第56話・世界を繋ぐ桃色の花
偽ラッセル襲撃事件から十日が経ち、最近は春の陽気がより一層強まってきた。そして俺はそんな暖かな陽気を漂わせる春に浮かれる様にして早朝に目を覚ました。少し前から計画していた事を今日実行に移すからだ。
大きなベッドの上から転がり下り、俺はいそいそと着替えをしてから台所へと向かう。大勢で食べるお弁当を用意する為に。
「よーっし、やるか!」
台所へと着いた俺はひんやりとした冷気を溜め込んだ保冷庫を開け、前日に用意していた食材を取り出してから調理台へと並べた。
一般的にはまだまだ普及していない保冷庫だが、それがこのお屋敷の台所には三台もある。こんな貴重品が三台もあるんだから、流石はアストリア帝国の皇族が別荘として使用していただけはあると思う。
この保冷庫がどういう原理や構造で保冷を可能としているのかは分からないけど、そんな事は俺の気にするべき事ではない。不思議には思うけど。
だいたい日本に居た時だって使っていた機械の原理や構造なんかは気にしていなかったんだから、今更この異世界でそんな事を気にするのもどうかと思う。なにせこの異世界には、地球に居た時には無かった魔法の力や精霊の存在、多種多様なモンスター、様々な不可思議現象が現実として存在するのだから。
地球に居た頃には経験する事が無かったそんな現象の数々に慣れてきている自分に苦笑いを浮かべつつ、調理台の上にある食材を目的に合わせて調理していく。
「――あれぇ~? リョータ何やってんのぉ~?」
調理を始めてから二時間程が経った頃、だらしなく着崩されたパジャマ姿にあちこちの髪の毛が寝癖でピンピンとはねているラビィが現れ、寝ぼけ口調でそんな事を言いながら台所へと入って来た。
「見れば分かるだろ? 弁当を作ってるんだよ」
「弁当~? 何でそんな物を作ってるのよ?」
「お前なあ、前に俺が言ってた事をもう忘れたのか? 今日はみんなでお花見に行くって言ってただろう?」
「あっ! そう言えばそうだったわね! こうしちゃいられないわっ!」
お花見という言葉を聞いた途端に寝ぼけ
アイツが騒ぐ事が大好きなのは既に知っているけど、みんなに迷惑をかける様な事だけはしないでほしいもんだ。まあ、アイツもこんな日くらいは変な事はしないと思う。なにせろくでもない事をすれば花見が中止にもなり兼ねないし、そうなるのはラビィの本意ではないだろうから。
お弁当用の料理を作る片手間に屋敷に住むみんなの朝食を準備しつつ、俺は順調に花見の為の料理作りに励んだ。
× × × ×
久しぶりに熱を入れて料理作りをし、お昼を二時間後に控えた頃、俺は今回の花見に招待した人達と合流する為に待ち合わせ場所であるリリティアの門の前へとちょっと早目にやって来たのだけど、そこには既に妹の唯とパートナーであるラビエールさんの姿があった。
大量の料理が入った頑丈な厚手のリュックを背負い、両手にも料理が入った包みを持っている俺は、挨拶をしながら唯とラビエールさんの方へ近付いた。
「おはよう、お兄ちゃん。うわあ、荷物が沢山……。私も少し持つよ」
「いやいや、唯には俺達の護衛をやってもらうんだから、荷物の事は気にしないでくれ」
「でも……」
「本当にいいって。それに護衛が荷物なんて持ってたら邪魔だろ? みんなの安全を守れる適任者は唯しか居ないんだから、頼んだぞ?」
「お兄ちゃん……うん、分かった! モンスターの一匹だってお兄ちゃんには近付けさせないからねっ!」
「ははっ。頼もしい言葉だけど、俺以外の人もちゃんと守ってくれよ? ラビエールさんも招待したお客さんなのにすみませんが、唯のアシストをお願いします」
「気にしないで下さい。私は唯さんのサポートをする為にこの異世界へと来たのですから。だから唯さんのサポートはお任せ下さい」
俺のサポートパートナーであるラビィとは違い、ラビエールのお言葉は実に頼もしい。この異世界において、これほど安心できる『任せて下さい』はなかなか無い。
最初は今回の招待客である唯とラビエールさんに護衛を頼むのはどうかと思っていたけど、今は唯とラビエールさんに頼んで本当に良かったと思う。まあ兄としては、妹に護衛を頼むとか立場逆だろ――って感じではあるけど、実力を考えれば当然の事だから仕方ない。今回は兄としてのプライドよりも、みんなの安全が最優先されるのだから。
気合十分の唯を見て頼もしさを感じていると、残りの招待客であるティアさんとティナさん、そしてアマギリが二人の後ろの方から待ち合わせ場所であるこちらへとやって来るのが見えた。
「おはよう、ダーリン」
「おはようございます。リョータさん、皆さん、今日はお誘いありがとうございます」
「ティアさんにティナさん、おはようございます。今日は来ていただいてありがとうございます」
「ううん。ダーリンからデートのお誘いなんて初めてだし、とても嬉しかったわ」
「ははっ。こんなに大勢でデートと言えるかは分かりませんけど、喜んでもらえてるなら良かったです」
「姉さんたら、リョータさんにお誘いを受けた日から今日まで大変だったんですよ? 着て行く服をどれにするかで四日も迷ってたくらいなんですから」
「そ、そんな事をここで言わなくてもいいでしょ!?」
恥ずかしげに顔を赤くして妹のティナさんに抗議をするティアさん。
確かに今日のティアさんの服装はいつものゴスロリ風衣装とは違い、黒を基調としたロングスカートと上着のとてもシックな大人風に纏まっている。それに今日は唇にも薄く紅がひかれているから、ティナさんが言っていた様に気合を入れて来てくれたのは間違い無いだろう。しかもそれが俺の事を意識してとなると、その嬉しさは一味も二味も増す。
「ティアさん。その服、とてもよく似合ってますよ」
「そ、そう? ありがとう……」
ティナさんに抗議を入れているティアさんに向かって一言そう言うと、その抗議がピタリと止まり、恥ずかしくも嬉しそうな表情をしてにこやかな笑顔を浮かべてくれた。
「あーあ。今日も色ボケ駄目男キャッチャーは呑気なものね」
「はあっ……相変わらずダーリンの良さが分かってないなんて、つくづく哀れなものね……」
「な、何ですって!? だいたいリョータのどこが――」
「ストーップ! 今日はあくまでも私は招待された身だし、アンタと実りの無い言い争いをするつもりはないわ。それに今日はみんなでお花見というのを楽しむのが目的なんでしょ? だったら今日くらいはお互いに言い争うのを止めましょう?」
「……分かったわよ。私もマズイ酒は飲みたくないし、今日のところは我慢してあげる」
またティアさんとラビィの言い争い合戦が始まるかと思ってハラハラしたけど、大人なティアさんのおかげでそれは回避できた。ほんと、ティアさんが大人な人で良かった。
「アマギリも今日は花見を楽しんでくれよな?」
「う、うん。ありがとう。そうする……」
俺の視線から逃れる様にして顔を逸らすアマギリ。
一応ティアさんに預けた日からちょいちょい様子を見に行ってるんだけど、未だにこの態度は変わらない。近寄っても距離は離されないから嫌われているわけじゃないとは思うけど、それでも俺に対して良い感じのイメージは持っていないのだろう。
「お兄ちゃん。その子は誰? お友達? お友達だよね?」
「えっ? いやまあ、何て言うか……知り合いみたいなもんだよ」
「知り合い?」
「そ、そうそう」
「なんだ知り合いか。うん! それならいいんだ」
「お、おう……。そ、それじゃあ目的地までの護衛は妹の唯とラビエールさんにお願いしていますが、モンスターにはみんな注意して下さい。では花見に出発します!」
ジトッとした視線を向けながらそんな質問をしてきた唯の質問に答えた後で高らかに出発を宣言し、俺達は目的の花見を行う場所へと進み始めた。
今回俺達が向かう場所は、リリティアの街から一時間ちょっと離れた場所にあるスメルの丘。そこにはこの時期の短い間だけに現れ、桃色の小さな花をいっぱいに咲かせる幻の木があるらしく、俺はひょんな事からその情報を知った。
そしてその話を聞いた時に俺が真っ先にイメージしたのが、故郷である日本で見た桜の花だ。俺はふと日本に居た時に家族としていた花見の事を思い出して急にホームシックの様な気分になり、それを解消する為に今回の花見を思いつき計画した。なにせこの異世界では、花見なんて風習は当然の様に無いからだ。
まあ、それはこの異世界の事情を
これがもしも俺だけだったら今回の様な計画は思いついても実行には移さなかっただろうから、唯やラビエールさん達を利用している様で申し訳なさは感じる。しかしそれを考慮に入れてもなお、俺はこの異世界でちょっとだけでもいいから過去に居た日本を感じたかったのだ。
とても個人的な理由で計画した今回の花見だけど、俺と唯以外の花見を知らないみんなに花見を楽しんでほしいのは本当だから、今回の花見がみんなの心に残る様なものになればいいなと思う。
そんな思いを胸にリリティアを出発してからスメルの丘へ向かう事約二時間弱、思っていたよりもモンスターの襲撃が多くて到着が大幅に遅れたけど、俺達は無事に目的であったスメルの丘へと辿り着いた。
そして辿り着いたスメルの丘には、情報どおりに薄紅色の小さな花をいっぱいに咲かせた大きな木が一本だけあった。
「お兄ちゃん、これって……」
「ああ、間違い無い。これは桜の木だ」
スメルの丘に立つ一本の孤独な桜の木。そんな孤独な木を撫でる様に吹き抜けて行く柔らかな風に乗り、薄紅色の綺麗な花が綺麗に舞っている。その風景は懐かしさと同時にどこか寂しげな儚さを感じさせ、俺の心に染み込んでくる。
「ほらリョータ! さっさと宴会始めましょうよ!」
「あのなあ、宴会でも間違いじゃないが、とりあえず花見と言え――って、おい! そのでかい樽は何だ!? 料理はどうしたんだ?」
「えっ!? いやあ~、それはその……酒場でお酒を買う時にオマケしてくれるって言うから、渡されてたお金全部使ってお酒を買っちゃったんだよね。テヘッ」
「何だって!? お前は頼んだ買物もまともにできんのか?」
「だ、だからこうして謝ってるでしょ?」
「俺の耳にはお前の口から一言も『ごめんなさい』と言う単語が出てくるのを聞いていないんだが?」
「わ、悪かったわよ。ごめんなさい」
布に包まれた大きな荷物を背負っていたラビィ。ちょっとおかしいなとは思っていたけど、まさか酒樽を背負っていたとは思わなかった。
「はあっ……まあ今日だけはこれで許してやるさ。とりあえずラッティと唯以外に酒を配ってくれ」
「OKOK! 私に任せておいて!」
許しが出て安心したのか、ラビィはすっきりとした様子で大きな酒樽の蓋を開けて酒を汲み始めた。酒好きのラビィの事だから、酒の味に関して問題は無いだろう。
俺は用意していた大きな布製シートを桜の木の下に敷き、四つ角を持って来ていた荷物で押さえ込んでから唯とラッティ用の飲み物の用意を始めた。そして二人の為に用意していた特製果実ジュースを容器からカップへと注ぎ入れ、それを唯とラッティに差し出し、全員に飲み物が行き渡ったところで異世界初の花見が始まった。
本当なら呑気に飲んだり食べたりできるわけはないけど、この場所でみんなが安心して花見を行う為、今日はティアさんが特別なアイテムを用意してくれていた。それは簡単に言えばモンスターを寄せ付けなくする強力な結界アイテムなんだけど、確かこのアイテムは一回使い切りで、値段は二百万グランはしたはずだ。
「ティアさん、あんな高価なアイテムを使って良かったんですか?」
「ん? ああ。確かに高価なアイテムだけど、世の中にはお金に代えられない事もあるから。だからダーリンはそんな事を気にしなくていいのよ?」
「すみません。本当にありがとうございます」
「ふふっ。さあ、そんな事はいいから、ダーリンも一緒に楽しく飲みましょうよ。ほら、かんぱーい!」
「はいっ! かんぱーい!」
俺はティアさんの寛大な気遣いに感謝をしつつ、みんなとの花見を存分に楽しんでいた。
そして花見が始まってからしばらくした頃、俺は気分良く飲んでいた酒が回ってきたせいで迂闊にも眠り込んでしまった。
× × × ×
「ううん……。あっ、いけね……ちょっと飲み過ぎたかな……。おっ? おおっ!?」
異世界で花見をしていた最中に眠ってしまった俺が次に目を覚ました時、そこにはあの綺麗な花びらを舞い散らせていた桜の木も一緒に来ていた人達の姿も無かった。その代わりに目に映ったのは、綺麗に整頓をされて荷物も無くなり殺風景になっている日本で使っていた俺の部屋だった。
「ど、どういう事だ?」
上半身を起こしてその光景を見ていた俺が激しく動揺していたのは間違い無い。だって俺は、二度と戻って来れないはずの日本の自宅に居るのだから。
こんな状況に最初こそ酒の飲み過ぎで夢でも見ているのかと思ったけど、思ったよりも自分の感覚ははっきりとしている。これは紛れも無く現実だ。
そして受け入れ難くもそんな現実を見ていると、部屋の外の扉をガリガリと引っかく様な音が俺の耳に届いてきた。俺はその音が何なのかを確かめる為に立ち上がり、扉のノブを回してそっと静かに引いた。
「にゃーん」
「おっと! にゃんたん!?」
開いた扉から入って来て俺へ飛び付いて来たのは、飼い猫のにゃんたん。白くてふわふわとした毛並みの感覚が、気持ち良くも懐かしい。
「元気にしてたか? にゃんたん?」
「にゃーん」
頭を撫でながら喉元を擦ると、にゃんたんはゴロゴロと喉を鳴らしながら俺の胸に顔を埋める様にして瞳を閉じた。
少し前までは当然の様に生活の中にあったにゃんたんの温もり。それをこんなにも懐かしく感じる日が来るとは思ってもいなかった。
「にゃんたん、そこに居るの?」
懐かしいにゃんたんの温もりを感じていると、これまた懐かしい声が扉の向こう側から聞こえてきた。あまりの懐かしさでにゃんたんを抱いたまま固まっていると、小さく開いていた扉がキィっと音を立てて大きく開き、そこから妹のましろが入って来た。
「えっ!? お、お兄ちゃん!? 本当にお兄ちゃんなの?」
「ましろ……ははっ、ただいま――でいいのかな?」
「お兄ちゃん!」
「おっと!?」
にゃんたんを抱いているにも拘らず、妹のましろは俺に飛び付いて来た。その衝撃ににゃんたんは床へと飛び下りたが、こちらを見ているにゃんたんの目は何となく優しく見えた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
「良い子にしてたか? ましろ」
「うん……うん……」
「そっか。父さんと母さんは?」
「今日はお仕事で帰って来られないって」
「そっか……」
何が起こって日本に戻って来たのかは分からないけど、こうしてましろやにゃんたんに会えただけでも良かったと思う。
「でもまあ、とりあえずましろとにゃんたんが元気そうにしてて良かったよ。兄ちゃん安心した!」
「うん。でも、何で死んじゃったお兄ちゃんがここに居るの? お兄ちゃん幽霊なの?」
「うーん……それがお兄ちゃんにもよく分からないんだよ。気がついたらここに居たからさ」
「そうなんだ……。でも、幽霊でもお兄ちゃんに会えて嬉しい。ねえ、にゃんたん」
「にゃーん」
「にゃんたんも嬉しいって言ってるよ、お兄ちゃん」
「ははっ、そうみたいだな」
それから場所をリビングへと移し、俺はましろと久しぶりに沢山のお話をした。まあお話とは言ってもほとんどはましろが喋っていたんだけど、俺や唯を亡くして落ち込んでいただろう事を考えれば、これくらいは苦にもならない。
テンション高く話を続けるましろの話を聞きながら久々に自宅での夕飯作りを始め、俺はましろとにゃんたんと穏やかで楽しい夕食タイムを過ごした。それから久しぶりにのんびりとしたお風呂タイムを過ごした後、俺はましろに泣き付かれて眠るまで一緒にベッドに居る事になった。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはいつまでここに居てくれるの?」
ベッドに入ったましろは、とても気になると言った感じでそんな事を聞いてきた。正直言って俺がこうして居る事自体が奇跡的なだけに、どう答えていいのか分からない。
けど、俺がこうして居られるのは少しの間だけだというのは何となく分かる。なぜかと聞かれれば理由を説明できないけど、不思議とそう思うのだ。
それにましろも『いつまでここに居てくれるの?』と言っているから、俺が長くここには居ないだろう事を何となく察してはいるんだと思う。
「安心しろ。ましろが寝るまではちゃんとここに居るから」
「本当?」
「ああ、本当だよ」
「うん。分かった」
俺の返答に対し、ましろはにっこりと笑顔を浮かべた。しかしましろの笑顔は、俺には少し寂しげに見えていた。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは今までどこに居たの?」
ましろは当然の疑問とも思える事を俺に聞いてきた。別に異世界の事を話すのは禁止ではないだろうから話してもいいんだろうけど、その事を上手くましろに伝えられるか自信は無い。
しかしこの貴重な奇跡的機会に、しっかりと話をしておきたいとは思った。だから俺は、なるべくましろが理解できる様にしながら異世界で過ごす俺達の話を語って聞かせた。
「――とまあ、こんな感じかな」
「そっかあ。それじゃあ唯お姉ちゃんも、お兄ちゃんと一緒にその異世界で頑張ってるんだね?」
「ああ。唯も相変わらず元気にしてるから安心していいぞ。まあ、ましろとにゃんたんの事は心配してたけどな」
「やっぱり唯お姉ちゃんは優しいね」
「そうだな」
「……あのね。私ね、今日、みんなといつも花見をしてた公園に行って来たんだ」
「ああ、あの公園か」
「うん。お兄ちゃん、こんな噂知ってる? あの公園にある一番大きな桜の木から舞い落ちる桜の花びらを、朝の七時ピッタリに地面へ落とさずに拾うと願いが叶う――って噂」
「いや、そんな噂は聞いた事ないな」
「そっか。それでね、私どうしても叶えて欲しい願いがあって、今朝花びらを拾いに行ったの」
「へえ……それで、ましろの叶えて欲しい願いって何だったんだ?」
「……私の願った事はね、お兄ちゃんと唯お姉ちゃんにもう一度会いたい――ってお願いだったんだ」
その話を聞いた時、俺はこの奇跡が起こったのはましろのおかげかもしれないと思った。予想としては突飛過ぎるかもしれないけど、あの異世界で不可思議な事を何度も体験している俺としては、そんな事が起こったって不思議ではないと思えるからだ。
「……そっか。俺がこうしてましろやにゃんたんに会えたのも、きっとましろが桜の花びらにお願いをしてくれたおかげだな。ありがとな、俺もこうしてましろやにゃんたんに会えて嬉しかったよ。もう二度と会えないと思ってたからさ……」
その言葉を口にした瞬間、俺の瞳から熱いものが流れ出ているのが分かった。あんな無様な死に方で異世界へと転生し、そこで苦労の日々を送っている間、ましろがどれだけ寂しい思いをしていたかが分かったから。
「お兄ちゃん、これ」
「ん? これは?」
「私が今朝拾った桜の花びら。唯お姉ちゃんには会えなかったから、私の代わりに唯お姉ちゃんに渡して」
「……ああ、分かった。しっかりと渡しておくよ。だから安心して寝ていいよ」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
そう言ったましろは安心した様に瞳を閉じ、それから数分もしない内に小さく寝息を立て始めた。それを見た俺も安心したせいか、急に激しい眠気に襲われ、そのままベッドで遠のく意識と共に眠りへと落ちた。
× × × ×
「――ちゃん! お兄ちゃん!」
「ううん……」
「やっと目を覚ました」
「あれ? 唯? ましろは?」
「ましろ? もう、お兄ちゃんたら飲み過ぎて夢でも見たんじゃない? 酔い潰れてからずっと寝てたから」
「夢? あれが?」
夢にしてはリアルだったにゃんたんの温もりに、ましろの明るい声と表情。それを夢と思うのはどこか嫌で、俺はブンブンと頭を左右に振った。
しかしアレが現実であった事を証明する物は何も無い。現実的に言えばアレは夢だったと思うのが普通だろう。でもそうは思いながらも、俺は握り込んだ右手を開いた。
「あっ……」
狐にでも化かされた様な気分で握り込んでいた右手を開き見ると、そこには一枚の小さな桜の花びらがあった。もしかしたらそれは、上から舞い落ちて来た桜の花びらを寝ている間に掴んでしまっただけかもしれない。
けれど俺は、それがましろから受け取った桜の花びらだと思いたかった。
「唯」
「ん? なーに?」
「日本に居るましろから、唯へ渡してくれって頼まれた物だ。心して受け取れ」
「えっ? ましろから?」
「おう。ましろが俺達に会いたいって願いを込めた花びらだ。大切にしろよ?」
「えっ? え!? どういう事?」
困惑の表情を見せる唯を見て微笑みつつ、俺は酒樽から酒を汲んで唯の側に戻り、俺が体験して来た不思議な話を語って聞かせる事にした。
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