第153話「虚悪の時」

 結婚式では何やかんやあった。

 何やかんやは何やかんやだ。

 脳裏にリピート再生して羞恥心で死ぬ理由も無い。

 とりあえず言える事は一つだけ。

 嫁(×一杯)が出来ました、という事だけだろう。

 それはいい。


 誓いの口付けとやらも……まぁ、とても感慨深く……致したし、諸々の式典漬けで合計37の会場を14回以上回りながら、花嫁共々馬車馬のように働いて一週間。


 幼女に『初夜はないのでござるか!! 初夜はないのでござるか!!』とうんざりする程に期待した瞳を向けられても、『あ、仕事だから』で何とか片付けたのだ。


 そうして、何とか全部終わって、クタクタになって疲れた身体を誰にも内緒で湯に漬け、ひっそりと上がってメイド達の目を逃れて自室に逃げ込み。


 体を投げ出せば、睡魔は十秒も罹らずに襲ってきた。

 現在、屋敷でまともに動けるのは金髪メイド達くらいだろう。


 館の住人と同様に式典漬けにされたリュティさんも疲れた様子だったので今頃お休み中なのはほぼ間違いない。


 結局、結婚式中、誰かが襲ってくるという事も無かった。


 籍は入れているが、公には成らないリュティさんや百合音などとは今後また身内だけで式を挙げる事にはなっているので問題ないだろう。


 本当の問題はただ一つ。

 今後の……明日以降の夜だ。


 大陸の常識的には普通……結婚したら、夜はのが一般的らしい。


 一応、イキオクレ結構という話はしたのだが、花嫁達の瞳はこちらが思わず引いてしまいそうな程に潤んでいて、疲れているはずなのにニコニコと寄り添ってくれるものだから、ちょっとした休憩時間に思わず手を出し掛けたという……自分が如何に意思の弱い男であるかが分かるような事件もあった。


 結局、何とか自制したものの。

 それで全てが解決したかと言えば、それはなく。


 あのフラムでさえも、こちらに優しげな笑みを浮かべてくれるようになり……本当に……自分は恵まれていると……何処か誰にも申し訳なくなった。


 今更な話ではある。

 だが、全員と日常を維持していく為に話し合う必要性はあるだろう。


 そうして箍を嵌めなければ、それこそこちらは健全な青少年なので欲望のままに爛れ切った生活にもなりかねない。


 百合音などは『いいでござるよ~爛れた生活は若い時にしか出来ぬ幸せな思い出になるでござるよ~』とチラチラと流し目を送っては誘惑してくるが、仕事もある。


 対ポ連戦が近付いている昨今。


 天海の階箸やアルカディアンズ関連で調整してやらねばならない事は山積みだ。


「はぁ……寝よう」


 思考の沼に沈み込んでいくと眠れなくなりそうなので、とりあえず宣言しつつ瞳を閉じ、意識を手放そうとすると。


 不意に被った毛布の下から何かがモゾモゾと入り込んできた。


「?!」


 思わず毛布を肌蹴ようとしたら、両腕が左右から柔らかな感触にガッチリと拘束される。


 どうやら……体と股に挟み込まれているらしく。

 フニフニと柔らかい感触に思わず赤面した。


「百合音か!?」


 こんな事をするのは奴しかいないとばかりに叫ぶと。

 更に今度は少し重めの柔らかな肌の感触が寝巻き越しに二つ。

 股の下から首元まで這い進んで来た。


「ちょ、誰だ?!」

「エミ……」


「ようやく一仕事終えたんだから、ちょっとくらい子作りに付き合いなさいよ」


「ブフォッ?!」


 思わず噴出すのも仕方ない。


 アンジュとクシャナが頬を染めて、全裸らしい体を擦り合わせるようにして毛布の中から胸板の上に顔を出した。


「ふふふ、某はエニシ殿が心地良く就寝出来るよう手伝いに来ただけでござるよ」


「うむうむ。ちょっと縁殿の両手を独り占めしていたら、他の誰かが胸板を占領してるだけでござるよ」


「なんつー言い訳だ……」


 思わず両手を全裸で占領しているに違いない毛布の中の魔物の言に呆然となる。


「エミ。アルカディアンズの男ノ娘は着床率は極めて高いので一度だけでも構わないんですよ? ふふ、それで時々……け、結婚式の時みたいに口付けしてくれるだけでも十分ですから、ですから……今から、一つに繋がりましょう? もう清めて来たんです」


 アンジュはまるで熱に浮かされたように頬を染めて、愛らしく上目遣いに顔を胸板に摺り寄せる。


「あ、あんたの子供を産んであげるって言ってるのよ!! こ、此処は何も言わずに抱き締めて……しちゃいなさいよ……それともやっぱり、男ノ娘じゃ嫌?」


 少しだけ睨むようにして、しかし……やはり頬を染めた様子で普通の女子相手なら圧勝するだけの女子的な容姿を全力活用した上目遣いで……クシャナまでそんな事を言ってくる。


「オ、オイ……お前ら、ちょっと何か体温が……っ、百合音何か盛ったか!?」


 そうすると毛布の中から何やらイチャイチャと指と指を絡めたり、太腿を腕に摺り寄せたり、抱き締めた腕を胸で抱いたりとヤリタイ放題な相手が口笛を吹き始める。


「何の事でござるかな~某は縁殿が御二人の相手に疲れた後、午睡みの中で受け入れてもらおうとかこれっぽっちも考えてないでござるよ?」


「うむうむ。大切なエニシ殿の疲れたナニを御疲れ様でしたと慰めて、ひっそり子作りしようとかこれっぽっちも考えてないでござるよ?」


「何か盛ったんだな……というか、何だその邪悪な計画は!? この間の話し合いの結果はどうしたんだよ!? イキオクレ結構で納得しただろ!?」


「ふ、エニシ殿……世の中にはこういう言葉もあるんでござるよ」

「うむうむ。それはそれ。これはこれ、でござる♪」


 と話している間にも股間にゴソゴソと完全に理性を失ったらしき男ノ娘達の魔手が伸びようとして、どうにか逃げ出そうとした時。


 ドタドタと廊下を走ってくる音と共に扉がドバンと開かれた。


「エ、エエエエ、エニシ!!? 今から一緒に寝るぞ!!? は、早く私をお前の寝台に入れろ!!?」


「な?!! フラム!!?」


 どうやら毛布がこんもりしまくっている事に気付かない程、気が動転した様子の家主様が何故か今まで絶対着ないとリュティさんと押し問答していたはずの透け透けのネグリジェ(本当に上半身はスケスケ)姿でこちらの寝台に走り寄って来た。


「お、お前まで何か盛られたのか!?」


「何の話だ!? それよりもいいから、さっさとその毛布のな、か、に……ッッ?!!?」


 ようやく気付いて言葉が止まったフラムがフルフルと震え始める。


「あ、フラム殿。エニシ殿の股間で良ければ、まだ空いてるでござるよ?」


 ヒクッと美少女の口元が引き攣る。


「ナニをしている? エニシ?」


「え、いや、オレのせいじゃないと切実に言い訳させてくれ!? 百合音が二人に何か盛って、オレの両腕を拘束してるんだよ!!?」


「うむ。肉の鎖でござるよ。羅丈の閨事の秘儀。その一つでござる」


「ふ、ふフ……わ、私が追い詰められている時に貴様は……貴様は女二人に男二人でお愉しみとはな……それが新婚の新妻に対する仕打ちか?」


「ほ、本当に待て!? 誤解だ!! オレは抵抗しようとしていたし、出来れば、お前ともそういう薬とか余計なのは無しで!!」


「―――ッ?!!」


 思わず言ってしまった途端。

 フラムの顔が真っ赤に染まった。


 そうして、何やらその顔を見上げていた男ノ娘達がススッと毛布を自分達の上から剥いで、左右に体を退かし、腹と胸の上にスペースを作る。


 正に大の字にされたこちらを見て、何やら葛藤していたような顔の美少女が跳んだ。


 寝台は家主の着地に軋みもしない。


 股を割るようにして首の横に両手を付いたフラムが四つん這いでこちらの瞳を真上から見下げる。


「……私のものになれ!! エニシ!! 私の夫なのだろう!! だったら、私に子供を孕ませろ!! 私を抱けッ!! 私はお前のものだ!! 私は―――フラム・オールイーストはお前と一つになるならッ、ど、どんな恥ずかしい姿を見せても構わないッ!!」


「―――フラム」


 顔を真っ赤にして、もはや常識やら良識やら倫理やらをかなぐり棄てた乙女の叫びは確かに堂々と軍人らしい声量で響き。


 開いていたドアの前で拍手が鳴る。


「良く言いましたね。フラム……それでこそオールイースト。堂々たる告白でしたよ」


 初めて聞く声に思わずそちらを見れば、何やらリュティさんを背後に従えた……フラムと同じ髪の色をした三十代程の女性。


 少なくとも貴婦人という言葉がしっくりと来る昇り龍が描かれた着物姿の美女がフラム似の顔……いや、フラムこそが似ているのだろう顔で微笑んでいた。


「ッ?!! お、おおおお、お母様!!? ふ、夫婦の部屋に勝手にやってくるのはマナー違反ですよ!?」


 やっぱりかと思わず美女を見やる。

 式典ではサナリは姉とオジサンが付き添い。

 パシフィカには皇帝を辞めた父親が寄り添い。

 アンジュとクシャナにはユースケといつものお付きの三人が来ていた。

 だが、何故か。

 娘の一大事だというのにフラムの父母の姿は見えず。

 何故か、叔母さん連中とやらが大量に沸いて出たのだ。


 今回の一件でカレーに使った材料はオールイースト家が集めてきたのだが、そのついで商売の話をしているとか何とか。


 フラムは何故か結婚式中も母親と父親が来ていない事に寂しそうな顔どころか心底ホッとしている様子で自分に話掛けてくる叔母さん連中を千切っては投げ千切っては投げと処理していたので諸々聞きそびれていたのだ。


「少し退いて頂けるかしら?」


 その美女の笑みに何やら寒気というか。

 凶悪な威圧感が漂っているせいだろう。


 男ノ娘達が発情も一瞬で醒めた様子で思わず寝台の横へオズオズと移動し、それでも頑固に縁殿の両手は自分のものですアピールをする百合音がチラリとそのフラムの母親というだけでヤバそうな相手にニコリとした後、自分の仕事?に戻って体を摺り寄せてくる。


 とりあえず、そのまま何とか起き上がって寝台に腰掛けるとズイッと近付いてきた美女は何やら般若も真っ青になりそうな笑顔をこちらの前に近付けて来た。


 ちなみにフラムは一歩室内に母親が入り込んできてからはもはや小動物みたいに怯えてこちらの影に隠れている。


「話に聞いていた通り、甲斐性の無さそうな顔をしているようね。婿殿は」


「甲斐性が無い顔って、どんな顔なのか尋ねてもいいですか? ええと」


「ガレット。ガレット・オールイーストよ」

「カシゲ・エニシです。何とお呼びするべきですか?」

「ふふ、お義母さんと呼んで頂戴な」

「……それで今日はフラムへ会いに?」


「ええ、この子は逃げるのだけは上手いものだから、疲れて油断してる時は狙わせてもらったの。ああ、あの人、フラムの父親の事だけど、あちらは今、貴方がブチ上げた新規経済圏構想に噛ませて貰うからって、南部のカレー帝国に出向いてるわ。一度くらい会っておいたらって言ったんだけど、もう一度調査して実物も見たからいいんですって」


「そう、ですか……」


「フラリと来る事もあるでしょう。その時、此処にいたら応対してあげてくれるかしら」


「分かりました。善処します」


「あの人とも一度話し合ったんだけれど、貴方のおかげで私共々、大陸の平均寿命が四十歳近く上がったから、孫の顔見せは二十歳まで待ちましょう。でも、それ以降は出来れば、十年で五人以上を所望よ。それまではあの叔母連中も黙らせておくから、安心しなさい」


「は、はぁ……」


 本当に何やらズバズバと言ってくる人だなぁという感想とは裏腹にその笑みは妖しい。


「後、貴方、一度死んでるそうだけど、相続の問題とかを面倒に思うなら、貴方の分はフラムの子供に全部分配するって事でいいかしら? もしそれで良ければ、後はこちらでしておくけれど」


「え、ええ、構いません」


「そう。じゃあ、後は他の第二夫人、第三夫人とかの処遇に付いてなのだけれど。この屋敷にこれからも住んでもらって構わないわ。増築したかったら、フラムの給料辺りで適当にやって頂戴。此処から数件先までは買収済みだから、好きな時期にリュテイッヒへ言ってくれればいいわ」


「分かりました……」


「今日はこれで帰らせてもらいましょう。夫婦の閨事に首を突っ込んで悪かったわね」


 再びスックと立った美女が今もこちらの背中で怯えた様子のフラムにスッと瞳を細める。


「フラム」

「は、はいいいいい!!? な、何でしょうか!!?」


 ビシッと敬礼しそうな様子で寝台上で直立した娘にニコリと笑みが零される。


「安心したわ。末永くお仕えしなさい。それと婿殿に迷惑を掛けてはいけませんよ。軍務で死ぬ事は許されなくなったと思いなさい」


「お、お母様……」


「並みの男では釣り合わない気性の貴女を愛してくれる。そんな相手は世の中に多くない。もし自らの安寧を望むなら早めに子供を儲けなさい」


「……いえ、お母様。こいつは……この男は……カシゲ・エニシは私にとって、最初で最後の夫となるでしょう。子供を儲ける義務がオールイースト家の血を引く者の勤めなら、私はこいつがいなくなっても、こいつとの子供を儲けられるよう我が身の限りに努めましょう」


「―――言うようになったわね。気合で子供が出来るわけじゃないでしょうに」


 その母親の苦笑に娘は胸に手を当てて、恐妻という渾名は間違いないだろう相手にしっかりとした瞳で告げる。


「失礼しました」


「いいわ。もし次に会う事があれば、その時は我が子を見せて頂戴な。しばらく、あの人と寿命が延びた記念に仕事がてら旅行でも行ってくるから」


「……良い旅を。お母様」

「ええ、じゃあね。私の愛しいフラム」


 まるで台風のように見送りは不要とメイド達に言って、昇り竜の夫人は通路の先へと躊躇無く消えていった。


「何て言うか……凄い人だな。お前の母さん……」

「何を言う。今日は物凄く機嫌が良かった方だぞ」

「そ、そうなのか?」


 緊張が抜けて横にペタリと座り込んだフラムが百合音をヒョイと掴むと後に投げて、人間1人を放ったとは思えないような弱々しさでススッとこちらに体を預けてくる。


「それで……いつ子供を儲けてくれるんだ? 私の旦那様は」

「……まだ、しばらく保留で」


 溜息一つ。


 しかし、それで治まるかと思ったら、不意打ち気味に唇が重なった。


「んっく?!」

「ん………」


 諸々感想は省くが、きっと少しだけ長い口付けだった。


「っ、ふぅ……いいだろう。だが、しっかりと私を愛してもらうぞ」

「それはまぁ、方法次第という事で……」


 何とかそう言い繕うと周囲からじ~~っという視線が複数突き刺さる。


「(縁殿はああ見えて、持続力は神なんでござるよ)」


「(うむうむ。エニシ殿はもしかして病気なんじゃないかというくらいに諸々お堅いんでござる)」


「(そうですか。エミがそんなに猛々しいなんて……これは上でもしっかりと慰めなければいけませんね!! クシャナッ)」


「(むぅ……あんまり得意じゃないんだけど、あいつの為だし、此処は残ってる禁断の聖典を開いて、閨事の勉強をすべきかも、ね)」


 ヒソヒソと話し合う男女が四人。


「ふふ、リュティッヒはおひいさまの元で新しい旦那様とも暮らせて幸せです。うぅ、涙は見せませんが、今度の式は愉しみしていますね。カシゲェニシ様♪」


 メイド長の視線も合わせるとこれからも気疲れしそうだと思った矢先。


 ノソノソと何やら寝巻き姿の少女達が騒ぎを聞き付けてやってきたらしく。


 枕片手に目をショボショボさせてドアの前に集合し始めた。


「カシゲェニシ殿。あ……こ、これからはだ、旦那様だろうか?」

「エニシ? 今日の夜くらいゆっくり寝かせて下さい。ん……」

「A24? 一緒にお休みするのよぉ………(スヤァ)」


 どうやらクランもサナリもパシフィカも起こされてまだ意識がハッキリしていないらしい。


「さぁさぁ、新婦の方々も混ざって下さい。カシゲェニシ様が今日は優しく寝床で静かに愛して下さるようですよ?」


「ちょ、リュティさん?!」


 メイド長が寝惚けた三人をこちらの寝台に誘導してくる。


 現在、オールイースト邸の個室で一つ前と違う事があるとすれば、それは寝台が大幅に広がって強化された事だろう。


 実に一室の半分を占めようかという巨大な天蓋付きのダブルキングサイズのベッドは余りにも広くて端を使っていたのだが、やろうと思えば、全員上がれてしまう代物だ。


「ささ、今日はこのリュティッヒも混ざりますので皆さんも一緒に愉しみましょう」


 こちらを見て「分かっていますよ。うふふふ」と微笑む妖しい笑顔は初めてオールイースト邸に来て、諸々トラウマを受けてしまった頃を彷彿とさせた。


「ちょ、ちょっと用を足してくるから、待っててくれ」


 何とかそう言い訳して残った百合音を腕からぶら下げるようにして全員を後にズルズルと引き摺りながらトイレへと向かう。


「エニシ殿。それは悪手では?」


「いいんだよ。オレの精神衛生的な面をケアするだけだ。後、さすがに用を足す場所まで付いてくるなよ?」


「むぅ。某はエニシ殿のナニが物凄くナニな様子になっていてもナニもしないでござるよ?」


「見られてるだけで十分、ナニをしてくれるという気持ちなわけだが……」


「しょうがないでござるなぁ。某も後で結婚式を挙げる手前、此処は新郎に良い子ぶりを見せ付けておく事としようか」


「ああ、そうしてくれ」


 ようやく手が離れた。

 百合音がほわほわとナニを妄想したものか。


 フルフルと身悶えているのを背にこれから全員を相手に耐え切れるだろうかと考える。


 それを考えるよりは堅実に賢者と化した方が手っ取り早い気がしたのでトイレの扉を開けようとドアノブに手を掛けた時。


 カシュンと軽い音がした。

 何の音だろうと振り返った瞬間。


「?」


 ナニを見ているのかまるで理解出来なかった。


 手拭くらい巻いて待っているかと思った相手の顔があるべき場所に無い。


 そして、窓が割れる音と同時に噴出す紅が周囲の絨毯を染めていく。


「ゆりね……?」


 幼い姿態がその頭部を失って崩れ落ちる。

 そうなった肉体の背後。

 何か見えないものが高速で跳躍した。

 それは姿を消した何かだ。

 銃声が一発。

 元来た場所から響き。

 体が勝手に動いた。

 元来た自分の部屋へと1秒もせずに到達した時。

 其処には―――静けさだけが広がっていた。

 何もかもを染めていく紅。


 一様に頭部を失った肉体がメイド達も含めて複数体……床に転がる。


 窓の外。


 何者かが見えざる何かが高速で跳躍していくのを背にこちらを見ていた。


 影。

 そう影だ。


 紅の燐光を纏う影が上空で響き渡る爆音に曝されながら、こちらに……顔を見せる。


「お前は……誰だ」


「オレはオレだ。花嫁は頂いた。精々、その力で体を生かしてやるんだな」


 ハッとした時にはもうその己の顔が燐光の中に消え失せる。


 爆発しそうな感情に蓋をして、肉体の機能を全開にする。


 まだ、ショック症状すら出ていない新鮮な肉体の首に蓋をするように触手を融合させ、維持する。


 そのままガラスを踏締めて庭先に出れば、天空に向けて黒い巨大な機影が膨大な推進力を生み出すエンジンから吐き出される火の粉と紅の燐光を噴出して、真っ直ぐロケットのように上昇していく。


 今にも追い掛けたい衝動に駆られた。

 だが、まずは自分に出来る事を最優先でするしかない。


 その合間にも機影は垂直に上昇していく最中、空気抵抗すら無視するように内部ハッチらしきものを開いて何かを受け入れていた。


 其処に……其処に全員いる事は間違いないと確信する。


『カシゲェニシ~~起きてますの~~ちょっと悪いんですけれど、あの黒猫から伝言があるんですのよ~』


 気安い様子で上がり込んでくる見知った声。

 これから何と言おう。

 何と説明すればいい。

 何も思い浮かばない。

 だが、それでも一つだけは確かだ。

 行くところだけは分かっていた。

 星すら見えぬ空は今や違う色に染まって。

 閉じられたはずのフィルムに空いた穴の先。

 煌々と地球のように青く碧く。

 黒い機影を迎え入れるかのように巨大な世界が、耀いていた。


―――これは選択を誤ったオレ、カシゲ・エニシが新婦達と綴るハネムーンの物語。


 ニートでチートでハーレムな何一つ守れなかった男の硝煙と劫火の復讐譚。


「お前を殺す………カシゲ・エニシ………」


 目標、地球周回軌道天体。


 それが行く手を阻むなら、もはや耀けるツキすらも―――砕いて墜とすに躊躇は無かった。

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