第12話「裏切りの菜種油」
カタコトと荷馬車が揺れる。
カタコトとトランクも揺れる。
おにぎりから昼頃に逃げる事に成功したのはつい一時間前。
脱出方法であるNINJIN城砦への道は砂利の敷かれた畦道ばかりだった。
山間に向けて進む荷馬車は正しく自分が思っていたのと同じ馬車の速度で。
のんびりと揺られているのは妙に心地良い。
白い雲。
青い空。
スッと二重となったカーテンを閉めて。
天井に複数開いた切れ間からの陽光に照らされながら、聞いた脱出プランを脳裏で反芻する。
ごはん公国内部の手引きでNINJIN城砦往きの荷馬車に乗って移動。
途中で差し掛かる森へのルート分岐で下車して、深い森を最大限遠回りしながら二日掛けて踏破し、現在睨み合いが続いているパン共和国の正面戦力の背後に出る。
その後、用意してもらった馬車で国内の首都に戻って一件落着。
完璧な計画だろうと胸を張ったフラムが一つ見落としている事があるとすれば、それは【
だが、自分の為に死ぬ危険を犯してまで救出に来てくれた美少女にNOと言うのも男として気が引ける。
故に出来る限りは歩こうと決めていた。
足の皮がめくれる程度で済めば、ご愛嬌だろうと。
「エニシ。この地図を見ろ」
フラムが光の中にA4くらいの色あせた紙を広げる。
「この地図は我が軍が常に使っている最新の抜け道が書かれたものだ。NINJIN城砦の背後にある山岳部は基本的に500m級が三つ並んだもの。そう大きくは無い。だから、抜けようとするとルートは込み入った道が多くなる」
三つ並んだ山が等高線で表現されており、その中を複数の赤い道と青い道が走っていた。
「青い道は公国の連中が使ってる最も信頼性の高い岩肌も岩盤も固いルート。そして、赤い道が我が方の軍が強襲して何とか復旧不能にまで破壊したルートだ」
「ふむふむ」
「森林地帯はこの連山の左右に広がっているが、殆ど未探査で探査範囲も大抵は三ヶ月前に通れた、程度の確実性しかない」
「無くなってる可能性が高いと?」
「そうだ。だが、無くなってると見せ掛けたルートが一つある。今回、私が通ってきたルートがそれだ。隠れながらの移動を強いられるんだが、一つ問題がある」
「問題?」
「現在……たぶん……このルート付近が主戦場になってる」
「はぁ?!」
思わず声を上げてしまった。
まるで意味が分からない。
「どうしてだ?」
「極秘の作戦が発動中だ。それに対抗して敵の目がかなり増強されている可能性が高い。我々がこのルートで行くのは厳しい」
「で?」
「それならば、使用不能となった赤のルートを行こうと思う」
「宿屋での事前説明は何だったんだ?」
突如発生したルート変更の話に首を傾げると肩が竦められた。
「さっきの宿屋、実は二重間諜なのだ」
「ダブルスパイとか。相手はもうとっくの昔にこっちのルートを張ってるわけか」
「ああ、ちなみに今荷馬車を動かしてる御者は我が国の30年以上潜り込んでる信頼出来る近衛の間諜だ」
「じゃあ、途中で降りて、険しい山を登山……オレの身体が持てばいいが」
「………」
「どうした?」
「………やはり、この野蛮人の国に間諜を潜入させるのは止めさせた方がいいかもしれん」
「?」
馬車がゆっくりと停車する。
『縁殿~~数時間ぶりでござるな~』
外からの声にまさかと脳裏を過ぎる嫌な予感。
幌の中から御者台を覗くと誰も居らず。
道のど真ん中に黒い外套姿の幼女がいた。
「……信頼出来るんじゃなかったのかよ」
「これが奴らの恐ろしさだ。とにかく手が早い!! とにかく誑し込むのが上手い!! オイ!! 近衛の矜持は何処へやった!!」
何処かにいるはずの御者の声が僅かに震えながら返った。
『ま、孫が生まれたんですッッ!! あの子にはどうしても菜種油が必要なんだッッ!!!』
「どういう事だ?」
その悲鳴のような声に訊ねるとフラムがはぁぁと深い溜息を吐いていた。
「先程の話の続きだ。公国と共和国の人間の間に出来た子供はどちらの耐性もあるが、どちらの耐性も低い。では、どうやって育てればいいと思う?」
「……他の耐性の高い食材を食べさせる、かな」
「正解だ。完全耐性がある食品が常識的な量でそれなりのカロリーを産むなら、それを食べさせ続ければいい。だが、それには莫大な金がいる。また、それが手に入る環境かどうかなんて単なる間諜に聞く必要も無いな。ただ」
「ただ?」
「たぶん、あの男と所帯を持った女も間諜だ。生まれた子と結婚した相手もきっと間諜だろう」
「……映画みたいだな」
「我々はそういう面で必ず一歩遅れを取って来た」
「そう言えば、言ってたな。ハニートラップ云々」
「今、その例を見せられて良かった。脱出は不可能だ。大人しく出るぞ」
「ああ」
御者台の方へ移動して、二人で地面に降り立つと荷馬車を囲むように黒い外套の女達がいた。
「ようやく出てきたでござるか。おーい。降伏するでござるよ~縁殿~」
トコトコやってきた百合音がニコリとする。
「分かった。殺されたくはないからな。連れて行ってくれ。ただし、一つ条件がある」
「ふむ?」
小首を傾げた美幼女はきっと邪悪である。
ならば、その邪悪さに少し物申すべきなのは必然だ。
「フラムをオレと一緒にしろ」
「むぅ……その心は?」
「知らない女より知ってる女の方がオレを弄ぶ時に必要だろ」
「乗った!!」
物凄い勢いで目をキラキラさせながら食い付いた相手の節操の無さにげんなりする。
「と、言うわけで離される事は無さそうだが」
振り返ると仏頂面の美少女がいた。
「き、貴様は……今、言った事の意味が分かっているのか?!」
「此処で離されてから殺されても寝覚めが悪い。悪いだけで済めばいいが、確実にオレは心を病む」
「何だソレは!? わ、私に気があるとでも言うつもりか?」
少しだけ唇を尖らせてジッと睨んで来る瞳はまだ絶望には程遠い色をしている。
「少なからず。知ってる相手が傍にいた方がオレも心強い。それだけだ」
「うぅ~む。縁殿は中々の才能と見た」
「何の才能だって?」
「勿論、異性を誑かす才能でござるよ?」
「そんなのは無い。とりあえず、何処に連れて行くのかだけ教えてくれ」
するとひょいと御者台に一瞬で乗った幼女がニヤリとする。
「NINJIN城砦」
「ッ」
思わず何か叫びを上げそうになったフラムだったが、その鳩尾へ即座に接近した黒い外套の女達の一人が拳を叩き込んで黙らせた。
意識を失ったのか。
だらんと肉体から力が抜けて担ぎ上げられ、荷台へと放り込まれる。
「あんまり手荒にしないでやってくれ。あれでも繊細なんだ」
「おお、それはそれは失礼を。EEを簡単に篭絡するとはやはりそなたは面白い」
「……ちなみにEEって何の略なんだ?」
「ああ、それは知らぬのでござるか。エッジ・イーターでござるよ」
「エッジ・イーター? 刃を喰らうものってところか」
「近い表現だが、違うと申そう。要は隠喩……簡単に言うと我が軍の近接歩兵100人以上を単独で殺した上、何か特別な働きをした者が入る部隊の名前、でござる」
「………そうか」
「結構、病んでるでござるか?」
「ああ、やっぱりあんたは信用出来ない類の人間だ」
「んふふ、間諜にとっては致命的かもしれぬが、某は戦う者。褒め言葉と受け取っておくでござるよ♪」
女達が荷台に乗ると百合音が馬車馬の尻に鞭をくれて、カタコトと再び馬車が動き出す。
「ちなみにどうして国内の方へ戻らない? 普通、危ない前線に連れて行かないだろ?」
御者台の上でのんびりと鳥の鳴き声を聞きながら横に尋ねる。
「それが出来れば苦労は。今、お仲間がこちらに向かっておる。鉢合わせれば、死人が出よう。それはこちらとしても望むものではない。少なくとも一方的な状況が生まれるまでは……我が国の人材事情は逼迫しておるので。そうそう無駄な死人は出せないのでござるよ」
「仲間想いなんだな」
そう言うと荷台からキャピキャピとした笑い声が上がった。
『仲間だなんてそんな~♪』
『わたくし共は羅丈様の飼い犬ですから。仲間だなんて恐れ多い者では』
『あぁ~ん♪ 羅丈様に早く可愛がられた~い』
「………ごはん公国の未来が心配だな」
「おお、まさか、ついに我らの語る正義に目覚めたでござるか!? 縁殿!!」
「語ってないだろ」
思わずツッコミを入れるとニヤリと唇の端が歪められた。
「あの者達は羅丈姓を与えられた者の下に付けられる駒。そのように産み落とされ、そのように教育され、言葉一つで死に、言葉一つで全霊を懸けて全ての命令を遂行する人間の形をした道具でござる」
その言葉には躊躇も遠慮も無かった。
まったくもって悲しい事に後ろからはそうなのよね~と。
やはり、キャピキャピした声がケラケラ笑っている。
「ちなみに羅丈って何なんだ? 別れ際に聞いた限り、特別な軍の機関なのか?」
「EEと同じようなものでござるよ。違うのは羅丈を名乗る者の人数は12人しかいないというところか」
「軍のお偉いさんなのか?」
「佐官位相当ではあるが、本質的には統合幕僚本部付きの総合支援及び査察部門。要は軍が正しく機能しているか管理する組織と言ったところでござるよ」
「明らかに軍より上だろ」
「仕方ござらん。我が国は少数精鋭主義。その上、無駄に強靭であるから将個人の我も強い。前線の指揮官が暴走なんてしたら目も当てられない損害が出てしまう。となれば、主上……木偶人形風に言うなら国王陛下も直接制御用の機関を置くしかなかろう?」
「総統閣下に国王陛下か。二人一緒に死んだら両方の国が平和になりそうだな」
「あははは、うむ。間違いない」
「怒らないのか?」
「怒らせたいのでござるか?」
訊き返されて、溜息を一つ。
「一番大事な事を訊くぞ」
「ほう? 何でござろうかな」
「NINJIN城砦には何かしらの遺跡でもあるのか?」
「おお、何故お分かりに?」
「発掘されたんだろオレ」
「その通り」
「骨董品なんだろ?」
「間違い無しに」
「………こういう展開は物語で見た事がある。大抵、何かをこっそり掘ってる連中がいる時は……」
「時は?」
「秘密兵器か。戦局を左右する何かを得ようと躍起になってる時だ」
「ああ、まったく面白い。満点、満点。花丸を上げたいでござるな。縁殿には」
「当たってたのか?」
「では、その何かを見る旅にご案な~い、でござる♪」
首筋に何か細い針のようなものがチクリと打ち込まれたような気がして―――。
意識は今までに無い最高速度で綺麗さっぱりと消え失せたのだった。
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