第22話『熱き国バードル 1』
「兄上が殺された?」
王都でその一報を聞かされたタリムは、五つ年上の訃報に膝を折らんばかりに頽れた。殺害された兄、フェドルは先月のはじめに二十歳になったばかりで、父であるハウト侯爵からシャール帝国のゴルド王子への使いを拝命し、先日意気揚々と旅立った姿をタリムはうらやましく見送ったばかりである。
その兄が、死んだ。殺されたのだ。
タリム=ハウトは、王弟ハウト侯爵の三男であり、末子であった。
年の離れた長子たるレドリックは物心つく前から王都中枢に侯爵後継者として文官の任に就いていたので、タリムにとって殺されたフェドルがいちばん近しい肉親だった。文武優れた長兄と次兄に崇敬を抱いていたタリムであったが、その一報を聞き、「何故だ」という疑問に息が苦しくなる。
「あの兄が何故殺されなきゃならないんだ、ゴードン」
「シャールへの使いだったからでございます」
タリムに悲報を知らせた召使いの老人が、そう答える。
ハウト家に長く仕えるゴードンは、痩せた顎から垂れる髭を困ったように撫でると、息荒く詰め寄るタリムからやや顔を背ける。
「シャールとの友好をよしとせぬ者がいるというのか、このバードルに」
「シャールの手かもしれませぬ。タリムさま、密命とはいえ使者が殺害されてしまった今、陛下も閣下も、シャールとの和平を見直すお考えとのことです」
「……考えがそこまで? ゴードン、言え、兄はいつ弑られたのだ」
「旅立たれてのち、十日後。シャールにほど近い肥沃の草原にてでございます」
タリムは悲しみと「何故」を飲み込んだ。
旅立って十日後ということは、もう兄が死んでからさらに十日経っているということだ。つまり、それまでタリムには知らされていなかったということであり、その間、長兄含め
いずれ、ひっそりと病死ということで葬られることになるのだろう。
深く沈めた「何故だ」という気持ちが、浮かび上がろうとする。何故兄上が殺されねばならなかったのか、という問いかけではない。何故兄上が真っ当に弔われないのかという疑問だ。
「この十日、何も知らなかったのは私だけか」
拗ねた物言いに聞こえないのは、タリムが悔恨の表情で頷きつつも、引き締めた眉間と真一文字に引き締めた口元に、明らかな決意が見て取れたからだ。
しかし、それは危ういと、ゴードンは一歩歩み寄り、跪いて臣下の礼を取る。
「タリムさま、何をお考えか分かりませぬ。しかし、すべては閣下にお任せしますよう。タリムさまはまだ――」
「もう十五だ。あと二ヶ月もすれば、十六になる。使者たらんとするにはには充分だろう」
「坊ちゃんッ」
つい、世話をしていた頃の口調でゴードンは叱責していた。無礼ではあるかと内心狼狽えつつも、そこはしっかりと念を押しておかねばと、この若い貴族に臣下として言葉を続ける。
「賊は、フェドルさまの首を一刀のもとに斬り裂いたそうです。そんな危険な者が見える今回の件、裏を取り落ち着くまで、推し進めないほうがよろしいのです。よくよくお考えください」
「だが、誰かが使者に立たねば、シャールとの国交が回復せぬではないか。鉄が流れなければ、バードルは――」
「それ以上は申されますな」
ゴードンは立ち上がり声を潜める。
タリムも唇をかみしめて己が失言を悔いつつも、落ち着かせるように呼吸を整え、首を振る。
「何故、素直に同盟を結びたいといえぬのだろう」
「それが政でございます」
シャール帝国の国土と同等に広大な王国がバードルである。
ひどく乾燥した風と砂質土の多い風土から『砂の国』とも呼ばれている王国で、シャールとの対立はすでに数十年を超え、すでに三世代四世代の国王の御代で築かれたものである。争いのきっかけはバードルの領土拡充を図った侵攻であり、中立地帯の『肥沃の草原』はこのときシャールによって主導権を奪われた土地である。
拡充のきっかけは国土の荒廃と飢饉だったが、戦の特需と翌年の豊作により持ち直したのか、意欲的な侵攻はそこで終わったままだった。
そこから続く消極的な睨みあいは、両国の内政と、特にシャール側の北への兵站によってもたらされた。以後、数十年にわたる睨みあいに、そろそろ落着を見せてもよいのではないかという見方がささやかれ始めたのは、バードル側からだった。特に、先に振り上げた拳はバードル側であっただけに、シャールとしてはその言葉が出るのを待っていたとも取れる。帝国としては戦になるとも是非もなしという姿勢だったが、勢いを増す北方『火龍国』からの魔物に頭を悩ませていた時期だけに、強い姿勢で居続けるメリットもなかった。
そこで代替わりしてしばらく、シャール北西のバードルと睨みあう都市の領主に獅子王子ゴルドが着任して少し、ようやく内々に、密々に、落着への道が模索され始めたのである。
――表向きは。
それがなぜタリムの言うような『同盟』に話が流れるかといえば、ひとえにバードルもシャール同様に、火龍国や未開地域からの魔物の侵攻にさらされ始めていたからであった。
「魔物の流れは、この数百、数十年、変わりなくシャールへ流れて行ったはず。バードルの北東部をなめるように到来し始めた昨今、休戦と、それに続く同盟は必須であると、父上も陛下も仰っていたではないか」
特に魔物との戦いに慣れていない兵卒の被害が出続けているなか、国民に不安も焦りも渦巻き始めている。
行く世代にもわたり無視できていたシャールにもたらされる魔物という禍に、バードルもさらされ始めている。
ゆえに、休戦を経た後の同盟を確立し、鉄を輸入し装備を整え、『悪しきもの』と戦いなれた傭兵の斡旋も考えなければならなくなっている。
「シャールに我が国が魔物の被害にあっているなどと、弱みを見せることはなりませぬ。タリムさま、あくまでも対等にことを――」
「このままでは聖地が魔物によって蹂躙されてしまう。かつて国祖、賢者キルリアスが住みし導いた、我らが聖地が。ご祖先が眠る我らが聖地が」
「………………」
それは、ゴードンも同じ気持であった。
このまま魔物の侵攻が強まることがあれば、王族王家の霊廟ともなっているキルリアスの遺跡が飲み込まれてしまうことになる。
それは、なんとしても避けねばならなかった。
「母上が眠る、聖地が……」
タリムの呟きは、彼のすべてであったであろう。正直な吐露を聞いたとき、ゴードンも声を詰まらせてしまう。
「ご先祖の霊を尊ぶは人の道。いわんや、王族ならば。シャールに赤心をさらすことになろうとも、いざとなればこのタリムが独断で――」
それでは密使とならぬとは彼も重々承知であった。
しかし、若きタリムには我慢ができなかった。それを知るからこそ、周囲の者は彼に知らせなかったのだ。
「兄の御霊も弔えぬ事態にならぬよう、ここは陛下に談判するほかはなしか」
「タリムさま、それはあまりにも不敬です。まずは閣下に」
折衝案を提示されるも、彼は居てもたってもいられず、「なればこそ、王宮に赴く。ゴードン、支度せい」と声を張る。これにはさしもの老使いも「承知いたしました」と首を垂れるよりほかはなかった。
「必要なのだ、なぜ魔物の進路が変わったのかを探る者が。必要なのだ、それでも国を守る確固たる力が」
タリムは室内着を脱ぐ。
その若き体は使命感に火照っていた。
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