Dreamcastをレビューしてみた。思い出も含めて。
六恩治小夜子
第1話「ドリキャスの思い出」
セガが最後の切り札として使用した起死回生の一手。
それがDreamcastだ。
意味は「夢を広く伝える」である。
色は限定版を除き、ホワイトのみ。
コントローラーも特徴的で方向キーとXYBAボタン、アナログ方向キー(ニンテンドウ64の奴とよく似ている)アナログLRトリガー(深く押し込めるLRキー。コントロラーの裏面にある)
セガサターンと違い、本体記録はできないのでビジュアルメモリという記録媒体が必要だ。すんごい小さいので携帯にも便利。電池が切れやすかったが、フラッシュメモ
リなので電池が切れてもデータは残った。ただ、筆者のデータはよく消えた。なんで?
あと、本体起動する時、すんごいうるさいのが欠点。いちいちピーガガガー、ピーという音が鳴り、CDの回転する音もうるさく、昼間はまだいいが、夜中にプレイできなかった…。
他にもドリームパスポートでネット接続ができるマシンでもあった。まあ、筆者はオンラインなんてやらなかったけどね。今時オンラインなんて珍しくもないが、当時は
インターネットというのはまだまだ珍しく、家庭用ゲーム機では初だった。ご存知PS2はDCの後だからね。友達はファンタシスターオンラインをやっていたけど、筆者の家ではオンライン環境すらなかった。
印象深いのは湯川専務のCMだ。「PSのほうが面白いよな!帰ってPSやろうぜー」と子供たちが言う自虐的なCMが話題を集め、当時カリスマ的人気を誇ったジャニーズの滝沢秀明も共演するなど話題性が高かった。滝沢くんつーと木曜の怪談を思い出すなぁ。え、知らない?でもタッキー&翼なら知ってるよね?
しかし、本体の部品で供給体制が悪く、生産したくてもできない状態が長く続いた。その影響で値下げを発表しまくり、2000年頃には1万前後で売られるようになった。湯川専務もいつのまにか降格し、常務に。ゲーム機本体が1万円なんて信じられない価格だ。そのタイミングで購入。これもスーファミと同じく、親父殿が何故か購入してくれた。
セガはDreamcastが失敗に終わったことで遂にハード事業から全面撤退。一時は経営危機に陥ったが、莫大な寄付金でなんとか持ち直す事に。今ではゲーセンのアーケードゲーム機やソフトの開発などが主流になっている。なんともトホホな話だが、そのソフトはユニークに溢れ、優等生のPS2とは少々違うソフトを出し続けていくことに。次話ではそのソフトについての思い出やレビューを語ろう。
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