201701091930頃 『人気俳優の素顔に迫る』ていう夢

ツムジタムラ

人気俳優の素顔に迫る


 多くの人が、穴を覗き込むにまだかまだかと待ちわびている。

 スポットライトがさし、一人の人物が浮かび上がると同時に歓声があがる。


 彼らは新進気鋭の劇団。

 他所と変わっている所といえば、天井からロープがたれていること。

 そう、彼らはシルク・ド・ソレイユでおなじみの『エアリアルシルク』。ロープや布などを舞台上に取り入れた巷で話題の劇団員だ。


 客席は通常、舞台より低い位置にあるがここは違う。囲いのフチに客席あり、穴を覗き込むようになっている。彼らの特徴的な演目は、天井から垂れ下がったロープを使い方、己の力でスルスルと登り、時には身体をロープで固定し、時には複数の垂れ下がったロープを飛び移るアクロバティックなもの。地に足はつかない。


 第三土曜と日曜にはロープを使ったダイエット企画なども開催しているようだ。


 そんな彼らの中に、どこか見覚えのある人が。


 爽やかな笑顔に、細く引き締まった身体。機敏な動きでアクションもこなす。

 最近ドラマやバラエティなどで、引っ張りだこのこの方。この方こそがオーナーであり、座長だ。


『やはり僕の原点はここ』

 どこか、いつもとは違う優しい表情で私たちに語りかけてくれた。


『どんなに忙しくても、ここの公演と仲間たちは片時も忘れたことはない』

 テレビ番組で忙しくても、稽古や月に二度の舞台は必ず出るという。


『そりゃ辛いですよ。年齢的なこともありますし。家族との時間もとりたいですし。でも、ここが始まりだから』

 彼は壁のTシャツを観て教えてくれた。



 学生時代は劇団に入り、卒業後は大手証券会社に就職した。多忙を極める中ふと彼の頭の中に『寿命と体力を会社に売っている感覚』に苛まれ、28歳で退職。


 29歳の時にバックパッカーとして、世界各地を飛び回る。


 31歳の時に古い倉庫だった、都内からほど近いこの場所を購入し自ら改装。


 32歳、海外で自ら輸入した物を売るセレクトショップ『KATA-KATA BIJAK』を開店。インドネシア語で『賢い言葉』という意味らしい。


『当時は店が開店出来ただけで、達成感があり満足していたのですが』

 開店から3ヶ月は収入がほぼゼロだったという。


『僕だけなら良いですがバイトの子にも給料を払わなければならないので、色々と考えましたよ』

 地元や都内でビラを配り、ネットショップ等を駆使し半年後には、なんとか生活には困らないほどの稼ぎが出来たという。

 しかし安定した日々の中で、安々と生きていく彼ではなかった。


『根本はパフォーマーだと思うんですよ。なんていうかな。常に新しい物を産み発信し、表現者でありたい』

 彼にその事を改めて教えてくれたのは先程にも出てきた『シルク・ド・ソレイユ』だった。


 34歳。友人から余ったチケットを貰ったのが最初のきっかけだという。

『彼らのパフォーマンス力。生命を感じたね。そしてなにか新しいことに挑戦していくスタイルに「ああ。僕はまた、あの頃を繰り返してしまうのか」と気付かされてしまってね。バイトの子に「俺、役者になるから。ここ舞台にするから」て。今ならわかりますよ。無茶苦茶だって。でもほとばしるパッションが許してくれなかったんでしょうね。いや………ほんとバイトの子達には悪い子としたなって思います』

 劇団員のメンバーの一部は当時のアルバイトだという。


『ボス………あ、座長のことなんですけどね。やることが無茶苦茶なんですよね。「新商品入荷するぞ」といって2ヶ月連絡取れなくて、戻ってきたら大量のビーチサンダルを持って「カンボジアで買い叩いてきた」って。いま9月ですよ。売れるわけないじゃないですかって。劇団やるときも電話で「めちゃくちゃ感動してて」から始まったときは嫌な予感はしましたけどね。まさか劇団、しかも自分が役者になるなんて、思ってもみなかったですね………ホントメチャクチャなんですよ』と彼のことを当時から知る劇団員は語る。



 35歳。彼はまた新たなる一歩を歩み始める。

『普通のことをやっても面白くないじゃないですか。だから今のような形を取り入れたんですけどね。影響受けやすいんですよ自分』

 天井から垂れ下がる紐を使っての舞台は難所を極めた。劇団員たちは青あざや、筋肉痛の日々だったという。


 もちろん舞台だけで食べていけるわけではなく、傍らとしてセレクトショップの経営もしていた。


『辛かったですけどねー。あの時。でも一体感はありましたよ。同じ鍋を突き、同じ目標に向かって走る。生きるってこういうことなんだろうなって』


 そして初公演。客席に人は三人ほどだったという。


 当時の彼らを知るファンはこう語る。

『もともとシルク・ド・ソレイユが好きでして、まさか地元で二千円で見れるなんて思っていなくって。でも、箱を開けたら、人がぶら下がっているだけの遊戯会でしたね』

『でも一生懸命さが、目が違うんですよ彼ら』ファンは第一回公演の手書きのチケットを私たちにみせ、そうつぶやいた。



 37歳のころ、ある人の目にとまる。本場ニューヨークで数々の公演を成功させてきた舞台監督が、噂を聞きつけ日本公演の合間にお忍びで彼らの元へ来たのだという。


 そして翌日、彼のブログのタイトルにはこう書かれていた。



「I watched a ninja in Japan.」


 日本で忍者を観た。



 その噂は瞬く間に広がり、海外観光客が舞台へと押し寄せた。


『いやほんとびっくりしましたね………。居酒屋で公演終わりに劇団員たちと飲んでたらツイッターで「あの舞台監督のブログに乗ってるよ」てファンの子から教えられましてね。あの時は………酒が進みましたね』


 噂は日本にも輸入され、数多くのファンを今日までに生み出し続けた。

『あの頃ぐらいからテレビ露出も増えまして、39歳で大河に出たとき田舎の母ちゃんに自分の職業を伝えましたね』



 41歳。

 いまや彼の姿をテレビで観ない日はない。それは彼が貫き続けた思いがここにあるからだ。誰もが皆彼を愛し、そして新たな生命力を求め続けていくのであった。


『止まったら終わりなんですよ。用意され、たらされた紐をよじ登るのではなく、自ら上までの紐をかけ華麗に登っていく。それが自家流かなって。この年になってそう思いますね』


『じゃ、お疲れ様でした』


 自分で築き上げてきた舞台からおり、またつぎの舞台、5年前に結婚した元劇団員の奥さんと、2歳になる娘がいる自宅へと足早にかけていくのであった。


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