リミルリ、持ち帰られる

 リミルリときゅきゅが歩いていると、町の方から馬車が勢いよく走ってきた。蹴散らされたら大変だと道の端によると、手前で減速、停止。そして扉が開くと中から白いフリルが際立つ赤いドレスを纏った金髪の少女が降りてきた。

 少女はリミルリの前まで駆け寄ると足を交差させ、右腕を胸の前で水平に構え、左腕をその上に重ねた。


『コサックきゃ!』

「えっなに?」

『あれはコサックという踊りの構えきゃ』

「踊りなの?」

 腕の構えだけはそんな感じだがしゃがんではいない。


「突然の非礼、申し訳ありません。ワタクシ、貴爵アリストクラータ三位ヴェルメリオであるサマンタルアが娘、ハルモアと申します。貴き方とお見受け致しましたが、ワタクシは愚知のため貴女様のことを存じ上げておりませんでした。慈悲と思い、ワタクシめにその貴き御名を聞かせてくださいませ」


 ガチ貴族であった。

 パニック寸前のリミルリの耳をきゅきゅはガブガブと噛み気を取り戻させる。

(どどどどうしようきゅきゅちゃん!)

『練習したきゃ。言った通りするきゃ』

 貴族に遭遇した場合の対処法も既に考えていた。リミルリはスカートを軽く摘み、膝を少し曲げてにこりと微笑んだ。


「私はリミルリと申します。ただの平民ペデストリです」

「えっ」


 暫しの沈黙。動かないふたり。風の音が虚しく鳴り響く。


「……ええええええーっ!?」

 突然それを破ったのは金髪の少女、ハルモアだった。そして地に膝をついた。

「そんな……これほど品があり、姿だけでなく動きは隅の隅まで洗練され美しいものがまさかの平民ペデストリ……っ」

 余程ショックだったのだろう。顔を伏せぶつぶつとつぶやいている。

「ご期待に応えられず申し訳ありません」

 魔法がある世界では迂闊なことができない。嘘を見破る類のものがあった場合、即バレる可能性があり、それが貴族相手ならばそのまま首を刎ねられてもおかしくはないのだ。

 だから身分などの偽ったらタダでは済まないものは正直に話せばならないし、そもそもきゅきゅはリミルリに嘘を付かせる気はない。


「申し訳ないじゃすまないわよ! ワタクシ、平民ペデストリ如きに最敬礼をしてしまったじゃない!」

 あれが最敬礼だったのかときゅきゅは驚愕した。


「……あなた、リミルリと申しましたわよね。歳は?」

「9歳になります」

「こ……これで9歳……ワタクシより下……」

 ハルモアは再び絶望の淵に追いやられた。まさか年下の平民に品位で圧倒的な敗北を喫するなんて思いもしなかっただろう。


「……ま、まあいいわ。あなた────」

 気を取り直したハルモアが、リミルリに向かって話す。


 さてここでひとつ問題がある。この幼き貴族の娘が、良識のある行動を取れるかどうか。

 今回の件は完全に相手の勘違い。そして勘違いさせるような行動をするなというのも通用しない。品のある人間に対し、下品になれというのはあまりにも横暴過ぎるからだ。

 つまり彼女は一方的に自滅し、勝手に恥をかいたのだ。知ったことではない。

 だがそれを無視し、難癖つけてこちらのせいにして処分を下す可能性がある。そして平民のひとりやふたり消したところで問題ないかもしれない。

 しかしきゅきゅはそこまでも考えている。というよりも、リミルリを守るためならば国をひとつ相手するくらいの覚悟をしていた。


 それに、この目撃者のいない町外れの街道で貴族と御者が死んでいても、たかだか9歳の少女が容疑者になる可能性は限りなく低い。殺るなら今だ。


「──あなた、ワタクシの妹になりなさい!」

「『えええええぇぇぇーっ!?』」

 突然魔物が目の前に現れても表情を変えずにいられるよう鍛えられたリミルリどころかきゅきゅまでもが驚きの声を上げた。


「その動き、そして言動。なにより可愛い! 貴族としても恥ずかしくない……いいえ、貴族が恥ずかしくなるほどの気品! 完璧よ!」

「ですが……」

「可愛い! これなによりも重要! ワタクシ、可愛いものには目がないの!」

「は……はあ……」

 目をキラッキラさせて詰め寄るハルモアに、リミルリは思わず一歩後退る。ほんの一瞬であるが片側の頬がひくりと動いた。


「こうして追いかけて来たのだって可愛いあなたと少しでもお近付きに……こ、こほん。少し取り乱しました。それでリミルリ、あなたご両親は?」

「2年ほど前に魔物の襲撃を受けて亡くしました」

「不憫! だけどなんて幸運! 不憫素敵!」


 なにを言っているんだこいつと言いたげに唖然とした表情をするきゅきゅ。確かに全く言いたいことがわからない。

「どういうことでしょうか」

「つまりワタクシがあなたを拾ったところでなんの問題もないということよね!」

 ハルモアが言う通り、親元から引き離すわけではなく、両親のいない子供を引き取るのならばトラブルなどもないだろう。もし親戚などが身請けなどをしていたとしても、穀潰しがいなくなる。或いは大切に育ててもらったとしても、貴族の仲間入りできれば喜んでもらえる可能性もある。この状況は彼女ハルモアからすれば幸運と言えるかもしれない。


(ど、どうしようきゅきゅちゃん)

『どうするもなにも、あたしたちはおばあちゃんを探さないといけないきゃ』

 ここは正直に話し断るべきだ。幸いにもハルモアはリミルリを気に入っているようだから、強引な手を使ったりして不快な思いをさせないはずだ。



「────そういうわけなので、折角の申し出、有り難いのですが……」

 すまなさそうに語っていたリミルリであったが、その先の言葉が続かなかった。

 ハルモアが顔を真っ赤にさせ号泣していたからだ。


「……事情はわかりました。それでもう一度言います。ワタクシの妹になりなさい」

 泣き止み落ち着いたハルモアは気を取り直して話を続けた。

「えっ、あの、ですが……」

「ワタクシの家であれば、権力が使えるわ。それでお婆さまを探せばいいのです」


(きゅきゅちゃん、どうしたらいい?)

『正直こいつがなにを考えてるのかわからないきゃ。だけど乗ってみるのも悪くないかもしれないきゃ』

 リミルリだけなら守れる。いざとなったら逃げればいいのだ。真意のわかるそのときまで付き合ってもいいだろうときゅきゅは判断した。


「ところでリミルリ。その肩に乗っているのはひょっとして生きているのかしら?」

 ハルモアはリミルリの耳元で鼻をスンスンと鳴らしていたきゅきゅに目が行った。

 実際には話をしているのだが、普通のひとには甘えん坊の小動物にしか見えない。


「ええ。この子は狐なんです」

「狐!? ということはまだ子供?」

「いえ、これで大人なんです」

 リミルリの答えを聞いた途端、ハルモアは両手で頬を挟みこんだ。アッチョンブリケとでも叫ぶつもりだろう。

「これで大人!? ということはもう育たない!? なんてこと! こんなラブリーキュートな姿がいつまでも続くのね!?」

 叫ばなかった。

「手を出さないほうがいいですよ。野生動物なので噛みますから」

「野生動物? なぜあなたはそんなものを飼って……まさか、ひょっとしてリミルリは外民セルヴァジェンなの?」

外民セルヴァジェンというのは?」

「町や村に住まず、野原を転々としている連中よ」

 いわゆる遊牧民だ。この国ではそういった人々を外民と呼び蔑んでいるのだろう。


「ええ、でしたらそうなります」

 リミルリの返事でハルモアは頭を抱えた。そのような人物に全て負けたのだ。貴族としてこれ以上ない恥辱だろう。


「で、でも! それでもワタクシは貴女が欲しい!」

 すぐ我に返ったハルモアは、リミルリの手を取り懇願する。まるで告白のようだ。いや完全に告白である。

「あ、その、ええと……はい」

 勢いに負けたのか、思わず返事してしまうリミルリ。百合カップルの誕生だ。

 ……ではなく、リミルリもきゅきゅの考えに乗ったようだ。


 そしてその勢いのまま、あれよあれよという間に馬車へ乗せられ、走り出していた。同意はあるものの、拉致に近い。



「……ワタクシもおかしいとは思ったのよ、一応」

 ようやく興奮状態が落ち着いたハルモアは、渋い顔で外を見ながら呟く。

 彼女によると、貴族であれば町中でも馬車で移動するのだという。それも屋根付きの箱馬車に限られ、これに乗れるのは貴族だけらしい。平民であれば例え豪商であっても幌の荷馬車までしか乗ってはいけない。

 つまり歩いていたリミルリはとても奇異であったわけだ。

『なるほど。あたしももっとこの世界の貴族を学ばないといけなさそうきゃ』

 これから先どうなるかわからぬため、きゅきゅも気を引き締める。


「ハルモア様、宜しいでしょうか」

「ええ」

「ハルモア様はどこかへ行く途中なのでしょうか」

 きゅきゅに耳打ちされつつ、彼女がなにをしているのか探りを入れる。今はどんな内容でも貴族の知識を手に入れたいのだ。

「帰るところよ。ワタクシたち貴族は7歳になると首都にある学校へ行かないといけなくて、家には年2回しか帰れないのよ」

『ふむふむ、学校があるのきゃ』

 きぞくのこはがっこうへいく。きゅきゅおぼえた。


 その後も互いに質問をしつつ、馬車は進んでいった。




 日が地平線に近付き、そろそろ夜になるかという時刻に馬車が到着したのは、かなりの大きさの屋敷であった。その建物を見たきゅきゅの頭には、迎賓館という言葉が浮かんだ。赤坂離宮だろうか。

(きゅきゅちゃん、怖いよ……)

 そんな建物を間近で見たことのないリミルリは、軽く身震いさせ慄く。

『大丈夫きゃ。今のリミはウルトラお姫様きゃ。貴族如きじゃ手も出せないきゃ』

 品位、品格、どれをとっても隙がない。むしろ貴族のほうが隙だらけだ。


 たかが4ヶ月と侮るなかれ。幼き日の4ヶ月は大人の数年にも匹敵し、更に鬼教官きゅきゅの熱血指導。きゅきゅの求めた完璧な理想が出来上がったから町へ下りた。それが今のリミルリである。


「お父さま、お母さま、ただ今戻りました!」

「ハル、よく戻った!」

 馬車から降り、屋敷の扉が開くと、ハルモアは今か今かと待っていた両親のもとへ駆けよる。久々の親子の再会である。


 そして父親──サマンタルア卿はハルモアの後ろにいる人物に気付き、微かに体を震わせた。

「リミルリと申します。三位ヴェルメリオ様とお目にかかれ、光栄です」

 リミルリの完璧な動きにサマンタルア夫妻は思わず最敬礼をしてしまった。


「お嬢様はどちらの貴爵アリストクラータの家の御方で?」

「私の家に爵位はありません」

 その返事にサマンタルア卿は目を見開いた。


「ペ……平民ペデストリだと……? そんな、馬鹿な……」

「お父さま、正しくは外民セルヴァジェンです……」

 サマンタルア卿は、開いた口が塞がらないという言葉を体現させた。その様子にハルモアは苦々しい表情を向ける。己も通った道だ。



 リミルリは客扱いとされ、サマンタルア卿たちと同じ席に座り食事を摂る。最初は外民と席を共にするなんて、貴族として有り得ぬ行為だと難色を示していた両親だが、ハルモアによる必死の説得があり、こうして一緒に食べている。


 カチャリカチャリと微かな音が聞こえるが、ふとその音が止んだ。リミルリ以外が食事をする手を止めたからだ。皆は驚愕の表情でリミルリの食事を眺める。


 それに気付いたリミルリも手を止め、ハルモアたちへ顔を向ける。

「なにかありましたでしょうか」

「い、いや。別に……」

 慌てて自分たちの食事へ戻る。だが手がなかなか進まない。まるで自分たちのテーブルマナーが恥ずかしくなったかのようだ。


 一通り食事を終えたところでハルモアは使用人を下がらせ、父と母へ顔を向ける。その表情は真剣なものだった。

「お父さま、お母さま。お話があります」

「なんだ?」

「リミルリをワタクシの妹として迎えて欲しいのです」

「それは……ううむ」

 サマンタルア卿は悩む。


 平民でも問題あるというのに、外民なんて娘にしたとあっては、他の貴族から笑い者にされるのは確実。いい恥さらしだ。

 だがこれほどの気品を備えた美しい少女を手放すのは非常に惜しい。

 かといってメイドにするわけにもいかない。メイドのほうが上品とあっては貴族の名折れ。それに自分の家のものとして周囲に自慢をしたいのであれば、表に出すしかない。ならばハルモアの妹とするのが一番よいのだろう。


 そこでなにかを思い出したかの表情をしたサマンタルア卿は、夫人に顔を向ける。

「確かお前の縁者に遠国へ嫁いだものがいただろう」

「え、ええ。おりますが……」

「よし、その血筋を使わせて貰おう。礼儀作法が異なるのは国が違うからということで通せば問題ない。因みにどこの国だったか?」

「覚えではダクターフだったかと」

「おお、ダクターフか。それはいい。あまりにも遠くてわざわざ事実を調べに行こうと思うものはいないだろうからな。義兄に取り次いでもらえるか?」

 夫人の兄である四位アマレロ・エリソンに話を通しておけば、これ以上の詮索はされないはずだ。なにせダクターフ王国といえば、ここからだと何カ国も通らねばならぬうえ、山も越えねばならない。養女の詮索にそこまではされないだろう。



 こうしてリミルリはリミルリ・サマンタルアとなった。

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