第55話・問題点と解決法

 魔王ラッセルを名乗る偽者に襲われた翌日。俺はゆさゆさと優しく身体を揺さぶられる刺激受けた。

 その優しく心地良い刺激に閉じていた目をゆっくり見開くと、窓から射し込み始めた朝の光を浴び、人差し指を口元に当てて薄く微笑んでいるティアさんの姿が目に映った。その姿は本当に可愛らしく、思わず目を大きく見開いてその表情に見入ってしまった。

 するとティアさんは口元に当てていた人差し指をスッと離し、銀色の瞳を輝かせながら薄く浮かべていた笑みをもっとにこやかにして口を開いた。


「ふふっ。おはよう、ダーリン。私に見惚れてくれるのは嬉しいけど、そんなに見つめられるとさすがに恥ずかしいかな」

「あっ! えっとあのっ――」


 その言葉を聞いて慌てて弁明をしようとすると、ティアさんはさっきまで自分の口元に当てていた人差し指を俺の口元に素早く当てた。


「ダーリン。まだアマギリは寝てるから静かにしてね?」


 ティアさんの静かな言葉にコクンコクンと二回頷くと、満足そうな表情を浮かべてから当てていた指を離した。

 それにしても、本当にティアさんのやる事は心臓に悪い。男ならこんな事をされれば誰でもドキッとするだろうし、童貞の俺にはかなり刺激が強い。自然とやっているのか狙ってやっているのかは分からないけど、朝っぱらから激しく俺の男の部分を刺激するのは止めてもらいたいもんだ。


「おはようございます。それで、どうかしたんですか?」

「うん。ダーリン、アマギリを起こさない様にして出かける準備をして」

「えっ? どこに行くんですか?」

「いいから早く準備をして。急がないとすぐに売り切れちゃうんだから」

「は、はい。分かりました」


 すぐに売り切れちゃう――という言葉から察するに、雑貨店で売り出す品を買い出しに行くんだろうと考え、俺はそそくさと出かける準備を済ませてからティアさんと一緒に宿屋を後にした。宿屋を出る時に一階にある酒場で木製のジョッキを片手に寝ている見慣れた人物の姿が目に映ったけど、それは見なかった事にしよう。

 それからティアさんの案内するまま朝陽が昇り続ける街中を歩く事しばらく、俺達は三十メートル程の長さの行列ができた一軒のお店の列に並んだ。

 まだ陽が昇り始めたばかりだと言うのにこの長い行列。きっとこの行列の先には、相当な人気商品があるに違いない。

 これだけの行列ができる物がいったい何のかちょっとワクワクしつつ、俺とティアさんはしばらくの間話をしながら先頭まで進むのを待った。

 そして行列に並んでから約四十分後。俺とティアさんは行列の先にあったお店の中へと入り、その一角にある小さなテーブルと小さな椅子が並べられた場所へと案内され、そこへ座るように店員に促された。

 お店から出て来るお客さん全てが何も手に持っていなかったから、途中から何だかおかしいなとは感じていたけど、まさかここが飲食店だとは想像もしていなかった。


「――さあ、どうぞダーリン」


 ティアさんが席に着くなりさっさと注文をした品が店員によって運ばれると、俺の正面に座っているティアさんは運ばれたパンケーキを綺麗に一口サイズに切り分け、その一つをフォークで取ると俺の目の前へとそれを差し出してきた。


「いやあの、自分でやりますから大丈夫ですよ」

「ダーメッ! これは私が今回の仕事で楽しみにしてた内の一つなんだから」

「そ、そうなんですか?」

「そうよ。せっかくダーリンと二人っきりで仕事ができると思っていたのに、ダーリンたらあのうるさい疫病神女を連れて来るし、偽ラッセルのせいでダーリンと素敵なディナーもできなかったし、本当に散々だったんだから。だからこれくらいはしておかないと私の気が済まないの」


 心底拗ねた様子でそう言うティアさんは、それはそれでとても可愛らしく見えた。

 しかしまあ、偽ラッセルの事はともかくとして、ラビィを連れて来たのは本当に失敗だったし申し訳なかったと思う。俺もまさかここまで二人の相性が合わないとは思っていなかったから。それにティアさんが俺とデート的な事をしたいと考えていたなんて想像もしていなかったから、そのへんについても反省をしている。

 ティアさんにはいつもお世話になっているから、ご機嫌を損ねる様な事はなるべくしたくない。何よりこんな風に可愛く拗ねられると、俺としてはその要求を突っぱねるのは難しい。


「分かりました。それじゃあ遠慮なくいただきます」

「うんうん! それじゃあダーリン、あーん」


 拗ねた表情から一変。ティアさんは満面の笑みを浮かべながら、差し出していたパンケーキを俺の口の中へと優しく差し入れてくれた。

 日本に居た時に付き合った彼女には一度もこんな事をしてもらった事が無いだけに、心境的には泣きそうなくらいに俺は嬉しかった。けれどそれを易々と表情に出すのも恥ずかしく、泣きそうな程の嬉しさをおもてに出すまいと必死だった。

 日本にあるお店が出す様な、ふんわりもっちり食感ではないちょっと固めのパンケーキ。そんなパンケーキを口の中でモグモグと咀嚼そしゃくしつつ、俺はしばらくの間ティアさんのあーん攻撃に耐えた。

 そしてパンケーキの残りが半分くらいまで減った頃、俺は突然ティアさんの持っていたフォークとナイフを持たされ、今度は役割交替で俺がティアさんにパンケーキを食べさせる事になった。

 俺が第三者としてこの状況を傍から見ていたとしたら完全に爆発しろ案件だが、自分自身がこの甘々な状況に置かれているのは、恥ずかしさがあるとは言え良い気分ではある。

 ティアさんは俺からパンケーキを食べさせてもらえるのが相当に嬉しいらしく、その表情は今まで見た事も無いくらいに明るい。こんなに喜んでもらえるのはとても嬉しいんだけど、俺にはティアさんに聞いておきたい事があった。だからパンケーキの残りが後わずかになった頃、俺はその聞いておきたい事を聞く為にご満悦な様子のティアさんに向かって口を開いた。


「ティアさん、ちょっといいですか?」

「なーに? ダーリン」

「アマギリの事なんですけど、あの子の事はこれからどうしますか?」

「もうっ……ダーリンたらせっかく二人っきりなのに他の女の話を持ち出すなんて……雰囲気台無しよ?」

「あっ、ごめんなさい……」

「ふふっ、冗談よ。私もアマギリの事はダーリンとお話ししようと思ってたから」


 冗談とは言いつつも、残念そうな表情を完全には隠せていないティアさん。その隠せずにいる素直な部分は、見ていてとても可愛らしい。

 しかしここはティアさんのプライドの為にも、その隠せずにいる部分に触れないでおくのが優しさだろう。


「それなら良かったです。それで、アマギリとは昨日どんな話をしたんですか?」

「アマギリとした話? そうねえ、好きな食べ物の話とか、趣味の話とか、そんな他愛のない事からしら」

「それだけですか?」

「ううん。他にはこれまでどういう生活をしてたのかとか、そんな話もしたわね。お互いに」

「お互いにですか?」

「うん。相手の事を聞きたいなら、自分の事もそれなりに話さなきゃフェアではないでしょ? まあ、私がアマギリの話を聞いた限りでは、いくつかおかしな点はあったわね」


 そこからティアさんの言うおかしな点というものについて、俺はしばらくの間ティアさんから話を聞いた。

 アマギリはここから遠く離れた国の出身らしいのだけど、かつて祖国と別の国との争いが起こった時に戦災孤児となってしまったらしい。そんな時にアマギリが出会ったのがラッセル。

 ラッセルは戦災孤児だった当時のアマギリを連れ、とある孤児院へと彼女を預けた。そんなアマギリの様な孤児が住む孤児院にラッセルはお土産を持ってちょくちょく顔を出していたらしく、孤児院でもラッセルに懐いている子供は多かったらしい。

 ティアさんから言えばその行為はとてもラッセルらしいとの事だが、どう考えても今回の件をラッセルが指示しているとは思えないとも口にした。

 いったい何がどうなって今回の様な出来事が起こったのかは分からないけど、あのラッセルが偽者だった以上、ティアさんの言っている事を否定はできない。色々と謎は多いけど、結論を出す為のピースが決定的に今は不足している。

 そんな今の俺達にできるのはアマギリの処遇をどうするかだが、アマギリはあの偽ラッセルがした事が相当にショックだったらしく、これまであの偽ラッセルと根城にしていた場所に戻る気はないらしい。

 だから俺はアマギリをしばらく屋敷に預かって様子を見ようかと考えていたんだけど、ティアさんはその提案に反対の意を示し、自分の店で預かると申し出てきた。俺としては良い方法だと思っていただけに、さすがにティアさんに対して反対する理由を尋ねた。するとティアさんは、俺の提案を反対した四つの理由を説明してくれた。

 その一つ目の理由は、『私達を殺し損ねたと偽ラッセルが知ったらアマギリも絶対に狙われるから、その時に私の近くに居れば守れるからね』との事だった。

 確かにあの状況では偽ラッセルがアマギリの命も奪おうとしていたのは明白だし、俺達が存命だと知ればアマギリが付け狙われるのも話の筋としては分かる。だとすれば、そんな状況になれば俺よりもティアさんの方がアマギリを守れる確率が高いのは間違い無い。

 そして二つ目の理由だが、『偽ラッセルやアマギリの事、現在騒がれている魔王ラッセルについての情報をそれとなく聞き出すには、近くに置いておく方がいいから』と言っていた。これについても話としては納得できる。

 ラッセルについて言えば因縁的なものは俺よりもティアさんにあるだろうし、年頃の女の子との会話は慎重かつデリケートな部分もある。だから俺なんかよりも同じ女性であるティアさんに任せておく方が得策ではあるだろう。

 それから三つ目の理由は、『あの疫病神女が居る場所に住まわせると、アマギリがどんな悪影響を受けるか分からないから』と言われた。それについてはもう、反論のしようもない。

 そして四つ目になる最後の理由だが、『これ以上ダーリンに惚れるライバルを増やしたくないからよ!』と述べた。最初の三つはともかくとして、最後の理由は俺には理解できなかった。

 男女は近くに居るからと言って、必ずしも恋愛感情を抱くものではない。ましてやアマギリは俺の事をそんな対象として見ていないだろうから、尚更理由としては理解できない。

 それにしても、最初の三つの理由を話していた時よりも、最後の理由を話していた時の方が一番熱が入っていたのがいかにもティアさんらしい。

 とりあえず最後の理由はともかくとして、他の理由が納得できた俺は、ティアさんの提案を飲んでアマギリをティアさんへと預ける事にした。後は当の本人であるアマギリにその事を話して納得してもらうだけだ。

 こうしてアマギリの処遇について話が終わった後で宿屋へと戻り、まだ寝ていたアマギリを起こしてからティアさんと二人で話し合った事をアマギリへと伝えた。どちらかと言うと強気なタイプに見えるアマギリの事だから、素直にこちらの提案を受け入れはしないかもと思っていたんだけど、そんな俺の予想に反し、アマギリは以外にも即答でその提案に乗った。

 そんなアマギリの様子にちょっとだけ拍子抜けした感はあったけど、とりあえず面倒な事態にならなかったのだから良しとするべきだろう。

 俺達は納得してくれたアマギリに朝食を摂ってもらった後、一階の酒場で未だに寝ているラビィを叩き起こしてから残りの仕入れをし、四人でリリティアの街へと戻った。


「――二人共、今日はお疲れ様。これは今回のお仕事代ね」

「はいおつかれー! そんじゃあ私は行く所があるからっ!」


 お昼過ぎに戻って来た雑貨店ミーティルの店内に仕入れた品を並べ終わった後、ティアさんは俺とラビィに今回の仕事の報酬が入った麻袋を差し出してきた。するとそれを見たラビィは差し出された麻袋の一つを素早く奪い取り、そのままお店を出て行った。


「すみませんティアさん。アイツには後でよーく言って聞かせておきますから」

「ダーリンが気にする事ないわよ。それよりもはい、お疲れ様。またこんな事があったら手伝ってね」


 無礼千万ぶれいせんばん極まりないラビィの事など本当に気にしていないかの様に、残りの麻袋を優しく俺の方へと差し出すティアさん。その優しさはあの駄天使よりも天使らしく、俺なんかに向けられるには過ぎた優しさだとも思えた。


「はい。その時は他の仕事を中断してでも手伝いますよ」

「ふふっ、ありがとう」


 ティアさんの優しさに甘えっぱなしなのは情けないけど、今更自分を取りつくろっても仕方がない。俺は俺の出来る範囲の事でその恩に報いていけばいいだろう。


「あのさ……アマギリもあんまり気を落とすなよ?」

「……うん」


 偽ラッセルが正体を現して以降、ずっとこんな調子で落ち込んでいるアマギリ。

 ラッセルがどんな人物だったのか俺には分からないけど、あれだけラッセル様ラッセル様と言っていたんだから、アマギリにとってのラッセルがどれだけ大事な存在であったのかだけは分かる。だから安易な励ましなどはしない方がいいのかもしれないけど、こんなに落ち込んでいる様子を見ていれば、そんな一言も言いたくなるのが普通だろう。


「まあ、その何だ……人生には色々な事があると思うけど、楽しく生きて行ける様に頑張ろうぜ」

「あっ…………うん……」


 そう言ってアマギリの頭を優しく撫でると、少し戸惑った様子を見せながらも最後にはニコッと微笑んでくれた。


「ちょっとダーリン? ダーリンはアマギリみたいな童女どうじょが好みなの? これからアマギリの攻略を始めちゃうわけ?」

「はいっ? いや、俺は別にそんなつもりはな――」

「だったら何でアマギリの頭をそんなに優しく撫でてるの!? 私には一度もしてくれた事無いのにっ!」

「い、いやあの、だってティアさんは大人だし……」

「ダーリンの中には大人の女性の頭は撫でないって法でもあるの!?」

「そ、そんな事はありませんけど……」

「それじゃあ何で他の女の頭は撫でて私の頭は撫でてくれないの!?」

「いやあの、だからそれはですね――」


 ここからしばらくの間、俺はティアさんの責めを受けながら問答を続けた。

 ヒートアップし続けるティアさんの気持ちを静めるのには時間がかかったけど、最終的にお世話になっているティアさんへのお礼の気持ちを込めて頭を撫でてあげる事でそれは収まった。こんな事でティアさんの気持ちが収まるなら最初っからこうしておけば良かったと、俺は事態が収まった後でそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る