第16話「美味しいスフレを召し上がれ」
城砦正面にある塹壕の迷宮。
その左右には工兵部隊らしき姿も見える。
誰もが必死に塹壕の一部を土嚢で埋めていた。
近くの河川から水を引き込む場所が爆破されたのだろう。
左側の塹壕の果てから波濤が押し寄せてくるのが見えた。
『右翼の十二番!! 十四番!! 十六番!! 水が塹壕に満ちると同時に操縦士は塹壕E-32地点に機体を投棄!! 十一番に拾ってもらえ!! 化け物が見えてきたぞ!! 公国の人間には構うな!! 我が共和国の勝利は揺るがない!!』
『縁殿!!! 後、もう少しでござるよ!!』
憎み合うべき相対する陣営に在る二人の声。
だが、今は共にどちらもが頼もしい響きを宿している。
「後、ちょっとだ!!」
壁を越えた巨大な松明と化した肉の樹が這いながら誘導する百合音達に突き進む。
どうやら既に弾は切れたらしく。
持っていた小物を投げ付けているらしい。
しかし、そんな事をしなくても怒りというものがソレにあったとすれば、もう進路は揺るがないだろう。
そして、共和国の工兵達が土嚢で塞き止めた塹壕の1地点が水で満ちていく。
ほぼ同時にフラムの指揮で操縦者の脱出した機体が水を塞き止めるように塹壕へ突入した。
『工兵全隊!!! 全ての物資を水没した塹壕に投入!! 即時撤退!!!』
塹壕を埋めていた兵達が水の中に背中へ背負っていたリュックを次々に放り投げて走り退避していく。
百人以上が一斉に投げた代物は竹槍の中に入っていた白い粉と同じもの。
それが塹壕の中の水に溶けた。
『後、四秒!!!』
百合音の声。
もう猪突猛進の化け物は真っ直ぐに落ちていく。
『全機!! あの炎の塊が水に落ちたと同時に同塹壕へ突入!! 化け物を押し潰せぇえええええ!!!!』
誘導した全員が塹壕を飛び越え、未だ水の到達していない地中の道へと消えていく。
『操縦者は脱出!! 脱出だ!!!』
胸元のコサージュのようなものに叫んだフラムの指示に反応して、すぐに棺桶の操縦者達が外へと飛んだ。
進路方向はそのまま。
その靡く髪が一瞬で殺到する鉄の箱が互いに拉げ弾ける最中へ消えていく。
「フラム?!!」
次々に肉の樹が沈んだ塹壕に折り重なっていく車両。
その最中から颯爽と恐怖の欠片も無さそうな様子でフラムが四苦八苦しながら這い出てきた。
こうしてはいられないと壁を降りて大穴の方へと向かい。
そのまま外に出て塹壕まで走っていくと見事に車両が何台か直立し、鉄の花にも似た様子となっていた。
ゴポゴポと水を泡立てて、塹壕の内部から未だに振動が聞こえてくる。
だが、肉の樹が触手を真上に伸び上がらせる様子は見受けられない。
ようやく傍までやってくるとパンパンと土埃と水気を払いながらフラムがフフンと得意げなドヤ顔で笑みを浮かべる。
「城砦への一番槍は私だ!!」
「は、はぁ?」
「他の者は全員降りた。最初に突撃した奴は帰ってきた。そして、公国の奴は一人もいない。私以外に現在この城砦の近くにいる者も無い!! その上、化け物だって私の指揮で倒した!! つまり!!」
クワッと瞳を開いて懐から何やら金属の小さい棒を取り出したフラムが小型アンテナのようにソレを伸ばし、白い正鉤十字の旗を天に向けて掲げた。
「白鳳突撃特務勲章ッッ!! 取ったり!!!」
ジーンと感動した様子になる美少女にさすが半眼とならざるを得ない。
「勲章欲しかったのか……」
「勲章を馬鹿にするな!!」
「いや、馬鹿にはしてないが……」
「貴様!! あのリュティと親戚の叔母連中を黙らせるのにどれだけ私が頑張ったと思ってるんだ?! これでまたしばらくは誰も何も私の青春に何一つ文句を付ける輩は出てこなくなる!! これが歓ばずにいられようか?! 歓ぶべきだろ!!」
「ぁ、うん……ソウデスネー」
「棒読み?! 貴様の案を採用してやった私の素晴らしき機転を褒め称え、その上で私を主と崇めるのが妥当だろう?!!」
「いや、それは無い」
思わず真顔になった。
「く、やはり、わ、私に何か要求するつもりだな!!? するつもりなんだろ?!! だが、私は絶対に貴様なんかに貞操を渡さないからな!!?」
「誰も欲しいなんて言ってないし」
戦闘の高揚で少しは可愛いところが見られるのかと思ったら、生臭過ぎて食えない賞味期限の切れた鯛を送られたような何とも言えない脱力感。
とりあえず、まだ此処は危ないだろうとフラムにすぐ此処から離れようと伝えよ―――。
ブ、ブボ、ブボボ、ブボボボボボボボボボ!!!!!
水音の変化に咄嗟、その未だ状況を把握していない美少女の身体を抱いて、ダイブした。
頭の上を何かが通り抜けていく。
「な?!」
生きていた、ならば、まだいい。
だが、それよりも予想外だったのは………一瞬にして塹壕から溢れ出した体積が車両の全てを弾き飛ばして、城砦よりも高く。
数十mにも達して膨張した事だった。
「おい!! 話が違うぞ?! エニシ?!」
「水を吸って細胞分裂を限界までやったのか?! それにこの速度?! どんな細胞なら可能なんだよ?! でも、この飽和した塩水なら!!?」
まるで桜色をしたスフレのように膨れ上がったソレが破裂すれば、莫大な水が一瞬で落ちてくる。
その水圧が人に耐えられるものなのか。
まるで予想が付かない。
「悪い。ミスった……かもしれない」
「クソッ!? 私は諦めんぞ!? わ、私にはまだやりたい事が!!」
上に覆い被さる。
このまま倒れ込んでくるとしても、最初の衝撃さえ何とかすれば、まだ可能性はあるだろうと。
「貴様?! 何を―――」
「男だ。一応」
「?!!」
覚悟を決めた瞬間。
何か巨大なものが夕闇の中の色を透かして。
ブルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!
そんな、本当にまるで何かの吼え声のような甲高い
何かが高速でこちらに突っ込んでくる。
それを目視するよりも先に圧倒的な体積が倒れ込んで来た。
――――――?
あっという間に死亡して夢から醒めたのかと思えば。
水の中にいて、それが数秒後には何処かへと捌けていく。
起き上がろうとしたものの。
背中に何か冷たいものが当たっていた。
「い、いつまで覆い被さっている?! この色情魔が!!」
「え、いや、その」
何が何やら分からない合間にもキュラキュラと音がして、夕闇の光が再び背後から射した。
ようやく膝立ちになって何がどうなっていたのか理解する。
それはまだ残っていた車両の一つらしい。
それが膨れ上がった化け物の倒壊と同時に上に覆い被さっていたのだ。
もし、少しでも背中が地表から遠かったら、頭ごとグシャリと潰れていただろう。
今更に顔が引き攣るものの。
助かったのは事実。
車両の操縦者に礼を言おうと立ち上がる。
すると、バガンと車両上部のハッチが弾け飛んで内部から拳が突き上がった。
「!?」
「カシゲェニシさん。お久しぶりです。覚えていますでしょうか?」
「……ベアトリックスさん」
その声に答えるとヌッと大柄な身体が立ち上がった。
「ええ、ええ、そうです。フラムの上司。ベアトリックス・コンスターチです」
ニコニコしているのだが、こっちの背筋には冷や汗が流れている。
「その、ありがとうございました。助かりました」
「そんな、感謝なんて要りません。こちらは目的の城砦を手に入れましたし。相手は撤退。これでようやく進軍も捗ります。さっきは突撃途中にこのポンコツが故障、遅れてしまって。偶然ですよ。偶然」
「あ、はは……そう、ですか」
その表情は柔和だ。
しかし、その車両の方が小さいのではと感じる身体が入り口の取っ手を拉げさせながら出てくる様子にはもう笑みで答える事も無理だった。
戦場での気迫、だろうか。
前に会った時とは明らかに何かが違うのだ。
「ふぅ、窮屈ね。もう少し大きくするよう技術部に言っておかなくちゃ」
降りてきた身体が僅かにゴキゴキと関節を鳴らしていた。
「さて、フラム」
「は、はい!!! 何でしょうか!!! ベアトリックス様!!!」
「今回は手を貸したけれど、特別よ? それと作戦で消耗された我が軍の備品と時間、諸々を今回の手柄から差し引くわ。信賞必罰……まぁ、二階級特進でいいかしら?」
「あ、ありがたき幸せであります!!!」
「ふふ、EEは基本的に大尉待遇から上にも下にもならないから、見掛けだけだけど。正規軍なら一個大隊くらいは自由に出来るから。それで我慢なさい」
「我慢だなんてとんでもない!!? 自分には過ぎた褒章であります!!」
「じゃあ、私は一度後方司令部に戻るわ。貴方はカシゲェニシさんを伴って首都に帰還なさい。此処の指揮官に後は任せましょう。ご苦労様でした」
「ご苦労様でした!! 中央特化大連隊総司令官殿!!!」
「大連隊……総司令官……」
「ああ、まだ正式には名乗っていませんでしたね。EEは基本的に首都防衛を行う近衛師団の直属組織なんですが、其処の長は中央軍区を預かる中央特化大連隊の総司令官でもあるんです。本当は肩書きを一元化出来ればいいんですが、権力が大きく成り過ぎるって議会に懸念されてしまって。総統閣下以外の実力者が中央の軍系統を一人で掌握出来ちゃうと困る人が沢山いるって話なんですよ。一応、私が所属する近衛師団の長は総統閣下の次に偉いって事になってるんですが、現実的な戦力は連隊が圧勝してるので……私以外の人材が総司令官になってくれれば楽なんですが、中々見つからないんですよねぇ……」
のほほんと。
照れた様子はとてもお茶目な感じに見える。
しかし、語られる事から察するに目の前の相手は共和国の実質ナンバー2に違いなかった。
「フラムがもっと功績を立てたら、司令官に推してあげますよ」
「そ、そそそ、そんな恐れ多い?! わ、私がベアトリックス様の代わりになるわけありません?!!? 単独撃破人数1200人!! 羅丈を4人!! 貰った勲章数知れず!!? パスタ王党派とピッツァ国粋派の残党を駆逐!! 魚醤連合を相手に四度の海戦で戦艦十四隻を撃破!!! オルガン・ビーンズとの通商戦争時には敵主力を壊滅!!! 単独講和させて祖国を救った英雄に敵うわけありません!!?」
何やら物凄い戦果を得てきた人物らしいとは分かるものの。
パスタとビザとか。
魚醤とビーンズとか。
何やらまた変な単語が出てきて、頭痛がしそうだった。
「ふふ、煽てても何も出ないわよ。さ、後詰の部隊も来たようだし、行きましょう。馬車を用意させてありますから」
「はい!!」
良い笑顔で頷くフラムの目はキラキラしていた。
正しく彼女にとって上司は文句無しの英雄の類なのだろう。
(これでようやく帰れる……帰れる、か……まったく、この夢にも愛着が沸いてるって事か……)
嬉しそうな顔で上司の横に着く美少女の姿に命を掛けたのは自分なのにと思わなくもなかったが、それがフラム・オールイーストらしいとも思った。
そのまま二人の背後に付いて行こうとした時。
森林地帯の方から何かがキラリと。
最後の夕日の残滓を反射させているのを見付けて。
身体が動いた。
二人を両手で押し出した途端。
左側からやってきた衝撃に倒れ込み。
遅れてやってくる銃声に意識が間延びした光景を見せる。
振り返った白銀の髪。
その姿がすぐに大柄な肉体に隠され、そのまま近くにある塹壕の中へと消えていく。
ようやく、泥水に照り返る日が沈んだ。
全てが終わっていく。
それが如何にも哀しいと思う。
でも、まぁ、良い目覚め方だと。
そう、思った。
少なくとも可愛い相手の泣き顔を見ずに結末を迎えられるのだから。
声は既に出せず。
瞳に残ったのは振り返ってくれた名前を呼ぶ唇の………艶やかさだけだった。
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