調味料大戦~オリーブの枝~

第30話「油とマッサージ」

ごパン戦争~オリーブの枝~


―――パン共和国首都ファースト・ブレッド東部アフス邸。


『パンにバターを塗っていいのは初等部までだよね~。きゃはは♪』


『ホントにね。今年はオイル協定諸国から入ってるオリーブ油がトレンドなのにね。クスクス♪』


『やだ、あの方、パンにハムなんか乗せてるわよ。フフ♪』


 一言で言い表すには面倒臭い衆人環視。

 社交界と聞けば、一般的にはダンスと立食形式のパーティーと浮かぶのが普通だろう。

 無論、パン共和国でもそのドレスコードというか。

 様式美は変わらない。


 煌びやかで品の良い衣装を身に纏った年頃の女性達は華と持て囃され、それをエスコートするのは無駄に歯が白くイケメンな貴公子か……もしくは齢を重ねた紳士ジェントリ


 まぁ、それでも廃り流行はあるようで。

 パンに何を塗るかだけで怖ろしい苛めに合ったりもする、らしい。


「………」


 不満顔で金糸の刺繍が施された全身を覆う白いドレスに身を包み。


 その軽やかに舞うフリルや白いシルク製の手袋や踵の高いヒールに顔を顰めた美少女が一人。


 良い意味で完全に社交場で浮いているフラム・オールイーストが親の仇でも齧るようにパンを咀嚼し、絶対的な眼光で噂していた自分と同年代の少女達を睨み付けた。


『?!!?』


 その戦場で鍛え抜かれたEEとしての鋭き殺気の篭った瞳に良いところのお嬢様が耐えられるはずもなく。


 一瞬、ブルッと全身を震わせた彼女達は唇を戦慄かせながらフラフラ死にそうな顔で逃げ出していく。


 中には腰や足に力が入らず。

 ヘナヘナと男性陣に寄り掛かったり、助けられる輩まで出る始末。


 それにフンと軽蔑の眼差しを送って、再びフラムは不味そうにパンへ薄いハムを乗せて噛み砕く。


 片手にあるワイングラスにはご丁寧に透明なスパークリングな葡萄ジュースが入っていたが、あまり進んでいる様子は無かった。


「なぁ、そんなにマズイなら食べなくていいんじゃないか?」


「フン。これも社交界の習いだ。出された食べ物は全て参加者の体質に合わせて置かれている。一口も食さずに帰ったら、逆に面倒事だ」


 いつもの軍服に外套姿とは打って変わった姿。

 だが、それとは裏腹にフラムの言動は常と同じ。

 いや、それより悪いかもしれなかった。


 飴色の木製の壁、美しい古風アンティークなパーティー会場にはシャンデリアが光を落とし、壁際には家紋というのだろうか。


 何やら複数の紋章が真上から下りる厚手の布地の中に顕わとされている。


 部屋端から流れてくる演奏家達の管弦楽の調べが穏やかに流れていても、落ち着かない心地になるのは出席者の門地故か。


 その場にいる数十人の男女は全員が全員、このパン共和国の中でも商人や軍人の家計、旧来の統治者層に連なる裕福な者ばかりらしい。


 フォーマルな姿で談笑している様子は一見して楽しそうにも見えるのだが、どちらかと言えば、作り笑顔の方が多い。


 先程の少女達はそういう意味でなら、社交界初心者な例外か。


 フラムよりかなり劣る容姿で頭が弱そうな彼女達にとって、フラムは滅多に出てこないオールイースト家のご令嬢というカモだったようなのだが……その立場は逆だったらしい。


 当人を知っているらしき相手はフラムを一見しただけでその近くに近寄らないようさり気無く避けて、視線を合わせようともしない。


 相手はEE。


 それも戦場帰りで火薬と硝煙の匂いに満面の笑みを浮かべる総統閣下の狂信者。


 ついでに近衛の中でも実質的に国内ナンバーツーの実力者である巨女ベアトリックスの子飼いである。


 そんな輩とあっては余計な揉め事を起こしてどうかなるかは分かり切ったようなものだ。


 哀れ。


 そんな事は露程も知らなかったのだろうお嬢様達は会場からフラフラと退場していった。


「随分と人気者だな」

「殴るぞ」


 傍に寄って、誰からも死角になるよう腹を軽く小突いた暴力系軍人少女にやってから言うなよとのツッコミは入れない事とした。


 唯でさえ、いつも不機嫌な顔でいる事が多いのに本日はその苛立ち四割増し。

 それというのも全ては社交界への出席のせい。

 母親や父親からの命令というか。

 お願いに晒されて仕方なくというのが実情らしい。


 『こんなヒラヒラしたドレスが着れるか!?』


 とリュティさんにキレていたのは此処一週間の話だ。


 前々から渋々出席はしていたようなのだが、その度に美少女ぶりをやっかまれて、同性からは嫌われ、男性からはオールイーストの家名とEEという怖ろしい肩書きにビビられ、ロクに社交的な付き合いは無かったとの事。


 リュティさんの口から出る苦労性な美少女話は尽きる事が無かった。


 どうせ踊れもしないし、社交的でもないゲーマーはエスコートを任されたが、そんな事はまったく出来ないし、する気も無かったので、黙々と出された軽食を食しているわけだ。


 ちなみに料理の周囲には事細かく複数の食材の名前が料理事に列挙されている。

 こちらにしてみれば、簡素なものだ。


 が、普通の人間ならば4つも完全耐性があったら自慢の種、10個合ったら優秀な人材、20個合ったら尊敬の対象、30個存在したとしたら、もう出世コース間違い無しのエリートという具合に耐性食材の個数で人生がピンキリに分かれる社会において、それらを食べられるというのは上流階級のかなり重要なステータスに違いなかった。


 ぶっちゃけて言えば、リュティさんが毎日のようにニコニコしながら出してくれる料理に比べたら、不満の残るものばかりだ。


 パンはさすがにシッカリとした作りなのだが、甘みが無かったり、香りが飛んでいたり。

 他の食材に関してもハムならば塩気が多過ぎるし、バターならコクに乏しい。

 それでも葡萄ジュースは割りと美味しいので二杯は飲んだものの。

 そもそも炭酸が然して好きではないので、もう十分。

 野菜は萎びてこそいないが張りに乏しく。

 クラッカーの類は妙に固い。


 乗っている具も……肉、野菜、魚、乳製品類と豊富ではあるのだが……何と言うか雑な味だった。


 敢えて例えるなら、三流の食材を男料理にして載せたような、と言うべきか。

 下拵えが間違っているのか不十分なのか。


 毎日、美味しい食事を出してくれる巨乳なメイドさんにはつくづく感謝するべきなのが分かる良い機会に違いなかった。


「おい」

「?」

「そろそろ、その食い意地を治めろ。見られているぞ」


 フラムに言われて周囲を見回してみるとこちらを見てから慌てて視線を逸らす紳士淑女が多数。


 評論家気取りではないが、料理をとりあえず全品制覇したのはさすがにマズかったらしい。


 確かにこちらから視線を逸らした男女共に額へ汗が浮かんでいる。


「とりあえず明日の朝にリュティさんの料理で口直しだな」


 それに呆れた視線が返った。


「はぁ……リュティの料理を毎日食ってるから自覚に乏しいのかもしれないが、あんなのは貴様だから食えるのであって、普通は死ぬ。此処に並んだ料理に使われた食材は見た限り68種類。オールイースト家の名前が無ければ、今頃何処かの家の手の者に誘拐されているからな?」


「軍が身柄を守ってくれてるんじゃないのか?」


「それとて絶対ではない。後、外で食べる時は貴様も気を付けろ。特に私のいないところで無駄に食事をするのは控えるのだな」


「はいはい」

「くっ、もう一発いくぞ!?」

「それは勘弁だ。それでもう帰っていいのか?」

「今日の主賓がまだ来てない。来ないかもしれないが、後2時間はこのままだ」

「まだ、二時間もあるのか……」


 外は既に夜。

 まだ7時台とはいえ。

 このまま面倒な社交場で好奇の視線に晒されているのも億劫。

 と、言う事でバルコニーの先。

 立派な左右対称な庭園へ出てみる事にした。

 フラムを誘ってみるものの。

 主賓が来た時にいないと問題になると辞退される。


 本日は常に邪悪な笑みを浮かべる美幼女も同伴していないので好きに羽を伸ばしていいだろう。


 庭は立派だが、数分も見れば十分。

 しかし、首都とはいえ。


 まだ、完全に電気インフラが普及し切っていない世界の夜空は穏やかな月明かりに照らし出されていて、見ていて飽きる事も無かった。


 少し会場から離れた場所に設置されていたベンチで横になるとやはり……月は奇妙なベルトを巻かれたように見える。


 今までは見えなかった。

 しかし、塩の国から戻ってからは見えている。

 月は確かにただの月ではない。

 塩の化身の力と呼ばれていた現代よりもSF風味な装置の実体。

 単語だけならば現在の知識を繋げれば、分かってしまう程度のものだ。

 だが、それにしても、死んでも蘇るらしい身体といい。

 常人には見えないらしい月が見える目といい。

 自分の知らない内に何かが変化しているのは間違いない。


(夢なら何でも有りって片付けてもいいが……それにしても二度死ぬのはなぁ)


 二度ある事は三度ある、かもしれない。


 ついでに軍の研究者に注目されているらしい様子がフラムの言動からも垣間見えるので、近頃は真面目に考える事も多くなった。


(とにかく、君子危うきに近寄らずってスタンスがいいか)


 二回も狙撃で殺されたのだ。

 これ以上はさすがに勘弁して欲しい。


「?」


 カサリと耳が音を捉えて、庭の一部に視線を向けると。

 ギョッとした様子の人影が何やらオロオロしていた。


「嘘?! 見付かっちゃったの!?!」


 その言葉を聞いた時点で何も知らないフリをしたくなったのだが、人影は月明かりの下でズンズンこちらに寄ってくるとその瞳でギロッとこちらを睨んだ。


 妖しい。

 怪しい。

 明らかに不審者だ。


 最大の理由は純粋に相手が瞳から下の顔を仮面らしきもので覆っていたからだ。

 普通、目元を覆うものだろうに何故目元から下なのか。

 ただ、すぐソレが年頃の少女だと気付いた。

 声が幼く、背丈も小さい。

 その上、目元がパッチリ二重な挙句。


 髪は膝までありそうな長髪で柔らかそうな赤毛、頭の上には愛らしくもピョインとアホ毛……いや、癖っ毛が飛び出している。


 華奢な身体は邪悪な美幼女よりは健全に見えるが、それにしても声の感じからして、年齢よりも幼く感じる。


 褐色のローブを身に纏った少女は顔こそあまり見えないが、美しいというよりも可愛いが当て嵌まる系統な容姿だろう。


「見付かってしまったからには仕方ないわ。あなた、口を噤んで静かにするの!!」

「………」

「そう、答えはNOなの?」

「いや、噤めって言ったのそっちだろ?!」


 思わずツッコミを入れると少女がこちらを睨んで来る。


「今から大声上げたり、助けを求めたら……」

「求めたら?」


 クックックッと少女が悪い笑み、のようなものを浮かべる。


 人の生死に関わるペロリストの邪悪な笑みや美少女だけどナッチーなEEで狂信者全開なイってしまった笑みを浮かべる事も多い相手が日常の隣人なので、その顔は奇妙な程に愛らしく思えた。


「今から、あなたをオイルマッサージするわ!!」

「オ、オイルマッサージ……?!」


 怖ろしく危険な単語だった。

 著しく公序良俗を侵犯しそうな勢いで少女の目は本気と書いてマジだ。


 相手はガチなのだろうが、自分より年下のように見える少女からオイルマッサージされるとしたら、かなり犯罪チックなのは間違いない。


「恐怖で声も出ないのね!! でも、本気よ? あなたが大人しくしないなら、今からあなたは酷い苦しみを味わう事になるわ!!」


 懐から取り出した小瓶からヌルッとしたものを僅かに手へ垂らして、クチャクチャと伸ばした少女はその手をこちらに見せ付けてくる。


(あぁ、もしこの夢をアニメ化したらカットされるシーンなのですね分かります)


 片手を卑猥にワキワキさせる少女の目は確実に危うい。

 何処かの倫理的な委員会に電話や抗議されそうなくらいに危うい。


「じゃあ、黙ってるから、ほっといてくれ」

「そんな事言って!! 本当はすぐに人を呼ぶ気なんでしょ!? この良識人!!」

「それは罵倒されてるのか?」


 少女が怪しい……と言う目でこっちを疑ってくる。


 それは立場が逆なのではと思わないでも無かったが、面倒事は無しとさっき思ったばかりだ。


「何もしないし、何も言わないから、ゆっくり寝かせてくれ。まだ二時間もあるらしいからな」


「二時間? はッ?! まさか、あなた!? このパーティーの出席者なの?!」

「一応」


「そんな?! 目元が髪で隠れてる怪しい人が出てるとか!? このパーティー開いた人、頭悪いの?!」


「ああ、うん。まぁ……色々と言いたい事はあるが、料理は微妙だったぞ」


「料理も微妙?! やっぱり、パンの国は粗暴なのね!! そんな場所でお茶なんかしたくないわ!!」


 身震いする少女が会場となる立派な三階建ての館を睨んだ。


「お前も参加者なのか?」


「お前? やっぱり粗暴ね!! レディに対する常識も無いなんて……何て可哀想な蛮族なの……」


(野蛮人、面白、色情魔と来て、今度は粗暴で常識の無い可哀想な蛮族か……この夢世界の少女には言語矯正が必要だと切に思う……)


「まぁ、騒がないなら、見逃してあげるわ!!」

「見逃すのはこっちな気が……」

「このあたしを誰だと思ってるの!!」

「誰なんだ?」

「あたしは聖油に選ばれし、崇高にして孤高、至高にして最高の存在!!」

「高じ過ぎだろ……」


 ツッコミはまったく聞き入れられなかったらしく。

 陶酔した瞳で自己愛極まっていそうな少女がヒロインっぽく月を仰いだ。


「パシフィカ・ド・オリーブよ!!」

「じゃあ、パシフィカ。とりあえず、何もしないから寝かせてくれ」

「な?! あたしを呼び捨てなの?!」


 少女が思わず驚きながら喚いた。


「だって、年下だろうし。別に敬う必要性に迫られてもないからな」


「な、なんて、事、なの……この名前を聞いてもまったく動じない人間がいるなんて……良識はあると思ったけれど、本当は基礎的な常識すら無いの? まさか、こんなにもパンの国の民心や良知は荒んでいると言うの? うぅ、あたし知らなかったわ?! あなたみたいな本当に憐れむべき下層民が存在するだなんて……世界って広くて残酷なのね!!」


 何やら本気で憐れみの視線がこちらにビシビシと降り注ぐ。

 良いところのお嬢様なのだろう。


 先程、フラムを苛めようとして墓穴を掘っていた少女達と然して変わりないというか。


 それよりかなり悪化。

 いや、悪質な常識に囚われているようだ。

 別に子供を正すのは親の責任であって、自分の責任ではないのでいいのだが。

 かなり、灰汁が強いパシフィカは本当に涙目となっていた。


「うぅ、ごめんなさい。可哀想な人……あなたは何も悪くないの。悪いのはきっとこの国だから!! だから、待っててね。あなたみたいな可哀想な下層民がちゃんと普通にまともな人間となれるよう、お父様にこの国を変えてもらうから!!」


「ああ、勝手にしろ」


 もはや付き合い切れない。

 げんなりした気分で瞳を閉じる。


「そう言えば、下層民にも名前ってあるの?」

「縁だ」


「えーにし? A24エーニシ? まさか?! 番号なの?! あなたの名前番号だったりするの!? こんな!? ああ、我らが女神よ!! この粗暴なパンの国の人々は!!」


 もう完全に自分の世界観に入ったらしい少女は号泣しそうな勢いだ。


「……あたしは、パシフィカは決めたわ!! オリーブの枝に連なる巫女として!! きっと、あなたみたいな人を助けてあげる!!」


「それはどうも……だが、そういうのはあんまり人前で言うなよ? 引かれるからな」


「もしかして?! そんなに可哀想なのにあなた!? あたしの心配してくれてるの!? あぁ、女神よ……この粗暴な下層民A24エーニシに祝福を……」


「終いにはキレるぞ」


 もはや聞いていない様子で少女はこちらから遠ざかって何処かへと消えていく。


 それからの二時間。


 静かにベンチで過ごしたのだが、パーティーにフラムが待っていた相手は来る事も無く。


 社交場はお開きになり。


 二人で馬車に乗って戻ると既に深夜。


 結局、風呂に入る暇も無く襲ってきた眠気にそのまま床へと潜り込んだのだった。

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