第67話・上陸、ラグナ大陸

 ラグナ大陸へと渡る船が唯一出ている港街アルフィーネ。その港から出港して約二日が経ち、太陽が真上へと昇った頃、俺達はようやくラグナ大陸へと到着した。

 このラグナ大陸で唯一プラート大陸との繋がりがある港街、エルフィンリゾート。ここはその名が示すとおり、エルフ族が多い街だ。

 エルフと言えば俺や唯の居た地球では架空の存在であり、想像上の作品にしか存在しない種族だが、この異世界においてはしっかりと存在している。だが、この世界のエルフ族は地球で描かれていたものとはかなり違う。

 その違いの顕著たる一つが社交性だ。地球で描かれるエルフと言えば、森にひっそりと住んでいて他種族との交流を嫌う自然主義的なものが多いのだけど、このエルフィンリゾートに住んでいるエルフはそんな地球で描かれているイメージとはほど遠い。

 なにせ船を下りてから三分と経たない内に、沢山のエルフが声をかけてきたからだ。そんな声をかけてきたエルフ達の用事は実に様々で、『今日泊まる宿屋はうちにしない?』とか、『うちの店の海鮮料理を食べていかない?』とか、『エルフィンリゾートの見所を案内するよ?』とか、その内容は実に様々だった。

 これにより俺が抱いていたエルフに対するイメージはものの見事に崩れ去ったわけが、エルフが接しやすい種族である事はありがたい。俺もこれで結構人見知りするタイプだから。

 まあ、この世界のエルフ族が特徴的な長い耳をしているところだけは地球のそれと同じだったけど、手先が器用とか、魔術に長けているとか、永遠に近い長大な寿命があるとか、そう言った事は特に無いらしい。

 だが、他種族と違って体内で使われるエネルギー効率がとても良いらしく、食事は一回摂れば五日くらいは何も食べなくても平気だと聞いた。

 そしてこの異世界のエルフ族の特徴とも言うべき部分は、あらゆる病気に強い耐性を持っている事らしく、先の食事の件を含めて相対的に他種族よりも寿命や若い時間が長い――と、エルフ族について語ってくれた若々しいエルフのお姉さんはそう言っていた。まあ、見た目が若々しいお姉さんとは言っても、年齢は既に二百歳を超えているらしいから、こちらの気持ちとしては複雑なところだ。

 ちなみにこの世界のエルフ族で一番長生きをした者の年齢は、記録に残っているもので四八七歳だったそうだ。人間の俺からすれば百歳を超えるだけでも凄いと思えるけど、エルフ族の平均寿命は約三五十歳と言うから、もはやその人生設計については想像もできない。

 俺達はエルフ族について語ってくれた二百歳越えの若々しいお姉さんに別れを告げた後、次々と気さくに声をかけてくるエルフ達を笑顔でかわし、早速この街で泊まる宿を決める為に冒険者ギルドへと向かった。


「――よし、それじゃあ今日はこれで解散して、それぞれ宿に向かおう」


 エルフィンリゾートの冒険者ギルドで宿屋の情報を聞いた俺達は、それぞれの懐事情に合った宿屋の情報を教えてもらってからそこへ向かい始めた。宿屋へ向かう組み合わせはいつもと変わらない。俺とラビィはいつもどおりの安宿だ。

 ギルドで教えてもらった情報を元にやって来た宿屋で宿泊手続きをし、手荷物を持って部屋へと向かった俺達だったが、その部屋を見た俺はあまりの内装の豪華さに驚いて宿屋の受付へと急いで戻った。


「あの、すみません。俺達が泊まる部屋ですけど、間違ってませんかね?」

「どういう事でしょうか?」

「いや、俺達は一番安い部屋を借りたはずなんですけど、あの部屋はどう見たってそうは見えないんですが……」

「そうなんですか? でも、当宿の一番お安いお部屋は、お客様にお貸ししたあのお部屋なのですが」

「あの……宿賃は一人一泊600グランでいいんですよね?」

「はい。その通りでございます」

「後から追加料金とか取られたりしません?」

「大丈夫です。部屋の物を壊したりしない限り、その様な事は一切ございませんのでご安心下さい」

「分かりました。ありがとうございます」


 宿屋の従業員からしっかりと言質を取った俺は、ホッと胸を撫で下ろしてから部屋の前で待つラビィの所へと戻った。


「どうだった? やっぱり宿側の手違いだった?」

「いや、手違いじゃなかったよ」

「本当!? 後から追加料金を請求されたりしないでしょうね?」

「それもちゃんと聞いてきたよ。宿屋の人はそんな事は無いって言ってたから安心しろ」

「それなら安心ね! あー、ビビって損したっ!」


 ラビィは晴れやかな表情を見せると、部屋の扉を開いてから喜びいさんで中へと入って行った。そんなラビィの行動は単純でいかにもお子様的だが、借りた部屋の豪華さを考えればああなるのも分からないではない。


「はあー、さっきは廊下からチラッと見ただけだったけど、やっぱ凄いな……」


 今回の俺達が泊まる部屋は、今まで泊まってきた部屋とは桁違いに内容が違う。部屋の広さはもちろん、内装から用意されているベッドまで、とても600グランで泊まれる部屋の内容ではない。言ってみれば俺達が今居る部屋の豪華さは、普段リュシカが使っている高級宿並みなわけだ。

 しかもこの宿は一階に大浴場まで完備されていて、泊まっているお客はいつでも自由に入浴し放題ときたもんだ。まさに至れり尽くせりとはこの事で、俺は部屋の豪華さに一通り感心し尽くした後で早速一階の大浴場へと向かい、久しぶりの入浴タイムをじっくりと楽しむ事にした。


「――ぷはーっ! うまいっ!」


 一時間ほど大浴場で入浴を堪能した後、俺は宿の売店で濃厚☆美味しいミルクを購入し、それをゴクゴクと飲んでささやかな幸せに浸っていた。

 片手を腰に当てて飲む銭湯スタイルで濃厚☆美味しいミルクを飲み干した俺は、飲み終わったビンを売店へと返してから部屋へと戻り、ふかふかの大きなベッドへと身体を預ける様にして倒れ込んだ。

 屋敷の部屋にあるベッド程ではないけど、程好く身体の沈む柔らかく優しい感触が身体全体に伝わってくる。それがお風呂上りでほぐれた身体に心地良く、俺はあっと言う間に眠りの世界へと落ちた――。




「んあ……寝ちゃってたか…………」


 視線を向けた窓の外は既に陽が落ちて暗くなっており、明るい時にはそれなりに人の声が聞こえていた通りからも、一切人の声は聞こえてこない。

 今の俺に聞こえてくる音と言えば、海に近い場所にあるこの宿へ吹きつけてくる潮風が窓を揺らす音と、隣のベッドで眠っているラビィの穏やかな寝息くらいだ。

 そんな部屋の真ん中には豪華な彫刻が施された木製のテーブルと椅子があり、そのテーブルの上では燃料石の入ったランプが柔らかな光を放って周囲を優しく照らしている。きっとラビィが点けっぱなしにして寝てしまったのだろう。

 ベッドで寝そべったまま、俺はしばらくテーブルの上で淡い光を放つランプを見ていた。ランプなんて日本に居る時は使った事が無かったけど、この異世界に来てからは色々な場面で使用する必須アイテムである。それは陽が落ちてから何かをする時の大事なお供だったり、洞窟に入った時の視界確保だったり、爆弾系アイテムを使用する時の手早い火付け道具として使ったりと、その仕様用途は実に様々だ。

 この異世界へ来てから俺が初めて買ったアイテムがあの燃料石の入ったランプだが、たかだか20グラン程度で購入できる道具でも長く使っていると愛着も湧く。

 そんな俺は大事に使っている道具などに名前をつけるというささやかな趣味があるんだけど、もちろんこのランプにも名前をつけている。当然、みんなの前ではその名前を口にはしないが、心の中では使用する時にいつもその名前を囁いている。

 ちなみに、今テーブルの上で淡い光を放っているあのランプの名前はジョセフィーヌと言う。なぜ名前が洋風なのかについては、単純に俺の趣味だ。


「さて、明日はどうすっかな……」


 ラグナ大陸へと渡った俺達の最終目的は、ロマリアと魔王ラッセルとの繋がりや関係性を解き明かす事。それには直接ロマリアへ行って色々と調べてみるのが手っ取り早いのだけど、それはあまりにも危険過ぎる。となれば、まずはロマリアの周辺にある国や街、村などを訪れて調査を進めるのが一番だろう。

 中途半端な時間に目覚めた俺は、再び眠りにつくまでこれからの行動をどうするかを考え続けた。


× × × ×


 翌日。俺は朝早くから部屋を尋ねて来たティアさんと一緒にエルフィンリゾートの観光をしていた。

 なぜロマリアと魔王の調査をしに来た俺がティアさんと呑気に観光などをしているのかと言えば、以前ラビィが退魔アイテムをティアさんから入手する為に書いた誓約書のせいだ。その誓約書には最低週二回のデートをすると明記されているのだけど、その誓約は様々な事情によって果たされてはいない。

 でもそこはティアさんも大人だから、事情をかんがみて誓約に対するペナルティーを科したりはしていない。その代わりと言うわけではないだろうけど、『今日は一日私に付き合ってね』との事で、こうして一緒にエルフィンリゾートの観光をしているわけだ。

 まあ、俺も不本意とは言えラビィが取り交わした誓約を飲み込みはしたわけだから、その約束を遂行するのは当然だろう。それに俺も、ティアさんとデートをする事はやぶさかではない。ティアさんとお話をしたりするのは楽しいから。


「あっ、ダーリン、今度はあっちに行ってみましょう」

「分かりました」


 ティアさんは楽しそうに俺の手を握ると、海が見える方へと俺を引っ張って行く。

 ここエルフィンリゾートはこの異世界でも数少ない観光地として有名らしく、港街としての風光明媚ふうこうめいびな部分と、リゾート地としての華やかさが見事に同居している街だ。俺のイメージが貧困なせいでこの場所を表現する良い例えが思い浮かばないけど、地球で言うところのハワイみたいな感じだと思ってもらえればいいと思う。


「わあー、良い眺め」

「本当ですね。こんな綺麗な景色は初めて見ますよ」


 太陽の光でキラキラと青色にきらめく海。荒れていた時にこそ恐怖を感じていたけど、この様に穏やかな光景を見ていると心が和む。

 地球に居た時は遠出などほぼしなかったから分からないけど、もしかしたら地球にもこんな綺麗な場所が沢山あったのかもしれない。今はもうそんな場所を探す事はできないけど、今この時にこんな景色を目の当たりにできた事は幸せな事だと思う。


「あっ、そういえばティアさんに聞きたい事があったんですよ」

「何々? 結婚式を挙げる日取りの相談とか?」

「結婚式って……まだ俺達は婚約もしてないじゃないですか」

「まだ――って事は、ダーリンも少しはそんな事を考えてくれてるって事なのかな?」

「あ……いや、それはその……」

「ふふっ、まあいいわ。それで? 聞きたい事って何?」

「あ、えっと、凄く単純な疑問なんですけど、このエルフィンリゾートって妙に物価とか安いじゃないですか? それってどうしてなのかなと思って」

「ああ。それはね、ここがエルフ族が多く住む街だからよ」

「どういう事です?」

「この街に来た時、エルフの女性からエルフ族についての話をダーリンも聞いたでしょ? その中に、一度食事を摂れば五日は何も食べなくても平気――って話があったのを覚えてる?」

「ああ、確かにそんな事を言ってましたね」

「あれはあくまでもエルフの平均的な食事事情で、エルフによっては一回の食事で一週間くらい大丈夫な人も多いの。つまり、エルフ族は他種族に比べてかかる食費が極端に少ない。だから、食費にかからない分を娯楽とか仕事に使って楽しんだりしているエルフが多いわけね。だからこのエルフィンリゾートは、他の街に比べて物価が安かったりするのよ」

「なるほど。そういう事情だったんですね」


 昨日から考えていた謎がすっきりと解けた俺は、感心しながら再び海の方を見た。

 実はティアさんから今の話を聞くまでは、この街の物価の安さに何か裏があるのではないかと思って不用意な買い物などは避けていたのだけど、これで安心してアイテムなどの購入ができる。


「…………ねえ、ダーリン。もしも……もしもね、ラッセルが本当にこの世界に迷惑をかけている存在だと分かったらどうする?」

「……気休めを言ってもしょうがないと思うので正直に言いますが、その時には多分、ラッセルを討伐できる方法を考えるでしょうね。これでも一応冒険者ですし」

「だよね……」

「でもまあ、仮にそうだったとしても、今の俺にラッセルは倒せないでしょうけどね。実力的に考えて」


 自嘲気味に苦笑いを浮かべながらそんな事を口にすると、ティアさんは小さく微笑みながら口を開いた。


「ふふっ、その時は私がダーリンの代わりにラッセルをぶん殴ってあげるから安心して」

「ティアさんはいつも頼もしいですね。でも、以前ティアさんが言っていたように、俺もラッセルが魔王として世界中に迷惑をかけているというのには疑問を感じています。ですが、ラッセルが何らかの形でロマリアと繋がっている可能性は捨て切れません。だから、一緒にその謎を解き明かしましょう。ティアさんの協力は俺達にとって絶対に必要なので」

「…………ありがとう。やっぱりダーリンは優しいわね」

「ははっ、我ながら柄にも無い事を言っちゃいましたよね」

「ううん。それでこそ私の惚れたダーリンよっ!」

「ちょ、ちょっとティアさん!?」


 満面の笑みを浮かべて俺の右腕を両手で抱き包んできたティアさん。そんなティアさんの行動に対し、俺は動揺し慌てふためく。


「さあっ、デートはまだまだこれからだよっ、ダーリン!」


 こちらの腕を抱き包んだままでテンション高くそう言い、俺を引っ張って行くティアさん。どうやら抱き包まれた腕を解放する気は無い様だ。

 まあ、ラビィが取り交わした誓約の事もあるし、前の街では忙しさのあまりその誓約を一度も果たせなかった。それにティアさんにはいつも色々な面でお世話になっているし、これくらいの恥ずかしさには耐えて見せよう。

 俺は自分の腕を抱き包んでいるティアさんの満面の笑顔を見ながら、陽が暮れるギリギリの時間までティアさんとのデートを楽しんだ。

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