Episode 001

【01】赤の我儘

9月1日。午前9時頃。

2学期開始の初日である今日の朝、クラスメートたちは長い夏休みのことを教室内で語り合っていた。

弾んだ声に楽しげな表情で、久しぶりに会った友人たちと楽しげに話していた。至る所で笑い声が聞こえ、笑顔があふれていた――はずだった。


対して、今。

教室は重たい空気に満たされている。

教壇に立っている赤茶の髪を耳の少し下で団子状に結んでいる少女の腕には、『生徒会』の腕章。

授業開始のチャイムが鳴ってから数分後に彼女は突然この教室に入ってきて、自分の学年と通称名を名乗った。

そして、黒板に『文化祭実行委員立候補者』と大きく書いた。それらがこの教室の雰囲気をどん底にまで落とした原因だ。

生徒たちは顔を伏せ、役員の方に一切目を向けない。


「もー、みんなは文化祭実行委員をなんだと思ってるのよー……」


1つ年上のその生徒会役員はがっくりと肩を落とし、頭を垂れる。


「他の委員会と大差ないからね?そりゃ、上の学年との交流は他の委員会より多いけど、別に先輩たちに殺されるってこともないからね?怖いことじゃないんだからね?変な勘違いしてない!?」


この沈黙の話し合いが始まってから、もう40分以上経っている。

「1年生だから手こずるとは思ってたけどここまでとは……」と彼女は肩を落とす。


「大丈夫だよ、乱闘とかにはなんないし、先輩たちも変わり者はいてもいきなり殴ってくる人とかはいないから。ほんとに」


彼女の必死の弁明に、多分教室の8割以上が嘘だと思ったことだろう。

クラスの雰囲気は断固拒否を貫いたままだ。


目立つようなことはしたくない。それが自分の何よりも優先しているポリシーだった。だから文化祭実行委員なんてもってのほかだ。

いっそ、人生が終わる。

とは思いつつも、自分が選ばれるはずがないという確信があった。クラスでもカゲを薄くしている自分に火の粉がかかるはずがない。巻き込まれ事故もない。そう高をくくっていた。


役員である彼女の視線が自分に向けられてる気がして、さらに目を伏せる。知り合いの知り合いという経由があり、知らない顔ではないし話したこともあるし、協力できることならしたいとも思う。だが、これは協力できないことだ。そんな目でこっち見ないでほしい。


彼女の説得の言葉以外のものが飛び交うことのない教室に、一つの声が響く。


「うっし、分かった!」


突如あがった大きめの声に、教室内の大半がそっちを見る。

赤い髪、赤い瞳、高めの身長。どこかチャラく、不良っぽい雰囲気のせいで学園の風紀を守る風紀委員になぜか目をつけられている男子生徒が声を上げた。


「俺がやる」


親指で自分を指さし、にやりと笑う。それに教卓の先輩が喜び、クラスの雰囲気が少し軽くなる。

「ほんと!?」と手を口に当てて喜ぶ彼女に、その男子は大きく首を縦に振る。

彼女は手にカメラを構え、彼の姿を写した。


「あと1人!彼の手伝いをしてもいいと思う人!いない!?」


彼女の興奮気味のその声に、また教室が静まりかえる。露骨な変化と謎の一体感に少し笑いそうになる。

決まりそうで決まらない。ようやく事態が動き出したということもあり、彼女の催促は加速する。だが、クラスメートたちは動かない。


「えぇ!?君、どんだけ嫌われてるの!?」

「ちょ、なんてひどいこと言うんすか!?」


立候補した男子と生徒会役員のそのやりとりに、教室の至る所から笑いをこらえる声がする。

「あとちょっとなのにぃ……」と彼女は頭を抱えた。


「オーケイ、分かった。お前らが名乗り出ない限り話し合いは終わんないし、このままじゃそこのセンパイに俺が嫌われ者だと思われちまう。それは困る。ってことで、俺の相棒は俺が決めてやる」


赤髪のそのクラスメートは教卓まで歩み出て、人差し指を立てたその手を思いっきり上に上げる。

そして、普段からデカいデカいと注意を受けているその声で、高らかと宣言する。


「君に決めたァ!」


指を指されたその人物に全員の目が向けられる。

浴びたこともない視線の数に、思わず「へ?」という素っ頓狂な声が無意識に出た。


状況把握をする前に、パシャリという音がして、生徒会役員と目が合った。


「おっけ。文化祭実行委員2人分、登録完了!委員会の日程は後日連絡回すから、ってことで、以後よろしく!」


彼女がスキップ混じりに教室を出て行くと、教室内に安堵の声が多々漏れた。

何が起きたのか理解できたと同時に、俺は赤い髪の馬鹿野郎にささやかな殺意を覚えた。殺意はさすがに物騒すぎるが、とりあえず1発は殴っておかないと気が済まない。




 ◇




「さて、どう落とし前をつけようか」

「やっだー、ヒトオミ君ったら-、こわーい」


赤髪の友人――ヨウのくねくねとした仕草に「気持ち悪っ」と思わず口にした。

最近の芸能人に、たしかそんな仕草をする人がいたはずだ。それの真似をしたのだろう。


「まぁまぁ、俺を助けるつもりだとおもってさ引き受けてよ」

「ヨウ君と友達やめたい気分なんだけどね……」

「そんなに俺嫌われてんの!?もう俺のメンタルずたずたなんすけど……」


胸の位置に手を当てて切実に訴えられたが、しったこっちゃない。


「俺、何の前ぶりもなく決められてメンタルずたずたなんですけど」


じとり、と睨み付けてやる。

自分が目立つ様なことをとことん避けていることと、その理由を知っているはずなのに、なんてやつだ。

そう思ってることが伝わったのか、ヨウは「てへぺろっ」と自分の拳で頭をたたいた。そんなに殴りたいのなら代わりに殴ってやろうかと思わせるうざさがあった。


「ドンマイだね、ヒトオミ君」


ぽん、と肩をたたかれた。

慰めてくれてるのかと前向きに思いたいところだが、残念ながらそうはいかない。


「お前、俺がヨウ君に指名されたときめちゃくちゃ笑いこらえてたろ」


「あ、ばれた?」と青い髪の男子――サクが開き直ったように言う。


「だってさ、ヨウ君のあの大げさな指の差し方もおかしかったけど、ヒトオミ君が思った以上に間抜けな声出したからさ」

「間抜け言うなよ、予想してなかったんだから」

「僕もしてなかった。ヨウ君、なんでヒトオミ君選んだの?」


サクがそう訪ねると、ヨウは「面白そうだったから」と食い気味に即答した。

サクがケタケタと笑いながら「でたよ、それ」と口にする。ヒトオミも全く同じことを思った。今までの付き合いの中でヨウがどれほど似たようなことを口にしてきたことか。


「まぁまぁ、目立ちたくないなら目立たないようにしてりゃいいんだよ、ヒトオミ君」

「巻き込んどいてよく言うよ」

「ってことで、よろしく頼むぜ、相棒!」


握手を求められ、それにチョキをだして応えた。

「なにそれ、新手のギャグ?」とサクに茶化されたが、握ったら負けの気がしたから仕方がない。


記録した、とあの役員は言っていた。なので多分変更するのに手間がかかる。

しかも記録したというのは、生徒会役員全員に知らせるという意味でもあるので変更は容易にきかない。

というのもあるし、友人に指名されていやな気はしない。


「ま、楽しくやろうぜ?」


付き合いはさほど長くないが、それがヨウの口癖でありポリシーだというのはいやと言うほど思い知らされている。


「でも意外だったなぁ。文化祭実行委員って、あんなに人気ねぇんだな」


ぐー、と背を伸ばしながらそう言ったヨウに「確かにね」とサクが同意する。


「真面目な子とか立候補するとか思ったのに」


「ねー、八重ちゃん」とヨウはたまたま近くを通りかかった女子生徒に声をかけた。緑色の長い髪を背に垂らす彼女――東雲八重は、不意に声をかけられ「へ?」と驚いた。


「驚き方がヒトオミ君と同じなんだけど」とサクがまた笑い出す。

いやいや、そのかわいい反応と自分の間抜けな反応が同じなはずがないだろう。


「ヤエちゃん、文化祭実行委員に立候補する気はなかったの?」とサクが訪ねる。

「あ……、実は、奉仕委員の接待役と風紀委員の見回りの手伝いを頼まれていて……」

「え!?ヤエちゃん、奉仕委員でも風紀委員でもないんじゃ……」

「ちょっと家の事情で、手を貸してほしいと頼まれちゃったから。それがなかったらやろうとも思ってたんだけどね」

「相変わらず優しいね、ヤエちゃんは。ヒトオミ君もそう思うでしょ?」


優しくないよ、と両手と首を左右に振る八重。長い髪も一緒になって揺れる。先ほど彼女自身も言っていたとおり、彼女の家柄には少々難があるせいで近寄りがたく孤立してもおかしくなかったのだが、それでも彼女の周りに人があふれているのは彼女から歩み寄ったからだ。


それはそれとして、なぜ話をこっちに振った。

ヒトオミは振ってきた当本人であるサクのほうに少し視線を向けると、相手は「ん?」とすっとぼけたような顔をしていた。なんだその顔。


「……まぁ、でも文化祭実行委員会の会議に東雲さんは合わないかな」


無視するわけにもいかず、独り言のようにそう応える。人の目を見て話すべきなのだろうけれど、それは老若男女問わず苦手だ。

そんな自分に、彼女の「そうなの?」という柔らかい声が落ちてくる。座っている自分に目線を合わせようとしてくれたのか、八重は少し屈んだ。


「結構、荒れてるらしいし」

「普通科と特別科は仲良くないからね……。風紀委員の知り合いも愚痴言ってたし……」

「あー……、そうなの?」

「けんかとか、多いらしいよ。ヒトオミ君も怪我しないように気をつけてね?」


心配いらないよ、とか。心配ありがとう、とか。そういう気の利いた言葉がとっさに出ず、「分かった」と無難なことしかいえなかった。そして、他にもっとあっただろと内心頭を抱える。


「あれっ、ヤエちゃん。俺の心配は?」とヨウが訪ねる。

「ヨウ君も気をつけて」

「なんか雑じゃね!?」


八重がそう言い終わるやいなや、彼女を呼ぶ声がして、その場を去って行った。

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