第7話『蛇は二度翻る 3』

「なに? 仕損じただと」

「いかにも」


 霊廟裏の、山作業で使う物置小屋の中であった。

 覆面姿の豪猪が現われるや、検分役の男であろうか、年嵩の男たちがふたり腰を上げるも、血の臭いをさせぬ彼が言い放った言葉に目を丸くする。


「邪魔が入った。いや、あれは討てまいよ」

「おのれ浪人、怖じ気づいたのではあるまいな」

「組合の者が現われたが?」


 腰の剣に手を掛けかけた年嵩のひとりを手で制しながら、もうひとりが小首をかしげる。


「組合が動いているのは言っておろう。邪魔立ていたせば斬ればよい」

「や」


 そこで豪猪は覆面を脱ぎ、懐へとねじ込みながら額の汗を拭い言葉を続ける。


「これは、冷や汗。……シャールが護衛、放たれております」

「なんだと」

「月夜で白く見えそうなほどの、黄金色の頭髪。外国人でしょう。黒き鎧を身に纏った傭兵でございました」

「……して?」


 続きを促してきたのは、「それもあるだろうな」といった様子だ。


「組合のと、三つ巴の睨み合いになり申した」

「三つ巴。それで退いたか」

如何様いかさまにて」


 斬れば斬られる様相であったのだろう。

 検分役のひとりは「ふうむ」と頷いているが、やや年若い方は「豪猪といえども、ふたり同時には相手ができぬか」と、やや嘲笑の色を強め吐き捨てる始末。


「そこまでにされよ」


 その嗤いを止めたのは、豪猪のほうだった。

 しかし男はやめなかった。


「やめねばどうなる、痩せ浪人」

「やめぬか」


 次に止めたのは、年嵩のもうひとりだった。しかし男はそれが気に入らなかったのだろう、腰の剣をパシンと叩くや、豪猪を指さして二度三度と首を否定に振りながら、絞り出す言葉を選び選びと息をつき、それでもあらぬ限りを以てようやく絞り出した呪詛が決定打となった。


「このような腰抜けよりも、拙者のほうが任に適していたのだ」

「……引け、ジェロム」

「いいえ退、大公。やはり暗殺とはいえハウト家の者を斬るに、下賤の剣は――」

「そのとおり」


 言葉を遮るように頷いたのは豪猪だ。

 引くべきは自分であるかのようなタイミングで放たれた言葉だが、彼はいつの間にか小屋の外に向かって一歩二歩と間合いを離している。誰から? そう、ジェロムという男からだ。


「そこまで言われては退けませぬ。大公」

「……」


 大公といわれた最年長は、「やむなしか」と眉間のしわをひとつ深く刻む。


「痩せ浪人の剣、味わってみよ」

「抜かしたな」


 ジェロムも月光静かな小屋の外に出ると、互いの距離はおよそ十歩ほど。豪猪の方も間合いを離しつつ刀に手をかける。


「どれ、先に抜いてやろう」

「下賤な浪人め」


 先に柄に手をかけたのは豪猪だが、激情に任せ抜き放ったのはジェロムのほうだった。大公は「浅慮」と、言葉に乗せられた彼を哀れみ、本当に諦めた。


「では」


 即座に豪猪は剣を音もなく抜き、刀身を水平に、まるで物干し竿を目線の鉤に引っかけるように、切っ先をジェロムの目のあたりにつけ構える。ふんわりとした構えだ。

 対するジェロムは、バードルでは比較的正攻法である、やや高い青眼の構えだ。こちらも静かで柔らかい。

 共に、表情も気配も凪いだ世界。愛憎怨怒の感情はとうに外にある。

 ジェロム――確かに、いうほどの腕なのだろう。


「――っ」


 微かに息をのむジェロム。

 仕掛けたのは豪猪だ。

 そのまま滑り往くように目線水平に付けた剣を突きつけるように迫るや、「えいッ」と鋭い呼気と共にストンと打ち下ろす。

 そしてそれに反応して躱し撃ちをしようとしたジェロムであったが、豪猪の剣はスルリと抜け、――ピッ……と空裂音が鳴ったと思うや、それは自分の喉笛から血と共に吹き上げた息吹であると理解したとき、意識が遠くなった。


「目が良いほどひっかかる。が、それほど良くはなかった。買いかぶっておったやもしれん」


 切っ先に少量ついた血脂を拭い、納刀。


恨念こんねん、遺しませぬよう」

「わかっておる」


 大公は豪猪に頷く。


「剣が下りたと思うたら、喉を突いておったな」

「こたびは、たまたまそうなっただけのこと。腋下、心臓、腹、腿、……そのまま頭蓋。三度は要りませぬ。翻って、二度――」

「なんという技だ」

くちなわと名付いております」


 大公は覆面の下で唸る。


「討てるか、組合の者を」

「討ちましょう」

「討てるか、獅子の手の者を」

「剣者として討たせて頂けるなら」


 その言葉の意味を、大公は十全に理解した。

 名を伏せず、獅子の手の者、シャールからの護衛を討つときは顔をさらした果たし合いで仕るといっているのだ。それに彼はひとつ、頷く。

 その頷きの意味を彼も理解した。

 まずは任務ありき。

 刺客としてタリムを狙い、邪魔するようであれば不名誉なことだがそこで。タリム討ったあとで、かのクライフとやらが剣を以て遺恨を晴らすというならばそれに応える形で。


「――組合の者、おそらく夕闇かと」

「なんだと」


 大公は唸った。

 組合は組合で頭の痛い問題だが、夕闇となると、その看破が正しければやや頭の痛さが別となる。


「夕闇か」


 豪猪はその呟きに頷く。彼は夕闇が組合長である、あの不老の女の娘であることまでは知らない。腕の立つ名うての護衛としか認識はない。だが大公は違った。


「……にしても、タリム殿下の足は遅らせねばなるまいな」

「身分を隠す旅ならば、馬の共乗りでしょう」


 ここからは、ただのタリムとしての体面が必須となる。武家の者、たっとい生まれの者であることを隠す以上は、馬での移動は制限がかかる。

 つまり馬に乗るならば、獅子の手の者、外国の武門である傭兵の馬に共乗りするしかない。


「共乗りか。……それではタリム殿下の尻が保つまいな」

「疾駆けは常の武家でも堪えます。さりとて、馬車というものはバードルにはありませぬ。荷駄の曳く車ならばともかく、それでは遅きに過ぎますでしょう」

「――馬は用意しよう。適宜、討てるときに討て」

「承知。して、お目付役は?」

「いらぬであろう。長屋の息子は丁重に扱っておく」


 動揺だった。

 豪猪は息子が人質に取られたことを理解した。

 いいだろう。どのみち、やることは変わらない。


「国璽を持ち帰り、ことが終われば」


 大公はひとつ区切って、目を細める。


「ことが終われば……仕官は成ろう」

「は」


 豪猪は控えた。

 瞑目し、息をつく。

 しばし待ち目を開けると、いなくなった大公と、音もなく消えたジェロムの死体。おそらく、隠れていた間諜の手練れが見ているということだろう。なに、人質を取れども信用も信頼もないということ。


「ハルト」


 息子の名を呟く。

 覆面をしていては呟けぬ愛する息子の名だった。


「クライフ……」


 夕闇が譲るといった標的の護衛。

 静な羅刹とならねば斬れぬ手練れの相手だった。

 夜は深まり、月は傾きを増し、風は弱く頬を撫でる。


「御下命、如何にても果たすべし。……か」

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