第29話「お茶に一摘みの幸福を」

 昼が近ければ、大体はリュティさんが幾つもあるキッチンのどれかにいる。

 そこでお茶を入れて貰えばいいだろう。


 そうして、広い屋敷を歩いていくとすぐに聞きなれた声がキッチンから聞こえてくる。


『料理とはです!!』


「かけおちです!!」


『科学的に、計算された、お薬の如き、調味過程です』


「科学的に、計算された、お薬の如き、調味過程です!!」


『我々料理人は死そのものを扱っている!! 故にこそ!! その職責は決して軽くは無い!!』


「はい!!」


『その時の気象条件、調理室内の気温や湿度、また全ての調理器具の温度や衛生には細心の注意を払ってください』


「はい!!」


『料理はレシピ通りに作る事が第一義。それを少しでも逸脱すれば、料理としては食べられても味も質も落ちてしまう。まずは全てをレシピ通りに。これが料理の基本です』


「はい!!」


『ですが、耐性が低い者が行おうとすれば、殆どはレシピ通りには作れない。基本的には顔を覆うマスクや全身を覆う防護服で行うものですが、やはり火加減や食材の微妙な変化を見るには地肌や直接の目視が必須という事もあります。故に我々料理人は例え自らの耐性無き食材が目前にあろうとも決して目を背けてはならない。身体を壊す危険を犯しても、器官を失うかもしれない恐怖に耐えながら、その食材と向き合う事が大事なのです』


「はい!!」


『では、まず目玉焼きを作ってみましょう。貴女、たまごへの耐性は?』


「完全耐性です!!」


『よろしい!! では、当官の調理を見ていて下さい。ちなみに最初に料理をお出しする時はレシピ通りで構いませんが、同じ料理を同じ方に出す事があれば、その時は好みによってアレンジを加えるのも料理人の仕事の一つです』


「はい!!」


『その方が柔らかいものが欲しいか。堅いものが欲しいか。温度は? 匂いは? 味付けは? それらは料理を食する方をよく観察しながら決めます。例えば、高齢の方ならば塩分を控えめに。でも、塩辛いモノが好きならば、塩味が少なくともしっかりと感じられるような工夫を。そのような具合です』


「はい!!」


『調理技術は磨けば、後からでも付いてきますが、アレンジを加える為の人間観察技術は振舞う料理の数、人数、経験からしか出来ません。ですから、料理を食べて下さる方は万金よりも貴重であり、しっかりとお仕えする事を忘れずにいて下さい』


「はい!!」


『では、さっそ―――』


「………」


『これはこれはカシゲェニシ様。あ、お茶でしょうか?』


 キッチンで完全防備姿。


 ガスマスクに肌を一切出さないメイド服を着込んだリュティさんが同じ姿の相手に教練?的なものを施していた。


 料理はさしすせそだろという無粋なツッコミは心の中に仕舞っておく。


「百合音も飲めるやつで頼みます。それで……料理の指南ですか?」


「あ、はい。先日、軍の方から一人頼まれまして。これでも一応は軍籍がありますので」


「え……」


 思わず固まってしまう。


 目の前の巨乳というか爆乳なるメイドさんが制度上の軍人である、というのは限りなく意味不明だ。


「料理人は第一種危険物取り扱い許可証と軍発行の公正証書。それと複数人の政府高官から推薦が無いと認められないもので。一応、中尉相当の民間軍事協力者という形になっていまして」


 もはや何処から突っ込んでいいのか分からなかったので適当に相槌を打つ。


「あ、これでも昔は研究職だったんですよ。一時期、軍の【食工兵しょっこうへい】の武装とかにも関わっていたので」


「そう、ですか……」


 食物が劇薬や毒薬に等しい世界において、それが武器になるというのは頷ける話だ。


 “しょっこうへい”というのがどういうものは知らないが、MUGIとかKOMEとか使って敵を倒すのだとすれば、毒ガス的扱いの食物由来物質を兵器として使う兵科だろうと推測出来た。


 さっそく新しい部下に対して待つよう命じたメイド中尉がイソイソとお茶を入れ始める。


「………」


 それをジッと見つめているガスマスク姿の部下がこちらを振り返った。


「………」


 全てを語って聞かせる事も可能だろう。

 だが、それを望まない人間がいて、それで不幸になる人間がいる。

 全て闇の中へと消えていくのが最も平穏だろう事は想像に難くない。


「また、豆のスープでも作ってくれ」

「!!」


 その言葉にマスクの内側からコクリと頷きが返っただけで十分だ。

 少なくともまだ少女の命と物語は途切れていない。

 まだ、先へ進めるのならば、未来に何が待っているのか、分かりはしないのだ。

 過去にIFは無い。

 しかし、未来にはまだ可能性が残されている。


(これで良かったのか……たぶん、答えは出ないんだろうな……)


 少しだけ心苦しくなって、楽しそうにお茶を入れるリュティさんの方を向くと。


『子供達は何のお咎めも無く、無事に親元へ帰りました……私にはもう帰る場所もありませんが、アルムの……兄の分まで戦い続けます。今度は自分の人生と……』


 そんな言葉が後ろから聞こえた。


 殆どの状況をよくよく考えれば、今回の事件は共和国が画策した塩の国のペロリストをダシに使った塩貿易の権利取り上げと大規模徴兵計画だったのかもしれない。


 小規模な他国の介入やペロリスト達への圧力の増加。

 近衛師団の迅速な展開。

 全てはその伏線。


 塩の化身の力というイレギュラーさえ無ければ、きっとペロリスト達は一網打尽にされて今頃は全員が共和国の内部統制と国力強化の糧にされていただろう。


 だが、そんな胡散臭い状況の中でも少女は生き延び、子供達は生き延び、ペロリスト達もまた微かな希望を見出した。


 それは共和国側からすれば、鼻で笑ってしまうような些細な変化にしか過ぎないだろう。


 それでも思う。


 目の前にいる少女達の戦いが、今までの抗いが無ければ、此処まで辿り着かなかっただろうと。


「……知ってるか」

「?」

「料理が上手い女は嫁の貰い手に困らないそうだ。何処かの本に書いてあった」

「?!」

「自分の幸せが見付かるまで、幾らだって戦うといいさ。ただ」

「ただ?」


「もし、弱音を吐きたくなったら、いつでも言うといい。少なくとも此処に知り合いが一人いるんだからな」


 リュティさんがようやくお茶を入れ終わった様子でこちらにやってくる。


「カシゲェニシ様!! このリュティッヒ!! 新作のお茶を入れてみましたのでどうぞお試し下さい!! 自信作です!!」


 相変わらずな様子のメイドさんに頷いて。

 カートに用意されたお茶請けに目を奪われつつ、部屋に歩き出す。

 すると、微かに背後から声が掛かった。

 ただ一言。


―――はい、と。


「あ、そう言えば、カシゲェニシ様にはまだお伝えしておりませんでしたが、この子は通いで料理の勉強をする事になってるんです。さ、挨拶をして。この方はカシゲェニシ様……将来、このオールイースト家の主となるだろうお方です」


 ガスマスクが外される。

 その下から現れた瞳は穏やかな色を宿し、僅か口元を緩めた少女の笑みがあった。


……サナリ、サナリ・ナッツと申します。どうぞお見知り置きを」


 誰もが摂らなければ死に至るもの。

 それはまた摂りすぎても死に至るもの。


 だから、用量はいつだとて大事だ。


 今、目の前にいる彼女と出会った時よりも少しだけ分かり合えそうに感じるのは……間違いなく。


 己の感情あじを少しずつでも素直に表現出来るようになったからだろうと思えた。


「リュティさんに料理習ったら、味見させてくれ」

「まぁ!! カシゲェニシ様は本当に食いしん坊さんですね? ふふ♪」

「はい。畏まりました」


『何故、私には文才が無いのだぁあああああああああああああああああああああ!!!?』


 突如として響いた屋敷の奥からの悲鳴に肩を竦めつつ。


 穏やかな日差しの中、和やかなお茶会が始まる。


 それはきっと楽しい一時ひとときとなるに違いなかった。

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