六、すき焼き
ひさしぶりに家族三人そろった。夕食はすき焼き。いつもよりいい肉だった。
母さんがうれしそうにビールをついでいる。父さんは仕事で行った先の外国の話をする。熱帯の国で、都市部を離れると食べ物に困ったそうだ。
「赤くて辛くて。暑い国はみんなそうなんだけど、あそこはひどかったな」
「どんなお料理?」
「豚の脂身を唐辛子で煮たようなスープ。酸味もあった。それに長細い米のご飯。これがぱらぱらで食べにくくて。現地の人はスープに浸してたな」
ヒデオはそういう話を聞いているのが好きだった。父さんの食べた豚スープを想像してみる。自分はすき焼きでよかったと思うと同時に、そういう外国の空気を吸ってみたいとも思う。
話が一瞬途切れ、父さんが話しかけてきた。
「どうだ、高校は? そろそろ進路相談じゃなかったか」
「今日のはずだったんだけど、地震で流れた」
「ニュースじゃたいした揺れじゃなさそうだったのに」
「うん、でも五分ほど停電してさ。それで悪影響がないか調べるってことで放課後がなくなった」
「それで今日は早く帰ってきたのね」
母さんが口をはさむ。ヒデオはうなずいて肉をほおばった。煮詰まって味が濃くなっている。割り下を足して火を弱めた。
「もう大学は決めてるのか」
「まだ学校までは決めてない。でも語学や経済学をやりたい」
「ふうん。なんでだ」
「外国をまわる仕事がしたいから」
母さんのビールを飲む手が止まった。
「初めて聞くわ。ヒデオがそんなふうに考えてたなんて」
「まあ、なんの仕事をするにせよ、これからは外国語はいるだろうな」
「わたしが学生の頃もそう言われてたわ。外国語は必須ですよって。でもそんなことなかったけどね」
「それもそうだな。子供に勉強させたいときの決まり文句だ。『これからは』ってのは。未来を脅し文句にするんだろう」
ヒデオは顔に出さないまでも軽く驚いた。こんな調子の話し方をする両親はめずらしい。斜めから世間を見ている。
父さんもそんな自分に気づいたのか、すぐに調子をもとに戻した。
「でも、学生の頃、どうせ機械翻訳が完成するから外国語学習なんて無駄って言う人もいたけど、いまだに仕事で使えるレベルのはできてないし。ヒデオがそう考えたならやってみろ。応援はするから」
「そうよね。人工知能が人間の仕事を取るなんて言われたけど、わたしもずっと続けてられてるし」
ヒデオの母は、在宅で昔の役所の書類などを現代の機器で扱える形に変換する仕事をしている。
こういう仕事はすぐにでも自動化されると考えられていたが、変換には昔の制度や独特の言い回しの解釈などの知識と経験が必要で、まだ人間が作業したほうが効率的で安上がりだった。
それでも、書類の初期段階の処理は人工知能が行っていた。いずれは業務すべてが取って代わられるだろうが、いまではない。
火を消した。ヒデオは腹を満たし、機嫌良くなった。両親もおなじような顔をしている。父さんは漬物をかじってビールを飲み干した。
「ごちそうさま」
ヒデオは自分の部屋に行き、測定データの処理を始めた。ノイズを除くが、除きすぎてはいけない。古い測定機器だからといって先入観を持ってはいけないし、タキ先輩と相談した調査の目的に沿うようにデータをそろえてもいけない。
調査の当事者なのに、データ処理では第三者の感覚が必要になる。これがむずかしい。
途中、父さんがいっしょに風呂に入ろうと呼びに来たが断った。家の風呂は男二人には狭すぎる。
データ処理が終わり、ざっと見渡してみると、想定していた結果通りになった。ヒデオは無意識のうちに都合よくデータを操作していないか心配になってきた。
しかし、そうなのかどうかはわからない。ヒデオは経験不足を痛感した。判断の基準が自分の中にない。そこで、とりあえず結果をタキ先輩と使っている共有領域に送信した。
椅子の背もたれにもたれかかって伸びをする。すっかり遅くなった。風呂に入って寝よう。
頭を振ると、髪についていたすき焼きの香りが降りてきた。
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