第82話「台所の妖精さん」

 カレー帝国。


 の料理人が興した地域が後にそう呼ばれるようになる前。


 その初代皇帝となった男には二つの不思議があったという。


 一つは真夏にも真冬の寒空に置いておいたような完全に冷凍された食材を使っていた事。


 もう一つは政務と己の後宮にいる時以外は何処かに雲の如く消えてしまう事。


 だから、彼は当時の人々から雲隠れの方と呼ばれていた、らしい。


「歴代皇帝の中でも初代の陛下が纏めた試練と呼ばれる幾つかの問題を解決した方には昔から特別な地点の情報が開放されてきました。それが現在、この国の香料選定公家の一部に伝わる“皇帝の氷室”と呼ばれる実在の場所なのです」


 煙管だけを口に咥えて、僅かに落ち着いた様子となったファーンが重苦しくクランとジンジャーを前に告げる。


「そ、そうなのか? そのような話、一度も聞いた事は無いが……」


 皇女殿下が困惑した様子になるのも無理は無いだろう。


 たぶんは本当に極一部の皇族にすら普通は知らされない情報なのだろうから。


「これらは皇帝になった方にのみ開示される情報です。元々は香料選定公家の内の三つの家の当主に伝わる情報であり、我が家はまぁ……長い時の中で偶然情報を集め切ってしまった例外みたいなものでしょうか」


「それで? その皇帝の氷室とやらが今回、相手が強硬手段に出てきた理由なのか?」


「まず、間違いないでしょう」


 こちらに問いに頷きが返される。


 狭い船室の一つを借りて、事情を知るべきだと判断された三人への情報開示。


 これが何を意味するのか。

 分からないわけもない。


 机の上にあるスタンドからの光だけが部屋を照らしており、寝台に腰掛けたクランはいつになく真面目な顔の後見人に神妙な顔をしていた。


「現在の陛下。クラン様のお父上も試練に合格した者の一人であり、氷室に出入りしていると思われますが、その際の情報は極秘裏に処理されており、皇帝の最側近である三つの家によって固く秘されています。バジル家はそれを知っているからこそ、クラン様を襲ったのでしょう」


「ちょ、ちょっと待って欲しい!! わ、わたしは氷室とやらの場所は知らないぞ?!」


「本人がこう言ってるわけだが」


「……いえ、クラン様は確かに場所を知っておいでです。当方も一緒に見ましたから」


「い、いつの事だ?!」


「昔から陛下はよくクラン様を連れて遠出しておられました。また、クラン様も昔からよく遊び場にしていたはずです」


「遠出………まさか、父上が小さい頃からよく連れて行ってくれた洞窟の事か?」


「まず、間違いありません。クラン様はあの洞窟がとても寒い事をご存知のはずです」


 驚きに固まった皇女殿下が何か思案した様子となる。

 それを横目にジンジャーが自分の雇い主に視線を向けて訊ねた。


「詳細を存じているようですが、陛下から直接的に聞かれていたので?」


 首が横に振られる。


「秘密は絶対。それが恋人や妻や子供であろうと陛下がそう教える事はありません。ですが、陛下もクラン様の才は小さな頃からご承知でした。次の皇帝になるとしたら、クラン様であろうという事は内心で分かっていた。皇帝自身は自らの子の誰が帝位を継ぐかに意見は出せても決める立場には無い。ですが、もし次の皇帝にクラン様がなってしまった場合は必ず、試練を超えると思われていた節があります。故に幼い頃から時折連れて行っていた。それとなく教えずとも……」


「そうだったのか。父上はいつも笑っていたから……わたしはただ遊んでもらえるのが嬉しくて……そんな風に考えた事も無かった」


 クランが僅かに胸元へ手を当てて何か思い出でも思い出しているのか。


 静かに瞼を閉じた。


「で、その氷室ってのは一体何なんだ? 歴代皇帝の冷蔵庫。まさか、貴重なものが入ってるから、それが欲しいとか。そんな単純な理由で襲われたのか?」


 疑問を問えば、頷きが返る。


「その可能性があります」


「バジル家が求めてるのは何だ? 財宝か? それとも皇帝になる為に必要な品か?」


「いいえ……嘗て、陛下に尋ねた事があります。洞窟の奥には何があるのかと。その時の答えは……時間が眠っているというお言葉だけでした」


「時間が眠る?」


「はい。ただ、その後、クラン様の後見人となって色々と調べました。結果だけを言えば……たぶん、皇帝の氷室には我が国を動かし続けてきた多くの遺跡の力が眠っています」


「遺跡……また、遺跡か……はぁ……」

「どうしたのだ? 遺跡と聞いて、疲れた様子だが?」

「色々と縁があってな……」


「その歳で遺跡の話も分かるとは……ううむ。カシゲェニシ殿は学者の才もあるのか」


「こほん。悪いのですが、話を戻しても?」


 軽く咳払いしたファーンが脱線しそうな話題を強制的に元に戻す。


「あ、ああ、済まなかった。続けてくれ。ファーン」


「はい。それで調べた情報を端的に繋げますと……あの氷室には正に帝国の歴史そのものが詰まっていると考えられます。例えば、我が国の人口が一時期、食料生産を上回り、飢餓が不可避となった時代がありました。その当時の記録に寄れば、その時代の皇帝陛下が氷室に入ってすぐに流行り病が無差別に蔓延り多数の死者が出ました。そのおかげで我が国は食料に餓える民を出さずに時勢を乗り切ったと書物にはあります」


「?!」


 思わぬ言葉にクランの顔が強張る。


「他にも他国との重要な会談が数多くあった時代には今は失われた食材や香辛料が、氷室に当時の陛下が入って以降、いきなり国内で再発見されたとの記述。戦争が多かった時代には氷室が頻繁に使われていた事を示す情報と同時に国内で大量の民がいきなり自発的に徴兵を受け始めた記述など……とにかく奇跡でも起こったのかと思うような出来事ばかり。全て偶然ではありません。必ず時代時代の陛下が入って後に起こっている事が確認されました」


「そういう事を可能にする遺跡が氷室にはあるって言うのか?」


 こちらの問いに頷きが返る。


「ええ、間違いありません。氷室は国家の危機に国民を制御し、政治や戦争、生活に至るまで多大な影響を及ぼしていたと当方は考えます。複数の遺跡やその物品があるのか。あるいは純粋にそういう事を可能にするものを低温下で保管しているのか。それは分かりませんが、確実に多種多様な遺跡の力が眠っているはずです」


「……バジル家もそれに気付いたわけか?」


「当方はそう考えます。ただ、一つだけ言っておきたいのは全ての事象が国家と国民を存続させる為のものであり、歴代の陛下が自分の権力維持や私腹を肥やす為に氷室を運用していたわけではないという事です」


「どうしてそう言い切れる?」


「氷室を使う権利を得た歴代の方々は一様に聡明でしたが、時代時代の荒波の中、必ずしも幸せに死ねた方は多くありません。遺跡が奇跡のような力を発揮するならば、彼らも長生きして然るべき。いえ、それどころか。長い帝位を獲得していてもおかしくはないはず。しかし、実際には内紛で死んだ者、暗殺された者、戦乱の中で没した者、短命だった者、そういう方ばかりでした」


「人体に作用する力や直接的な武力として使える力が無かっただけなんじゃないのか?」


「……氷室を使用していた方々の周囲には偉人や英雄も多いのですが、今では神格化され過ぎて眉唾な力で敵と戦ったような旨が資料として残されている事もあります。その情報を信じるなら、彼らは時の陛下からの加護を授かった後、超人的な肉体を得たり、神掛かった働きで苦難を乗り越えたとある。それが本当ならば……自分に使わない方がおかしいでしょう」


 ファーンの言う事は最もだ。


 そう考えるなら、歴代の試練を超えた皇帝というのは正しく選ばれた者として遺跡の力を正しく使っていたのかもしれない。


「今の話が本当なら、この事を皇帝に直訴すれば、バジル家の陰謀は終わりなんじゃないのか?」


「……バジル家がもしも内紛を企てれば、我が国は窮地に陥る可能性があります」


「どうしてだ?」


「現在、バジル家が統括する国内香辛料の生産高は4割以上。それも彼らの直接管理する地域に重要な香辛料が算出する場所の大半が集中しています」


「供給が止まったらどうなる?」


「カレーは香辛料と果実、肉を入れて作るもの。後は自分の耐性食材を入れてというのが基本ですが、香辛料を抜いた肉と果実だけの煮込み料理だけで過ごせと言われれば、国家規模の暴動になりかねません。また、バジル家を適当な理由で潰そうとしても、フォーク・ダイナーは香辛料流通の一大拠点であり、他の物資に付いても同様。正に国家の動脈を握られているに等しい。もし仮にお取り潰しを強行すれば、我が国は数年間抵抗勢力によって荒れるのは確実。他国から見れば、無防備な大国という垂涎の的となるはずです。今も各地域閥の力は大きい……独立の気運が高まれば……国土全域が戦乱に巻き込まれ、ハヤシ族領のようになってしまうかもしれません」


「つまり、皇帝は動けないわけか」


「首都にいる陛下への直訴にしても他の香料選定公家が邪魔してくる可能性があります。バジル家は彼らにとって大人しく利益を産んでくれていればいい鶏のようなもの。それを締め上げて成り代わるのはリスクが高過ぎて、何処も乗ってこない……我がカルダモン家がバジル家に潰されても不利益を蒙る家はありませんから、秘密裏にバジル家へ軽い支援をして余計に事態が切迫する可能性すらあります」


 今までの話にジンジャーは政治の面倒臭さに辟易した様子で沈黙し、クランは顔を力なく俯かせていた。


「いっそ、他国に逃げるか亡命するって手は?」


「それは真っ先に考えました。考えましたが……国の秘密を握り過ぎたカルダモン家を外に出そうと思う者はいないでしょう。それは陛下も同様のはずです。もし、今回の話を聞き付けたなら、陛下はまず当方が亡命する事を真っ先に阻止する為、国境を固めるでしょう」


「この船なら、安全に脱出出来るぞ?」

「この状況下で我が国に戦争をさせたくなどありません」

「そこまでしてアンタの口を封じたいと?」


「当方の家はこれでも初代陛下から続く名門。情報を全て他国に流せば、我が国は弱体化どころか。最終的には消え去る可能性すらある。軍事、政治、経済、全てにおいて許容出来ないリスクでしょう」


「………じゃあ、クランだけを亡命させるってのは?」

「それは絶対にダメだッ!!」


 思わず大声で否定したクランに視線を向けると。

 ハッとした様子で小さくなった。


「済まない……でも、そんな事をしたら……お母様の故郷は……」


 ジンジャーがそういう事かと理解した様子で不憫そうな視線を俯くクランに向ける。


「ハヤシ族領が更に荒れる、か……」


「裏切り者の皇女と喧伝されれば、出身地での各派閥の無礼な振る舞いは更に酷くなるはず……想像くらいは貴方にも出来るはずですが……」


「はぁ……八方塞に近いな」

「完全にどうしようもないと考えるべきではないと?」


 僅かに拳を握ったファーンがこちらを見つめて来る。


「一応、三つくらい解決策が思い付いた」


 こちらの言葉に思わずと言った様子で顔を上げ、クランとジンジャーが目を丸くする。


「カシゲェニシ殿。一体それはどのような……」

「さすがに今の話を聞いていたのかと疑いたくなるが……」


 二人の話は最もだが、考えれば考える程、脳裏での解決策以外に対処法は無いように思えた。


「解決策は三つ。一つ、オレ達が死んだ事にする。二つ、クランが今すぐ皇帝になる。三つ、遺跡に押し入って、バジル家よりも先に遺跡を手に入れる、だ」


 ファーンが真面目な顔で腕を組んで考え込む。


「それは今の状況において確かに解決策になるでしょうが、それを行う為の手段が足りていません」


「いいや、少なくとも一つ目と三つ目だけならすぐにでも可能だ。オレ達の働き次第だがな」


「自信満々ですが、死んだ事にするとはどうするつもりですか?」


「バジル家に死んだと確信させて、第三者がその事実に付いて知っている状況を作ればいい。これはもう同じような事しただろ。無論、リスクは伴うし、本当に死ぬ可能性だってあるがな。三つ目は単純にこの飛行船の行き先を洞窟とやらにするってだけだ。そこから先、バジル家に気付かれる前に遺跡が掌握出来れば、現在の皇帝に対してバジル家へのお取り潰し以外の強攻策を取らせられる。政治的な動機を作ってやるわけだ。勿論、身の安全を確保する為に適当な方法を考えて、少なくともクランは皇帝になるのを諦め、国外に留学みたいな繋がりのある形で出て行く事になるだろうが……」


「中々良い案です。三つ目なら、多少の芽はあるでしょうか……ネックとなるのは遺跡が我々の手に余るものであった場合、そもそも干渉出来なかった場合の事ですが」


「待て!! ファーン!!? もしそうしたとしても、お前は国外に出られないのだぞ!? 国を脅すような事をして無事でいられる保証は?!」


「当方の事は抜きにしてもよいのです。問題はクラン様の身の安全の確保の仕方であって……合法的に国外へ出国し、表向き留学という形にしてというのは悪くありません。カレー帝国とある程度の繋がりがあり、政治的に転ばない国が受け入れてくれれば、もし当方が殺された場合も遺跡を担保にして留学し続ける事は可能でしょう。帰還するよう祖国から勧告される事になっても国家が匿ってくれるなら、クラン様に非は無く。ハヤシ族領にも迷惑は掛からないはず……」


 己の事を全て抜きにして自分の事を考えてくれる美女に少女は僅かに瞳を潤ませた。


 雫は零されなかったが、確かにグッと唇を横一文字に引き結ぶ姿は気丈で……提案しておきながら、僅かに胸が痛む。


「当方は現在の状況なら三つ目を支持します。詳細を詰める必要はあるでしょうが、可能な限りクラン様を―――」


 後見人と皇女。

 二人が見つめ合い。

 自分達の進むべき道を模索していた時だった。

 大きな振動が室内に走り、揺れた。


 咄嗟にジンジャーがクランの背中を捕まえて壁にぶつかり、こちらもファーンの手を引っ張って抱くようにして床に倒れ込む。


「何だ?!」


 ジンジャーが船室の外に目を向けたが明かりなどはそちらに見えない。


(船室が傾いてる? 事故? いや、教団の技術でその可能性は低い。なら、人為的な原因を疑うべきだ……だが、この航空で攻撃を仕掛けてくるなんて在り得るのか?)


 何とか起き上がろうと床に手を付いた時。


 船内放送が部屋の上に備え付けられていたスピーカーらしいものから流れる。


『現在、右舷三番区画に敵の侵入を確認。各隊員はマニュアルDEに従い、隣接区画に集合せよ。繰り返す。右舷三番区画に敵の侵入を確認―――』


「敵だと?! この空飛ぶ場所に何が仕掛けてきたというんだ?!」


 ジンジャーの驚きは全うな話だ。


 この世界における航空戦力というのは基本的に第二次大戦よりも前の時代で止まっているのだ。


 辛うじて複葉機や爆撃機が飛んでいるが、基本的な技術はジェットエンジンなんてものとは程遠い。


 飛行船のような船体をガスで浮かせるタイプだからこそ、上空に滞空していられるわけで。


 この船に乗り込んでくるとすれば、敵は余程……航空機に関する技術や知識を持った存在という事になる。


『アザカです。エニシさん』


「ッ」


 艦内放送に割り込んだらしいアザカの声が突如として響く。


『大変申し訳ないのですが、やられました。この船は三十分後には墜ちます。現在、高度を落としていますが、不時着するには船内へ浸入した敵の排除が必須です。現在、第三区画周囲に隊員が集まっていますが、食い止め切れておらず。このままだと船首の操舵室を占拠されて詰みます』


「オイ?!」


『今回、色々と貴方に貸しを作ろうかと思っていたのですが、諦めておきましょう。貴方とて、皆さんを此処で墜落死させたくはないはずだ。今、貴方用の武器を持たせた兵をそちらへ向かわせています。もし戦うという選択肢を取ってくれるなら、こちらは倉庫内の守りを固め、飛行船からの脱出に全力を傾けます』


「それ選択肢って言わないだろ?!! いい加減にしろ!? 銃はどうした!! 銃は!?」


 思わず喚くと。

 苦笑が返ってきた。


 それでようやく船室にはスピーカーだけではなくマイクも仕込まれていたのだと気付く。


『ガスが漏れている可能性があり、周辺区画で不用意に銃を使うと爆発する危険性があります。また、あちらは防弾性の装備に制圧用装備を無力化するマスクを使用しているとの事で、防衛部隊が苦戦中です。此処で最も近接格闘能力が高いのは貴方だ。“神の枝”を使った者は基礎的なスキルとして格闘能力が高くなっているはず……貴方になら使えるはずだ。失われた技術で鍛造された刃……カタナすらも』


(失われた技術?! 刀って……あの大正ロマン野郎が使ってたような日本刀の類か……)


 どうやらこの世界において侍の象徴もまたロスト・テクノロジー、オーバー・テクノロジーの一種らしい。


 聞いている傍から通路を走ってくる足音。


「生きて帰ったら訴えてやる!! 敵の数と能力を言え!!」


『敵は一人。先程言った装備と近接用武装を使用しています。亜流の枝による教育を受けており、たぶん近接戦闘能力だけで言えば、現在大陸の最上位。このうどん号の幅広な通路が禍した形です』


「今何処だ!! 能力で負ける以上、ある程度広い場所で障害物が無いと話にならないぞ!!」


『現在、船首への最短ルートを部隊が後退しながら誘導中で、ラウンジ前に休憩所がありますから、其処で食い止めて頂ければ』


 アザカの言葉が終わったと同時に船室の扉が開かれ、防衛部隊の男が息を切らせて、こちらに一本の朱塗りの鞘に収まった日本刀と蒼い外套を差し出してくる。


「全員、倉庫の方に行っててくれ。後で追う」

「ま、待て!? カシゲェニシ殿!? た、戦いに行くのか!?」


 クランが思わず止めるような勢いでこちらに手を伸ばそうとするが、ファーンに止められた。


「殿下。彼の行為を無碍にしてはいけません」

「ッ」

「オレも付いていこうか?」


 ジンジャーが立ち上がって聞いてくるが首を横に振る。


「連携して戦える程、器用じゃないし、経験も浅いオレとじゃ今の話を聞く限り、まず勝てないだろ。ファーンとクランに付いていてくれ。脱出中に新手が襲ってこないとも限らない。護衛を頼む」


「……分かった。月並みな言葉で悪いが死ぬなよ。貴公には借りもある」


「生憎と遺跡の力のせいでしぶとさだけは害虫並みだし、こんなところで死ぬのは勘弁だ。必ず追い付くさ」


 ジンジャーが頷くとクランを立たせていたファーンに視線を送り、共に左右から護衛するようにして少女を中心に部屋から出て行く。


 振り返ろうとするクランの背中にとりあえず声だけは掛けておいた。


「後で一緒にカレーでも食べよう。だから、先に脱出して、用意しておいてくれ」


「―――分かった!! 死ぬでないぞ!! ちゃんと用意しておくらから、だから!!」


 そのまま小走りに駆けていく三人を見送って、黙って待っている兵から蒼い外套。


 たぶんはEE……あの美少女が毎日着込んでいる必需品のマイナーチェンジ版だろうソレを受け取って羽織り、刀をベルト通し用のズボンの穴に差し込んで具合を確認する。


 長さは無いが取り回しが良さそうなソレからカタナを引き抜くと濡れたような耀きの刃が室内の明滅し始めた電灯を照り返す。


(簡単に引き抜ける。ついでに使い方が分かる……今までの遺跡が勝手に人の記憶に干渉する機能でも持ってたのか。あるいは……枝の一件の時、何かが……)


 未だ殺されそうになった時以降の記憶は戻っていない。


 しかし、肉体が変わっていく事や人を殺したのに精神的に安定している事から考えて、随分と影響を受けているのは確実なはずだ。


 このまま、自分が自分ではなくなるというのも十分に考えられる。


 漫画みたいな話だが、そういうのが分かっているだけ幸せなのかもしれない。


(何処までオレでいられるのか知らないが、それでも今は感謝するか……何も出来ずに死んでいくよりはずっといいはずだと……そう信じて……)


 その波打つ刃紋も美しい業物と一目で感じられる刃を鞘に戻して通路から船首側へと走り出す。


 すると、外套の襟元から声が耳に響いた。


『今から誘導します』


「ああ」


 走り始めてすぐに隔壁が降りた通路を迂回する形となる。


 次々に言われた通りに曲がっていくとラウンジ前まで一分もせずに付いた。


 そこから隊員達の退避してくる通路を進むと言われた通り、休憩室らしい一室に辿り着いた。


 其処だけはまだ電灯が付いていたが、そこから先の通路にはもう電源が通っていないらしく。


 コツコツという音だけが響いてくる。


 周囲の足元には椅子やバリケートとして詰まれた机が燦爛しており、刃で戦うには不向きだろう。


 命からがらと言った様子で逃げていた防衛部隊の男達の肉体はあちこちが斬られて欠けさせていた。


 敵は何処かのアニメや漫画張りに近接攻撃型な前衛なのだろう。


 背後で通路のシャッターが閉められている事に不安こそ感じなかったが、性根の悪そうな教団幹部が何を考えているのかはすぐに分かった。


『その外套は防刃、防弾、防電、防熱、防冷の優れもので、懐に左右十本ずつ投げられる大きさの鉄杭が装備されています。また、こちらで操作すれば、襟元に仕込んだ薬剤を投入する事で一定時間の集中力強化、記憶力強化、興奮作用、現在大陸に存在する複数種類の毒に対する解毒も可能です。後、心肺停止時用の強心剤も入っているのでご心配なく』


「その説明を聞いて、心配しない馬鹿がいたら、オレは脱帽する」


『敵は隔壁をシステムに侵入して開けるタイプの電算用端末を持っている模様。それさえ破壊出来れば、下がってくれても問題ありません。ちなみに装備はよく切れるカッター式のブレードで根元から飛び出てくるそうです。切れ味が落ちると折って新しく変えるとか何とか』


「何人死んだ?」


『八人程……ちなみに貴方と殿下を襲った“彼”と同じ組織の同輩ですよ。まさか、此処に高高度の気球から空挺降下で取り付いてくるとは……いや、まったく人間止めてますね。落下の軌道計算はともかく。レーダーを掻い潜る為に軌道の微調整を機材じゃなく生身でやったなんて信じられます?』


 アザカの皮肉げな言葉には心底、信じられないというニュアンスが含まれていたが、平気で初対面の相手に「死んでも止めろ」と仲間の安全で脅してくる辺り、その図々し過ぎる信じられなさはどっこいどっこいだ。


 コツコツと足音を響かせてやってきた相手の姿が通路の暗がりから現れる。


「?!」


 思わず目を疑ったのはしょうがないはずだ。

 絶対、普通な容姿の相手ではないだろうと思っていた。


 だが、漫画やアニメみたいな黒くて恰好良いマスクやスーツ姿の相手を連想していた所に現れたのは―――。


「貴様がコード名【A24《エー・ニジュウ・ヨン》】……東部の遺跡を荒らし回っている【旧世界者プリカッサー】か……教団に加担しているとの情報はどうやら本当のようだな!! ならば、我らブラウニー・バンドの糧となれ!!!」


 フリフリのドレス。

 ヒラヒラした短いスカート。

 背中から伸びた可愛い半透明の飾り翅。


 全体的に桜色で淡い白と合わせた幼児になら大好評そうな……鼠の国ならいるに違いない妖精さん張りの恰好。


 その全ての布地を大胸筋と腹筋―――とにかく筋と名の付く全ての部位がミチミチと音を立ててパッツパツに膨張させる。


「ヌゥフウウウウン……」


 片手に持たれた太刀程もある長さのカッターのようなブレードの柄が握力に軋み。


 反対側の手の甲に据え付けられた篭手にも見えるタッチパネル式スマホっぽい端末が下の肌の盛り上がりによって撓み。


 戦闘態勢に入った事が見て取れた。


(ははは、オレの頭がおかしくなったのか。この世界がおかしかったのか。どっちも検証しなきゃな)


 白髪の混じった短い金髪。

 何処かのベトナム帰り兵士みたいな顔。

 ピンク色のハートマークをV字に加工したようなグラサン。

 ヘルメットというよりはド派手な神輿を思わせるゴテゴテした兜。


 首筋から口元までを覆う何処かの人造人間みたいな金属製の開閉式マスクが閉まり。


 眼光が燃えるような決意を露とする。

 全ての要素を合わせれば、事態はシンプルに一言だ。

 変態がいる。

 目の前には変態がいる。


 どう見ても可愛い妖精さん(比喩表現)に女装した微妙なSFチック装備の中高年HENTAI外人がいる。


(世の中、どうなってんだコレッッッ?!!!!!)


 諸々……別の意味で凶悪そうなおっさんが何か騎士っぽい仕草でブレードをこちらに向けていた。


「うっ?!」


 思わず吐きそうになったのも束の間。

 襟元からはこんな呟きが聞こえてくる。


『彼らは……料理人(の手伝いをする妖精)を自称する旧世界者プリカッサー達が率いる派閥……【妖精円卓ブラウニー・バンド】……まぁ、所謂いわゆる


―――頭のイカレた姿のHENTAI集団です、と。


「“神の氷室”の鍵は必ず殺すッ!! サブマシン起動による惨劇はッッ、あの絶望の繰り返しだけはッッッ!! 必ず阻止させてもらうッッッッ!!?」


 どうやら、夢世界にはまだまだ自分の知らない深淵ボケが水溜りのような気軽さで道端に転がっているらしい。


「フンヌァアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!」


 ツッコミどころ不明の正義の味方っぽい事をのたまう変態が刃を大上段から振り下ろす。


 男が目前のバリケートを紙くずのように左右へ斬って吹き飛ばし、破砕した時。


 戦いは始まった。

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