R.I.P.

神宮司亮介

R.I.P.

「エスト、か。可愛い男の子だなあ」

 かちゃかちゃと、ゲーム機に繋がれたコントローラのスティックの音が響く。

 身長、百五五センチ。

 体重、四七キロ。

 職業、見習い騎士。

 コントローラを床に置き、青年は窓の外を眺める。

 セミの鳴き声が今も響いている。夏の終わりにもかかわらず、暑さに変化はない。

 テレビ画面には、ゲームの主人公、エストが戦おうとする姿勢で画面の方を向いている。鎧や盾など、装備品は白を基調とするもので、赤いマントを身に纏っており、左腕に装着された盾には紋章が刻まれている。

 このゲームのジャンルはアクションRPGであり、主人公のエストという見習い騎士を操って魔王を倒す旅に出るという内容である。難易度は比較的易しめだが、それなりに面白いゲームだ。

 コントローラを握り直し、それの中央にあるスタートボタンを押す。

 始めよう、旅を。そう、呟いた。



 一路が外の世界を恐れるようになってから、もう五年が過ぎた。四季を彩る花の色も、一路には全てモノクロに映るほど、外に出ることが嫌いなのである。

理由は簡単だ。中学時代のいじめである。元々外で遊ぶことが好きで活発な少年であったが、そんな一路の人格を粉々に砕いたのは、中学一年の時に他にいじめられている子を庇ったことがきっかけであった。

 一路は単純に、人をいじめるという行為が馬鹿らしく思っていた。人を傷つけて、何が楽しいのかがわからなかった。目の前で泣きそうな声をあげている人がいて、どう快感を得ているのかが理解できなかったのだ。

 だから、一路は不良集団に向かって行った。

『その子、嫌がってるだろ!?』

 それが、全てだった。

 いじめの対象が一路に変わるのにそう時間はかからなかった。また、一路は自分が嫌なことには妥協することを許さなかったので、彼らの命令に従ったことは一度もなく、とかく不良たちの日々の鬱憤を物理的に晴らすための道具の一種として存在していた。

友達はみるみるうちに減った。一路を嫌ったのではない。自分が嫌われて、一路と同じ目に遭いたくなかっただけだ。賢明な判断であると、一路も思っていた。それに、一路も友達と距離を取るようになった。友達が自分と同じ目に遭うのは嫌だからという理由で。

一路は苦しみながらも、そのことを親には隠し通そうとした。ちょうどその頃、両親は離婚の協議中であった。隠し通そうとしたというより、構ってくれる様子がまるでなかったというのが正しいか。

一路がいじめられているのが母親に知られたのは、中学二年の春だった。時を同じくして、一路は学校の教室に出向くことはなくなった。



 難易度の一番難しいモードで、一路は無機質な瞳を携え旅を始める。操作するキャラクター、エストの中性的な声が仄暗い部屋に合わず、漂う。

 昔から一路は、少年キャラクターが好みである。それも、真っ直ぐで純粋な、テンプレートの性格の少年キャラクターが一番好きなのだ。それは十八歳になっても変わらない。悪趣味だと罵られても、構わなかった。それに、このゲームを買った理由も、パッケージの少年の絵柄に惹かれたという、ゲーム好きの人に理由を述べると怒られそうなものだ。

 そのせいもあってか、一路には面白くない戦闘がダラダラと続く。盾で守って、隙をつく。それの繰り返し。無駄な不変性を持つエストを見て、一路はコントローラを置いた。

「つまらん」

 躊躇することなく、一路はリセットボタンを押す。画面が消える前、敵の攻撃を受けて悲鳴をあげるエストの声が一瞬だけ届く。嫌な終わり方だなと一路は思った。腹いせにコントローラを投げる。

「こんなゲーム二度とするか」

 そんな、くだらない昼下がりに別れを告げ、一路は早々と眠りに就く。縦長の身体をくの字に曲げ、掛布団を抱くように使う。そうしないと、一路は眠れないのだ。

 机に残された本の山。部屋に散乱する一路の遊び道具。明かりの消えた世界の中で、小さな呼吸をし続ける一つの個体が、見た景色は、鈍色の空だった。

 日曜日の昼下がり。

 雨が降り出した、世界の隅っこ。

 命が一つ、別の世界に弾け飛んだ。



「起きて! ねえ、起きてってば!」

 一路は声に起こされ、渋々目を開ける。

「だ、誰だ……」

 霞む視界の中では、何がそこにあるかを捉えることは出来なかった。一路は慌ててベッドを抜け出し、机に置いた眼鏡をかける。

「ボクのこと、誰だかわかる?」

 クリアに切り替わる画面上に存在したのは、先程まで別の画面の中にいた、少年だった。

「夢か?」

 一路は痛んだ髪をボサボサと掻く。

「いや、夢じゃないよ」

 少年は橙色の髪を揺らし、一路に顔を近付ける。

「一路を、助けに来たよ」

 少年は唐突に言う。

「どういう意味だよ」

「どうもこうもないよ。ただ、ボクは一路を、助けたい」

 一路は信じがたい光景を目にしている。その鮮やかな橙に似た、茶色く染まった瞳。素の表情に滲み出ている笑顔。そして何よりも、現代の世界にはあり得ない、その服装。体には似合わない鎧が少年の存在を主張しているかのようだった。

「エスト……まさか……」

「そのまさかだよ。ボクはエスト」

 それは、奇跡というよりも、幻想のような、そんな気が一路はしていた。どう足掻いても、次元の違う世界から、実体化して現れるという現象が起こるはずはないのである。その手の知識は特にあるわけではないが、エストというゲーム内で創られたキャラクターが、ここに存在しているという現象がもはや謎であった。

「多分夢だ……」

 一路は首を振る。手で顔を隠し、呼吸を整える。心を落ち着かせ、窓を開ける。

「どうかした?」

 しかし、どうやら現実は変わらないらしい。エストは確かにそこにいた。

「一路、起きてる? ご飯、ここに置いておくわね」

 異次元の壁を破るように、一路の母親の美樹が部屋の扉の前に現れた。

「母さん、待って!」

 固く閉ざされた扉の向こうにいる美樹を、一路は呼び止める。「ちょっと、確認してほしいものがあるんだ」

 一路のこの言葉に、エストは反応する。キョロキョロと周りを見たと思えば、一路の机の椅子を引っ張りだし、空いたスペースに隠れようとする。しかし、一路はエストの赤いマントを掴むと、そこから前に進ませることをしなかった。

 美樹は何が起こっているかを知ることなく、恐る恐る扉を開ける。普段は部屋に入れてもらうことなんてありえないからだ。掃除をすることさえ、許してくれない。聖域となった部屋に立ち入ることは、無いものに等しい親子の絆を完全に断ち切ってしまうようにも思えたからだ。

 重い扉を開く。湿った、居心地の悪い香りが漂う。そして、一路の体が少しずつ視界に入り始める。美樹は少し安心して、そこからは躊躇することなく扉を開いた。

「これ、見える?」

 一路が指をさす。美樹は視線を動かす。

「誰……あなたは……」

 美樹にも見える、エストの姿。

「俺も、わからない。ただ、このゲームから出てきた。信じてもらえなくて当然なんだけど」

 一路はゲーム機からディスクを取り出す。それを美樹に数秒間見せた後、一路はマントから手を離した。

「……ごめん」

 一路は、誰が悪いでもなく謝る。いつの間にか、自分が悪くなくても謝ることが癖になっていた。

「どうして謝るの? 一路は何もしてないじゃない。それに……あなた、可愛らしい男の子ね」

 美樹は一路に優しく声をかける。その言葉を聞く度に悲しくなってしまうのだ。一路は何一つ悪いことをしてはいないのに、こうして苦しんでいる姿を見ると、辛くなってしまうのだ。

 そして、一路からエストの方に視線を移す。確かに、にわかには信じられない話だが、この目ではっきりと捉えられた少年の姿を、否定する理由はない。否定する必要もない。

「えと、ボクの名前はエストっていいます。ちょっとお邪魔してます……」

「小さい騎士さんね。もしかして、私達を守るために来てくれたの?」

「え!? あ、えと……はい……そ、そうです!」

「じゃあ、今日からよろしくね。でも、これからはそんな鎧を着たり、剣を持ったりすると危ないって言われちゃうから、着替えてくれると嬉しいかな」

「え、あ、でも、ボク、着替えは……」

「大丈夫、服なら、沢山あるわ」

「そ、そうですか……ありがとうございます!」

 一路の戸惑う心境を尻目に、美樹はエストを優しく迎え入れる。長々と理由を聞くわけではなく、不可解な現象を拒絶するわけでもなく、手を差し伸べる。それにエストも応えるよう、美樹の元へ進む。取り残された一路は渋々立ち上がる。

「こいつを、信じるのか」

 一路は美樹に問う。

「私があなたのことを信じることに、理由がないのと同じよ」

 美樹はそれだけを言い残し、一度部屋を離れる。その前に、エストの頭を優しく撫で、そこで待っていてねと告げた。

 母は、自分のことを今も信じている。

 それなのに、自分が母を信じていない。

 最低だ。

「大丈夫?」

 エストが心配そうに一路の顔を覗き込む。

「俺の母さんは、この世で一番優しい人間だからな」

 エストに気を使われるのは一路にはどこか釈然としなかったので、冗談めいたことを言ってみる。

「そうだね。ママさん、優しい人」

「だろ」

「でも、一路も優しいよ」

 その言葉に、一路は耳を疑う。

 エストと会って、まだ数分しか経っていない。自分の性格などわかるはずがない。それに、その数分の中で自分が優しさを見せたようなことは自分でも思い当たらない。

「どこが」

 エストは答えた。

「誰かを優しいって言える人は、その人の優しさを知ってるってことだから。ママさんを優しい人だって言えるのは、一路がママさんの優しさを知ってるから。そして、ママさんのことをそう言える一路も、優しい心を持ってるよ」

 一路は何も言えなかった。扉の傍に置かれた夕食が、湯気を立ててラップの外へ自分の存在を示していた。



 一路が母とご飯を食べるという行為がいつ以来なのかわからないくらい、リビングのテーブルでご飯を食べるのは久しぶりだった。

「お箸の持ち方はわかる?」

「こ、こんな感じですか?」

「あら、器用なのね。今度はお箸でご飯食べてみる?」

「はい!」

 一路の隣に座るエストは、一路のお下がりの服を着て今までもこの家にいたかのような雰囲気でいる。美樹から簡単な作法について教えられているが、中々器用にこなしている。

 一路は若干の居心地の悪さを感じつつ、煮魚と味噌汁、白飯を順序立てて食べていく。昔から、三角食べが癖なのか、きっちりと食べる順番を決めないと気がすまないのだ。それは母の美樹に似ており、美樹も必ず食べる順番を崩さない。

 そんな親子の食べ方とは程遠く、エストは煮魚ばかりを食べ、味噌汁と白飯がほぼ残っているという状態である。

「あらあら、お魚ばかり食べちゃって。ご飯とお味噌汁は嫌いかしら?」

「いや、そんなんじゃ……ただ、この魚おいしくってつい……」

 一路も同じようなことを思っていたが、そこは美樹が先に言ってくれた。一路は味噌汁を飲み干し、白飯を一口食べ、食事を終えようとする。

「一路、もう食べ終わっちゃったの?」

「一路お兄ちゃん、食べるの早いでしょ」

 一路は美樹の顔を睨むが、美樹はいつもと違う態度を見せる。

「エストくんが来てくれて良かったわ。ダメお兄ちゃんのこと、ちゃんと守ってあげてね」

 一路は何も言えなかった。エストの存在が、完全に一路のリズムを狂わせている。

「くっ……ごちそうさま」

 そう言って、一路は食器を台所の流し台まで運ぶ。普段はこの作業を美樹にさせているようなものだが、昔は自分で食器を運ぶことくらい当たり前だったということをふと思い出す。

 一路は足早にリビングを出る。そのまま階段を上がり、自分の部屋に逃げ込んだ。

「ボク……嫌われてるのかな」

 エストは箸を置く。一路の部屋の方を見て、悲しそうな表情を見せる。

「あの子は、人を信じられなくなっちゃったの」

「……」

「でも、一路は、私の大切な息子なの。私はずっと、一路のことを信じているわ」

 美樹はそう言うと、エストの方を見てこう言った。

「エストくんは、まるで昔の一路みたいね」

「え?」

「あの子、元々は好きな物ばかり食べる子だったの。いつも、好きなおかずばかり食べて、お野菜とかご飯とか、残しちゃって。でも……」

 思い出に浸りかけるのを、美樹は止める。

「ずっと、ここにいていいからね」

 エストは一瞬ためらったが、うん、と言った。



「はあ!? 何でお前と一緒に風呂入らないといけないんだよ」

「ボク、もっと一路お兄ちゃんと一緒にいたくて」

「どこまで一緒にいるつもりなんだよ、つかいつの間に一路お兄ちゃんって呼び方になってんだよ」

「ママさんにそう呼ぶ方が良いよって言われたから……」

「とりあえず、お兄ちゃんはやめてくれ。一路でいいから」

「うん、わかった。で、お風呂……」

「……わかったよ! 一緒に入りゃいいんだろ?」

「いいの? やったあ!」

 一路は大きくため息を吐く。

 夕食の後は、何故かエストとお風呂に入る約束をしてしまった。この一日で、久しぶりのことが多くなったせいで疲れを感じていたが、まだ一人にはなれないと思うと一路は落胆するしかなかった。そんな一路の気持ちも知らず、エストは喜んでいるようだが。ただ、一路もエストという存在の謎を解き明かしたい部分は大いにある。良い機会になるかもしれないということも頭の中にはあった。

 一路は覚悟を決める。

「じゃあ、入るか」

 エストの背中を押すように、一路は風呂場へ向かう。自分が昔着ていたTシャツを着た、小さな騎士を従えて。

「ねえねえ、一路は一緒に湯船には入ってくれないの?」

 エストが湯船から顔を出し、髪を洗う一路に聞くが、一路は何も返してくれない。エストは口を尖がらせて、一路の様子をじっと見守っている。

「お前、馴れ馴れしいな」

「敬語で接する方が良い?」

「……やっぱ今までどおりにやってくれ」

 一路はだるそうに手を動かす。普段ならさっと髪と体を洗いすぐにお風呂から上がるのだが、エストはそれに反して中々湯船から出ようとしない。その上、髪も体もまだ洗っていないのだ。

「お前も早く頭くらい洗えよ」

「もうちょっと浸かってたい」

「……じゃあ、俺が洗ってやろうか」

「え、いいの?」

 予想外の食いつきに一路は戸惑うが、流石にそれは出来ないという態度を見せる。

「じゃあ、そろそろ出ようかな」

「なあ、お前、本当にあのゲームから出て来たのか」

「うん」

「何で出て来れたんだ?」

 一路はエストにそう問う。

「ボクは、ずっと見てたから」

「え」

「一路が、泣いてるところとか怒ってるところとか」

「そんなこと、あり得るかよ」

 一路は体についた石鹸の泡を流し、湯船に入る。

「でも、ボクは見ていたんだ。一路がボクに向かって言うことも、ちゃんと聞いていたんだ」

 頭を洗う手を止め、エストは一路の方を見る。

「あの頃からずっと……一路が笑わなくなってから、ボクはずっと一路を助けてあげたいって思ってきたんだ」

 誇り高い騎士の、その凛とした顔つき。かつて一路が所持していた情熱が、そこにあった。

「お前たちの世界から、俺たちが見えたりするのか?」

 平面で出来た、人間様が作り上げたプログラムが、心を持つのか。生きた人間のようにそこに存在するのか。不思議というよりは不可解な事実。シャワーから滴り落ちる水滴だけが、その場のBGMとして旋律を奏でている。

「わからない。でも、ボクには、確かに聞こえたんだ」

 白い泡に包まれた手をエストは何度も擦り合せる。核心部分を言おうとしないエストに、一路は苛立ちを見せ始める。

「別に言えないんなら言わなくてもいいよ」

 一路は湯船から上がり、風呂場から出ようとする。小さく丸まった背中を通り過ぎて、何事もないような素振りを見せる。

「一路、リセットしたでしょ」

「え」

「セーブもせずに、さっき、リセットしたでしょ」

 そんな一路を呼び止めるように、エストは告げる。今から大事なことを話そうとしていることは一路にもわかったが、エストが何故かこのタイミングでシャンプーを流すため、シャワーからお湯を出し始めたため、一路は声が聞こえるように湯船に戻る。少し逆上せそうな感じではあるが、今はそんなことを気にする時ではないことくらいは、一路にもわかった。

「したけど、それと何の関係があるんだよ」

「ボクのデータ、あの時、全部消えちゃったんだ」

 タイルにぶつかる、ジリジリという音。白い煙に曇る鏡。赤く染まった頬と、一路の方を見る、茶色の瞳。

 悪かった。一路は湯船の淵に額をつけ、頭を下げることしかできなかった。



『データはありません』

 ベッドで気持ちよさそうに眠るエストの方を見て、一路は唇を噛む。テレビの画面上に映された、セーブデータが消失されたことを告げる文字。

 一路が投げたコントローラは、メモリーカードがささった部分に横たわっていた。なすりつけるとしたら、そのせいだろう。

 今は幸せそうに眠っているエストであるが、まだ彼のことを一ミリも理解できていない一路にとっては、触れるとすぐに消えてしまうのではないかと言う不安がそこにあった。

 エストはいったいどんな夢を見ているのだろうか。そもそも、夢というものを見るのだろうか。

「本当に、聞いていたのか?」

 一路は眠るエストの姿を、ぼんやりと眺める。そこにいるのは、人間である。

 一路は、この夜久しぶりに涙を流した。



   ◇ ◇ ◇



「あれでよかったのかな」

 買ってからそれほどプレイしていないゲームを進めるため、一路は休みをゲームに費やしていた。ダンジョンを抜け、町で一息つき、依頼を受けてまた、旅を続ける。その繰り返しの中で、仲間に出会ったり、敵の勢力との争いがあったり、様々なイベントが発生した。

「僕は、いじめられている子を、放っておけなかったんだ」

 カチカチと冷めた音が部屋に響く。旅の主人公、エストは、激しい戦闘を繰り広げていた。神殿の奥深く、ミイラやゾンビの群れをエストは一閃していく。

「僕は正しいことをしたはずなのに」

 手が小刻みに震える。コマンドの入力失敗から劣勢に陥るエストの悲鳴が聞こえる。

「どうして僕が、いじめられなくちゃならないんだろう」

 必死に抵抗するものの、数が多すぎて抜け出すことは出来ない。エストのヒットポイントがみるみるうちに減っていく。防御を多用しても、ミイラやゾンビに背中を取られては意味がない。

「どうすれば、どうすればいいんだよ……」

 一路は悪いことなど一切していない。むしろ、人として当然のことを行ったのだ。道徳の授業で習った『見て見ぬふりをするな』というキレイゴトを実践したのだ。しかし、それは一路に何のプラスも与えてはくれなかった。何も触れられない深海へと堕ちて行ったのだ。

「僕が何をしたって言うんだよ!」

 一路は声をあげて泣いた。しかし、その声は誰にも届かない。母親の美樹はパートに出ており、父親はいない。この部屋にいる一路にしか響かない。

 気付いた頃には、エストは骨だけになっていた。

 このゲームは、端から見ればファンタジー色の強い、ファンシーな雰囲気を持っているが、いざ戦うとなると、描写はリアルになる。

 自分のせいで、エストは死んでしまった。

 でも、生き返る。新しいエストが生まれるのだ。

「僕も、やり直したい。あの頃に」

 逃げてはいけないことはわかっている。自分の行動には責任を持たねばならないこともわかっている。しかし、今の一路には、希望がなかった。誰かに助けを求めればいいものを、それを出来ない不器用な人間である一路は、美談にもならない我慢を積み重ねる。それが決壊するまでの間だけ、平和を装っていられるのだ。ただ、籠城しても勝ち目はもはやない。敗北を待つだけだった。

 一路は、何かあるとこゲームをプレイしては、不満を漏らしたり、覚悟を決めたり、とかく何かを宣言していた。自分の声は届かないが、そうすることで少しは気を紛らわすことが出来たのは事実であった。

 そんな不思議なことを繰り返すうちに、一路は気付いた。一人寂しい場所で立ちつくす自分が、無力であることに。所詮、この仄暗い世界からは抜け出せないことを知った。

 生きている自分の席に置かれた、花瓶。花がそこで咲き誇っている。綺麗だった。

 そう、一路はその世界にはいなかった。

 各々の欲求不満の解消と、保身のために。

 体中の痣と、心に出来た大きな穴を消し去ることは出来なかった。万引きを命令された時、一路は拒否した。煙草を吸わされそうになった時も、一路は口を開かなかった。母から貰って大事にしていたペンギンのキーホルダーが粉々に砕かれても、一路は泣かなかった。屈したら負けると、そう思っていた。

 しかし、一路がいくら迫りくる壁を乗り越えようとしても、その壁は高く一路の前にそびえ立った。空も見えないくらい、高く、高くに。一路は何度も落ちては、這い上がろうとした。

 それも、中学二年の春までだった。

 クラスが変わっても、いじめは終わらなかった。主犯格が揃って一路と同じクラスにいたのが、運の尽きだった。

 そして、一路が壊れた日。

「僕は、死んでなんかない……」

 物理的欲求を満たした悪魔が最後に取った行動は、一路の存在を消すことだった。その象徴が、美しい花だった。凛と咲き誇っていた、花だった。

「僕は死んでないんだ!」

 誰も何も言わない。

 だから、一路は投げた。

 白い、花瓶を、一路を苦しめ続けた悪魔目がけて。

 彼は、金持ちの息子で、普段は優等生ぶっていた。確かに成績はすごく良くて、運動も出来る。男前で女子からの人気もあった。

 ただ、実際は違った。切れ長の鋭い目を、冷酷に向け始めると、彼は欲求をむき出しにする。細い眉毛が眉間に寄り、口角が上がる。

 そんな時も、一路は逃げなかった。ただ、その一投が、全てを狂わせた。元々狂っていた時計が、ついに止まった。

 生憎、一路のコントロールが酷く、花瓶は打者の頭上を越え、窓ガラスを突破した。一路はそれと同時に、教室という地獄を抜け出した。

 そんなかつての記憶を一路は掘り起こす。良い思い出は見事に存在しない。

「どうせなら、良い話、したいよな」

 掛布団から身を出して眠るエストは、この夜のことを何も知らない。



 エストが現れた次の日も、一路を取り巻く生活は一変する。朝は七時には起こされ、これまたリビングで朝食を食べることになる。もちろん一路から動いたのではなく、エストに連れられてなのだが、今まで美樹が催促してもほとんど聞く耳を持たなかった自分が従順に従っている様は何処か滑稽であった。

 美樹はいつも仕事で夕方までは家にいない。しかし、掃除や洗濯を一路がするわけでもない。全て美樹に任せている。だが、この日からはエストがその役を担うこととなった。一つ教わったらすぐに出来るようになってしまうエストの能力を一路は羨ましくも思うが、自分は面倒でやる気にもならないことを引き受けることは感心する部分もあった。

 一路はその間部屋で籠るが、ふと気付けば机に向かっていた。何かをしなければならないという焦燥感に駆られたのか、積み上げられた参考書の山を崩してスペースを開け、初めに取った数学の参考書を目の前に広げる。決してこれまで勉強をおろそかにしてきたわけではない。しかし、やる気があったわけでもない。だらだらと過ごす時間にまっとうな理由をつけたいがために勉強していただけだった。

 こうもあっさりとというのが、一路の本音であった。

 長年積み上げてきた壁を、一日も経たずに崩された。

 今までの自分の行為が馬鹿らしく、脳裏に浮かぶ。

 夢みたいな日々。

 目を開くのが怖かった頃。現実に引き戻されるのが恐ろしかった。夢の中では、笑っていられた。好きなものに囲まれて、楽しく過ごせていた日々。ただ、それは夢の中だけ。

 しかし、決して一路は一人ではなかったのだ。辛い時、傍にいてくれたのは、母親の美樹だ。父と離婚したのも、美樹は一切悪くない。女癖が悪く、すぐに美樹に暴力を振るう父が悪いのだ。一路はその姿を怯えながら見ていた。そんな自分が歯がゆいと思っていた。だから、立ち向かおうとしたのだ。自分に、そして、こんな世界に。

 こんなに近くに、守ってくれる人間がいるのに、一路はその手を払い続けた。温かい光を自ら遮り続けた。

 すぐに立ち直ることは出来ないだろう。ただ、一路の中で何かが変わり始めたのは確かだ。少なくとも、一人で生きているという馬鹿なことは、もう頭の中には存在していない。



◇ ◇ ◇



「エストくんがこの家に来てから、一路、変わったのよ」

 二週間が経っても、エストはかわらず一路の家にいる。美樹からはお手伝いさんを雇ったのかしらと思わせる程の働きぶりだ。

「どういう風にですか?」

 エストは洗濯物を美樹とたたみながら、そんな会話をしていた。

「心を開いてくれるようになったというかね……今までは、自分の部屋でご飯食べるのが当たり前だったから」

 初めは渋々リビングに降りてご飯を食べるという感じではあったが、最近はそうでもないように見える。現に、この前は自分からリビングに降りて来たのだ。少しは変化がうかがえる。

「それに一路、大学に行くために、勉強をし始めたの」

 エストにはピンとこない話になるが、頭の良い人たちが行く学校だと説明され、何とか理解をする。一路がゲームをあまりしなくなったり、ダラダラしている時間が減った理由が、ここで明かされる。

「確かに、最近一路は机に向かって何かをずっとやってる」

「それが勉強よ」

 美樹は、幸せそうな顔をしている。エストはその顔が見られるだけで幸せだった。ここに初めて来たばかりの二人の表情は実に暗いものであった。

 今の美樹は、その頃とは見違えるように違った。ブラウンのショートヘアを揺らし、小さな唇を動かしている。何か歌を歌っているかのようだった。

「一路と一緒で、ママさんも細くてキレイですね」

 思ったことを、エストは言った。

「そっか。ありがとう」

 ただ、エストは見た。先程までの笑顔が一瞬曇ったことを。

 そのことには触れず、エストは自分が着ていた服をたたみ、全て服をたたみ終わったことを確認する。

「二人だと、何でも早く終わっちゃうね」

「そう……ですね」

 エストは少し、寂しくなった。何かを隠されている、そんな気がしたからだ。

 ただ、一路がまた頑張り始めたと知って、前を向き始めたと知って、エストは嬉しかった。それが、エストの願いであったからだ。

 エストは上機嫌で一路の部屋へ戻る。すっかり兄弟部屋のようになった一路の部屋は、いつしか鍵がかかっていなくなった。

「一路、夜食持ってきた……よ」

 エストは美樹に頼まれて持ってきたおにぎりと麦茶が乗ったお盆をその場に置く。

「い、一路!」

 エストは手首にカッターナイフを当てている一路の姿を見ると、咄嗟に体が反応したのか、カッターを持つ一路の右手を両手で掴む。

「離せ」

「自分のこと、傷つけちゃだめだよ!」

「るっせえなあ!」

 一路は細い腕を目いっぱい振り、エストを追い払う。そのまま立ち上がり、震える右手を左手で押さえつける。

「何でもっと早く……今更、もう変わらない……もう何も、変わらないんだよ!」

 その、痩せこけた体格とは対照的な威圧感に、エストは立ち上がることが出来なかった。何故、こうなってしまったのか、現状も受け入れることが出来ない。

「今頃努力したって無駄なんだよ!」

「……でも、大学は、来年受けるって……ママさんが」

「外に出るのが怖い人間が、大学なんて行けるかよ!」

 切れた頬の痛みより先に、エストは胸が締め付けられた。自分のせいだと、一路がこうなったのは自分のせいなんだと思い始めた。

「ご、ごめんなさい……」

「謝ったら済むのかよ! 希望なんて、今の俺には要らないんだ!」

「……ご、ごめんなさい……」

 謝る以外の言葉が見つからず、エストはただ俯く。

「どっか行ってくれ……しばらく、一人にさせてくれ……」

 一路はベッドに倒れ込んだ。エストは一路の言うとおり、その場を去った。

 折角元気になりかけていた一路が、また今の世界に絶望しかけている。理由は何であれ、自分のせいであると、そうとしかとれない一路の言葉に、エストは落ち込んだ。

「何か、悪いことしちゃったかな……」

 一つあるとすれば、エストが、ここにいることだった。

 エストは耐えきれなくなって、階段を降りる。美樹もお風呂に入っているのか姿が見えない。

「……ごめんなさい」

 エストは、未知の世界へ足を踏み入れた。



 夜の道は、暗く冷たかった。

 エストは靴箱から自分に合うサイズの靴を履き、外へ出た。少し頭を冷やして、戻るつもりだった。きっと、一路も疲れていたんだと、そう思うことにした。

「すっかり、この世界の生活になじんだんだね」

 ふと、エストはとある声を聞く。耳触りで、冷ややかな声だ。

「ツヴァイ……何で君が……」

「エスト君。君とはあそこで決着をつけられなかったからね」

 エストは後ろを振り返る。

「やあ、小さな見習い騎士さん」

 銀髪が風に靡く。右目を眼帯で隠し、夜の道に溶け込みそうな黒い装束を着た少年が、そこにいる。

「さあ、僕と一緒に行こうよ」

「……それは出来ない」

「どうしてだい……君は僕のものになると決まっているというのに」

「そ、そんなこと……」

「それに、僕たちは、ゲームの中に生きる、一キャラクターでしかないんだよ。誰かに操作されて、決められた人生しか、過ごせないんだよ」

 事実を突きつけられ、エストは何も言えなくなる。

「それなら、ボクはツヴァイには負けない。そういう風になってるじゃないか」

「この世界には、そんな設定などないじゃないか」

「それは……」

「でも、理由はどうあれこの世界に生かされて僕は楽しみが出来たんだ」

「……楽しみ……って?」

「君を僕の意思で僕のものにすることだよ。僕のやり方で、ね」

 エストは怖くなって、家に戻ろうとする。しかし、ツヴァイはエストの腕を掴むと、そのまま塀に向けてエストを投げ飛ばす。背中を強く打ちつけたエストは立ち上がろうとするが上手く呼吸が出来ず、しゃがみこむ。

「僕らの姿は、生憎彼と彼の母親にしか見えないみたいだね……助けを求めても誰も助けてくれないよ」

 先程から自転車や人が僅かであるか道を通り過ぎていくが、誰もこちら側には顔を向けない。

「でも、僕は彼らに興味はない。君さえ手に入ればもう何も必要ないんだ」

 その鋭い目つきで、エストを睨むツヴァイ。

「もっと僕の為に怯えておくれよ……僕は君のそんな姿を見るために生きているんだ」

 エストは早くその場から逃げ出したかった。

 ゲームの中でも、ツヴァイは恐ろしい。エストを苦しめる理由はただ一つ、エストの苦しむ顔を見るのが好きだということ。何度もエストの前に現れては、エストを襲い続けた。

 そして、データが消える前、エストが戦っていた相手こそ、ツヴァイであった。それも、最後のツヴァイとの戦いであった。

 沢山の影を操って、エストを闇の中へ引きずり込もうとする。それをエストは一路の力で何度も避け、隙をついて剣を振っていった。

 今は違う。互いの意思次第で、全ては決まる。

「いい顔をしている……きっと彼も同じだったんだよ」

「彼……それって……」

「きっと、君みたいに真っ直ぐで優しい、道徳的な奴は、無性にいじめたくなるんだよ」



 エストのいない部屋で、一路は後悔をしていた。先程の自分の行動に。変わりゆく自分の心情が、かつての自分の渦巻く暗闇に飲み込まれそうになっていた。もう何をやっても無理なんだと、そう思っていた頃の自分が顔を出した途端、怖くなった。

 安易な考えだった。いっそ、死のうというのは。こんな苦しい世界にいるのなら、いっそこの身を投げてしまおうなど、馬鹿げた話だった。それに、自分を傷つけようとした刃で切りつけたのは、一路を暗闇から救い出そうとしてくれているエストだった。

 目指すことに、無駄は存在しない。一路は、もう一度陽の当たる場所で呼吸をしたくなった。だから、スタートラインをひいて走り出そうとしている。そこに、迷いはないはずだった。しかし、独学で勉強をするという行為は中々難しい。わからないことだらけで、心が折れそうになる。全て自分が選んだ道なのに、何度も後ろを向いて、分かれ道まで戻ろうとしてしまう。いっそその場に座り込んで、動かなければいい、そんな考えを巡らせてしまう。

 電気のついた暗い部屋に、風が吹く。青色のカーテンが部屋の中に体を広げる。

「君か。エスト君を苦しめる張本人は」

 一路はうつ伏せになった体のまま窓の方を向く。

「だ、誰だよ……」

「僕たちは君のせいで命を奪われたんだ。セーブデータという、記憶をね」

 一路はゆっくり焦点を合わせる。目が慣れた頃、一路は起き上がる。

「僕も、彼も、帰る場所がなくなった。さあ、どうする?」

 月を背景に、銀髪の少年は気を失っているエストを抱え、部屋に入ってくる。

「エストは僕のモノだ。でも、今のエストは、僕の好きなエストじゃない。闇に怯えるエストなど、僕には必要ない」

 軽々と放り投げられるエストの体。一路はそれを受け止める。

「今日は特に何もしていない。少し気絶しているだけさ」

 確かに、目立った外傷はそれほどない。

「エストとは、決着をつけないといけない」

「どうしてだよ」

「僕にもエストにも、決める権利はないからさ」

 銀髪の少年はそう言い残し、一路の前から姿を消す。窓から飛び降り、あっという間に遠くへ行ってしまった。



◇ ◇ ◇



「今日は楽しみだね!」

 あれから、また一週間が経つ。エストは何も変わることなく、生活を続けていた。

 美樹はエストの背丈に合った浴衣を用意する。昔、美樹が一路のために買ったものだが、結局着せる機会がなく押し入れの中で眠っていたものだ。

 今夜、近くの河川敷で花火大会があるという話をエストにしたところ、エストは行ってみたいと言った。そこで、美樹は三人でお祭りに行こうという話をしていた。もちろん、一路は行きたくないと言うので二人だけの予定であったが、今朝になって美樹が体調を崩し、今夜の予定はなくなってしまうところだった。しかし、落ち込むエストを見かねたのか、ついに一路がこう言ったのだ。

「行ってやるよ。一緒に」

 それは、エストにとっても、美樹にとっても嬉しい言葉だった。

 初めて着た着物にエストは、自分の姿に見とれたの洗面台の鏡の前から中々離れようとしなかった。藍色の水面を、金魚が鮮やかに泳いでいる。少し帯が苦しかったが、すぐに慣れてしまった。

そして、これまた靴箱で眠っていた下駄を履く。美樹が見たかった姿が、そこにあった。

 そして、お祭りにあった服装のエストとは対照的に、紺色のTシャツと黒の長ズボン姿の一路が玄関前に現れた。

「辛くなったら、帰ってきていいから」

 美樹はそう言った。

「エストにも、外を、ちゃんとした外の世界を、見せてやりたいだけだよ」

 美樹の心配とは関係ないことを一路は口に出す。

「じゃあ、行ってくる」

 一路は真っ白なスニーカーを履く。一路は上手く言えなかったが、美樹に向かって口を動かす。美樹はそれを見て、笑った。

「行ってらっしゃい」

 美樹に見送られた一路とエストは、花火が上がる予定の河川敷の方へと歩き始める。

 一路は、その久しぶりの世界に、恐れを感じずにはいられなかった。一歩一歩が重く、疲れる。それでも、大丈夫だったのは、エストの左手が一路の右手にあったからだ。

 あの夜、エストが一度夜中に目を覚ました。

「ごめんなさい。一人で出歩いて」

 エストは、自分のせいだと謝る。

「俺のせいだから、謝らなくていい」

 一路は、エストは悪くないと告げる。

「ありがとう、一路」

 そう言うと、エストは一路の体に顔を埋める。ジャージを掴んだ手が、震えている。

「ボク、ちゃんとここにいるよね」

 エストは泣いていた。

「怖かった……どうしようかなって……」

 一路はどうすればいいのかわからなかった。どんな言葉をかければいいのか、どういう態度で接すればいいのか、一路にはわからなかった。

「死にたくない……消えたくないよ……一路……」

 その言葉が、今も一路の頭の中に張り付いている。

 今のエストには、そんな不安を抱いていた感情があるとは到底思えなかったが、その一言に未だ言葉を返せていないことが気になっている。だが、今の幸せを崩すわけにもいかず、一路は平静を装っている。

河川敷は人で賑わっていた。道路には出店が立ち並び、人がぞろぞろ辺りに集まっている。

「もうすぐ、花火が上がるぞ」

 空いた場所に二人は座る。周りを気にするエストを落ち着かせるように一路は言うが、そんな一路も人の多さに圧倒されている。こんなところからは早く抜け出したい。別に自分を卑下するような人間はいないのだが、その環境にいることが苦しかった。

「ボクがいるから、大丈夫だよ」

 何の根拠もなく、エストは言う。ずっと手を握ってくれるエストが今は心強い。

 程なくして、大きな音を立てて、光が弾ける。赤、青、黄、緑、桃、橙。色が夜空を背景に踊っている。同心円状に光が広がったかと思えば、柳のように垂れ下がる光の束が、視界上ではその手に触れられそうなところまでやってくる。大きな花を咲かせたかと思うと、次は小さな蕾が一斉に開花する。

「キレイ……すごいね、一路」

 エストは花火を見て、喜んでいる。一路以外は見えない、その少年の笑顔は、誰かを幸せにできる笑顔だ。

「だな。綺麗だ」

 色鮮やかな世界は、久しぶりだ。色がある。美しく広がる光が、そこにはある。迫力のある音が耳を駆け抜け、体の奥に響く。

「来て良かった、来れて良かったよ」

 一路は、エストの手を強く握った。



 湯船に浸かるエストは、先程まで聞こえていた音を頭の中で鳴らしていた。その目に映る光、聞こえた音、感じた、その場にいる人々の姿。

「この湯船って、結構広いんだな」

 一路は呟く。ぼんやりと自分の世界に入っているエストには届かないが、背の高い自分が入っても足を伸ばせ、尚且つ二人入っても大丈夫な、湯船の広さ。

 一路は先に湯船から上がり、プラスチックで出来た桶にお湯を入れる。

「うわっ!?」

 それを、一路はエストの頭にかける。エストは驚いて暫く瞼を閉じていた。

「びっくりするくらいひっかかるもんだな」

 一路はエストの頭に手を乗せる。

「本当はこんなことしたかったんだ。弟がいたらな」

 エストはゆっくりと一路の方に顔を向け、瞼を開く。

「ここが、エストの帰る場所さ。この前は、ごめんな」

 素っ気ない謝り方しか出来ず、一路は恥ずかしくなるが、エストはそれでも喜んでくれる。

「気にしないで。ボクは一路がそう言ってくれるだけで嬉しいから」

 その言葉に照れた一路は、エストの髪を掻き乱す。くしゃくしゃになるまで、一路は手を止めなかった。

「ったく、可愛い奴だな。お前は」

「や、やめてよ一路」

 嫌がるエストを見て、一路は手を止めた。

「じゃあ、先に上がってるな」

 一路は風呂場を後にした。



「そう。一路、本当に変わったのね」

 お風呂から上がったエストは、一階の和室にいた美樹のところを訪れる。リビングを出て、階段とは反対にある引き戸を開けると、そこに和室がある。そこに美樹は座って待っていた。

「やっぱり、行っちゃうのね」

「はい。ボクの、最後の仕事ですから」

 美樹は、押し入れからエストが初めに着ていた鎧と剣、盾を取り出す。

「もう、一路には、言ったの?」

「はい」

 エストは嘘をついた。

「そう……。でも、私も一路も、待ってるわ。あなたはもう、私たちの家族よ」

 美樹は小さな体をそっと抱く。細い手首に、エストは傷の跡を見た。今まで長袖の服しか着ていなかった美樹の半袖姿を、エストは初めて見た。

「私も苦しい時期があった。誰も、私のことを見てくれない……一路も、ね」

 エストには、美樹は強い人の印象が強かった。だから、美樹が今、心から叫んでいることにエストは驚いていた。

「お母さん、失格なの、本当は」

 全てが狂ったのは、一路が四歳になった、秋のことだった。

 その頃、美樹のお腹の中には赤ちゃんがいた。一路も、そして夫も出産を楽しみにしていた。

 しかし、その赤ちゃんが産声をあげることはなかった。

 美樹は、何も悪くなかった。医者も運が悪かったとしか言えないと美樹を庇ってくれた。

 夫が態度を変えたのはその頃からだ。

 気に入らないことがあれば、夫は美樹に手を上げるようになる。家に帰るのも遅くなり、金遣いも荒くなる。

 沢山家族が出来ても大丈夫なように購入した一軒家が、とても寂しく、そびえ立っていた。

 それでも、美樹は諦めなかった。いつか、家族がまた幸せに暮らせるようにと、どんな時も笑顔でいようと、決心した。一路の前では、苦しむ素振りを見せないと、ずっと堪えてきた。

 それは、所詮無理なことだったのかもしれない。

 現に、夫とは離婚することになった。別の女が出来たと、金ならいくらでも払うと。

 時を同じくして、一路は美樹に感情を見せることは無くなった。自分の世界に虚ろって、蛍光灯をただ見つめているような、空っぽの心で生きていた。

「一人は、辛かった……もう、嫌だったの……」

 美樹は一路に優しく声をかけ続けた。無視されても、ずっと。でも、それも長くは続かなかった。

 手首の傷は、一度風呂場で切ったことがあるものが含まれていた。

「お風呂、大きいでしょ。それは、一路に私の流した血と同じ場所に、いて欲しくなかったの。そして、弟がいたら、二人でお風呂に入ってたかなって思って、無駄だってわかってても、広くしたかったの」

 もっと寂しくなった家に、美樹は耐えきれず仕事に出る道を選んだ。それでも、一路のことは信じていた。いつかまた、美しい景色が見られるようになることを。

「だから、あなたが来てくれて、嬉しかった」

 美樹はエストを離さないように、ギュッと抱きしめる。エストの頬が、冷たく濡れた。

「ボク、ママさんのことも知ってたよ」

 エストは、小さい声でそう言った。

「一路のこと、あの扉の向こうから、ずっと見てたんだよね」

 美樹は頷いた。

「私も、知ってるわ。いつも一路は、あなたに悩みを吐いていた。羨ましかったけどね」

 エストは、美樹の顔が見れなかった。もちろん、顔を向けることが出来なくなっていたのだが、そうする勇気もなかった。

「行ってきます」



 家を出て、エストは、先程までいた場所に戻る。あの河川敷。人がすっかりいなくなった場所は、実際はとても広い場所であることを実感する。

「やあ、来てくれたんだね」

 砂地のど真ん中に、ツヴァイは立っていた。

「そうそう、本気を見せてくれないとね」

 見習いには贅沢で、厳かな鎧。赤いマントが風に靡く。

「君みたいな少年にしか魔王は倒せないって、とんだ設定だと思わないか」

「……それは思うよ。でも、ボクに与えられた力は、どこへ行ったって変わらない、ボクの意思も、変わらないよ」

 エストに秘められた、魔王を封印するための特別な力。よくある設定を刻み込まれたエストの使命は、大きいものだった。

「でも、僕には、その力は使えない……」

 ツヴァイは眼帯を取る。右目の赤い瞳と左目の青い瞳が、エストに向けられる。

「でも、ボクも君も、生身の人間だ」

「だから、そんな力、関係ないって? 馬鹿だなあ。君の存在価値は、魔物の力を自分の力に還元するってだけだろ? そして、その剣を強化していく、ただそれだけじゃないか。そんなことでしか強くなれないなんてああだらしない」

「……でも」

「まあ、そんなことどうだっていい。僕は君を僕のモノにするだけさ」

 月明かりに照らされる二人。

「っ!?」

 先制は早かった。影がするりとエストに伸びる。

「最初から、ある程度は痛みを与えないとね……」

 鎧の隙間をぬるぬると潜り抜けた影は形状を変え、針のように鋭くなる。そのまま、エストの体を貫く。

「くっ……先にやられるなんて……」

「どうだい、痛いだろ。まあいちいちその鎧の隙間狙わなくてもいいんだけどね」

 勢いをつけ、影を抜き取る。エストの体は前のめりになって、そのまま倒れる。

「こ、これくらい、どうってことない……」

 エストは立ち上がろうとするが、ダメージが大きいのかふらついて上手く体勢を立て直すことが出来ない。

「おやおや、これくらいで僕に屈するのかい?」

 ツヴァイはエストを挑発するように言う。

「そんなことない! こんなところで、負けるもんか!」

 エストは足に力を入れ、剣を握りなおす。一歩、二歩と進み、そこから一気に加速する。ツヴァイの懐目がけ、剣を振るう。

「そんな真正面からの攻撃、目つぶっててもかわせるよ」

 しかし、ツヴァイは軽々と攻撃を避け、エストの背中に回り込む。

「しまった!」

 エストは慌てて振り返るが、ツヴァイはその隙を見逃さない。地面から伸びる影に隠れた、ツヴァイ自身の装備である鉤爪でがら空きの背中を攻撃する。鎧の装甲もろとも抉るように。金属音が擦れ合って、耳障りな音を立てる。

「何だ、所詮君自身の力なんてそんなものか」

 エストは何とかツヴァイの方に体を向けるが、徐々に気力では紛らわせない程の痛みが走ってくる。

「まだ足りないのかい?」

 冷ややかな笑みを見せるツヴァイ。体格は自分とさほど変わらないのに、こうも力の差を見せつけられると、エストは悔しくて仕方なかった。

「まだ……戦える……」

 エストは深く息を吸う。腹部の傷が痛み、血が流れていく。

「じゃあ、今度はこっちから行くよ!」

 ツヴァイはその場から姿を消す。エストは落ち着いて、ツヴァイの気配を読み取る。避けるタイミングはほんの一瞬だった。足元から突き出す影を避けると、今度は頭上から襲いかかるツヴァイを盾で受けとめる。そして、その影からエストは剣を突き出す。だが、体には当たらず、頬をかすめる。傷はつけられたが、ダメージは薄い。

 しかし、エストはそこで終わらなかった。受け止めたツヴァイをそのまま払い落とそうとする。剣に注意が逸れたツヴァイは少し体勢を崩して着地するが、そこでエストが剣を振り下ろす。

「くっ……」

 ツヴァイは膝を立て、その場に崩れ落ちる。

 エストの持つ剣には、それまでの旅で倒した魔王の刺客たちの力が宿っている。端から見るとただの剣だが、それはエストの持つ力と同調することによって本来の力を発揮する。一振りの威力は、凄まじいものだ。

「僕が何度切り裂いても倒せない君が、君は僕をたった一撃で追い詰められるなんて……僕はやっぱり、君を、手に入れたい!」

 ツヴァイは強引に間合いを詰めてエストを攻撃しようとするが、エストは剣で直接攻撃を受け止める。頭に血がのぼったのか、一本調子になったツヴァイには怖さを感じない。最後の一振りを避けると、エストは剣を振り上げる。ツヴァイの体が夜空に浮かんだ。

「ボクの、勝ちだ」

 ツヴァイの体は地面に叩きつけられる。十字に刻まれた傷の深さが、たった一振りの威力を物語っている。

「……また、君が手に入らない……」

 ツヴァイはゆっくりと手を伸ばす。エストの、顔をなぞるように。

「ボクと……一緒に行こうよ」

「……そんなこと……出来るわけが……」

「あるよ」

 ここに来て、エストは剣をしまう。

「本当は、戦うなんて、嫌だ」

「何だい……君はすっかり……この世界に染まったのか」

「…………」

「いいじゃないか……物語が決められた世界……君は英雄だ……魔王を倒して……英雄になる……良い物語じゃないか……」

「……でも、ボクたちは、終われない……」

 エストは、涙を流し始めた。

「選びたくても、選べない……そんなの……嫌だ……」

「そうか…………なら」

 エストは完全に気を許していた。

 心優しい、いや、甘い、純粋な少年の願いが叶うはずはなかった。

「ここで、一緒に死のう」

 ツヴァイに、エストは足を掴まれる。月明かりは、まだ二人を照らしていた。

「さあ、いこうか」

 影が今度は複数に伸びる。胸部、腹部、両腕、両足。数えきれない線が、エストの体を襲った。

「うっ……ああっ!?」

 そんな声が漏れ出す。装甲ごとエストを貫いた無数の影が、次々と引き戻される。

「へへへ……はははははは……綺麗だよ……その顔、怖いんだろ、なあ、そうなんだろ……もっと、もっと叫んで、もっと泣いてくれよ僕のために!」

 最後の一本が引き抜かれても、エストはなんとか立っていた。しかし、動くことは出来なかった。このまま崩れ落ちてしまうことしか、頭にはなかったからだ。

「じゃあ、そろそろ終わりにしよう」

 影が帯のようにするする伸びる。エストの体を締め上げるように巻きついた影は、エストの体の自由を奪っていく。

「っつああああああああああ!」

 鎧も盾も、エストを守ってはくれない。ミシミシと音をたて、装甲が壊れていく音が響くだけ。

「このまま骨ごと砕いてやろうか!? でも、それよりもっと痛くしてやろうか!?」

 もう、言葉が出なかった。この影の帯を取り払う力はない。抵抗しようにも、その術がなかった。

 それでも生きているのは、きっと、事前に割り振られたステータスのせいだろう。一路は無駄に生命力や防御力にステータスを振っていた。それが、ここで反映されてしまっている。

 ツヴァイは、先程自分が地面に叩きつけられるのと同じ要領で、エストを攻撃する。一回では気がすまず、五回ほど繰り返したところで、ツヴァイの攻撃が止まる。空中でするりと影がほどけ、エストはツヴァイの傍に落とされた。

「っく……」

 エストは立ち上がろうとするが、その力はもう残っていなかった。

「はは…………エスト…………それでも、生きるのか……」

「……帰りたいから…………生きて、帰りたいから」

 ツヴァイは笑った。

「……なら、連れてってくれよ…………僕も」

 エストは右手をエストの左手に伸ばした。

「……もう……戦わなくても……いい、かな」



 一路は、エストを探していた。

 一路は美樹に確認され、初めてエストが戦うために家を出たことを知った。

 最初は、探しに行く気はなかった。きっと帰ってくるであろうと思ったからだ。

 しかし、エストはいつまで経っても帰って来ない。

 探す行先は決まっていた。エストが近くで知っている場所は、一つ。

 あの、花火を見た場所で。

 そんな思い出の場所に、エストはいた。

「エスト!」

 一路は慌てて駆け寄る。その声に、エストは反応する。

「おい、エスト! 生きてるか!?」

「う、うん……ちょっと……派手にやっちゃった……」

 傷だらけの体を一路は見ていられなかった。

「でも……生きてるよ…………」

 エストは、笑う。

 一路は、エストの左手をそっと握る。

「一路……」

「この世界には、終わりがある。ゲームの世界みたいに、筋道出ってる世界じゃなくて、始まりと終わりが、明確にある。俺もいつかは、死んでしまう。でも、やっと気付けた。当たり前だけど、選ぶ自由があることが、どれだけ幸せなことか……エストのおかげで、やっと気付けた」

 感情が、溢れだす。溜め続けてきたものが、器の外へ一気に溢れ出る。

「……一路……良かった……」

「ああ、ありがとう、ありがとう……」

「……ボクらには、夢があっても……叶えられない……決まった世界を歩くことしか…………出来ないから……本当は……戦いたくなんてない……」

 ほんのわずかな強さで握り返されるエストの手の温もりを、一路は感じる。

 ここに生きていることに、理由は必要なかった。小さな手で奪った命の数を憂う必要もなかった。エストはそっと、瞳を閉じる。

「一路たちには…………選ぶ権利がある…………でも、自分で物語を終わらせようなんて……そんな悲しいこと…………もう、しないで…………」

 それから、エストは深い眠りに就いた。



◇ ◇ ◇



 三月初旬。

 あれからもう一年と少しが経つ。

 一路は制服を着た受験生の群れの中、トレンチコートを着て受験した大学の中にいた。

 お守り代わりの美樹お手製のペンギンのぬいぐるみをつけた鞄を足元に置き、携帯音楽プレーヤーの電源を入れる。合格発表が始まるまでは、もう暫く時間がある。

 一路は使い古した英単語帳の中から、一枚の手紙を取り出す。たどたどしい字で書かれた、手紙だ。

『一路へ ボクがいなくても ボクはずっと一路のそばにいるからね エスト』

 一路は笑った。

「お前がいても、問題は一問も解けなかっただろうな」

 そう言ったら、「そんなことないよ」と言ってくれそうな気がした。

 今はネットでも確認は出来るため、わざわざ電車に乗って大学まで行くのは面倒だと言ったのだが、美樹は折角の機会なのだから行くべきだと言ってこちらの言い分を見事に聞いてくれなかった。

 暇つぶしの音楽はみるみる家に時間を潰していく。もっと大事に使いたい気もするが、他に特にすることもなかった。

 そして、発表の時間が近付き、一路は鞄から受験票を取り出す。心なしか凛々しく見えた自分の顔が、少し恥ずかしい。周りのざわつき。木々が揺れ、葉がこすれる音。職員が何か指示を飛ばしている。



 一路の目の前に、合格者の受験番号が貼りだされる。



「母さん」

「一路、どうだった」

「受かってた」

「そう! 写真は撮った?」

「まあ、一応」

「そう……良かったわね。今日は御馳走よ」

「ああ。楽しみにしてる。じゃあ、帰るわ」

 電話を切る。そして、誰にも見られないよう、小さくガッツポーズをした。



「ということよ」

 美樹は喜んでそう言った。

「一路、受かったんだ!」

 エストは自分のことのように喜ぶ。

「一路、受かったって、すごいよね、ツヴァイ!」

 そして、エストの隣には、すっかり日常になじみ、狂気を失ったツヴァイがいる。

「まあ、あいつなら受かって当たり前だろ」

「素直じゃないんだから」

 エストは肘でツヴァイのことをつっつく。本来ならあるはずの溝が、そこにはない。新しい物語が、この場所で紡がれている。

「じゃあ、二人共、今日はお手伝い頼むわよ!」

 エストとツヴァイは、対照的な反応を見せつつ美樹の背中を追うように台所へ向かう。二人の背丈は、ちょうど同じだ。



 帰りの電車の中で、一路は一枚の写真を取り出す。

 そこに映っているのは、自分と美樹、そして、エストとツヴァイの四人。

 誰に見せても、二人しか存在しないと言われるが、少なくとも一路の目にはしっかり四人の姿が映っている。

 結局、エストやツヴァイがこの世界に現れた理由、存在する意味、謎ばかりが増えるだけで、いつの間にか家族のようになじむ二人には、そんなことすら尋ねることもなくなっていった。

 ただ、どうやら二人のような生き方をする者は、他にも存在しているらしい。たまに「パトロールに行くんだ」と言っては、エストもツヴァイも帰って来ないことがある。一路には見えない何かが、この世界には沢山虚ろっているらしい。

 自分の意思があるとはいえ、一年経っても、二人共成長する様子がない。小さい背丈のまま、一年が過ぎている。ひょっとすると、体自体は大きくなったりしないのだろうか。でも、エスト曰く一センチは伸びたらしいので、少しずつは大きくなっているのだろう。将来どうなるのかはわからないが、美樹が今の生活を楽しんでいる以上、一路が横からとやかく言う必要もなかった。

 変わる景色に、一路は目を細める。のどかな田舎の集落を越え、住宅地の風景に切り替わる。人の流れを感じ始めたかと思いきや、しばらく田園風景が広がる。

 意外と、都会と呼べる風景は、家に帰るまでの世界には見当たらなかった。世間は人口の増加で都市化が進んでいると言うが、そんな気配は実際にはあまり感じ取れなかった。



 晴れやかな気持ちで、一路は帰路につく。家に帰ると、美樹より先にエストが飛んできそうだ。

 そんなことを考えている一路は、いつも通る地下道に入る。

 そこで目にしたものは、複数の男子に責め立てられる、一人の男子。軟弱そうな体が、そういう奴らの獲物であるとわかりやすく表現している。

 まだ、消えない、愚行。こんなことをして、何になるのだろうか。人を傷付けるだけ傷付けて、得るものなど、あるのだろうか。その場しのぎの快楽で、誰かを不幸にするのは、許せない。

 一路は、迷わなかった。

「お前ら、何してんだよ」

 一路は笑った。

 その場にいる人間には到底理解できない、心だ。

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R.I.P. 神宮司亮介 @zweihander30

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