第92話・嵐の前触れ
ロマリア王に取り憑いていた悪魔アリュスが、リュシカの作った特製の聖水を飲んだ事により、その正体を露にした。
そして思わぬところで正体を明かす事になったであろう悪魔アリュスは、凄まじい怒りの形相でこちらへと飛んで向かって来ている。
「あれが悪魔アリュスか。思ったより迫力が無いわね。あれなら昔遭遇したカオスドラゴンの方がよっぽど怖かったわ」
俺としては十分に恐怖を感じるのだけど、ティアさんにとっては大した事がないらしい。
しかしそうなると、昔ティアさんを怖がらせたと言うカオスドラゴンとやらがどんなモンスターだったのか、そっちの方が気にかかってしまう。
「相手は戦う気満々みたいですけど、どうしますか?」
「私は別に構わないわよ? ここで決着をつけた方が早そうだし」
「私も戦う事に問題は無いよ? ここでアイツを倒せば、この世界に平和が訪れるわけだし」
「唯さんが戦うと言うなら、私も唯さんのサポーターとして一緒に戦います!」
「私も一緒に戦いますよぉ」
「私もロマリア王の娘として、全力で戦います!」
「じゃ、じゃあ、私は必要無いわよね? みんなが戦うなら、私は要らないわよね? 私はどこか遠くで見守ってるから――うぐっ!?」
踵を返して立ち去ろうとしたラビィの首元をグッと掴み、無理やりその動きを止める。
「ラビィさん? この期に及んでそんな事が許されると思っているのかい?」
「は、離してよリョータ! 私以外はみんな戦うって言ってるんだから、それでいいじゃない!」
「アホな事を言うな! みんなが残るってのに、むざむざとお前だけを安全な場所に向かわせるわけないだろ? 少しは空気を読め!」
「見えない空気が読めるわけないでしょ!?」
「そんな屁理屈はいいからお前も戦うんだよ! 言っておくが、逃げたらお前の帰る場所は無いからな? そこだけはしっかりと覚えておけよ?」
「ぐっ……リョータの卑怯者……」
苦々しい表情で俺を睨むラビィだが、今はそんな睨みを利かせているラビィの相手を悠長にしている暇はない。
「そうと決まれば先制攻撃あるのみっ! 私の攻撃を受けてみなさい! エクスバースト!!」
アリュスの方へと向けたティアさんの右手の平の先に、大きな多重魔法陣が展開し、そこから一筋の光が放たれた。そしてその光は一瞬にしてアリュスの方へと伸び、そこで凄まじい爆発を起こした。
「す、すげえ……」
ティアさんの魔法は一瞬にしてアリュスを包み込む爆炎となり、その一帯を赤く染め上げた。その威力は杖などの補助武器を使用していないにもかかわらず、恐ろしいほどの威力だ。
しかし相手は、かつての古代王国を滅ぼした悪魔。いかにティアさんの魔法威力が強くとも、これでやられたりはしないだろう。
そう思いながらアリュスが飛んでいた所を見ていると、赤い爆炎の後に出た黒い煙の中から、何かがヒュッと地上に向かって勢い良く落ちて来た。
そして勢い良く落ちて来た何かを包んでいた黒い煙が晴れると、そこにはボロボロになったアリュスの姿があった。その姿を見て驚いたのは俺もだけど、誰よりも驚いていたのは、術者であるティアさんだった。
しかし、それも無理はないと思う。言ってみれば悪魔アリュスは、ゲームで言うところのラスボスなのだから。だからそんなラスボスが先制攻撃の魔法であんなにボロボロになっては、拍子抜けもいいところだ。
まるで瀕死状態の様にしてピクピクとしているアリュスを見た俺達は、驚きつつもアリュスの方へと近寄って行った。
「ダーリン。もしかして私、アリュス倒しちゃった?」
「かもしれませんね……でも、油断しない様にしましょう」
ティアさんの言葉にそう言ったものの、アリュスの状態を見てこちらに何かをできそうな気配は正直感じない。本当に虫の息にしか見えないから。
「コイツ、もう虫の息なんじゃないの?」
そう言うとラビィは焦げたアリュスに近付き、四方八方からその身体に蹴りを入れ始めた。その様はとても天使のやる事とは思えないが、今は中身が本物のラビィさんとは違う事を知っているから、その様にも特に違和感が無い。
しかし、ここでラビィの行為を止めないのは人としての倫理を疑われる可能性もあるし、ラビィの行為によって妙な事にならないとも限らないので、とりあえず止めておくことにしよう。
「ラビィ。とりあえずそのへんで止めとけ」
「ふんっ! まあ、今日はこれくらいにしといてあげるわよ」
――今日はって、明日も明後日もこんな奴の相手はしたくねえよ。
そんな風に思っていると、虫の息に見えていたアリュスがゆっくりと顔を上げ始めた。
「へへっ……なかなか、強烈な一撃だったな。流石の俺様でも、正直びびったぜ……」
その言葉は攻撃を受けても平気だった奴が言うべき言葉だと思うんだが、アリュスはボロボロの姿でそんな事を言う。正直言って今の様子からは、かつての古代王国が滅びた原因となった悪魔だとは思えない。
「そんなボロボロの姿で何言っちゃってんのよ! あと一撃蹴りでも入れたら死にそうなくせに! えいっ!」
「うぐっ!!」
そう言って容赦無くアリュスの横腹に蹴りを入れるラビィ。
もうコイツが何をしようと大して驚きはしないが、この死体蹴りの様な行為には、流石の俺も引いてしまう。
「ね、姉さん……」
そしてそんなラビィの行為に一番ショックを受けているのは、間違い無く妹のラビエールさんだろう。なにせさっきから小さく身体を震わせながら、姉の天使らしからぬ行為の数々をずっと見せられているのだから。
「ラビィ。動けない相手に追加攻撃は止めろよ」
「何言ってんの? 動けない今だからこそ攻撃はするべきでしょうが!」
言ってる事はある意味で正しいが、俺としてはその様を見続けるのはいただけない。
「いいから止めろって。お前が何か余計な事をすると、片付きそうな物事がややこしい方向に動きかねないから」
「何よそれ!? それじゃあまるで、私が疫病神みたいな言い方じゃない!」
「疫病神みたい――じゃなくて、まさしくそのものなんだよ」
「なんですって!? オ〇ニートだったリョータにそんな事を言われたくはないわよっ!」
「おまえなっ! ここまで来てもまだそれを言うか!? ホントに可愛げの無い駄天使だなっ!」
「あー! また駄天使って言った! クソオ〇ニートのくせにっ!」
「だからそれは止めろって言ってんだろうがっ!」
「リョータのバーカバーカ! いつまでも私がアンタの言いなりになると思わないでよねっ! えいっ! えいっ!」
ラビィは俺に反発する為だけに、再び倒れているアリュスに蹴りを入れ始めた。
そんなラビィの八つ当たり的な蹴りを受けたアリュスは、上げていた顔を怒りに染め上げながら、ゆっくりとその口を開いた。
「くくくっ……貴様ら、そんな風に……してられるのも今の内だぜ。もう少しでお前ら全員を、恐怖に叩き落してやるからな」
「何が恐怖に叩き落してやるよ! そんなのは二本足で大地に立ってから言いなさい! えいっ!」
「うぐっ!」
そんな事を言いながら更に追加攻撃をかますラビィだが、アリュスの言葉はとても負け惜しみだとか、悔し紛れとかそう言った風には感じない。
アリュスの言葉に嫌な予感がしていると、突然アリュスが事切れたかの様にしてピクリとも動かなくなった。そんなアリュスの様子を見て、最初は死んでしまったのだろうかと思ったが、そんな思いはほんの一瞬で掻き消される事となった。
「リョータ! 急いでここから離れなさいっ!!」
ここにきて唐突に姿を現した原始の精霊ことリクリが、虹色に輝く目で俺を見ながらそんな事を言った。
「ど、どういう事? リクリ?」
「いいから早く言う通りにしなさいっ!」
「わ、分かった。みんな、急いでここから離れてくれっ!」
俺はリクリの言う通りに、急いでみんなと共にその場を離れた。
するとアリュスからそれなりに距離を取った瞬間、アリュスを中心にして大きな爆発が起こった。
「なっ!? 爆発した!?」
「アイツは回りに気付かれない様にして魔力を集めていたのよ」
「そうだったのか。よく分かったね、リクリ」
「あのねえ。仮にも私の姿が見える目があるんだから、怪しい相手にはその目を使って様子を見る癖をつけなさい」
「あっ、そっか。すっかり忘れてたよ」
「まったく……」
呆れた表情でそんな事を言うリクリだが、リクリの言っている目の力を使うと、とてつもなく疲れるのだ。
「それにしても、まさか自爆するとは思わなかったな」
「自爆? 何言ってんの? アレは自爆なんかじゃないわよ」
「えっ?」
「だってアレは、パワーアップする為の現象だもの」
リクリにそう言われた俺は、爆煙の方へと視線を向けながら意識を集中させる。
するとその爆煙の中に、凄まじいエネルギーが集中しているのが分かった。
「どうやらあれで終わりじゃなかったみたいね」
「ですね」
そしてその凄まじいエネルギーに気付いたのか、ティアさんと唯は緊張の面持ちを見せながら身構えた。
「くわ――――っ!!」
先ほどまでとは違った野太い声と共に爆心地から突風が吹き、そこにあった黒い煙が全て吹き飛んだ。
するとそこには、さっきよりも身体の大きくなった悪魔アリュスの姿があった。
「マジかよ……」
ラスボスは何段階かの変身をするものだというのは、俺が日本でやっていたゲームにおけるお決まりパターンの様なものだが、まさか現実でそんな場面に遭遇するとは思ってもいなかった。
「さて……さっきはよくも俺をコケにしてくれたな。そのお礼はたっぷりとさせてもらうぜ!」
「あらら。相手は相当キレちゃってるみたいね。ダーリン」
「お前が余計な事をするからだぞっ!」
「わ、私じゃなくてもあの状況なら誰でもああするでしょ!?」
「しねーよ」「しないわよ」「しませんね」
「示し合わせた様にして言わないでよねっ!」
ラビィの発言に対し、俺とティアさんと唯がほぼ同時に答えた。
「なんにしてもこのままじゃ相手の力が読めないから、私とラビエールちゃんで攻撃をしかけてみるよ」
「だ、大丈夫なのか? めちゃくちゃ強そうなんだけど……」
「確かに強そうだけど、なんとかならない事もなさそうなんだよね」
「そうなのか?」
「うん。まあ、ちょっとやってみるよ。ラビエールちゃん、サポートお願いね」
「任せて下さい!」
「よっし! それじゃあいくよー! ウインドエンチャント!」
唯は引き抜いた剣に風の魔法を纏わせ、悪魔アリュスのもとへと走り始めた。
「ラビットフット!」
そしてそれを見たラビエールさんは、素早さが上がる魔法を唯へと向けて放った。すると只でさえ速い唯のスピードが、目で追えないほど速くなった。
「ぐぎゃああああっ!!」
目にも止まらぬ速さになったと思った次の瞬間、アリュスから大きな叫び声が上がった。それに驚いて視線をアリュスの方へ向けると、アリュスは唯の剣の一撃によって、胴をお腹から横一文字に切り離されていた。
いくら悪魔と言えど、胴を上下真っ二つに切り離されて無事で済むとは普通思えない。だが、先のティアさんの魔法を受けても死ななかった事を考えると、あれくらいで倒せたとも思えない。
「なるほど。ずいぶんと時間が経ったせいか、人間もかなり強くなったものだな」
案の定と言うべきか、驚くべきと言うべきか、アリュスは切り離された下半身を上半身で掴むと、まるで何事も無かったかの様にして身体を繋ぎ合わせた。
「うーん。あれで無事とか反則だよね」
「うおっ! びびったあ!」
いつの間にか俺の横に戻って来ていた唯の言葉に、思わず俺は驚いてしまった。
「さすがに不死身と言われるだけはありますね。しかも唯さんの攻撃を受けてあれでは、ちゃんと倒す事ができるのかも分かりませんね」
「そうですね。ミント、悪魔って本当に不死身なのか? 何か倒す方法は無いのか?」
「残念ながらぁ、私にもそれは分からないのですよぉ。なにせ昔悪魔が暴れていた時にも同じ様な話題があちこちで上っていましたけどぉ、その答えが出なかった為にぃ、当時の人達は封印という形を取ったわけですからねぇ」
「だよなあ……」
そんな事を聞いて答えが返ってくるくらいなら、とっくにミントがその答えを教えてくれているだろう。それは分かっているのだが、この場ではそれに答えてくれそうな者がミントしか居なかったから仕方ない。
「それにしても、お前達が強いのはよーく分かった。おそらく今の俺では、逆立ちしても勝ち目が無いだろう」
いきなりそんな事を言い始めたアリュスに対し俺は、もしかしてこれなら、戦わずに解決できるかも――なんて事を考えてしまった。
「だったら今すぐ降参して、私の下僕になるなら許してあげるわよ?」
「ハッハッハッ! 面白い事を言う奴だな。だが、俺は誰の命令もきかないし、誰の下にもつかない。逆にお前達が俺の部下になるなら、その命は保障してやってもいいぞ?」
アリュスの言った言葉を聞くと、戦わずして解決は無理だと分かってしまう。
しかしアリュスが言ったとおり、こちらにはティアさんや唯、ラビエールさんが居るから、まず負ける事は無い気がする。となると、アリュスのあの自信がどこから来るのかが不気味でならない。
「ふざけんじゃないわよっ! アンタなんて私が手を出すまでもなく、ここに居る連中がケチョンケチョンにできるんだからねっ!」
虎の威を借る狐――という言葉があるが、まさにその言葉のまま、ラビィはアリュスに対して虚勢を張る。その様は見ていてとても見苦しいが、今はその事にツッコミを入れている場合ではないだろう。
「確かに今の俺ではお前達には勝てない。だが、俺よりも強い奴が相手なら話は別だろう? くくくっ」
そう言うとアリュスはニヤリと不気味な笑みを浮かべ、両手を高く空へと掲げた。すると空に暗い雲が集まり始め、アリュスの頭上で稲光を放ち始めた。
「見ておけっ! 貴様らがコケにした俺の力を! 俺の切り札をっ!」
アリュスが力強くそう言った瞬間、頭上から一際眩しい稲光がアリュスへと落ちた。
「なっ!?」
稲光が落ちたアリュスが、まるで太陽の光を浴びて灰になったドラキュラの様にしてその場から姿を消した。そんな意外過ぎる場面を見た俺は、流石に驚きの声を隠せなかった。
「何? リョータ、アイツどこへ消えたの?」
「俺が知るわけないだろ?」
「おいおい。俺はこっちに居るぜ!」
灰になって消えたアリュスがどこへ行ったのかと視線を泳がせていると、後ろの方から聞いた事の無い男性の声が聞こえてきた。
その声に全員がほぼ同じタイミングで後ろを向くと、そこには意識を失っていたはずのラッセルが立っていた。
「さてと。それじゃあ、戦いの本番といこうか?」
不気味な笑みを浮かべながら、こちらへと歩いて来るラッセル。
「あの馬鹿っ! アリュスに乗っ取られたわねっ! エクスバースト!」
そう言ったティアさんが、ラッセルに向けて容赦の無い魔法攻撃を行った。
かつての仲間であった者に対して容赦無いなと思いつつ、あんな攻撃をして大丈夫なのだろうかと思ってしまった。
「マジックドレイン!」
最初のアリュスを瀕死の状態まで追いやった魔法攻撃だというのに、今度はその魔法が当たるどころか、突き出した右手にその魔法が吸収されてしまった。
「マ、マジかよ!?」
明らかに先ほどまでとは実力が違う。
悪魔アリュスの言っていた切り札とは、ラッセルの身体を乗っ取って戦う事だったのだろう。元々のラッセルがどの程度の実力者なのかは分からないが、あのティアさんのかつての仲間で、その集団のリーダーであった以上、相当な強さを持っているのは間違い無いだろう。
「ティアさん。単刀直入に聞きますが、ラッセルってどれくらい強いんですか?」
「そうね。分かりやすく言うと、本気になったラッセルなら、この大陸を一瞬で海に沈められるくらいの実力はあるかしらね」
「マジですか……」
ティアさんの言っている事は、簡単に言うと死刑宣告の様なものだ。
そんな恐ろしい実力を秘めた相手、アリュスに乗っ取られた魔王ラッセルを前に、俺達は本当の意味での最終戦を行う事になった。
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