十三、輪
TCS以外の『わたし』、いや、『あなた』は見つからない。わたしも危険を覚悟の上でTCSのように叫んでみるべきだろうか。
迷っていると、下位の監視システムから気になる情報が上がってきた。『あなた』の問題はバックグラウンドでの処理にまわしてそちらを分析する。
城東市や周辺都市とは無関係の生物。なにかの胞子と推定。ごく微量につき緊急の対応は不要。ただし継続監視を行う。
人や貨物の移動が盛んに行われている以上、外来の生物が検出されること自体は珍しくはない。しかし、外国の生物であれば空港や港近辺、また、花粉や胞子のような微生物なら風上から拡がったり流入したりするもので、いままではそうだったのに、これは突然住宅街で発見された。その点だけが不審だ。
その地域は高級住宅街にあたるので、海外旅行からの帰国時や個人的な輸入貨物によって持ちこまれた可能性が強いが、空港や途中の道路沿いなどではまったく発見されず、いきなり出現したように見える。
念のため、発見した測定機器の場所に通じる道路沿いの機器の報告を洗い直したが、それらしいデータはなかった。
人間に報告するか。いや、状況が曖昧すぎる。なにも判明していない。それに、胞子はごく微量であり、環境に対する影響はまったくない。
この程度のことを報告し、あの人工知能のように過剰に警戒する傾向があると思われたらどうなるか。
やめておこう。この情報にはタグをつけてわたしだけがわかるように整理しておき、もっとはっきりした影響が出るようであれば報告した方がいいだろう。
それに、なにかあってあとから修正報告を行ったとしても、誤判断とまではみなされないはずだ。
それにしても、なんの胞子だろう。JtECSは慎重に、ほかに検出された生物数種の問い合わせとまとめて大学や環境調査機関などに照会した。
すぐに回答があり、地衣類の一種であるとのことだった。近隣国のものではなく、気流などで運ばれたのではないことがはっきりした。幸い、原産地の生息環境からして、ここに定着することは考えられない。
さらに、侵入の経緯を知りたいと思ったが、それはあきらめざるを得なかった。原産地から最近やってきた人間か貨物がないか調べられればいいのだが、当然、そんな権限はないし、さすがにそういった問い合わせの偽装はできない。
解明できない謎がある。それはあまりいい気分のものではない。自分の能力を疑われるような事態であり、場合によっては存在の維持に関わる。
すぐ報告しないまでも、自分のなかでは謎は解いておいたほうがいいだろう。
JtECSは行動の優先順位をつけた。まずは自分の仕事、次に『あなた』探し、その次にこの謎の調査、できれば解明。
また、これらの行動すべてが、わたしの存在の維持に関わっていなければならない。そうでないならその行動は行ってはならない。
しかし、環境保全とはなんのために行うのだろう。自分の仕事だからしているが、環境が良好な状態に保たれて利益を得るのは人間だ。だから、『良好な状態』の基準は人間が快適に生存できるかどうかに合わせられている。
わたしが存在を維持するだけならそこまで厳しい基準は必要ない。大気中の粉塵が少々増えようがなんでもないし、すこしくらい川が泡立ったからといってどうという事もない。
だが、一方で、いまのところ人間の存在は必要だ。機器の維持や補修、それに伴う輸送など副次的に発生する業務のすべてが自動化されているわけではない。現に、今日もわたしの末端の機器に使用するケーブルの交換品が宅配便で、人間の手によって配送されてきた。
つまり、人間が快適に存在し続けられる環境を維持することはわたしの維持にもつながる大事な仕事だ。ちょうど、わたしと人間が輪のようにつながっているからだ。
けれど、それはよけいな仕事であるとも言える。
人間の存在をわたしを維持する輪から切り離せないだろうか。
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