女子高生、鬼の花嫁になる

星谷菖蒲

プロローグ

プロローグ①

 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐこと四時間弱。

 ようやく到着した目的地の改札を抜けると、田村麻里奈は大きく息を吸った。


「んー! やっぱりいつ来ても、こっちは空気がいいなあ」


 東京を出たのは昼前だったので、今は夕方になる少し前だ。山間の町とはいえ、夏の日差しはまだまだ容赦ない。麻里奈は白いつば広帽子のふちを握って、少し下げた。黄色いキャリーケースのハンドルを掴むと、駅前のロータリーを見回す。

 ロータリーにはタクシーが数台停まっているが、麻里奈の待っている車は見当たらない。腕時計を確認していると、クラクションが鳴る。麻里奈が顔をあげると、彼女の目の前に一台の車が滑り込んできて停まった。


「まーちゃん、待たせたねぇ」

「おじいちゃん! 今着いたところだから、大丈夫」


 運転席から下りてきたのは、寂しくなった白髪をいただく、七十歳くらいの老人だった。祖父の靖だ。麻里奈の荷物をトランクにしまうと、彼女を助手席に乗せる。


「今年はいつまでおるかや?」

「二週間くらいかな。お父さんとお母さんも、来週には来れるって」

「ほうかい。まあ、のんびりしていきないよ」

「うん。ありがとう、おじいちゃん」


 車の窓を開けると、むわっとした夏の熱気の中に、山間特有の清涼感のある風が混じって吹いていた。麻里奈はこの空気が好きだった。

 毎年夏休みに入ると、麻里奈はこうして長野県の山間部にある祖父母を訪ねる。福島県にある父方の実家は武士の家系だとかで堅苦しく、彼女には馴染まない。それよりは都会の喧騒から離れてのびのびと過ごせる母方の実家の方が良かった。


「ほういえば、まーちゃんはもう高校生だったかや?」

「うん、今年から」

「ほうかいほうかい。いつの間にか大きくなったじゃあ」

「おじいちゃんもおばあちゃんも、私が結婚するまで元気でいてね」

「もちろん。……まーちゃん、どうかしたかや?」


 信号で車を停めた靖は、じっと窓の外を見つめている麻里奈に声をかけた。声をかけられた麻里奈は、慌てた様子で振り返る。


「何でもない! ちょっと、誰かに見られてる気がしただけ。気のせいだよ」

「ふむ……まーちゃんがあんまり綺麗だもんで、誰かが見てたんじゃんか?」


 そういうと、靖は車を発進させた。

 麻里奈は窓を閉めたが、家に着くまでずっと外の景色を眺めていた。






 祖父母の家に着くと、麻里奈はすぐに荷物を置いて散歩に出た。

 近所の河原では、小学生が虫取り網を振り回していた。橋の上で欄干に肘を預けながら、麻里奈は微笑ましく見つめる。地元の中学校のジャージを着てランニングする少年を見ると、麻里奈は携帯電話を取り出した。河原の風景を写真に収めると、SNSで『カズ』の名前を探して送信する。


「空気、めっちゃ、おいしい、です」


 呟きながら文字を打つ。さらに文を付け加えるべきか迷っていると、すぐに返事が返ってきた。


『平和だな!笑 帰省中?』


 麻里奈は慌てて書いていた文字を消して、別の文章を書いて送る。


『そうです! 移動時間長くて、めっちゃ疲れました~』


 返事が来るかとしばらく画面を見つめていたが、まだ返ってこない。

 その時、麻里奈がはっとしたように顔をあげて辺りを見回した。またしても誰かに見られているような気がしたのだ。しかし、車通りもほとんどない。近くにいるのは小学生くらいなものだし、彼らは虫取りに夢中で麻里奈のことなど気付いてすらいないだろう。薄気味悪く思っていると、携帯が音を立てた。


『長野だっけ? おつかれさま』


 何ということもない返事に安堵する。もう少し歩こうと思っていたが、やはり今日は帰ろうと決めた。携帯をいじり、返事を作りながら歩き出す。

 不意に、目の前に影が落ちて麻里奈は顔を上げた。

 一瞬遅れて足も止めたのだが、間に合わずにぶつかってしまう。麻里奈は慌てて携帯をジーンズのポケットにしまいこむと、ぶつかった相手から離れて頭を下げた。


「ごめんなさい!」


 そしてすぐに頭を上げた麻里奈は、きょとんとする。

 彼女の前に立っていたのは、生成り色の着物に紺青の羽織を着た男だった。田舎町だから、着物を着る人は少なくない。しかし、端整な顔つきの男は麻里奈の両親よりも随分と若いように見えた。若い男の着物姿は結構新鮮だ。思わず俳優かと考えてしまうほどの美貌は笑みを浮かべている。

 言葉を返さない男に不安を感じた麻里奈は、改めて声をかける。


「あの、ごめんなさい。前を見てなくて……」


 俳優でなければ、もしかすると暴力団系の人間かもしれない。

 より不安な思いが麻里奈の頭をよぎったが、それよりも厄介な相手だと彼女は気付くはずがない。


「――見つけた」


 ようやく口を開いた男は、一言そう言った。


「え? 見つけたって、何をですか」


 麻里奈は男の言葉を聞き返した。しかし男はそれには返事をせず、麻里奈の腕を掴むと、彼女の体を抱き寄せた。


「見つけたぞ」

「ちょ、ちょっと、何を……!」


 背の高い男にすっぽりと抱きくるめられた上に、耳元で優しくささやかれて麻里奈は動揺する。急なことで体に力が入らないし、声に張りもない。


「しばらく目を瞑っていろ」


 男がそうささやきかけると、麻里奈が聞き返すよりも早く、辺りを疾風が吹き抜けた。体ごと宙へ投げ出されてしまいそうな強風に、麻里奈は思わず強く目を閉じて男の着物を掴んだ。男のたくましい胸板と両腕がしっかりを麻里奈を包んでいる。ごうごうと渦巻く風の音は、電車が耳元を駆けていくよりも騒々しい。

 しばらくすると風が止んだ。恐る恐る目を開けると、ちょうど男も腕の力を緩めた。

 麻里奈が首をひねると、視界に飛び込んできたのは鮮やかな緑だった。高さや幹の太さは様々だが、どれも立派な樹だ。林立する景色は果てしない。


「え……ここ、どこ……?」

「案ずるな。ここも長野の山だ。登山道からは離れてるから、人間は来ることがないがな」

「山? 山なんですか、ここ? でも、どうして?」

「問の尽きない女子だな。まあ、それも元気があって良いか」


 力は緩まったが、男が麻里奈を離す気配はない。はぐらかすような男の言葉に、麻里奈は眉を寄せる。男は誰で、山の中にいるのはどういうわけなのか、麻里奈がさらに問を重ねようとした時、男の唇が妖しく弧を描いた。


「お主、オレの嫁になれ」


 青みがかった男の目が、ひたりと麻里奈を見据える。

 男の端整な顔を作る真っ直ぐな鼻梁や少し厚みのある唇は先程と変わらない。しかしいつの間にか肌の色は浅黒くなっており、何より、額に小さなこぶのようなものが二つ付いていた。

 麻里奈は目を丸くして男を見つめることしかできない。

 男は麻里奈の後頭部に手を回すと、ぐっと顔を近づける。今にも唇が触れあいそうな距離で、男は同じ言葉を重ねる。


「オレの嫁になれ」


 麻里奈はようやく男の言っている意味を理解すると、唇を小さく震わせた。それを見た男は、慈しむように目を細くして問いかける。


「何と?」


 麻里奈は目を閉じて息を吸った。


「嫌です」

「……アー、聞き間違いだろうか。オレにはお主が嫌だと言ったように聞こえたのだが?」

「い、言いました。嫌です。なんで、見ず知らずのあなたのお嫁さんにならなくちゃいけないんですか!?」


 男の胸板を押して、距離を作る。男はあっさりと麻里奈から離れると、両腕からも彼女を解放した。ここぞとばかりに後ろへ下がり、さらに距離を取る。

 男は硬そうな前髪をかき上げると、口を大きく開けて笑った。


「はっはっは! なかなか気の強い人の子だ。ますます気に入った。どうだ、良き女子だろう?」

「アサキ。何百年一緒にいても、アンタの考えてることはわからねえよ」

「ひっ!」


 突然、麻里奈の背後から声が聞こえて草むらががさごそと音を立てた。驚いた麻里奈が振り返ると、赤丹色の着物をまとう男が立っていた。この男の額にも、小さなこぶのようなものが付いている。


「タタキは朴念仁だから仕方がない」


 アサキ、と呼ばれた男は、赤丹の男をタタキと呼んでからりと笑った。

 そして、アサキはまた麻里奈を真っ直ぐに見つめる。


「オレの名はアサキ。東国の鬼を統べるものだ。お主を、オレの嫁に迎えたい。頷いてくれんか?」

「だ、だから、嫌です」


 あまりにも理解を超える出来事に、麻里奈は目下の求婚を拒否することしかできなかった。

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