色彩を失った彼女と僕と。

桜之 玲

第1話

─小さい頃思い描いていた夢は何だっただろうか。

ふと、そんな事を今思い出す。

消防士、先生、お金持ち、人の為に立てること。

10数年前の僕は何の疑問も感じずにそう言っていただろう。そして当然の如く、その夢の通りになれると思っていた。

僕が今過ごしている高校生活だって、入学前は男女が隔てなく騒ぎ合い、毎日が楽しくなるのだろうなんて考えていたものだ。

─けれど現実は違う。描いていた通りになど行くはずもなく、そんな夢一度覚めてしまえばもう思い出すことすら難しくなった。




12月15日午後9時30分。


死ぬと決めていた今日に特別何かしたかと言えば、朝早く起きていつも通りよく通っていたカフェでキャラメルラテを飲み、こないだから読んでいた本を読み終えたくらいだった。一度決断してみると思ったよりも呆気なく時間は進んでいき、気づけば自殺する予定の時間になっていた。

もう特に思う事はない。まぁ未練はたらたらなんだけど。


ゆっくりと、夜の橋の手すりに立つ。

目の前に死があるというのに、僕の体は案外普段となんら変わらない、まるで階段を上がった程度の へぇー、死ぬってこんなものか。みたいな気持ちしか生まれてこなかった。不安から解放される、その気持ちの方が僕にとっては大きいのかもしれない。

橋から見下ろす川は暗くてよく見えず、朧気に月の光を反射している水面が変幻自在に流れているのが確認できるぐらい。

ここから落ちたら痛いのだろうか。

まぁ、いくら都内と言ってもこの橋でこの時間帯なら飛び降りてもしばらくの間は見つからないだろう。さすがに死んだ直後に見つけられるのは相手的にも僕的にも避けておきたいし。

足を片方宙に浮かせてみる。おぉ、プールに飛び込むのと同じ感覚だ。何も怖くない。

もう二度と見ることもないだろうし、最後に月でも見て冥土の土産にしよう、なんて考えながらピリピリと凍えるような寒さの空を見上げる。


「なに、やってるの……?」

唐突に響く澄みきった声。

僕は驚いて振り返る。

そこには肌色のセーターにブラウンのコートを羽織った女の子が、どうすればいいのかわからないように、瞳を揺らしながら僕を見上げていた。

事前に調べておき、人がいない橋を選んだつもりだったのだが僕は運が悪かったらしい。最悪。

「いや、えっと……。」

どうしよう。このまま飛び降りてしまおうか。

予想外のシナリオに僕は思考回路を巡らす。

でも自殺を目撃されてニュースにでもなったら面倒だし嫌だな。ああ、その時には死んでるんだし面倒ってことはないか。

「あの……その、自殺……ですか…。」

僕が黙ったままどう行動するかを決めかねていると、彼女はしびれを切らしたのか、あくまで僕を刺激しすぎないように ちらちらと僕を見あげながらゆっくりと話しかけてくる。

「とりあえず……そこから、こっちに降りない?落ちそうで怖いから…。」

落ちるつもりだったんだけど。

僕はそう思いながらも、どうせこの子がいる間は川に飛び降りれないだろうと断念し、橋から歩道へと足を下ろす。

「はぁ…」

僕が足を歩道へ下ろすと、彼女は心底ほっとしたように自分の胸をなでおろした。

厄介だな…。なに、これ神様が僕の自殺を止めさせたの?未練はあるけど叶いっこないしもういいじゃん。

僕が面倒くさそうに髪をガシガシと弄っていると、彼女はゆっくりと、されどもしっかりとこう告げた。


「………君も自殺しに来たんだ。」

「……え?」

僕は一瞬、この子が何を言っているのか分からなかった。

「ふふ……実は、私も…自殺しようと思ってここに来たの。だって、ここって人通り少ないし。」

僕と彼女の間につかの間の静寂が訪れる。

…こんな子が自殺?様々なイレギュラー展開に僕の頭の中はぐるぐると回るばかりだった。

「私が自殺しようと来てみたら、先に死のうとしてる人がいたんだもん。それで止めちゃうとか、笑っちゃうね。」


今にも夜の闇に溶けてしまいそうな彼女は、どこか自嘲気味な微笑みを浮べながら僕を見つめていた。



────────────────────────






須磨稜人すまりょうとは前からコミュニケーション能力、俗に言うコミュ力が低かったようで結構周りより大人しい方だった。

大人しい生活はつまらない生活とは違う。必要時以外話さないという生活は案外良いもので、僕は平穏に、のんびりと暮らすことが出来ていた。まぁ、それと同時に人と話さない事に慣れ、気づけば[話す必要もないから話しかけられなければ話さない]という人になってしまっていたのだが。

いくら必要時以外話さず、平穏に過ごしていたとしても、ずっと1人なのは寂しい。だから休み時間とかに軽く友達と話せれば良いかなぁ、なんて考えていたのだけれど、どうしたことか話しかけようと思っても[話さないことに慣れている僕]は[話をしている自分]に対する自信を失っていた。

一応クラスメイトの男子とはほぼ全員と話すことができるけど、僕のこの性格故浅い関係が多く、気軽に話しかけていいのか分からない。良いんだろうけど、なんか、こう、良いのかわからないんだよ。うん。

女子に関しても同じようなものだった。基本的に僕から話しに行くことは無い。幸い、話しかけられれば会話は続けられた。


そんな僕がクラスメイトである女子や男子と気楽に話せないのには、絶対的な理由がある。

僕らの通っている高校には年ごとにクラス替えがあり、今のクラスになった8か月前は僕も友達作りに勤しんでいた。当然の如く最初は前の席の男子と仲良くなるといった周りから潰す戦法を行っていて、計画は案外順調に進んでいた。

けど、友達の定義って何?なんかどこかのライトノベルで聞いたような台詞だけれど、その通りだと思う。どこからが友達なのだろうか。

それが良くわかっていなかった僕は翌日の「おはよう」の一言を、昨日少しだけ話した人達に向けて言っていいのか分からない。だから挨拶無しでその日を過ごしたりした。100パーセントこれがいけなかったんだと今なら分かる。

憶測だが僕が挨拶をせずにいたせいで、挨拶されなかった人は「挨拶されなかったけど、挨拶しない方が良いのかなぁ」なんて考えさせてしまったのだろう。残念ながら良好だったはずの計画はここから負の連鎖が始まるのだった。

結果、今日まで過ごしてきた高校生活だって、特別騒ぐような事もせず、話しかけてくれる人達と会話し、授業を受け、帰宅する日々を送っている。

そんな僕にも男女関係なく沢山話したり、遊んだりしたいっていう感情があったわけで。

僕は、僕の気持ちとは裏腹に周りが言う'充実した日常'を手に入れることが出来なかった。そしてこれからもそれを手に入れる自信が無い。



けれど、同じ自殺を選んだ彼女と出会った今日から、僕の生活は絵の具が水に染み渡るようにゆっくりと、けれど確実に変わっていく─




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