新しい春

神宮司亮介

新しい春

 黒い筒と花束を抱えて、春樹は電車が来るのを待っていた。まだ吐く息は白く、鈍色の空へと昇って行く。

 外の音は聞こえない。小さな箱から伝わってくるギターの音に掻き消されるからだ。春樹は足でリズムを刻んで、通知のないスマートフォンの画面に目を遣った。

 そんな時だったから、足音も立てずに訪れた春には、気が付かなかった。背中をポンポンと叩かれるまでは。

 春樹はイヤフォンを外し、感触がする方に向いた。細い切れ長の瞳が、思わず目を開いた。

「春香……」

 目に留まったオレンジのカチューシャ。無邪気に白い歯を見せる、彼女の名前を、春樹は知っていた。

「久しぶり! でっかくなったねえ……」

「まあ、六年も経ってるし」

「そっか、転校して、もう六年経ったんだ」

 春香は春樹の隣に移った。春樹の肩より少し高いだけの頭が、コクコクと忙しなく揺れている。

「ねえ、何でここに居るかは、聞いてくれないの?」

 暫くして、春香は春樹へ訊ねた。口を尖らせて、気分は流行のモデルみたいに。

「……どうせ、こっちの大学に来るとかだろ」

「そ、そうだけどさ……。もうちょっと盛り上がってくれても……連絡しようにも春樹の家の電話番号忘れちゃうしあの頃は春樹携帯持ってなかったから」

 春香が愚痴を零しているうちにも、ホームにはゆっくりと電車が入って来た。二人の時間を守るように、ゆっくりと。

 電車が止まって、ドアが開く。各停電車から降りて来る客は、あまり居なかった。

「いいから、乗るぞ」

「え、あ、待って!」

 二人は、そんな電車の中へ乗り込んだ。



 空いている車内に、隣同士で座る二人。六年の距離感を感じさせない、掌一つ分のすきま。

 話は、春香が先に切り出した。

「私、夏木の方に住むことになったの」

「あそこのマンションか」

「うん」

「…………」

「……でさ、最近、どう?」

「……別に」

「そうだよね~。春樹のことだもんね」

「……わざわざ制服まで着て、何の用だよ」

「あ、これは……そう、春樹の高校に用事があって……」

「……別に、家に来れば良かっただろ」

「ええ!?」

「……そ、そんなに驚くことか?」

「え、あ、いや、そうじゃなくて、私だってやっと家が落ち着いただけだし。で、春樹が浜高通ってて、今日卒業式だって聞いたから、つい……」

「友達の連絡先は聞き出せて俺のはわからなかったんだな」

「……そ、そこは別にいいじゃん!」

「で、大学は」

「あ、そう、大学はね、青波学院受かったの」

「……俺も」

「え、ホント!? 嘘……一緒の大学じゃん!」

「……どうせ知ってたんだろ」

「それは流石に知らなかったよ! 嬉しい……春樹と一緒の大学だなんて……」

『次は~夏木~夏木~』

 進学先がわかったところで、電車のアナウンスが現実を連れてきた。ドアは閉まり、次の目的地へと電車は既に動き始めている。

「え、もうそんな時間!?」

 春香は慌ただしく通学カバンからスマフォを取り出すと、春樹に画面を見せた。

「LINE、交換しよ! さ、早く!」

 そう言う彼女のスマフォの画面には、QRコードが示されていた。春樹はゆっくりとポケットからスマフォを取り出し、LINEの画面を開いた。

 あまり登録している友達は居ない。それほど使っているアプリでもないため、内心焦りながらも読み取り画面に行きつくことが出来た。協同作業で、春樹のスマフォに春香の連絡先が追加されることになった。

『夏木~夏木~』

 そして、電車のアナウンスはちょうど、夏木に着いたことを告げた。スマフォを直し、慌ただしく春香は立ち上がった。

「じゃあ、何かメッセージ送っといて! じゃ、また!」

 無邪気に手を振って、周りに構わずドタドタと電車を出ていく彼女の後ろ姿を見て、苦笑いを浮かべるしかなかった。もう少し落ち着けば、可愛らしいのに。

 電車は、またゆっくりと動き始めた。



 あれから三十分ほどが経った。無事に家に着いたというのに、机に置きっぱなしにしたスマフォを睨みつけたまま、春樹は固まっていた。

 何を言えばいいのかわからず、目の前には青い背景が広がっているだけだった。

 ただ一言、今日はありがとう、でも、久しぶりだな、でも、書けばよかった。でも、文字を打っては言葉を消し、それを何度も繰り返していた。

 たかが、心の入っていない文字を送るために、何を悩んでいるのか。馬鹿馬鹿しくなって、春樹は思わず頭を抱えた。

 どうしてこんなに、一つのことに時間がかかってしまうのか。春樹には、心当たりがあった。

 あの拳一個分の距離も、無愛想に話していたあの時間も、すべて、一つの気持ちが原因だということを。



 ちょうど、小学校六年、卒業式が終わってすぐ、春香は引っ越して行った。近所という程ではなかったが、遊びに入っていた。一年生の時、席が隣だったところから友達としての付き合いが始まったのだが、それもこの引っ越しを最後に終わってしまった。

 ただ、その時に手渡された、一枚の手紙がある。

 春樹はその手紙を、机に出していた。

 要約すれば、その手紙には「ずっと春樹のことが好きでした」という旨の文章が書かれていた。無口であまり器用ではなかったが、優しく頼もしい所に子供心ながら惹かれるものがあったらしい。

 その時の春樹は、まだ「好き」という気持ちがどんなものなのか、気付いていなかった。

 でも、今は違う。高鳴る感情が、言葉の意味を教えてくれている。わざわざ昔の手紙まで取り出して、何が言いたいかははっきりしていた。

 あの頃から無口で不器用なのは全然変わっていない。だから、春香よりも親しい友人は出来ていない。そして、春香より、好きになった人も、もちろん居ない。

 本当は一本後の急行電車に乗りたかったのに、わざわざ各停に乗る必要はなかった。でも、必要だった。

 照れ隠しに必死で、あの時間に何をしゃべったかも上手く思い出せなかった。でも、一緒の大学に行けることがわかった時は嬉しかった。そんな気持ちは、言葉には見せなかった。でも、心では踊っていた。

 だから、馬鹿馬鹿しかった。本当は一言で済む気持ちを、言えないまま持って帰ってきてしまったこと。そして、その言葉を今ここで、使おうとしていること。



 震える指先で、一心不乱に打った言葉を、そのまま送ればいい。春樹は、目を瞑って、メッセージを送る。そのまま、電源ボタンを押した。真っ暗な画面には、春樹の顔が映っている。

「……何やってんだ、俺」

 そう言って、春樹は席を立った。

 春香からの、通知を待たないで。



 ***



 小気味いいサウンドが、春樹を包んでいる。

 電車は来ない。その代わり、講義帰りの大学生でホームは満杯だ。

 同じ曲をリピートし続けて三回目。大学に入って一か月、もう春も終わりに差し掛かっているというのに、青い春を憂う曲を聴いている。

 サークルの新歓活動ももう終わりに差し掛かり、どのサークルに入るかを決めなければならない時期。でも、特に入りたいサークルはなかった。特別スポーツが好きなわけではないし、サブカルチャーに興味があるわけでもない。ただ、サークルには入っておいた方が良い気がするだけだ。

「この機会に、絵でも描くか」

 歌に掻き消されて、自分でも聞こえない言葉を呟いた。

 そんな時だったから、足音も立てずに訪れた春には、気が付かなかった。背中をポンポンと叩かれるまでは。


「お待たせ」

「……別に待ってない」

「えー退屈そうに音楽聴いてるくせに」

「退屈じゃない」

「あ、そう言えばサークルはどうするの、私まだ決めてなくって」


 そして、電車はやってくる。

 二人の時間を守るように、ゆっくりと。

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新しい春 神宮司亮介 @zweihander30

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