第181話「マスター・オブ・ウォー」

 扉をガルンに開けて貰い。


 そのまま進み出れば、長いテーブルの端から端までほぼ満席。


 そして、周囲には最後の護衛であろう私兵のような老若男女が数十人壁際で武器を構え、魔術を展開して待ち構えていた。


 調べていた皇族の顔も何人かは見える。

 そして、椅子が一つ切り。

 出てすぐのテーブルの端だけが空いていた。


 それに悠々と座れば、上座にいる男達の中にイナバ大公の姿も見える。


 立派な白い口髭を撫でながら、眠るように瞳を閉じた老人だ。


 その席から3席目。


 こちらの対面となる場所は一際大きく設えられている。

 皇家の力を象徴する白の錫を座の横に立て掛け、黄金の冠を戴き。

 外側が白で裏地が紅の外套を羽織った初老の男。


 その顔はまだ生気を辛うじて保っていたが、何処か幽玄な絵画にでも溶け込みそうな具合に存在感が希薄だった。


 覇気は未だ在ろう。

 厳しい顔はまだ相手を睨み付けるに足る。

 だが、しかし、それでも、決死の意を隠し切れず。


 手は震えていずとも噛み締めた顎から緊張しただけ僅かに汗が滴っていた。


 周囲にいる者達は殆どが貴族の特権階級に胡坐を掻いていた者ばかり。


 その上で月兎皇国を代表する貴族ばかりとの事。

 それはサカマツにも調べさせていたので間違いない。

 ガルンが椅子の一歩後で清ました顔で控える。

 その様子へ中にはあからさまに裏切り者めという顔をする貴族達もいた。


 お城を守っていたという彼女の母親はそれなりの人物だったらしく。


 皇家界隈での不祥事であるガルンの事はタブーのような扱いだったらしい。


 そのもう神殿に放逐したに等しい相手が今此処に立っているというだけでも大きな出来事だろう。


 それが魔王と呼ばれる者へ主従のように付き従っていれば、反感は尚更か。


 皇帝の後に控える重鎮らしき者達は彼らの主に重責を背負わせたと言わんばかりに今後の決断を断固支持するという瞳で見つめていた。


「ッ……名を訊ねたい。貴公は何者か」


 意を決したのだろう皇帝が真っ直ぐにこちらへ腹を括ったように問い掛ける。


「イシエ・ジー・エニカ。今はそう名乗ってる」


「……魔王の名は此処まで轟いておる。まさか、我が軍が月亀ではなく。横槍を入れてきたウィンズ卿の……いや、魔王軍に下されるとは」


 そのあまりにも不正確な情報にもはや前線の統制も取れず。

 現場とのコミュニケーションも出来ていない事が明白となった。

 こちらの情報操作はどうやら大当たりしているらしい。


 もはや、此処にいるのは正確な報告一つ受けていない烏合の衆である事は明白。


 一手目から此処まで有利になるとは随分と幸運に恵まれたものだと思う。


「月兎と月亀の総軍98万弱を下したのは軍じゃない。オレだ」


―――な!!?


 その非常識な言葉を前にして驚き。

 しかし、それを嘘だと言い切れもせず。

 だが、断固として認めるわけにはいかないという思いからか。

 顔を引き攣らせながらも笑う諸侯が数人。


「今、壁の外に陣取ってる軍勢は此処に至るまで如何なる戦闘もしてない。一欠けらの命とて失ってはいない。それは保証しよう」


 馬鹿なという呟きが周囲から零れるも、それ以上の声は何処からも出なかった。


 緞帳のように分厚いカーテンが下りた室内。

 陽光の振る天蓋の硝子細工。

 美しい窓。

 その下で淀んだ数十人の吐息が渦巻く。


 金貨と同量で取引されるだろう螺鈿細工が彫り込まれた壁や調度品。


 装飾は金銀でウサ耳の意匠が多い。


 そんな現場にどれだけこの場の人間は違和感を感じた事があるのだろう?


 国庫は底を尽き掛け。


 人をどんな事をしても掻き集めねばならない時に王城には未だ金になりそうなものがある。


 金策の一つもするならば、どんな財宝でも家具でも売り払わねばならないのは確定的。


 そもそも食料すら民間では足りなくなっている。

 だというのに、此処には貧する者に必要な必死さが欠片も無く。

 誰の肌も艶々としている。


「我が名はファナン・ライスボール・月兎。月兎皇国の皇主である」


「随分とその名を貶めたな。生憎だが明日にはその称号も御飾りになるだろう」


 さすがに剣を抜いて斬り掛かろうという騎士が数名。

 しかし、すぐに傍の者達に諌められる。


 パチリと指を弾くとガルンが懐から最上級の羊皮紙で出来た巻物スクロールを取り出した。


「我が軍から月兎皇国へのを持ってきた。全員で見るのは面倒だ。そちらの人間に読ませよう」


 皇帝の後に付いていた武人らしき未だ腰に剣を佩く鎧姿の男がソレを受け取ってから皇帝の傍へと戻っていく。


 開かれた長い長いソレに目を通していいかと皇主へ確認してから、男が内容を引き出しながら一つ一つ正確に読み上げていく。


 始ってから3分間はその場の誰もが平静を保てていた。

 しかし、それが5分を超えた辺りから顔色が悪くなり。


 8分を超えた時点でその顔は青褪め、唇は震え、読む者すらも声に詰まり始めた。


 そうして、最後の一文が読み上げられる。


―――以上を持ってを要求するものである。


 さすがそれなりの地位を築いていただけある。


 声を張り上げる者も無ければ、その要求に無理のある笑いを浮かべる者も無かった。


「どうだ? 随分と控えめなだろ?」


 肩を竦めれば、もはや断固相手となるという覚悟の者達が複数剣を抜こうとしたが、皇主の片手を上げての制止に何とか自制したようだ。


「我が国そのものを租借……併合でも統一でも占領でも支配でもなく。租借したいと言うのだな?」


「そうだ。。無期限で」


「代価は……全ての貴族へのである、と」


「そうだ。大切だろう? 平等ってやつは」


 皇主の周囲の男達が難しい顔で顔を俯け考え込む。


 その脳裏には極めて現実的に突き付けられた要求の妥当性が目まぐるしく行き交っている事だろう。


「何故、従えと一言で済まさない。国家のあらゆる権利を借りるという言葉は服従とどう違うと言うのだ。魔王よ」


「何か勘違いしてるようだな」

「何?」


 わざとらしく溜息を吐く。


「此処に雁首揃えてるお前らはオレが此処に投降や降伏を勧告しに来たと思ってるのか? まさか」


「違うと言うのか?」


 男の瞳には名状し難い色が浮かぶ。


「此処にいる全ての者に問う。お前らはオレがこんな襤褸屑みたいになった国の再建なんて面倒事を進んでやるような善人に見えるのか?」


「何だと?」


「オレはな。此処に国を借りに来ただけだ。必要無くなったら、この国の適当な人物に返す予定を立ててる。それまでに今まで好き勝手やってきた貴族がざっと100人以上死刑判決が出て、数万人単位で投獄されるだろうが、そんなのはオレにとってどうでもいい事でしかない」


「―――貴族の命がどうでもいい、と?」


「ああ、そうだ。戦線の兵士一人分にすら劣るお前らの命なんぞに値段を付けてやる気は無いと言ってる」


 さすがに歯を剥き出しに怒り出しそうな者が数名。


「まだ、分かってない奴らがいるようだから、ハッキリさせておこうか。お前らは今、此処でオレに頭を下げて、どうぞ御救い下さいと嘆願する立場であって、オレに敵意なんて向けてる暇も無い犯罪者だ」


 声を上げようとした者達の歯を強制的に閉じさせる。


 いつもの見えない触手さんが首筋から浸透済みなのはこの場の誰にも分からないようだ。


「今、この場の状況をオレが特別に説明してやろう。では、最初の問題です。近衛を失った王城は今どのような状況でしょうか?」


 説明なのに何故問われるのか。


 それを暗に自分達で自覚しろというこちらの声に皇主が静かに答え始める。


「……無防備だと言いたいのか?」


「それだけで済むと思うのか? 今、魔王軍が攻めてきたと分かっている国民はさて近衛が敗れた事を知ったら、どうすると思う?」


「ッ―――王城の守りはッ?!」


 さすがに言いたい事が分かったのだろう皇主が尋ねるも、周囲の軍事に明るい者達は顔を背けた。


 唯一、巻物を読み上げていた男だけが呟く。

 城で戦える者は殆ど残っておりません、と。


「いいか? 近衛は負けたんだ。今まで王城を、皇帝を、貴族達を守ってきたが崩れたんだ……国民はどう思うのかくらい想像が付かないか? だとしたら、お前らには想像力が欠如してるとしか言いようが無い……今まで国民を散々に苛めてきたのは何処の何方なんだ?」


『―――ッ?!!』


 大仰に額に手を当てる。


「この報は国土全てに広げたオレの手の者にもう宣伝させてある。さぁ、大変だ。ああ、哀しい出来事が量産されてしまいそうだ。お前らの領地は、お前らの家族は、お前らの財産は、お前らの大切なものは果たして三日後まで残っているかな?」


「―――魔王よ。我々がそれで屈すると思うのか?」

「アンタはまだ分かってないようだな」


 後に視線を向けるとガルンが進み出る。


「1万3212。2万3234。3万395。12万1121。19万2122―――」


『何の数字だ!?』


 終に喚いた貴族に視線を向ける。


「何って、お前らの国の大切な数字だ。分かってるやつは……ああ、イナバ大公、だったか? お前は分かってそうだな」


「イナバよ。今の数字は?」


 皇主に訊ねられて、老人がようやく瞳を開けて歳の割りにはよく通る声で告げる。


「恐らくですが、この戦争が始ってから死んだ子供の数でしょう……堕胎と生後埋葬した人数も含めた……」


 その場に凍り付くような沈黙が落ちる。


「屈するとか。未だ、そういう次元の事を考えてるアンタは悪いが……今から街へ出たら、すぐに刺されて死ぬと断言しよう」


「?!!」


「食料供給の逼迫。母子への健康被害の放置。まぁ、言うまでも無いが、これはあくまで表側の数に過ぎない。自殺者は含んでないし、国が実際に把握してないだけで更に実態としては数倍に及ぶ可能性もある」


「……魔王、貴様は―――」


「数字が途中から跳ね上がってるよな? 何でだと思う? お前らが難民を半分以上放置したからだよ」


「それはッ?!!」


「それは? お前らにオレから言える事は多くないが、一応言ってやるとするなら、今後二度と一人になるなよ? 何処で誰に後から殺されるか。オレは神様じゃないから分からないんだ」


 集まる貴族の殆どがさすがに息を呑んだ。


「もうこの国はオレが何をしなくても瓦解する。それは決して変わらない。分裂して他国に吸収されるか。あるいは単純に消えてなくなるか。前者の場合は悲惨を極める。後者の場合は内部崩壊して各地が其々の疲弊して混乱した領土を抱えての乱世に突入だ」


 その在り様がまざまざと想像出来た者が数名身震いしてカタカタと机の上で音をさせた。


「さぁ、お前らはどっちがいい? 他国の人間に扱き使われて、子々孫々に『昔は我々の国があったんだよ』と言われるか。あるいは『あの国は元々オレ達のものなんだ』と互いに殺し合われるか。オレはどちらでもいいが、断言出来る事は今此処にいる貴族は恐らく廃滅。家名も血統も一つ残らず消えるって事だ」


 在り得ない、と反駁しようにも、最低限の歴史的知識が在れば、想像に難くないだろう“ありふれた可能性”は貴族の親玉達にも理解の範疇だろう。


「オレが手を下すまでもない。領地の者に全員殺されるだろう。魔王軍に抵抗する必要も無いぞ? オレは何処の領にも軍なんて送らないし、。こうしてお前らは悪どい経営してたから、一族郎党皆殺しにされましたとさ、と……数十年くらい語り継がれる吟遊詩人のネタにされるわけだ」


 そこでようやく恐怖に耐え切れなくなった諸侯の一人が思わず立ち上がって、こちらに唾を飛ばさんばかりに血走った目を向けた。


「我々は死なない!? 貴族は魔術と武芸の家系だぞ!!」


 それに賛同する声が半数。

 そうだそうだの大合唱。


 その自意識の肥大と増長して合理性を失った認識はまったくもって救いようが無い。


「ああ、そうか。じゃあ、オレも切り札とやらを出そうか。ガルン」


「イエス。マジェスティー」


 今までフード付きの皮製の貫頭衣がいとうに包まれていた身体がバッとその下を露として、背後に背負っていた細長い箱をこちらに差し出す。


 その如何にも日曜戦隊ヒーローものに出てくる悪の女幹部的な衣装の破廉恥さに固まる者多数。


 しかし、それよりも取り出された箱の蓋が開かれ、こちらの手に渡った代物を見て震える者達の方が多かっただろう。


「じゅ、銃だと!? まさか、月亀の!?」


 その誰かの声にやれやれと溜息一つ。


「月亀の技術力なんてオレの前には塵に同じ。だから、コレはオレが作ったもんだ。勿論、ウチの軍に持たせられるだけの数ある」


「そ、そんなものを幾ら軍に配備しようとも我々は決して―――」


 その貴族に視線を投げる。

 途端、ペタンと男が椅子に尻餅を付いた。


「何か勘違いしてるようだな。オレがいつ軍にこれを配備するなんて話をした?」


 皇主の前でアサルトライフルで小さな壁際の燭台を狙い撃つ。


 最初の一撃で空に。

 それを更に一撃して中空に。

 それをまた一撃して天井に。

 そして落下してきたソレを真正面から撃って砕き散らす。

 ヒッと声が上がった。


「どうだ? 中々のもんだろう? ちなみに魔術師が常用以外の防護魔術を展開するまで平均で凡そ8秒。弾丸装填済みのこいつを下げてる人間が目の前の相手を撃つのには平均4秒。連射性能は今見た通り。こいつの攻撃を受け切れる防護魔術はこの世界に323種類。その内の低レベルな魔術師が使える仕様の23種類はこの国にもあるが、常用で使える奴は国民総数中0.1%もいない。勿論、貴族はこの値が上がるだろう。が、1日中掛けていられる連中は国民総数中の何人なんだろうなぁ?」


 動こうとした護衛達は万力のような力を込めているつもりだろうが、微動だにせず。


 アサルトライフルをテーブルの上に滑らせて中央に見せ付けるよう置く。


「いい加減、覚悟を決めてくれないか。オレは此処にいる連中に最初から選択肢を与えてるつもりなんだが、誰もそれを選ぼうとしないってのはどういう了見なんだ?」


「何を……」


 皇主がさすがに喉を干上がらせたようで何とか、そう苦しげに呟く。


「だから、オレはお前らに死んでくれと言っている。この国の為に、この国の未来の為に、この国の子供の為に、この国を守った全ての兵士達の為に、お前らの命を行政と政府への信頼回復の生贄としてくれ。しっかりとした裁判で今までの悪行に対する常識的な判決として死刑宣告を受けてくれ。そう最初から言ってる」


――――――。


「……なら、もう一つは何だ!? 選択肢というからにまだ道はあるのだろう!!」


 声を張り上げた皇主にもはや先程までの威厳は無い。


「お前らの一族、家族、親族、友人、知人、お前らと知り合ったお前らの悪事の片棒を担いだ全ての人間と一緒に国民の手で殺されてくれ」


『            』


「オレはその為の国民支援を惜しまないぞ? 是非ともにその銃で殺されるといい。此処に来るまでに首都の8箇所でこの銃を可能な限り用意した」


「そんな大量の銃をどうやって持ち込むというのだ!? 嘘だ!? 陛下!? 騙されてはなりません!?」


 一人の貴族の声に肩を竦めて、城内付きの近衛達に見せたように魔術で別の場所のリアルタイム映像を写し出す。


「可能な限りと言ったはずだ。とりあえず、200用意した」


『?!!!?』


「お前らお抱えの商人達に聞いてみたらどうだ? 倉庫内を見た事ある奴だっているだろう? あの紋章、あの刻印、王家御用達だったような気もするなぁ?」


 彼らが見たのは首都各所にある大きな商会が保有する複数の倉庫内部。


 今も立ち働く商会関係者が巨大な体育館程もあるだろう場所で天井近くまで積み上げられた箱内部から銃を取り出しては次々にラックに立て掛けている様子はもはや悪夢だろう。


 誰も何も言わず。

 目を見開くだけだった。


「無論、まだ足りないから、オレが国民総数分地方にも用意しよう。なぁに感謝は不要だ」


 ガクガクと皇主とその側近達の身体が震え始める。


「武芸の家系だから何だ? 魔術が使えたから何だ? なら、そんなもん関係なく相手を即死させられる武器を国民にバラ撒けばいいだけだろ。さっきも言ったが、魔術で銃を永遠に防ぎ続けて暮らすか? それは赤子も老人も病人も怪我人も可能な事なのか? どれだけの武を磨いたか知らないが、それは国民総数がお前らを狩り出す為に使うであろう弾丸をどうにか出来る代物なのか? 一族郎党全て生まれてから死ぬまで戦い続けられると言うならやってみろよ」


 此処が責め時かといつものように姿を変える魔術を切った。


『?!!!?』


 それと同時に【モールド・ドロー】を発動。

 壁と床を一斉に銃や木箱へと変換。

 その燐光の荒れ狂う部屋の中。

 全てが収束した後にはテーブルも無く。

 武器の敷き詰められた道がある。

 それを歩き出しても、誰一人動ける者は無く。

 触手を使う必要すらなく。


 近付いてくる異貌を前にして、もはや皇主とやらはただ子供のようにこちらを見上げてくるのみ。


「さぁ、選べ―――死か殺戮か」


 へたり込んだ諸侯は半数。

 正気を保っている者はその更に半分。


 そして、最後に理性を保っていた者達の中に入るだろう皇主は―――その瞳を閉じた。


「祖国の為に死ぬか。大勢を犠牲にして更なる混沌の淵で死ぬか。選べと言うのだな……全てを滅ぼす者よ」


「ああ、そうだ。お前らが後者を選んだなら、この国の治安は貴様等貴族が消えた後に崩壊し、人々は互いに持つ者を憎み、銃を片手に隣人を殺して奪い合う永劫の闇へと堕ちていくだろう。前者を選んだなら、お前らと同じ罪を負う者達が全うな裁きを受けて、人々に無能だが責任を取った連中として歴史の教科書に載るだろう。貴族の名を飾りとしたくなければ、貴様等はその命と人生を持って今までやってきた事の全てを贖わなければならない」


 もはや、この段に到っては男と男の眼光が、ぶつかり合うのみ。


 皇の名を冠する者は魔王という虚像を前にして、まるで意地を張った子供のように真っ直ぐな視線でこちらを見た。


「―――ウィンズ卿に、後を託す……あの者……いや、新たなる統治者にそう伝えて欲しい」


「給わろう」


「い、嫌だ!? 嫌だ嫌だ嫌だ!? し、死にたく、死にたくないッ!? 死にた―――うあああ゛ああああああ゛あああぁあああ゛あ゛あ゛ああぁあああぁあ゛あぁ゛ああああぁ!!!?」


 その場にいた諸侯の一人。

 いや、数人が半狂乱となって、扉に向かって駆け出した。


 だが、一発の銃声と共に扉に手を掛けた者達の一人が打ち倒される。


 煙の上がった銃口。

 その引き金を引いていたのは……皇主だった。


「去る事は許さぬ。我が祖国をこの世から消し去る事……それだけは決して……それこそが我が血統に課せられた……唯一の……」


 倒れた男は足から血を流してもがく。


 それに畏れを為し、逃げ出そうとした者達がへたり込んだ。


 時に恒界こうかい暦13043年。

 一つの国家が借り受けられた日。

 王城には長らく使われる事もなく死蔵されていた白旗が翻り。


 首都の眼前に布陣していた近衛本隊は咽び泣く者達の声で溢れたとされる。


 こうして一つの時代は終り。

 新たな時代がやって来た。

 数日後、この日を人々はこう呼ぶ。


 月兎の落日。


 それは確かに魔王の何処まで続くかも分からない目標達成への第一歩であった、恐らくは……きっと。

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