第152話「異説~終りの始り~」

―――最上層/補助動力炉区画。


『まずいね』

『ああ、まずいね』


「どうにかならないのか?」


 世の中の大半がごパンだ芋だと騒いでいる最中。


 現在進行形の危機を前にして何も出来ずに後退し続けるという時点でかなり手痛い状況である事は否めなかった。


 数百km以上の構造体内部を探査しながら進む事、数週間。


 まさか、あの途中で投げ出した“お面野郎”の本当の目的に辿り着いて一時間半。


 火気厳禁の区画内部で部隊の半数が再生すら許されずに消し炭。


 残る半数は極悪な超々カロリーな高蛋白の塊と水分を貪りながら、相手から受ける攻撃で炭化した肉体を削りつつ再生して何とか戦線を保っている。


 遥か下層に移住した【統合】は未だ事態に気付いていないだろう。

 相手の電子戦装備はほぼ世界最強。


 この莫大な処理能力を有する宇宙船というよりは【深雲】のネットワーク・ターミナル。


 いや、巨大なハブに近い機能を有したスパコンの塊を一時的とはいえ、完璧に欺瞞しているというのだから……恐れ入る。


『おっと!?』


 陸軍の人が長いフラクタル構造なメタリック通路の先から延びてきた白い光の筋に片腕を一瞬で炭化させられ、残った手のナイフで炭化部分をダイナミックに切り捨てつつ、血飛沫を上げて飛び退る。


 周辺施設に被害はまだ出ていないが、相手からしたらそれはもう建造出来ない遺跡を無傷で区画毎掌握したいというだけの話。


 通路一本を犠牲にしてもいいとこちらの能力を認めれば、丸ごと蒸発するのに時間は掛かるまい。


 仄かに遠方の曲がり角付近で紅の燐光が散る。


『厄介だね。昔も確かコレの小っちゃい版はあったかな? 工具を武器化とか。プラズマ・カッター? 射程が数十mって怖いなぁ』


『本当に僕等対策されまくり……いや、元々はもう1人の君用だったのかもね』


 こんな時だと言うのに陸軍の人と海軍の人は仄々と笑っている。


『まだ水もカロリー源もあるけれど、問題は相手側に補給してる隙が見えないってところだよね』


『専用の動力供給機材が無いと此処の区画からエネルギーは確保出来ないはず、と思ってたら、連射してくるし。そもそも、あの武器おかしくないかな? 僕等の細胞を炭化させる程の熱量が直撃してるのに固体を伝導する以外じゃ近くにいてもちょっと熱いくらい……物理現象的にはこの区画の内部が超高温のオーブンになってないとおかしいんだけど』


「お前等さっきから紅の燐光は見えてるか?」


『え? そうなの?』


『ああ、そういう事か。やだなぁ……僕等は至って健全で物理法則無視したりしてないのに……あっちはソレかぁ』


「どういう事だ?」


『【鳴かぬ鳩会】が終に本気って事さ。EUNの天才がようやく動き出した……此処は惜しいけれど、撤収準備に取り掛かった方が無難かな』


『彼らも副総帥の手痛い失敗に本腰って事だよ。黒鳩よりもマズイ事態って言ったら、分かるかい?』


「黒鳩より? アレよりマズイって何が来るんだよ?」


『ああ、もう1人の君が倒してた終末期型アルコーンを作ってた奴さ。奴が作ったアレの次の型番は最終世代って呼ばれてて、最下層で爆発四散してたやつが軽く玩具に見えるくらいヤバイものだったっけ……最終世代だけで期間は短いのにザッと2億人以上の犠牲者を積み上げたからね』


「二億……」


『EUNを見限って最後、委員会に付いたはいいけど、委員会が突如として衣替えしたもんだから、てんやわんや。そんな、割りを食ったあの時代最後の天才だ』


 天才って、と聞こうとした途端。

 通路がシンと静まり返った。


 今まで遠方からガチャガチャと数人の兵隊達が足音をさせていたはずなのだが、誰もが動かずにジッと待機しているらしく。


 その後に響く靴音に違和感を覚えた。


『やれやれ。僕等の新しい身体も短い人生だったね』

『先に逃げておいてくれるかな? 僕等が足止めしておくから』


「オイ?! 一体、何が来たんだ!?」


『彼女さ』

『そう、彼女が来たのさ』

『世界に平和を求める者』

『世界が平和であると知らぬ者』

『世界を平和にしたいと願った者の残骸』

『あるいは―――』


 陸軍の人の胴体が刹那、斜めにズレる。


「!?」


『容赦ないなぁ。どういう原理なのか解析する時間も無いときた。先に脱出しといてくれるかい?』


 ズレが途中から細胞の癒着と再生でミチミチと音を立てて止まった。


『後、合計で1分34秒は確実に止めておくから』


「クッ?! 此処に来てか!? ダメそうだと思ったら、さっさと戻って来いよ!!」


 得たいの知れない技術。


 対策無しにはどうしようもないかと背後の角から退路を確保している部隊の一部を引き連れて、脱出用ポッドのある外壁へと走り出す。


『ああ、君に運命の女神の加護あらん事を』

『ふふ、僕等も中々持った方だったかな?』


 何やら死亡フラグっぽい事を呟く2人に溜息が零れた。


―――今、歴史的な瞬間が訪れようとしています。


「?!」


 いきなり場違いな歓喜に溢れた歓声が通路全体に響き渡る。


―――カシゲェニシ・ド・オリーブ。


―――あの久方ぶりに歴史へと顕れた蒼き瞳の英雄が今正に結婚式を挙げているのです。


―――御相手の“方々”はご存知の方も多いでしょう。


―――そう、オルガン・ビーンズ皇帝の長女にしてオリーブ教の聖女パシフィカ・ド・オリーブ皇女殿下。


―――二人目はあの伝説の駆け落ちの末に結ばれたカレー帝国の元皇女グランメ・アウス・カレー殿下。


『これは……こんな時にラジオを聞いてるなんて随分と僕等も舐められたものだね』


『ああ、舐められまくりなのは仕方ないけど、せめて命の遣り取りしてる最中くらいは自重して欲しいよね』


 どうやら敵が流しているらしいラジオ放送から垂れ流されているのは現在幸せの絶頂にいるだろうもう1人の自分の結婚式。


 共和国のキャスターにハーレムエンドを世界的に曝されるという顔が引き攣りそうな事態に違いなかった。


―――三人目は共和国一部地域である旧塩砂騎士団領出身の元王族という血筋のお方で現在首都に料理人となるべく留学中である一般人サナリ・ナッツ様。


―――四人目は共和国軍のEEに名を連ね、一時は【統合】との戦いに身を投じた特殊部隊【アズール】に席を置き、現在は新設された第三軍である空軍の長を若干17歳にして総統閣下より拝命した軍内部でも評判の最鋭なる才女フラム・オールイースト総司令。


―――このお四方と先程共和国福祉省より正式な発表のあったイグゼリア・アルカディアンズの御二方、アンジュ氏族長とクシャナ氏族長の合同結婚式は正しく前代未聞と言えるでしょう。


―――大連邦発足後初となる会場使用の盛大な披露宴という事もあり、周辺各国の要人の方々が現在、花嫁の方々を前に長い列を作っています。


―――いやぁ~、本当にお美しい。


―――あの非常に破廉―――素晴らしい衣装はどうもアルカディアンズからの提供という事です。


―――あの衣服の美しさもさることながら、素材もまるで我々には分かりませんね。


―――ええ、家政省幹部の方によりますと現在大陸には無い新素材を用いており、縫い目が存在しないとか……それにしても年頃の女性がああも肌を露出しているというのは、ごほん……失礼しました。


―――ええと、今入って来た情報によりますと結婚式の前に披露宴にて花嫁6名による食事会が催されるとの事です。


―――ほほう?

―――ええ、更にな、何だって?!

―――どうかされたんですか?


『ぅ~ん。この物理法則ブッ千切った感じの強さ……久しぶり』


『本当にね。君がわざわざこんなところにまで来るなんて、組織がよっぽどガタガタなのかな?』


―――全員が同じ料理を食するという事ですッ。

―――そ、それは本当なんですか?!

―――ぞ、続報です!!


―――どうやら、六名の方々は総統閣下の進めていた全ての食材に耐性を持つ新人類創造、その計画で生み出された新薬の被検体になっているとの話が入ってまいりました!!


―――そ、それで全員同じ料理を食べられると!?


―――は、はい……軍発表ですが、前々から発表されていた新薬の開発は既に佳境に入っており、来週までに各地域での被検体選定と短期的な治験が開始されるそうです。


―――もうそこまで進んでいたんですねぇ。

―――我々、共和国公営ラジオ放送局の面々も驚いております!!

―――それで料理の内容に付いては?


―――それは披露宴が始ってからの開示になるとの事でカシゲェニシ・ド・オリーブ新郎から数分間の演説が行われる模様です。


『随分と長い付き合いだったけど、それもそろそろ御終いかな』

『鍵を見つけたんだろう?』


―――行列がどうやら途切れたようですね。


―――ああ、情報省より今から披露宴の食事会を繰り上げて行う旨の通達が届きました。


―――会場には今、各国の大臣クラスの方々が集まっております。


―――新しく届きました情報によりますと食事会に出される料理は一品のみとの事で名前は食事の開始と同時に発表されるとの話です。


―――事前情報と致しましては周辺各国から食材が多数集められており、現在知られているどんな料理も作れそうな品揃えとなっています。


―――でも、コレは……一体どんな料理が出てくるのでしょうか……。

―――香辛料とかもありますねぇ。

―――丸々のKOMEとMUGIの細粉?


―――他には肉と野菜類も……このじゃがいもというのはポテトの事でしょうか?


―――ま、まさか、ポテトまで輸入しているとは……放送局の一同も困惑しております。


―――ただでさえ、ポ連との事もありますし、敵性食材をというのは………。

―――あ、ただいま新しい情報が入って参りました。


―――どうやら、今回の調理を請け負ったのは花嫁であるフラム・オールイースト総司令の邸宅で料理長兼メイド長を勤めているリュティッヒ・ベルガモット氏という方との事です。


―――な、何だって!?

―――ど、どうかされましたか!!?

―――ベルガモットってッ、あの悪名高い食工―――。


『ああ、やっぱり。君、前より強くなってるじゃない。やだなぁ……』


『慣性を無理やり何も無いはずの空間で曲げていいのはロボや中二病能力戦闘だけって言うのが相場なんだけどなぁ』


―――放送が機材の故障で一部乱れ、途絶した事をお詫び申し上げます………現在、スタジオで突発的な事故が起こりまして……解説のブルーチーズ氏が救急搬送されていきました……突然の事ですが、代わりにブラック・チョコレート放送局部長を御招きしております。


―――代わりとなりましたブラック・チョコレートです……どうぞよろしく。


―――それで局部長はベルガモット氏との親交があると先程言っておられましたが、一体どのような方なのでしょうか?


―――そうですねぇ。


―――お話出来る事だけでよろしいので出来れば、お聞きしておきたいのですが。


―――我が国でも有数の料理人であり、恐らくは共和国内において唯一調味料と香辛料の全てを使い得る存在、という事だけは確かでしょうか。


―――そ、それはつまり……共和国料理のパイオニアの1人であるという事でしょうか?


―――はい……彼女の事は幼い時から知っていますが、料理人としてのセンスは極めて優秀で……彼女の本気の料理が食べられたなら、きっと私は悔いなく死ねるでしょう。


―――そ、それは凄いですねッ。


―――いえ、国家首脳陣の晩餐会に一時期は料理を提供していた事もあるくらいなのですから、腕は当然として……でも、どうにも……彼女は軍属として働いていた時の気質が抜けないらしく。


―――軍属をしていたのですか?


―――ええ……それで極めて優秀な成果を残したのですが、料理に手を抜けず……“隠し味”というものを使うのが常なのです。


『魔法少女って歳でも無いだろうに。僕らだから君に付き合えてるって事は理解してくれない?』


『人の体を無駄に金属へ変換するのは止めて欲しいなぁ』


―――隠し味、とは?


―――簡単に言えば、料理を最高のものにする為に欠かせない微量な食材の混入を言う料理人に旧くから伝わる隠語なのですが、それを食べられる人間がかなり少なく……本当に美味なのですが、その……まぁ、色々ありまして。


―――そ、そうですか……では、続きまして、おっと準備が既に出来たようです……花嫁の方々の再入場、お色直ししたようですが、おっとおおおお?!


『衣服を構成して変身とか。君ってアニメ好きだったっけ?』


『量子転写にもう大型機材が必要無くなったみたいだけど、君があれだけ手こずってたマスターマシンの乗っ取りは終わったって事かい?』



―――こ、これは、ちょ、ほ、放送していいんでしょうか……え、え~情報は厳密にお届けするようにとの事ですのでお伝えしますが、は、花嫁の方々の背中が大胆にで、臀部より少し上くらいま曝け出されております。


―――う、む、胸元もだ、大胆ですねぇ……というか、肩も腋も剥き出しでケープを羽織っただけなんですかねアレは……。


―――花嫁衣裳だそうですよ……白い華……いや、花束と言うべきでしょうか……実に美しい。


―――今、花嫁方が席に着かれました。

―――どうやら、料理が運ばれてきたようですよ。

―――銀製のお盆の上の覆いが解かれる時が待ち遠しいですね。


―――ええ、それにしても花婿であるカシゲェニシ・ド・オリーブ新郎の姿が……あ、今、壇上の花嫁方の後に新郎の姿が下からせり上がって参りました!!


『どうやら、此処までみたいだね』

『ああ、さすがにこれはしょうがないかな』


―――今、マイクスタンドを前に新郎からの合図が出されました!!

―――メイドの方々が料理の覆いを外していきます!!

―――あ、あれは?

―――アレは……カ、カレーです!!

―――今、料理が湯気を上げて花嫁方の前で露となりました!!

―――いや、待ってください!?

―――カ、カレーの上と下ッ……上と下を見て下さい!?

―――ああ?!! アレはまさか白い―――ご、ごはんです!!?

―――皆さん!? 大変な事が起こってしまいました!!?

―――今、信じられない事にカレーの下にごはんがッ!!? 

―――つまり、KOMEを水で炊いたものが敷かれておりますッ!!?

―――わ、分かりましたよ!!? あのカレーの上に乗っているのはカツレツだ!!?

―――カツレツとは何ですか!!?


―――一度だけ古文書で見た事があるのですが、カツレツとは肉をMUGIの細粉とパンを粒粉状にしたものを付けて、あ、油で揚げた料理の事です!!


―――な、何だってぇええぇええ!!?!


【今、この放送を聞く全ての方々に私の花嫁達が食する料理の名を此処で告げたい】


『ああ、最後くらい何か食べてくるんだったなぁ』

『またコンティニューからかぁ』


【メニューの名はカツカレーライス……私が愛して已まない数多くの料理の一つです】


『胃も無いのにお腹が空くってのも変な話だけどね』

『本当に……僕らも中々大したものだったね』

『ああ、大したものだったさ』


【この一品は主に三つの料理から成り立っています。一つはごはん。公国の主食であり、KOMEを水で研いで炊いた代物です。二つ目はカレー。言うまでも無く帝国の主食となっている煮込み料理です。そして、最後にカツレツ。これは肉にMUGIの粉を塗し、繋ぎとなる卵、パンを粉状にしたものを纏わせ、高温の油で揚げた代物です】


―――何という事でしょうか!!?


―――カシゲェニシ新郎が花嫁方に出した品は三つの異なる料理からなる多種類混合料理とでも言うべき、誰も見た事の無い新しい代物のようです!!


【私は常々思っていました。人々が食物を食べる時、食べ合わせを忌避する世界が本当に正しいものなのだろうかと。それは無論、食材耐性に裏打ちされた生死を別つ大切な分別にして常識であったでしょう。ですが、今、この大連邦は新たな時代へと向かいつつある。やがて、あらゆる食材を食べられる人々が生まれた時、彼らは父や母が言うからと一つの食材を別々に食べて育つのでしょうか? いいえ、それは全て料理として食べられるはずです】


―――こ、これは聞いた事がありますよ!!?

―――どういう事ですか!!? 局部長!!?


―――い、いえ、総統閣下の論文の一つに今と同じような下りが乗っていたのです。


―――そ、そうなのですか!?


―――はい……総統閣下曰く……やがて来るべき全食材耐性人類が満ちて発生すると言われる理想郷大陸時代……パン・ゲ-ア。


―――理想郷大陸時代パン・ゲーア?


―――ええ、それは多種類の食材を一つの料理として構築し、新たなる食文化が生まれる未来の大陸の事なのです……その中ではパンにあらゆる料理を載せて食べる構想やパンそのものを更にアレンジする古の料理やパンに何かしらの具材を混入して食べるという事も想定されていました。


―――という事は?!! この料理もまたその総統閣下の理想郷大陸時代パン・ゲーア論文を先取りして?


―――そうとしか思えません……まさか、我々が生きている時代にこのような事が起こるとは……今、私は感動で打ち震えています!!


―――で、ですが!!? あ、あれはごはんなんですよ!!? それにカレーを混ぜるだなんて!!? そ、その上、パンを使っているとはいえ、肉を主軸とした別料理まで載っているコレをた、食べるというんですか!!? カレーってあんな色なんですよ!?


―――シリアルさん……それが食べられるかどうか、美味いかどうかは―――食べてみなければ分からないッッ!!?


―――?!!!


【この料理はこの大陸の縮図。そして、耀ける未来への道標……人はやがて数多の食材に耐性を持つでしょう。その時、未来の人々にこの料理を思い出してもらいたいと願い。今日、この日のメニューとして出させて頂きました】


―――一体、どういう事なんでしょう?


―――分かりません……分かりませんが、この放送を聞く全ての方々には是非、清聴して頂きたい。


―――この歴史的日に出されたメニューが何であるのかは彼が……久方ぶりに現れた蒼き瞳の英雄がきっと語ってくれるでしょう。


【このカツカレーライスは様々な料理、食材から成っています。まずはライス、ごはんはただ炊くわけではなく。複数の調味料と香辛料を一緒に炊き込み。炊き上がった後にはバターと風味付けのニンニクを使って短時間で炒め上げた代物です】


―――い、今衝撃の事実が明かされました!!?

―――ご、ごはんを炊く段階で調味料と香辛料を混入?!!


―――バターとニンニクで風味付けしながら炒め上げるとは……一体、どんな発想をすれば、そんな事を考え付くのでしょうか!!?


【また、カレーには私の妻となったグランメ自らが調合した約34種類の香辛料とジビエ三国から取り寄せた肉を二種類、合い挽きして使っています。コクと旨みを引き出す為に大陸中に存在する根菜類と香味野菜を47種類集め。全て最も具合の良い量で配合し、煮え難いモノから順に香りを出しながら炒め、煮易いものは同じ大きさにカットしてから鍋に投入。此処に魚醤を初めとして肉と野菜の味を引き出す為に14種類の調味料を混合した調味液を投入し、味の濃さを塩砂海の最上級品の塩を使い調整。一晩低温で寝かせて味を一体にした後、煮蕩かした具材を濾して滑らかにし、飛んだ香りを再び香辛料で補強。最後に肉、ポテト、タマネギ、ニンジンを適度な大きさに切り揃えて炒め、ルーを入れて一煮立ちさせたものを先程のバターライスに掛けました】


―――(ゴクリ!!?)

―――(グビリ?!!)


【最も上に載せるカツレツは二種類の肉を薄く切って繊維を切断し、柔らかくしたものを何層にか重ね、同じ肉のゼラチン質、ジュレを固めたゼリーと共に冷凍し、固めた物をそのままMUGIの細粉と卵に付け、細かく挽いたパンの粉で丁寧に覆って、オリーブ油によって揚げ、中は肉汁と柔らかな肉の感触が楽しめるよう計らい、外側はカリリと揚がった衣によってサクサクとした食感となるよう仕上げました】


―――(ゴキュリ?!!)

―――(ッゴク!!?)


【本来ならば、全ての食材が其々の味を主張し合う事でバラバラでチグハグな料理となってしまうかもしれません。ですが、カレーという料理の包容力とそれを丹念に濾す事で全ての食材が一体となったソースは具材の持つ力強い味に負けず。また、ライスに混入された爽やかさと重厚さを両立させた配合香辛料が食材同士、料理同士の手を繋がせるのです】


―――私は、私はこんな料理がある事を知らない……知らなかった!!?


―――料理とはこれほどまでに官能的なものだったのですね……涙で前が見えません!!!


【ごはんのパラパラとした舌触り、ルーのサラリとした喉越しに肉と衣を噛んだ時のサクサク、ジュワァという食感。このような変化を加える事で舌に飽きを感じさせません。くどさはなく、濃厚さ、繊細さ、爽快さ、これら全ての要素を兼ね備えた料理……これは一重に私が最も信頼する料理人リュティッヒ・ベルガモットと私の愛する妻達の協力の下でしか無し得ない奇跡でしょう】


―――ああ、今、今!! カシゲェニシ新郎が自分の席へと向かって行きます!!?


【いつか、全ての人々が互いの口に自らの故郷の味を愉しませる日が来る事を私は望んでいます。これから戦争をするどんな国の人々にも言いたい。世界は最初から一つしかない。この世界を分かち合う料理があるように、それを追い求める人間が増えるなら、世界から争いは無くならずとも―――きっと、平和は……それが仮初であれ、長く長く人類が終りを迎えるその日まで続くことでしょう】


―――着席しました!! そして、これは何の儀式なのでしょうか? 手を、両手を合わせています!!


【この日、この時、全ての人々が己の食卓へ帰れる事を願って……この場の誰もに、この愛するべき妻達を育んでくれた全ての人々と世界に感謝を込めて……頂きます】


―――あああ?!! 今、スプーンが挿入されました!!


―――美しいッッ、う……っ……カツレツから流れ出た清き乙女の涙のような肉汁がルーを更に輝かせている!!!?


―――歴史的な瞬間です!! 歴史的な瞬間です!! 今、人類の歴史上、初めてとなるだろう料理の一口目がああ!!? 花嫁方の口元に―――う、うおおおおおおおおおお!!!?


―――花嫁方の目元には涙がッ!! 涙が伝っています!! 感動の食卓です!! これは正しく新たな世界の幕開けを意味する出来事となるでしょう!! 皆さん!! 時代は変わったのです!! 今、この時、このごパン大連邦の発足と共に!! 蒼き瞳の英雄とその花嫁方の食卓を前に変わったのです!! こ、此処でまだまだ新郎新婦の状況をお伝えしたいのは山々ですが、機材の限界という事で放送を終了しなければなりません!! ですが、皆さん!! 覚えていて下さい!! 我々は未来という名のあたらしい今を生きているのだという事を!! 未来は既にやってきたのだという事を!! ごパン大連邦発足調印式典後の一般合同結婚式の模様を連邦放送局よりお伝えしました!! では、またこのような素晴らしい日が来る事を願って!! 共に平和の合言葉を唱えましょう!! カツ・カレー・ライス!! カツ・カレー・ライス!!! カツ・カレー・ライス!!!! それでは、さようなら!!!


「あはは、ふ、ふふふ……」


 部隊の3分の2が脱落し、今や絶体絶命。


 救命ポットの出入り口を前にして放送の終了と共に笑いながら顕れた相手は……悪趣味極まりない存在のようで両手に持っていた首をこちらに投げて転がした。


「お前が……鳴かぬ鳩会の総帥か」


「茶番も極まれば、平和の合言葉、ですか……ああ、ああ、面白い……本当にあなたは面白いですね……エニシ……」


「―――まるでオレ達を知ってるようだな?」


「それはもう……知っていますとも……の事ですから」


「?!!」


「ですが、そろそろこの壮大な人形劇にも幕を下ろす時が来ました。お消えなさい……偽物」


「偽物、か……本当にそういう言い分の好きな輩が多くて困る」

「否定しないのですか?」


「否定したところで意味も無いだろう。だが、あんたにも此処で消えてもらおうか」


「……?」


 突如として、周囲に激震が奔る。


「これは―――」


「オレ達のいる区画をパージした!! さぁ、一緒に宇宙漂流の旅と洒落込もう」


「彼方も帰れなくなりますよ」

「死人が今更死人に戻ったところでどうなるって言うんだ?」


「……彼方もまたその選択を取る……これがエニシという存在なのだとすれば、私は泣けばいいのか。怒ればいいのか」


「どういう意味だ?」

「彼方が知る必要はありません。ですが、一つだけ訂正しておきましょう」


 女が片腕を壁に付いた瞬間。


 紅の燐光が空間を埋め尽くす勢いで発生し、渦を巻き、閃光となって体から溢れ出していく。


『死ぬのは彼方だけですよ。月に自分を連れて行って、なんて……そういう柄じゃないんです私』


 壁が捻じ曲がり、女の姿が変質していく。


 あらゆる分子が結合し、機械が肉体を象るように分厚く分厚く集積されていく。


 その様子はまるで生きた無機物が女に従っているようにも見えた。


「―――アルコーンか?!」


『月には彼方だけで行って下さい。感動の再会が待っていますよ』


 巨大な機械の腕が自分を構成した壁の外へと向かって融合するかのように沈み込んでいく。


『また、幾度機会が在れば、会いましょう……平和の敵、最後の鍵、終りの使者、私の愛した人……カシゲ・エニシ……


 機影が壁に沈んで消えた後。

 残されたのは歪んだ壁と通路のみ。


 そして、背後の機材を弄ってみるも、先程まではあった反応も無し。


「……宇宙葬か。随分高額で洒落た死に方になったな」


 此処から元の場所に帰る事は既に不可能。

 電波が例え届いても、迎えに来られる部隊は存在しない。


 どっかりと腰を下ろして、少しずつ薄暗くなっていく証明しかない天井を見上げる。


「幸せになれよ……」


 下がり始めた通路内の気温。

 何処からか空気も漏れ出しているかもしれない。

 少しずつ下がっていく気圧の中、呟く。


 自分が結婚するなんて、まったく考えもしなかった事が現実になる。


 それは少しだけ羨ましく。

 しかし、きっと、自分には手が届かない出来事なのだろう。

 目を閉じる。


 やがて来る絶対致死の世界が穏やかな死に際を演出しなくともいい。


 確かにやれる事はやってきたのだ。

 悔いはあれども、満足ではある。


「………母さんのカレー……もう一度、食べたかったな……」


 意識は霞む視界の中、あの日の食卓へと還っていった。


 三人で少し焦げたカレーに苦笑いした。


 何でもない日常の……でも、確かに幸せだったあの時間の最中へ。

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