第10話『相国谷への予感』
シャール帝国の全貌は、およそエレアでも把握し切れてはいない。
帝国中央、帝都には獅子王子を始め第二王子、そしてエレアの父親でもある皇帝がおわし、これを守護している。それを囲むように諸侯鉄山士ほか、銀嶺士の領土。もっとも戦厳しい北から西にかけての国境付近から大きく幅広に南へと広がる土地が獅子王子領土。その南端が『獅子の瞳』と言われる領都だった。北を撫でるように東へと広がる防壁のような広大な領土を持つのが第二王子で、形容的な名前の多い獅子王子領とは対照的な伝統的な『ザンジヤード』という領都がこれを支えている。
……らしい。
というのが、クライフの持つ帝国、帝政シャールの大まかな地図である。脳内に騎士の持つ盾のような国土の中、紋章の描かれた場所の帝都。北の縁から覗く獅子と、脇を固める第二王子領。南端のガランを治めるエレアの姿を思い描く。
「平野部と山野は入り交じり、単純に他国の者からは住む場所の少ない国と言われたりしますが、国土も道も整備されておりますし、治安もほどよく、済むには良い国であると思うのですけれどね」
「魔物こそ多いが、な」
シズカが馬を先導させる中、自然に口にする『魔物』という猛獣怪異の類いの総称に、発した自分自身クライフは苦笑する。
「北の蛮族たちの国は、地獄ですけどね。それこそ、魔物の発生源――とされている国ですから」
シズカの述懐に、アカネも「そうだニャー」と遠い目をしている。
「人が生活できるのか、そんな国に」
クライフの疑問ももっともな話だった。
「知らなければ、当然そう思うでしょう。しかし、当然その国にも、『
火龍国。北の国。蛮族の国。
「彼の地に住まう男たちの多くは、戦闘士と呼ばれる改造戦士です。肉体を作り替えられた、戦うことに特化した兵団を組織し、魔物たちと戦う仕組みを作っていったのです。どちらが魔物か分からないほどですよ?」
「改造兵団……。戦闘士」
「かつてシャールから奪った魔法を、魔道具の多くを用いて、人を弄り、戦うことに特化させているのです。まあ、こちらも多くの情報を掴んでいるとは言えませんが。そんなこんなで、北は戦闘力だけは恐ろしいのですが、拠点を離れすぎると戦闘士たちの世話に支障が出てしまうことになります。魔物たちとの戦いもありますし、南進してシャールを攻めるなんてことには、いましばらくは意識すら向かないでしょう。彼らが討ち漏らした残りを片付けるだけでも、こちらは一苦労しているので、まあお互い様ですわね」
わるいものは、北から来る。
その女王を含む因果の探るには、火龍国の存在は――いつかは避けては通れぬものとなるだろう。
だが、今は獅子王子だ。
「獅子王子の仕事は北からの魔物の討伐と、火龍国の監視か」
「そういうことになります。シャールにはすでに肉体改造の技術は失われております。それ故に、かつて秘術を盗んだとされる火龍国への敵愾心は強く、恨み骨髄に至るほどです。なので、その辺りご注意を」
というのは、アカネの背に掴まるレーアに向けての言葉でもあったのであろう。レーアは初めて離れるガランの街、その外の情景に呆然としたまま旅路の中にいた。
呆然とはしていなかったが、クライフも同じだった。
かつてベルクファスト銀嶺士領を目指したときにも感じた、知らぬ土地を往く、この空気。かつての故郷を駆け抜けた思い出と、火急極まる銀嶺士領の旅路が脳裏に交互に思い浮かんでは消えていく。
「この先は、さすがに出たことのない地区だな」
川を渡る、良く整備された橋だ。まがここは城壁の外とは言えガランの統括地。少し西の山野はこのまえ魔獣を倒した地であり、一週間ばかり過ごした馴染みのある風景だった。
「橋を越えると、共有支配地域。鉄山士たちや商隊組合、町や村、職人たちが管理し合う土地です。それがいわゆる貴族たちの土地の隙間を上手い具合に埋めて秩序を保っているわけです」
なるほどそれは理にかなってるとクライフも感じた。
かつては官民の内、武官に身を置こうとしていた身だ。生まれは庶民で商家の出。このような『自分の領土だが末端過ぎて手を入れたくない』ところほど、自治を任せている光景はなかなかないと知っている。かつての歓楽街などは、だからこそ成功したのだと、後から聞かされた話だ。
「思い出に浸ってるのかニャ?」
前を往くシズカから離れ、レーアと二人乗りのアカネがクライフに馬を寄せてきた。クライフの馬――相棒の葦毛がそれに鼻を寄せる。
「故郷の風景に少し似てるんだ。山が多く、川が縦横に流れ、町も村も多くてね。こんな河もいっぱいあったよ」
「好きだったんですね」
クライフの口ぶり。故郷。その言葉に、他の多くの傭兵と同じように、このクライフという剣士も遠くから来たのだなと、レーアは少し寂しさと共に納得をする。この風景を見て、懐かしさを感じる心。自分はどうだろうか。知らない風景、比べられない風景、しかしおそらくもうひとりの自分はよく知るであろう光景。
「好きだよ。今もね。ただ、もう戻れないんだ」
「シャ……」と、言いかけるが、レーアは意を込めて言葉を紡ぐ。「シャールも良いところですよ。ガランは安全だし、山も川も人もいますし」
「ああ。この国も好きになれると思う」
クライフは自然と頷いていた。
新しい居場所、ここぞと決めた、受け入れられた場所。
託された場所。
託されたもの。
命を賭してでも切り拓くべき因果があったとしても、どことなく安心してしまう壊れた自分がいられる場所。
「話を整理しよう。獅子王子は、シズカとアカネに、暗殺者の行動阻止の頼み事をしているんだな?」
「左様にございます」
「だニャ」
ふたりは頷く。
肩越しにチラリと視線を交わすシズカが話を引き受ける。
「話し好きにまかせようニャ」
「そうしよう」
「聞こえるように言わない」
聞き逃さないクセにとは、ふたりは言わない。レーアがくすりと笑うが、それをしきりに、話が引き継がれる。
「レーアさんが所属する組織がこれに加担しているかどうかは、正直五分五分でしょう。人殺しを生業にする輩は大小合わせて相当数います。が、大物を狙うとなれば話は変わってきます。例えば、今回のような銀嶺士狙いなど。この手の案件には、必ずと言って良いほど、大手の影がちらつきます。そのひとつが――」
ちらりとレーアを伺う。
「通称『楽団』の一派です」
楽団。奏者と繋がりのあるような、気配。音。演奏する者たちの集まり。その『楽団』が、暗殺者――しかも今はっきりとレーアが所属すると言い切るような視線の持つ、明らかな確信。
「楽団は子供の暗殺者を楽器に見立て、大人が遣い手となる鬼畜です。歌を引き金と入っておりましたが、音そのものが――」シズカは思う。あの聞こえない笛の聞こえる音などが――「引き金となり、前もって指示した行動を引き起こす。自分の意思で判断し事を為す。そのどちらかか、そのどちらもでしょう」
深く静かに息をつく。
「子供は小さいです。ですが、小さい者は大きい者に化けることもできます。小こそ大を兼ねるのが、演者の特権です。だからこそ、どこにでも現われるし、なんだってやれます。そしてだからこそ、獅子王子は私たちを招聘したのです」
ある一族の女傑ふたり。
耳のシズカ。
鼻のアカネ。
「まあクライフさんはおまけですから荒事をしっかりこなしてください。揺さぶりそのものはこちらの担当です」
「ということニャー。つまり、誘い誘われ殺し殺され。斬った張ったになるけど、そこは覚悟を決めといてね」
と、背のレーアがしがみついてくる。
「まあ、な」
クライフも頷く。
消えた子供の姿を、何度も反芻した。
ベイスから託された紙片を何度も読み込んだ。
彼らの内、何人を斬らねばならぬのか。
考えることも、考えないことも、執着に繋がる。
覚悟なく剣を抜くことはしたくはなかった。
「狙われているのが誰であるか、目的が何であるのか、その辺りを含め、まずは『獅子の瞳』へと向かいましょう。この先、峡谷ひしめく相国谷を抜けてしばらく行けば、もう目と鼻の先となります。とはいえ数日かかりますけどね」
シャールも、広い国なのだ。
「相国谷、か」
首筋に、ちりとしたものを感じる。
それがかつてない乱戦の予兆であることを、クライフはこのとき、まだ知らずにいたのである。
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