孤独の初夜
弁慶
椿という娘
プロローグ
乾いた大きな破裂音が近所中を響き渡る。静閑なその街の家々をつたり、音は響いた。
その夜は新月で、月は目に映らなかった。東京の郊外であったが、星、がよく見える、蒸し暑くも夜風の涼しい夜である。
向かい家のの窓から顔を覗かせていたのは、2つ上の兄と誠実な人柄の母親と温厚な性格の父親をもった、充分な愛を注がれ育った生娘の椿である。
第一話「椿という娘」
椿は、どうにも近頃気になる男ができたようだ。考えれば考えるほど何かが気にかかる。気持ち悪くて寝れやしない。椿は丑三つ刻をとうに過ぎた頃であっても目を覚ましていた。中々眠りにつけないのだ。
恋煩いというやつである。なにせ、椿には恋愛経験など1つもなく、そういった憧れはあるものの、どこか雲の上のような気分でならなくて、またそのせいで自分の恋愛感情がどこか他人事のようで腑に落ちないようなのである。
あぁこれは一体なんなのか。彼が一体どうしたというのか、近頃うまく喋れやしないしそもそも彼が近づくと何故か俯いてしまう。全く主人を知らぬ体なんてことはないだろうし、ならばなぜなのか。無駄に高揚としたこの気分はなんだろう。まるでふわふわとして地面からいつだって浮いているような。そして問題なのは彼が近づいた時の心臓の脈だ。速いし、音が大きい。一体自分はどうしてしまったのか。
椿は、ひたすら腕を組み、自らを制そうと、部屋の隅から隅の方まで歩いては頭を抱えて座り込んだ。
そんなことをしていたらもう尚のこと眠れなくなってしまったのだ。
いよいよ本格的に大変だ。それは眠れないことも勿論だったし、それに、椿は大変な怖がりであったから、こんな遅い時間にまで起きていたら見えないものも見えてしまうのではないかと気が気でないからだ。
どうせ目を瞑っていたらいつの間にか眠っているだろうと、逃げるような思いで目を瞑っていた。
ちく、ちく、ちく
一定のリズムで、16歳の誕生日に買ってもらったピンクの可愛らしい時計の針が時を数えている。
椿はそのリズムが妙に心地良くて、流れるように眠りに落ちていく。
まどろみのなかで、何やら声が聞こえた。女性と、男性の会話だ。無意識に耳を傾けていた。何をしゃべっているかはよくわからなかったが、とても静かな街なので夜は声がよく響くのだ。
微かに言葉は聞き取れたもののその意味を椿は考えようとせず、頭の中でぐるぐると眠気と共に回っていた。
暗い液が脳味噌を流れていくような気分だった。どろどろと眠りについていく。はずだった。
そのときである。
「キャアアアァァッ!!!」
唐突に、叫び声が街中に響いた。
椿の頭の中を流れ込んだ液があの重みが嘘のようにパッと消えて、電流を流したように椿はガバリと起きた。
何事かと声のする窓の方へ駆け寄った。窓から顔を覗く、どうやら声は向かいの家から聞こえていたらしい。
椿はまどろみのなかで流れてきた声がこの悲鳴の持ち主である女性であるということに気づいた。向かいであるにも関わらずこんなにも声が聞こえてくるのは、この街がそれだけ静かであることを示す。
虫の声や鳥が羽を広げる音さえも聞こえないこの街の夜は、小声で話しをすることさえも周りに筒抜けになってしまいそうで迂闊に物を言えない。
それこそが、この街の住人がこの街に求める、この街に住む唯一無二の意味である。
そういえば、向かいの家は最近、新婚らしき仲睦まじい夫婦が越してきていた。
最近きたからこの街の夜の暗黙の了解を知らないのだろう。
この街は少し変わっているから、仕方がない。
とりあえず、珍しく声が聞こえたのはそういうことだったのか。
ひとりでに納得し頷きながら椿は向かいの家の窓の奥を見探った。
椿は、あの女性の影を探していた。
そして、その時だった。
閑静な街に、あの乾いた単発の独特の発砲音が鳴り響いたのだ。
孤独の初夜 弁慶 @Buntaormami
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