蜥蜴の頭に人型の手足。


 だが、その獰猛な口元の端には牙がビッシリと生えており、見た目以上に口が喉元まで開きそうな様子はかなり凶悪だ。


「我々は月猫げつびょう連合国よりの使者也。魔王との折衝の為、此処にまかり越した。そして、この方が我々交渉団の団長であらせられるおか―――」


 何やら屈強な40代くらいの渋い声な蜥蜴男が言ってる傍から後よりテテテッと最初に扉を開けた影の主がすぐ近くまでやってきて、こちらを下から覗き込んだ。


「じ~~」


 その様子は極めてカワイイ。

 光沢のある真珠色の地毛と一体化した猫耳。


 尻尾がフレアスカートの一部からニョッキリと長く長く身長以上に伸びており、虚空でフヨフヨと揺らぐ。


 その姿は何処か血統書付きの子猫を人型にしたような印象を受ける。

 一言にすれば、猫耳幼女である。


 恐らく百合音よりは歳を取っているだろうが、それにしても……物騒な話をしに来た相手にしては幼いというのが第一印象だった。


 だが、その中にも確固として意識されるのはその瞳だろうか。

 黒い瞳孔内部には金粉のような輝きが鏤められている。

 そして、左瞳の中心が6つの線を引かれて割れていた。


 それを見たガルンが何やら気付いた様子で顔をこちらに向け、脳裏に魔術で話し掛けてくる。


『―――セニカ様。この子は恐らく月猫の詠み御子ッ』


 それに訊ね返そうとした時点で蜥蜴男がこちらを見上げる猫耳幼女の後からそっと肩を掴んで耳元に『はしたないですよ。姫様』と話し掛け、再び下がらせた。


 それと同時に蜥蜴の男の後に控えていた2人の内の1人がこちらの前に出てくる。


「それで我々を歓待して頂けるかな? 魔王閣下」


 耳無し。


 普通の人間でありながら、その50代くらいだろう紳士は金鎖の付いたモノクルを左目にして自己主張の激しい頭部を輝かせた。


 別に禿げているわけではない。

 左右で錆びた銀と金を思わせるオールバックというだけだ。

 その髪を掻き上げ、そいつはこちらにニコリと微笑む。

 鼻下にも丁寧な髭を整えた細身のダンディー。

 着ている服は制服らしく。


 黒とダークグレーを基調にして紅の象形……猫耳を模ったと思われる柄をしている。


 男の悪戯っぽい笑みと合わせても、そんな衣装の相手から話し掛けられるなんて冗談としか思えない状況。


 で、その男は更にこう続ける。


「もし、我々が来た理由が分からぬのなら、レッドアイ地方に連絡してみては如何だろうか?」


 どうやら、これから思い煩うはずだった面倒事はあちらからやってきたらしかった。

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