第9話『蛇は二度翻る 5』

 月下。

 満ちかけのそれを見上げながら豪猪は旅籠の一室で筆を執っていた。バードルに於いてもやや古式な書き方でしたためられたそれは、武門の者が武門の者へ礼を尽くして送る果たし状のそれだった。

 シャールとの交戦が激化したときに私闘の類いは自粛を促されたが、未だ根強い武闘派はこの作法を必至に於いては用いることをためらわなかった。

 礼を尽くし命を遣り取りする。

 遺恨遺さず、まずは名誉のため、任務のため。どこのだれかの面子いのちのため、望まれて腕を振るう。


「外国人に、通ずるかどうか。しかしあの者、異国の剣にしては、やや匂いが近い」


 人と人が戦うために研鑽された類いの殺法は世に数多あるが、多数の兵士を鍛える類いのものというより、特筆すべき剣士を磨き上げる類いのもの。つまりは、それを理解し積み上げていっている者は達している――達者であろう。

 自然、筆に力が入る。

 書き上げ、己が本名を記し、薄紙を載せ余分な墨を吸い取り封じる。

 宛名は、合歓木の剣士――へ。


「女将」


 階下へ一声かけると、宿の女主人が顔を出してきた。そこに豪猪は認めたばかりの封書と銀貨を渡し、「小僧に使いを頼みたい。おそらく川沿いの旅籠に泊まっている外国の傭兵――金髪の偉丈夫に渡してきてもらいたい。その際返事も頂いてくるよう。頼めますかな?」と、小僧へ渡す手間賃をつけ渡すのも忘れない。

 快く引き受けた女将が引き返すさい、豪猪は軽い肴と酒を申しつける。明日は死ぬかもしれない。いや、生き死には問題ではないのだ。


「顔も名も知らぬ相手は斬れぬ。……が、こたびは構うまいか」


 程なく運ばれてきた煮魚をつまみながら、豪猪はクイと杯を傾ける。思い出すのは息子の顔と、死んだ妻の顔だ。

 若くして所帯を持った彼の妻は、幼なじみだった。同じく落ちぶれた武門の娘で、一緒になるや病気がちの義父は安心したかのように世を去った。子――息子のハルトを授かってから、同じ病で妻も逝った。爾来、ハルトのために仕官を志すようになり、腕を磨く護衛稼業。


「行き着く果てが、この有様よ」


 妻は悲しむだろう。

 主家筋からは外れるとはいえ、武門の長の一族へ弓引く行為、侍るために剣を執るものとしては矛盾せざるを得ない。その混沌は、息子のために己が腹に飲み込む。


「タリム=ハウト殿下か」


 恨みは毛頭ない。侯爵の血族ゆえ名前は聞いたことがある。しかし、長兄が一番表立つ一族だ。歳は十四、五。殺すのは心苦しいが、弑奉らねば未来の主家のためにはならないのだ。


「――大公」


 名は聞いてはいないが、恐らくは王族の誰か。豪猪じぶんが事を為した後に仕える領地を治めているであろう人物。普段なれば部下にすべてを任せ知らぬ存ぜぬで出てこない御簾の奥に潜む影。

 現、国王縁の者。ハウト家の者を弑奉るにあたり、自ら動かねば部門の名が廃ると思われてしまう人物。

 そこまで何度も考えつき、豪猪は首を振って考えぬようにしていた。

 知ればただでは済まぬ。

 よく知っていた。


「……戻ったか」


 いくつか杯を重ねた後、ふと階段を上り来る軽い気配に彼は小僧が伝言を持ち帰ってきたのだと思い、酒を置き入り口に目を向ける。


「豪猪か」


 と、そのとき扉の外からそう声をかけられ、はたと彼は居住まいを正し、ぴしゃりと背を伸ばすと「どうぞお入りください」と静かに招く。

 果たして、「失礼」と一声かけて入ってきたのは、あろうことかタリム=ハウトであった。少年は「いや、ではないな。――、傭兵、クライフ=バンディエールより果たし状の返事を預かってきた」と静かに語り、覆面を外している彼の酔っていない、いや、酔えぬ表情に目を伏せると、部屋の主の返しを待つ。


「これは――」


 生まれである彼は、タリムに対等な位置の席を勧めると、控えて話を聞く姿勢を取る。タリムは心得ているのか、席に着くやひとつ呼吸を落ち着け、先ほど彼がしていたように、ふと月を見上げる。

 豪猪も、同じように見上げる。

 ああ、やはり……と。


「満月の晩、社にて待つ――と」

「御返事、確かに承った」


 じっと、お互いの視線が絡み合う。


「……貴殿、家族は」

「息子がひとり。いつつになります」


 タリムは、この男ヤマアラシが息子のために暗殺を請け負ったことを察した。だが、今目の前にいるのは、剣士だ。問いはしない。


「理由は、聞いても?」


 と、これは龍谷の剣士への問い。それに彼はひとつ頷く。


「あれほどの剣者、討てばシャールでも名が響きましょう」


 理が通った。


「承知。――では、見届け人は……立会人は私が引き受ける。ただのタリムだが、依存は?」

「ございませぬ」

「うむ。――して、帰り道のことだが」

「使者の帰途の無事は、招いた私の名誉に関わりますゆえ」


 タリムはひとりできたのだろう。あの傭兵は止めただろうことは想像がつく。行き帰り、彼が狙われたらそれで終わりだ。卑怯者ならばそうするだろうが、大公は剣士剣者としてこの決闘を認可した。それまでの無事は、名誉により保証されている。


「では、満月の夜に」

「承知いたしました」


 去りゆくタリムの気配が消えるまで、彼は一礼したままだった。

 おもては上げられぬ。

 上げるときは、豪猪でも、龍谷の者でもない、ただの一己の死闘者となるのだ。その顔を、少年に晒すことは憚られたし、少年も察しただろう。


「……さて」


 彼はひとつ唸り顔を上げた。

 なんのことはない。

 どうクライフを殺そうか、その思案の呟きであった。




***




「戻ったぞ」


 タリムは自室で待っていたクライフにそう伝えると、あきれ顔の中で安堵のため息をつく彼に「大丈夫だといっただろう」と渋い顔で返す。


「バードルの流儀ですか」

「武門の、な」


 そこまでのものなのかと、彼は無理にでも付いていけば良かったのかと思案するも、それでは「顔を合わせた途端に斬り合いになるのが作法だ」と釘を刺されれば、従うほかはない。

 今になって、言葉こそ通じるが風習は諸外国それぞれだといっていた、豪商シド=ゼファールの忠告が重く思い出される始末だ。


「これでも慮ってのことなんだぞ? むやみやたらに剣を振るわぬための法度と、風習だ。そこを一本通すための名誉、家名、魂こそ、尊ばねばどんな強者も自壊する。それがこの国のようなのだ」

「理解はしましたが、納得までは」

「外国人に分かれとはいわんよ。ただ、そういうものだと従ってくれると、私としても助かる」

「殿下が殿下としてこれから生きるためにですか」

「……理解してるじゃないか、剣士。だが今は、ただのタリムだ」


 建前は大事だ、といった具合にクライフは納得した。

 思い起こせば、自分の師匠の片目の老人も、ややそのきらいはあったように思える。


「して、どう戦う?」


 興味は別に移ったのだろう。タリムは階下で用意してきた肴を手に、卓につくクライフに聞く。どう戦うか……つまり、あの豪猪に対してどのような剣を振るうかを聞いているのだ。


「ただならぬ相手です。人を殺す剣を磨いてきた者の香りを感じます。あれほどの剣者を相手にするなら、まず、十全に反応できるようにするしかありますまい」

「なんじゃそれは」


 タリムはさっぱり分からないといったていだった。


「秘剣とかないのか、秘剣とか」

「そんな便利なものがあるなら苦労はしません。たまたまその状況で使えたのがそれだったという話が、まことしやかにそれらしく流れたものがほとんどです」

「そうなのか?」

「ええ」


 クライフは頷いた。


「奥義は技ではありません。目に見えぬものだと、教わっております」

「よくわからんな」


 でしょうね、わたしもですと、剣士は力みなく笑みを零す。

 明日の夜は、決闘だろう。

 果たし合い。

 落葉の手入れをしておかねばなるまいなと、薄く剣士は思うのであった。

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