トイレソムリエの孵化教室

ちびまるフォイ

トイレを孵化させたくないですか?

「ふむ、このトイレは80点だな」


この国にトイレソムリエという職業があったのなら、私は間違いなく顔パスで合格できるだろう。

というのも、ことトイレにかけて私以上に熱心な人はいない。


小便器と大便器の個数。

スペースの広さ。

荷物を置く場所はあるか。

エアータオルはあるか。

洗面台の掃除は行き届いているか。


などなどなど。

リストにすること数百か所のチェック項目を記入するためだけに

わざわざ高い電車代を払ってトイレをチェックして回る奇人とは私のことだ。


今日もとある大型百貨店のトイレチェックを済ませて帰ろうとすると

洗面台に恐竜の卵のようなバカでかいタマゴが置いてあった。

これでオムレツを作るとフライパンがオムレツになるサイズ。


「誰か忘れていったおもちゃか?」


手に取ると、おもちゃらしからぬ重量に生命の可能性を見出した。

その日トイレには私という異常者以外は誰もいなかったので、

その異常者が卵を家に持って帰ったとしても気に留める人などいなかった。


家に持ち帰ってなんとなくお腹の下に入れたりして飽きるまで温めた。

ひんやりとした卵の殻によってお腹が冷やされ下痢に悩まされる頃には

私はすっかり卵を部屋のインテリアとして飾っていた。


ピシッ……。


「おっ?」


数日後、卵にひびが入った。


「まずい。この部屋にはいろいろなものが置いてある。

 最初に見たものを親として認識するのであれば、この子は一生本棚を親と思ってしまうぞ!」


今となっては意味のない心配だが当時の私は慌てて卵を空地へと移動させた。

卵が割れて仮設トイレが出てきたときには、便意を催すほどに驚いた。


「ト、トイレ……?」


こんな摩訶不思議なことがあろうか。

卵から出てきたのはまさかの仮説トイレ。


工事現場などでよく見るあの白と青の電話ボックス大のもの。


怖くなった私は空き地を後にして家に帰ると撮りためたトイレ映像を見て心を落ち着けた。

私が空き地にトイレを産み出したことを必死に忘れるように。


とはいえ、何日たっても仮設トイレはそこにあり続け利用者もちらほらいることを知った。


偶然の産物とはいえ、誰かに必要とされることの嬉しさは、

友達がいなかったために寂しい学生時代を余儀なくされたこの荒んだ心には

さながら荒れた大地に降る恵みの雨のようだった。


まあ、つまり、嬉しかったのだ。



とある休日、トイレのパトロールで前の百貨店に入ると、またあの卵がトイレに置いてあった。


私は迷わずそれを持ち帰り、家の中でありったけの毛布を卵に着せた。

しばらくは寒さと人恋しさに震える夜を過ごしたが、

卵にヒビが入る音を聞くとそんなことはすでにどうでもよくなっていた。


「よし! また仮設トイレができるぞ!」


トイレが必要だったのに、どこにもトイレがなくて困るであろう場所に卵を置く。

今や私はトイレソムリエからトイレを産み出す神としてジョブチェンジしたのだ。



ピシッ……。



「きた!」


卵が孵化すると、公園にありそうな立派な公衆トイレが出て来た。


「あれ……!? 仮設トイレじゃない?」


仮設トイレのように便器がひとつではなく、

洗面台まで完備されているハイグレードモデル。


私のスーパーコンピューターをも超える頭がうなりをあげて分析した結果、

どうやら卵の温め方で、その後の孵化形態が変わることをつきとめた。

というか、それ以外に違いがないのである。


その後も幾度か百貨店のトイレを訪れると卵が置いてあるので、

それを持ち帰っては思い思いの方法で孵化を試した。


私の冷静で的確な分析は的を射ていたようで、

うまく温めれば温めるほどに生み出されるトイレ質は良くなっていく。


私の住む家の近くが謎のトイレ密集地としてお昼の情報番組でネタにされるころにいは

私のジョブはトイレ神から、トイレ研究者へとさらにジョブチェンジした。


「湿度32.125%、室温27.88℃、空気の清浄度99.9999%……」


部屋の環境をくまなくチェックしながら卵の状況を調べていく。

もともと凝り性だった私はついに家の横に卵専用の生育施設を作り、

毎日卵と環境のチェックを行って最高のトイレを作る研究に明け暮れていた。


卵は極めて生物に近いもので、「心地よい」と感じる環境に近づけるほど質は高まる。


「ふふ、楽しみだなぁ。きっとどこよりも完璧なトイレができるだろう」


完璧な部屋の温度、湿度環境に清潔度。

どれをとっても隙のないこの生育環境で卵を育てばどうなるか。


いつまでも心地いいこの部屋に身を置いておきたいが、

私は卵を後にして自分の家へと戻った。

これがまずかった。



ガシャン。



卵ではなくガラスが割れる音で深夜目が覚めた。

頭の中にあぐらをかいている眠気も、家の横にある研究室が襲われたのがわかると一気に眠気は吹っ飛んだ。


暗がりでもしっかりと人影が卵を持ち出したのが見える。

私は部屋着のブリーフ姿をも気にせずに必死に卵泥棒を追いかけた。


「待て!! 卵かえせ!!」


私はけして運動ができるタイプではないが卵を取り返すという正義感から

ウサイン・ボルトのような足さばきでどんどん犯人との距離をつめる。


「ひぃ!!」


「か、え、せぇぇぇぇぇぇ!!」


犯人の背中をつかむころには、暗がりの白ブリーフ男が血眼で襲い掛かる恐怖の絵面が犯人の目に飛び込んだのだろう。

パニックになった犯人は注意をそらすためか卵を放り投げてしまった。


「ああああっ!!」


卵はアスファルトにたたきつけられて、でろでろと大理石の液体を流した。


「そんな……あんなに手間をかけたのに……。

 こんなことになるなんて……もうだめだ……」


高い金を払って最高の環境を整えた研究室もムダになった。

もう百貨店のトイレには卵がなくなり、再チャレンジの機会は永遠に失われた。

後に残ったのは研究施設だけとなった。



 ・

 ・

 ・


それから数日が過ぎた。


「なあ、あのトイレ行かねぇ?」

「いいね。行こうぜ」


私の作戦は見事に的中し、そのトイレは連日地域の人々の観光スポットであり

癒しスポットとして大人気になっていた。


最高に快適な室温。

常に保たれている湿度。

清潔極まりない空気。


卵の生育で使われていたすべてをフル動員して、

私の研究室は新たな最高のトイレとしてリニューアルされた。


トイレソムリエである私が監督している以上、常に完璧な空間を演出する。

それだけに利用者は後を絶えなかった。


私は心から、いや、腸から嬉しく思った。





ただ、私の家の横に置いたのは今でも少し後悔している。

窓から見える風景がトイレ行列というのもなかなか複雑だ。

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