第6話「メイドの晩餐」

「ぁ……ぁあ゛……ぁあぁあぁ………ぁあ゛………」


 もはや魂が抜けて、フニャフニャと崩れ落ちたオールイースト家の娘さんがメイド達に抱えられて、食卓横で『シッカリしてください!!? フラム様!!』と介抱されていた。


「………」


 それを横目に一口。

 やはり、上手い。


 一応、テーブルマナーは無駄にネットの知識で知っていたので問題無かったのだが、テーブルの上の料理は殆ど普通の日本人にしてみれば、知っているような料理ばかりだった。


 それも一人分という事もあってか。


 全てが大喰らいな男なら一皿30秒も掛からなそうな量で現在は六皿目に突入している。


 目の前に出された料理はどれもこれもかなり完成度が高い。

 やはり、男だからそれなりに食べると思われているのか。


 ボリュームはそれなりに考えられており、少ないながらも確かに満足感を与えてくれる。


 一皿目の前菜は生牡蠣と柑橘類の実を使った和え物。

 二皿目のスープは黄金色に耀くコーンポタージュ。


 三皿目は生の海老を香辛料のオイルで絡め、細いシャキシャキとした白い根菜と合えた代物とレモン風味の塩が聞いた蒸し鶏を薄いライスペーパーで巻いた生春巻き。


 四皿目は厚切りの豚肉をシンプルに塩、胡椒、大蒜にんにくでカリッと焼いたソテー。


 五皿目のサラダは香ばしい胡麻のようなクリーミーで濃厚なソースを見知らぬ葉野菜を一口大に千切ったものに絡めた一品。


 夢の中なのだから、満漢全席でも食わされるのかと思っていたが、豪華には違いないものの控えめなラインナップである。


 そも高級な料理なんてものは生まれてこの方日本で過ごす際に食べた年越しのお重やクリスマスのパーティー料理程度しか知らない身だ。


 理解出来そうにない料理が出てくる事は無いだろうし、コースの順番なんて気にもしない。


 順調に食べ進めて一番気になるのは炭水化物がそっと籠に入っているパンしかない事なのだから、やはり……そういう点で自分は心底に日本人なのだと感じる。


『う゛ぅ……うぅぅう゛……』


「?」


 現在の六皿目。


 デザートであるのだろう嗅いだ事の無い甘いフレーバーのアイスクリームを口にしている最中の事だった。


 その微妙にくぐもった声の出所を探して、それがオールイースト家のメイド長のガスマスクの隙間から零れていると気付く。


「あの……どうかしました?」


『ぐず……っ……な、何でも、あ、ありまひぇんッ!! ズビ……』


 ガスマスクが僅かに外されて、ダパァッと涙なのか鼻水なのか分からない液体が床に滴る。


「その、何かしましたオレ?」


『リュティッヒは……っ……リュティッヒは涙で前が見えません!!』


「り、理由は?」


『このような地獄を前に果敢と立ち向かい。その全てを平らげる勇者様がいるなんて……うぅ゛……このリュティッヒ……我がベルガモッド家の最終兵器と噂され、ずっと独り身でおひいさまのお世話をしてきましたが、ようやく!! ようやく!! お仕えするべきお方が見つかったようでございますッ!!?』


 再び、ガスマスクの下が僅かに開けられ、ダパァッと二度目の汁が床に滴った。


「ええっと……」


『このリュティッヒ!! おひいさまの後見人の一人として!! 何よりもオールイースト家を守りたる御三家の筆頭メイド長として!! 末永く貴方様にお仕えしたく存じます』


「リュティッ!? な、ななな、何を言ってるんだ!!?」


 今まで半分、生死の境を彷徨っているような顔付きだったフラムがガバリと起き上がった。


『おひいさま。この方は間違いございません!! 最高の婿養子候補ですッ!! リュティッヒは感動いたしました!! もう諦めてご結婚致しましょう!! 政治に関しては非才の身なれど!! 我が身を懸けて、各方面と親戚方には根回ししますから!!』


「りゅ、リュティ……ッ!! 早まるなッ!! そ、そいつは!! そいつは野蛮人なんだぞッ!!?」


『おひいさま。国家の基礎とは人であり、国家の基礎とは食なのでございますれば、我らオールイースト家の使命……忘れたとは言わせません!!』


「ウグッ!?」


 まるでボディーブローを喰らったようにフラムが後ろに下がる。


『それに上司のベアトリックス様からは危ない火遊びでも構わないとの公認でございます』


「ゴハッ!??」


 正しくアッパーを喰らった如く。

 その足がたたらを踏む。


『更に言えば、先程のお部屋でのやり取りは侍従達から聞きました。嫁にでも何でもなってやるとのお言葉、伺っております!!』


「ぐぐぐぐ!!? う、ぐぅうううう!?」


 もはや唸る事しか出来ない様子で美少女は燃え尽きる寸前のグロッキー状態だ。


『十六にもなって未婚では旦那様もお母様もオールイースト家のご親戚一同も納得致しません。今までは何とか軍籍という建前を押し通して来ましたが、それも良いお相手がいなかったからこそ。ならば!! 此処にいるカシゲェニシ様をお迎えすれば、一石二鳥ではありませんか!! 家柄は低く、我らの家を脅かす外戚も無い旅行者。その上、身柄は軍にあり、親戚方には手出し出来ない。そもそも、これだけの資質でございます。例え、敵国の方だとしても、十分に理解は得られる事でしょう!!』


「あ」


『あ?』


「あぅううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!?!!」


 何やら半泣きでフラムがその場から駆け出していった。


『『『『『『フラム様~~~!!!』』』』』』


 メイド達がその後を追っていく。


(何やら本人の前で人生の重大事が勝手に決められそうな勢い。というか、決まった? 夢の中で美少女がメイドに負けて、結婚を迫られる……これがギャルゲー時空か)


 話があらぬ方向に逸れている気がした。

 が、そもそも自分にそこまでメイドに言わせる資質があるのか大いに疑問だ。

 それ以前に幾ら美少女とはいえ。

 野蛮人扱いしてくる相手に結婚とか。

 自分はそんなにモテたい願望があったのだろうかと真剣に心の闇を疑ってしまう。


「……ごちそうさま」


 スプーンを置くとイソイソとガスマスク姿のままリュティッヒさんがやってくる。


『あ、お粗末さまでした。これからどう致しますか? ソファーで少し休まれますか? それともお風呂が先でしょうか? もう沸かしてありますので、言って頂ければ案内致します』


 どんな表情をしているのか。

 まるで分からなかったのだが、何やら扱いが少し丁寧になった気がする。


「それよりも、追い掛けなくていいんですか?」


『あ、はい。おひいさまは昔から自分の処理能力を超えるとああして逃げ出してしまうのですが、根が真面目なもので……少し落ち着けば、現実的な対処が出来るようになりますから』


 たぶん、ニコニコしているメイド長のガスマスク越しの顔を思い浮かべて。


(メイドって怖い……)


 何となく。

 そう思った。


「あの、出来れば今日はもう休みたくて……風呂の後に寝床を用意して貰えると」


『分かりました。客間は既に用意しておりますので。お先にお風呂へ』


「ええ、ありがとうございます」


『では、ご案内致します』


 どうやら主人の言い分だったソファーでは寝なくてよくなったらしい。

 ガスマスクが外されると。


 先程まで汁を大量に床へ零していたとはまったく思えない普通の笑みが現れた。


 上機嫌で通路を案内された先。

 大きな浴場に続くと思われる磨り硝子の引き戸が現れ。

 それを横に押しやると大きな銭湯くらいはあるだろう脱衣場に出た。


 純和風。


 木製の棚の列には蔦で編んだらしき籠が置いてあり、何処か懐かしささえ感じる。


「では、後程伺いますので。ごゆっくり。あ……」

「?」

「浴場の使い方はお分かりになりますか?」

「あ、はい」


「そうですか。着替えは上がるまでにこちらで用意しておきますのでご心配なく。失礼致しました。では」


 アッサリと引き下がって、その姿が戸の先へと消えていく。


「………とりあえず、入るか」


 流されまくっている感はあったが、それ以外にどうしようもないというのも本当のところだろう。


 安いラノベ展開。

 全て、それで語れてしまうところが自分の頭の悲しい部分なのかもしれない。

 きっと、アニメ化されたらクソアニメ扱いされる事請け合いである。


 今時の消費期限が早い作品だって、一日目で主人公が結婚(仮)状態にさせられてしまう作品は少ないのである。


 ハーレムアニメやエロい一般アニメだって、その過程を楽しめなければ、クズ呼ばわりは避けられない。


「はぁ……」


 何やら一気に肩の力が抜けた気がした。


 イソイソと服を脱いで、タオルや手ぬぐいの類が無い事に今更気付いたが、後で置いてくれるかもしれない。


 手拭がなくとも此処は問題ないだろう。


 銭湯で困るような事態というのは夢の中でもお色気サービスシーンくらいのものである。


 それも期待したとしても、野蛮人連呼の第三帝国美少女やガスマスクメイド長では少し問題アリだろう。


 精々、殺されないよう静かに浸かろうと。

 浴場へ続く磨り硝子の戸を開くと内部には大浴槽が待っていた。

 しっかりと完備された蛇口と石鹸の置かれた台、木製の椅子が複数。


 壁面と床は一つ一つが大きな白い鷹が掘り込まれたタイル張りで桶が端に積み上げられていた。


 お湯を出して、石鹸を手で泡立てて全身を擦り、濯ぎ流して五分後には少し温めの浴槽に入る。


「………ふぅ」


 誰もいない浴場はとても広く感じられた。

 吐息を零している合間にも湯気だけでジリジリと肌の温度が上がっていく。

 入って一分程した頃。

 ガラッと浴場に誰かが戸を開けて入ってくる。


『タオルを此処に置いておきますね。お湯加減は如何でしょうか?』


 声はリュティッヒさんのものだった。


「ええ、とても気持ちいいです。手拭とか有ったら、其処に置いておいてくれれば」


 少し湯を手で掬って、顔をサッパリさせた。

 気が抜けていたとはいえ。

 あまり無防備になるのもマズイと何処かで理性が働いたのかもしれない。

 世の中には一生、風呂に入りたくないと説いたモノノフもいる。

 幾ら夢とはいえ。

 最初はかなり死にそうな展開だったのだから、油断は良くないだろう。

 するとガラガラと再び、磨り硝子の戸の開く音。


「え……?」


 それは浴場内部に響き渡り。


「カシゲェニシ様。湯女役を務めさせて頂きます」

「―――」


 ペコリと頭を下げたメイド長の泣き黒子がキラリと光った気がした。

 其処には何一つ隠さず。


 堂々と。

 たおやかに。

 微笑みながら。


 スポンジを持った保母さん属性の豊乳な女性が一人、いた。


 夢の中で貞操を失ったら、それはおめでとうと言われるべきなのかと真剣に考えるべき事態だった。


 ネットとは恐ろしいもので。

 何気なく検索したエロ知識で確かにその言葉を知っていた。


 湯女。


 風呂場で身体を洗う女性及び仕事の名称。

 日本でならサンスケとでも呼ぶのが適当だろうか。

 中世の欧州などで彼女達は更にもう一つの呼び名も持っていた。


 即ち。


「どのようにお慰めするのがよろしいでしょうか?」


 それは時に娼婦と然して変わらない意味合いでもあった、らしい。

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