第27話『水平石獅子神楽 1』

「先ほど、息を引き取った」


 衛士のひとりがクライフとアンゼルマを案内しながら、石造りの小屋に向かいながら、ふとそんなことを漏らす。知っていることを話すと約束したアンゼルマが食事の前に初めに案内したのがここだった。

 被害者の死体を集める南平石の焼き場で、多く、木々材の焼却や火葬を担う一画で、土地の価値もそれなりに安く、故に傭兵たちのような職業を相手にする店も多い。商人の手合いは価格の手頃さで腰を据えている様子だが、詳しい事情を知ろうとは思わなかった。


「いま運ばれてるのがその死体でな。皮を剥がれていてはその背格好すらもよく分からぬが、見たければ見るといい。気持ちのよいものではないが、驚くほど綺麗に剥かれていて恐ろしさを感じる」


 黙って聞いていたクライフだが、自分ではなくアンゼルマに対してそこはかとない敬意を以て接する衛士の間に何かを感じ、ふむとひとつ頷くと死体を運び終えた衛士らと併せてその背中を見送る。


「生皮を剥がれてなお生きていたということか?」

「らしいわね。……まあモノを見てみましょう」


 そういって歩き出す彼女の言葉に死者への思いはない。単純な物体を拝むだけのような気軽さに、見た目通りの正体ではないだろうと彼も思いを募らせる。

 知っていることを教えるにしては確信過ぎるからだが、そこを怪しむよりまず「なぜ給仕姿のままなんです?」と思わず最大の疑問を口にする。


「ん、ああ。着替えてこなかったから」

「被害者のご遺体を見るとなれば、飲食店の制服のままというのは憚りがあるのではないかと」

「ああ、そっち? そっちか。なるほど?」


 エプロンを解くと、外したそれをそのまま撒くように腰へと帯にする。


「どうせしばらく給仕姿はおしまいだし、いいのよ。それよりも、ええとクライフさんだっけ? あたしの正体には微塵も興味がないってことかしら?」

「そうでもない。そうでもないんだが――」


 少し考え彼は口を開く。


「女には秘密があっていい。いい女ならなおさらだ」


 と、彼が過去に聞いた言葉を口にするや、アンゼルマが言葉を詰まらせる。そのような言葉を人に聞いていたと付け加えようとしたのだが、「あッ」と面白い表情を浮かべるアンゼルマの気が抜けた仕草にクライフ自身続けるのを思わず忘れてしまう。

 褒められたと思われた彼女は「そ、そうか。いい女、ね」とまんざらでもなく、そんな文言があるのかと聞かれたと思ったクライフは「……まあ、恐らく」そんな感じだったと思うとばかりに首肯する。


「とんだ軟派オトコだね、あんた」

「本当ですか? …………そういわれたのは初めてだ」


 こちらもなぜかまんざらではない様子だった。

 結局アンゼルマは自身が赤獅子傭兵団の団長であることを話す機会を逃してしまい、謎多きいい女の肩書きを選んでしまった。彼女を知る多くの男たちは、彼女をそう褒めたことはほとんどない。

 彼女は己の腕を見つめ、ぐっと握り拳を固める。


「――」


 クライフか微かにそれが明るく見えた気がして、おもわず目を細める。が、気のせいだったのか、開かれた彼女の拳はひらひらと体側へと戻り下ろされていた。


「それじゃあ、気が付いてもこちらからは聞かないようにしましょう」

「それじゃあ、こちらも自分からはあなたに名乗らぬようにしますか」


 雑談はそこまでだった。

 促されたクライフはアンゼルマの後についていくように小屋へと入る。

 とたんに、ムっとするような腐臭混じりの生臭さに眉を引き締める。

 五つの遺体が寝かされている。草を編み込んだ敷物に巻かれたものであったのだろうが、いまは解かれ、大きめの卓の上に仰向けとなっている。一番右手のは今し方運ばれてきたひとりだろう。


「息があったという話だが――」

「診るとしましょう」


 この惨状に眉をしかめるだけのクライフに満足しているのか、彼女はいちばん新しい死体へと近づいてその顔に鼻先を近づける。


「まぶたがない」


 小さく呟く彼女に、クライフは遺体の指先を見る。手指の先まで綺麗に剥がされたのだろう、生々しいほどの肉と骨、そして綺麗なままの爪。


「指先が綺麗すぎる。まぶたまで剥がれた者が――いや、生皮を剥がされてなお先ほどまで息があったというなら、苦しみもがくのが当然じゃないだろうか。しかし――」

「確かに、綺麗すぎる。まぶたを切除する拷問は確かにある。目が乾く苦しみは眼球を掻き毟らねば治まらぬから、素性の悪い悪党が見せしめにやってたなんて話は伝え聞くところだけど」

「その眼球も綺麗なままだ。おそらく、意識を奪われていたのだろう」


 クライフの推察に彼女は「薬物?」と聞き返すが、口にしておきながらその可能性はないと見ている。


「飲ませるなら、証拠が遺体に残る。まずは、遺体の様子を見るとしよう」

「そうね」


 呼吸を浅くしながらクライフは注意深く遺体の状況を見聞する。こんなときにガランに集う近衛のみんなの有能さを意識してしまう。とりわけあのベイスなどなら事細かく見るだろう。

 クライフは他の遺体を見比べ、背格好が似ていることを確認し、静かに「なぜ生皮を」と呟く。


「使うこと、までは分かってる」

「使う?」

「死んだ者が歩いてるという話は聞いたことある?」


 ない、と答える代わりに彼は「まさか成り代わり?」と、やや事件の真相に迫る言葉を口にする。「成り代わりか」とアンゼルマも彼女自身考えていた生皮の使い道のひとつを言い当てられて目を丸くする。

 クライフはそんな彼女の視線に気が付かないまま、暫し瞑目して礼を払うと、腰の短刀を抜き、峰を使って体を起こし倒す。横臥になった遺体の首筋の、すこし肩甲骨側に下った脊椎のところをアンゼルマは指さした。


きんの方向に沿って刃の跡がある」

「刃はここから滑り込み、全身を丁寧に捲り上げるように剥がしていったのか。……となると、生きたままか」

「暴れられないように意識を奪うって? ……首?」

「いや――」


 クライフは遺体の側頭部を短刀で抑えながら、後頭部を指さす。


「――ここだって?」とアンゼルマ。

「ここから額にかけて、鈍い切っ先の、棒状の物でついたような跡がある」

「よく知ってるわねアンタ」

「本来なら額から打つんだが。……アンゼルマさん、育ちは街ですか?」

「え? う、うん?」

「山村あたりで育つと、家畜を絞めるときに暴れぬよう脳を破壊します。心臓が動いていると血抜きも捗りますし、肉も皮も上手く裁けますからね」


 うぇぇ……と顔をしかめるアンゼルマ。


「てことは、経験者? まあ番外だし当然か」

「…………」


 番外という文言にクライフは彼女を一瞥するが、クライフはあまり気にも留めずに遺体の姿勢を元に仰臥させ、瞑目して礼をする。


「苦痛を与えずという、祈りにも似た儀式の果てに生まれた、奪う物の礼。正気の所業と思いきや――」

「皮を剥ぐだけは不可解と?」


 クライフは正直に頷く。


「いいや、ちゃんとしてるさ。いや、してるだろうさ。見つけさせる死体はこんなもんだって。私はまだ見てないけど、探せば見つけられる死体のほうは恐らく――」

「探せば見つけられる死体?」

「あるだろうさ。うちのが調べてるけど」

「根拠は?」

「――……」

「アンゼルマさん?」


 ワタリからの情報であるとは言いたくなかった。伝えても構わないのだが、自らの素性に拘わることを自分から言わぬとかっこよく言った手前、言い淀んでいるに過ぎないだけだった。


「――情報筋から」

「なるほど」


 クライフは短刀をしまい腕を組み、焼却待ちの遺体をもういちど見る。同じように背中の傷を調べていく。鍛えている様子はあまりないが、古傷らしき物が窺える者がひとりふたり。


「いずれもチンピラ外道の類いかもな」とアンゼルマ。

「死んでも問題ない男たちか」とクライフ。

「そうなれば身元も判明しやすいな。そこを探るのは……ううーん」


 憚りがあるのだろう。察した剣士は落葉の柄をぽんと叩く。


「教えてくれれば俺が行きますよ」

「……試す試されるだけのお行儀のいい連中じゃないよ?」

「まあ、そこは行ってみないことには。もしかしたら果物斬るくらいで通るかもしれない」

「だとしたら、よく洗っときなさいよその短刀」


 さっきまで遺体を直接触らぬよう使っていたそれだ。


「鞘も替えときますよ」

「頼むよ。……じゃ、いく?」

「そうですね」


 促されクライフはもういちど横たわる遺体を順番に見る。似たような男たち。自分と似た背丈でもある。


「番外か」とクライフ。

「止めるんだろう?」


 彼女の言葉に頷く。

 タリムを殺されるわけにはいかない。導師の思惑がどこに向かうのかはしらないが、その果てを見せるわけにはいかない。


「もどかしいですね」

「剣を振るのは最後だ。そこにいたるまでも戦えぬヤツは単なる狂刃漢にしかなれんものさ」


 そう呟き促す彼女の雰囲気が傭兵団のそれに色づく。

 彼女はそのまま小屋を後にし、クライフも続く。

 静かになった小屋の中で、しかし遺体のひとつがもぞりと起き上がる。腐敗の進み始めたもっとも古いうちのひとつだ。その口が大きく喉元まで骨を外した愕部を割くように開くと、つるりとが顔を覗かせた。そのまま喉の太さを抜けるように肩を抜き、腕を抜き、やがて完全に生皮を剥がされた被害者の死体の中から姿を現す。

 皮を着るのではなく、肉を着る。故に骨。


「落葉の剣士。それにあの女――」


 記憶を探るが、該当する者はいなかった。

 だが。


「……着られそうだな」


 骨はほくそ笑む。

 そして小屋に近づいてくる人間の気配を察した。死体を運びにきた焼き場の女だった。

 骨の新しい服だった。

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