リミルリ、町へ戻る
4ヵ月も経つと、リミルリの動きはかなり洗練されてきていた。
歩く姿は凛としており、顔どころか視線も動かさず視界に入ったものを観察できるようになって、きゅきゅがあちこちに隠した罠も全て笑顔でかわすことができるくらいにまで成長していた。
動きに関しては同じ歳の貴族の子供に引けを取らないどころか、これ以上上品に振舞える人物なんて王族でもいないかもしれない。
というよりも、この世界のレベルの上品さを上回っている。この小さな淑女の動きの前では、大抵の貴族が猿に見えるだろう。
戦闘術も教えた。とはいってもきゅきゅは武術家や格闘家ではないため、特定の武器に特化したものだ。
きゅきゅがリミルリのために作り与えた武器、それは
部族の血筋なのか、リミルリの体は並の人間よりもずっと優れている。力もあるし反射速度、瞬発力、動体視力がとても高い。そのうえ体を強化する魔法があるのだから、銃弾は無理だとしても、矢くらいはこれで落とすくらいわけない。
知識もきゅきゅが教えられる限りのものを教えた。数学は当然として、物理や生物など、この世界ではまだたどり着いていないこと、きゅきゅの知り得たことを惜しげもなく教え、リミルリはそれを吸い尽くしている。
『そろそろ人の住む場所へ降りるきゃ』
リミルリはきゅきゅの納得がいく出来まで仕上がった。それにもう山奥でひとりと一匹の暮らしに限界がきていた。
常に魔物や野獣の気配に気を使い、いつなにがあってもすぐリミルリの傍へ戻れる距離での食事探し。野生での暮らしをしていたきゅきゅだけならばなんとかなるのだが、リミルリを放置することはできない。きゅきゅの精神的にもそろそろやばい。
「この服はどうするの?」
リミルリに練習させるためのシャツとスカートは、ずっとそれだけを着ては洗うのを繰り返していたため、くたくたになっていた。これでは町に行けない。
『それはただの練習用きゃ。本番はワンピースにボレロ。これでばっちりきゃ』
ワンピースはきゅきゅが作成した蛍光増白剤により、更に白くなっている。これを見てしまったら普通の白が黄ばんでみえるだろう。
ボレロは上着を切り、魔力体に石を纏わせて手縫いして作った。背中の部分には浅いポケットのようなものがついており、きゅきゅの足場になっている。
『んー……リミ、ちょっと育ったきゃ』
「ほんと?」
ワンピースはひざ下まで充分にあったはずだが、今はぎりぎり膝が隠れる程度だ。さすが成長期真っ只中。気付けば9歳になっていた。
しかし今更フリルやレースを追加する時間はない。年齢を考えればみっともなくはないはずだ。それにきゅきゅが叩き込んだリミルリの歩き方は、足が見えるときの歩き方だ。ロングスカートの歩き方ではない。これくらい見えていたほうが綺麗に見えるだろう。
『その前に髪を切るきゃ』
「また切るの?」
『今度は揃えるだけきゃ』
前髪を目より少し上で切り、後ろ髪を肩口で真っすぐ切り、左右をツーサイドアップにまとめる。
この少しまとめた髪が体の動きや風などを感じるセンサー、動物の髭のような役割をもつ。付け焼刃のリミルリの一助になるだろう。
『かわいい! リミ、超かわいい!』
ワンピースにボレロ、そして髪を整えたリミルリを見てきゅきゅの目は爛々と輝いた。予想以上の出来栄えに思わず用を足す姿勢になってしまう。
『はい、じゃあ最後にいつもの言って』
「笑顔は淑女の正装であり、社交という戦場での戦装束です。私が淑女である限り、崩しません」
『よくできたきゃ!』
きゅきゅは満足そうに頷き、リミルリは笑顔で返す。
その笑顔は以前の無垢で自然な笑みではなく、淑女たるものであった。
「ここ、前に来た町だよね……」
『そうきゃ。ここを克服して初めて先へ進めるのきゃ』
山を降り、やって来たのは以前逃げるように出た町だ。同じ入り口、同じ門番。話を聞いてくれた門番に恨みはないが、再出動にはここを越えねばならない。
「あ、あの……」
声をかけられ、リミルリはくるりと振り返り笑顔を向ける。
「なにか?」
「あ……し、失礼しました!」
ビシッと直立する門番。入場料すら受け取らずリミルリを中へ通した。まさか以前止めた少女だと微塵も思っていないだろう。
そして町を歩けば誰もが足を止め、リミルリのことを見つめていた。
「凄いね、きゅきゅちゃん」
『洗練された動きはひとを魅了するきゃ。そのうえ究極と言えるほど真っ白なワンピースにかわいいリミ。完璧きゃ』
視線を動かさず視角に入る情報で周囲を読み取るリミルリ。少女の可憐で美しい動きではあるが、その歩みは威風堂々と喩えるのがしっくりくる。
その姿を見たものは誰もが道を譲らずにはいられない。
「それでどこへ行けばいいの?」
『まずバッグとポーチを買うきゃ』
「バッグはどんなのがいいの?」
『リュックは駄目きゃ。レディが持つものじゃないきゃ』
この世界のリュックは実用的で武骨なものばかりだし、きゅきゅの思う淑女像にリュックはない。
できればスーツケース──地面を引き回すキャリーバッグのようなものでなく、昔ながらのアタッシュケースのようなものが望ましいと思っている。
「それじゃこれはどうかな」
リミルリが見つけたのは茶色く塗装された皮が貼り付けてあるケースだった。
『駄目きゃ。生成り以外認めないきゃ』
「なんで?」
『ロクな定着剤の使われていない着色なんて簡単に色移りするからきゃ。白いワンピースがまだらになるきゃ』
現代の地球でも色移りするのだ。この世界には落ちない塗料があるのかもしれないが、不安があるならばやめたほうがいい。
「い、いらっしゃいませ……」
前回会った店主らしき男が、声をかけていいものかと恐る恐るやってきた。以前のリミルリだとは全く気付いていない様子。
それに対しリミルリはにこりと笑顔を向け、きゅきゅから教わった言葉を放った。
「普通のものはありませんか?」
「ひいっ! す、すみません!」
男は距離を取り両膝を地面に着けた。
(どうしたのかな)
リミルリはこっそりときゅきゅに耳打ちする。
『貴族用語きゃ。今のは「この店にはロクなものがない」と言ったのきゃ』
(なんでそんなこと言わせたの!?)
『リミを汚いガキとか罵った罰きゃ』
きゅきゅは満足そうだが、リミルリは少し申し訳なさそうだ。
リミルリの甘さに対しきゅきゅの辛口。案外バランスがいいのかもしれない。
『じゃあ次はこう言ってきゃ』
きゅきゅがリミルリの耳元でうんにゃうんにゃ言った後、リミルリは男に笑顔を向けた。
「こちらで構いません。おいくらでしょうか」
「え、いや、その……こちらは不良品なので、お代を付けられるようなものでは……」
「必要なのですが、頂いても構いませんか?」
「は、はい!」
男が叫ぶ。
もちろん不良品ではない。どちらかといえばこの店では上等な部類だ。だがその上等というのは「平民が持つには」という括りであり、貴族などからしたら出来が悪いと言われても仕方がない。
ともあれ、無料でくれるというのだ。きゅきゅはありがたく受け取ることにした。
「このバッグに色々入れるの?」
『大事なものはこれまで通り水晶に入れて身に着けておくきゃ。この中に入れるのは大事なようでそうでもないものきゃ』
極上のお嬢様がひとりで出歩いているのだ。攫われる可能性がある。もちろん今のリミルリにそんな隙はないし、きゅきゅだって察知できる。だが魔法のあるこの世界では用心を過剰にしたほうがいいかもしれない。
このケースは、いうなればデコイだ。注意をリミルリではなく荷物へ向けさせたほうが多少なりとも安全でいられる。
「ポーチは?」
『すぐ使えるものきゃ。ハンカチとか小銭とか』
バッグやポケットなどをまさぐり小物を取り出す姿はお嬢様らしくない。リミルリは早速細かいものをポーチへ入れる。
『さて次はレストランきゃ』
「まだ自信ないよ……」
『大丈夫、今のリミは無敵きゃ』
リミルリの不安なんて知ったことではない。きゅきゅは自信満々に歩かせる。
『あの店がいいきゃ』
「ええっ!?」
庶民でも商人、それもかなり裕福なものでなければ入れないような、いかにも高級ですと言わんばかりのレストランだ。
『リミは自信ないかもしれないけど、今のリミに相応しい店は他にないきゃ』
どんなに不安だろうと決して顔に出さないだけの特訓をしてきたリミルリは、笑顔で店に入る。
「いらっしゃいま……」
給仕の男が開かれた扉の方へ反射的に挨拶し、息を飲んだ。
少女が一歩一歩進むたび、周囲の時間が止まっていく。
全ての白を否定するほど美しい白のワンピースに、ぶれのない滑らかな足運び。その堂々とした姿に、誰もが王族かそれに準ずる家の娘であると疑わなかった。
「こ……こちらへどうぞ」
リミルリが案内された席は、外から一番目立つ場所だった。どれだけ混んでいようとも庶民に座らせることのない、周囲へ自分の店のアピールをするための場所だ。うちの店にはこのような上等な客が来るんだと自慢するために。
だがリミルリは勧められた椅子に座らず、横に立つだけだ。なんだろうと不審に思った給仕は、理解した瞬間青褪める。
「し、失礼いたしました!」
給仕は慌てて椅子を引くと、リミルリはにこりと笑顔を向け、滑るように座った。
きゅきゅは流石に肩へ乗ったままとはいかず、リミルリの足元で座る。
「こちらがメニューでございます」
メニューを見せようとした給仕を、リミルリはゆっくりと手をあげて止める。
そしてにこりと笑顔を見せてこう言い放った。
「おいしいものをいただけますか?」
「は、はい!」
給仕はまたもや青褪め、慌てて厨房へ引っ込んだ。
「私はなんでもおいしいんじゃないかと思うんだけど、これでよかったの?」
『今のリミはスーパーお姫様きゃ。だからさっきの言葉は「美食に慣れた私の舌を満足させられるものが出せますか?」と挑発したように聞こえたのきゃ』
「ええっ! 私、そんなつもりないよ」
『相手の言葉の裏を読むのが上流階級の嗜みきゃ』
「上流階級怖いよぅ」
皮肉や遠回しの言い方は古来から世界中にあり、この世界でもそれは変わらないのが確認できた。これから動くのに活かせそうだ。
リミルリは出されたスープを、食器の音すら立てず迷いない動作で掬い口へ運ぶ。
『うまい具合に隠してあたしにも飲ませてきゃ』
どういったものを出しているのか確認するため、リミルリに他のひとの死角から下へ落としてもらい、床へ落ちる前に飲み込んだ。
(下処理はしっかりしているし、味付けも悪くない。だけど素材が微妙なのかな、生臭いのを誤魔化してる感じがする)
スープ、サラダと出され、メインディッシュの登場だ。なんの肉かはわからぬが、とてもいい肉なのだろう。皿の盛り付けがしっかりしている。
リミルリは出された肉を、これまた食器の音を出すこともなく切り口へ運ぶ。
その様子を給仕はもちろんのこと、周囲の客も見ている。
一切の音もない静寂。食事とはこれほどまでに音がしないものなのかと誰もが驚愕する。
『おにくちょうだいきゃ』
小さく肉を切り、そっと弾き飛ばす、きゅきゅはそれを上手くキャッチし咀嚼。
(焼き加減は悪くないし、ソースもなかなか。だけどこれも素材が……肉の血抜きに失敗してるのを誤魔化してる感じがする)
「お口に合いましたでしょうか」
料理長らしき男がわざわざ席までやってきた。それなりに自信があるのだろう。
(どう答えよう)
ひとの耳には聞こえない音量の声を聞いたきゅきゅが答える。
『あたしが言った通りに言うきゃ』
リミルリは料理長へにこりと笑顔を向け、答えた。
「誤魔化す技術が上手くても根本的な解決にはなりませんよ」
料理長は目を見開き、そして膝から崩れ落ちた。
食事を終えたリミルリは店員に「お支払いしますか?」と聞くと、店員は蒼褪めて「頂けません」と答えた。
美味いものを出せと言われて出したものがこの有様だ。貴族の挑発に乗るほうが悪い。ここは出せませんと断るべきだったのだ。「うちでは貴方様を満足させられるほどの料理はません」といった感じに。そして「それでも構いません」と言われれば、相応の対価を請求することができた。
料理長も店員も自信を失ったことだろう。
『料理の技術はあったけど、素材の悪いところを殺す技術がなくて味付けで誤魔化そうとしていたのきゃ』
「そんなことまでわかるの!?」
『わかるきゃ。つまりあの料理長は二流ってこときゃ』
「充分おいしかったのに……」
これで素材が良ければ本当に旨かっただろう。実に惜しい。
ひと通りの実験を終えたふたりは、町を出て北へ向かう街道を行く。周囲にひとの気配がないのを確認したきゅきゅは、少し嬉しそうにリミルリの耳に鼻を近付ける。
『満足したきゃ』
きゅきゅは自分の考えが間違っていなかったことに安堵したようだ。
当然きゅきゅにも不安はあっただろうが、それを出してしまうとリミルリまで不安にさせてしまう。だから必要以上に自信があるようにしていた。
『リミはどうだった?』
「うーん、緊張したけど本物のお姫様になれた気がしてちょっと嬉しかったかな」
少し前に通ったとき、皆は彼女に蔑んだ眼を向けていた。だというのに今では羨望の眼差しを送っていた。
『これでわかったでしょ。人間って全て見た目で決まるのきゃ。どんなにリミの心が綺麗でも、そんなもの誰も見てくれないのきゃ』
「うん。これが現実なんだね……」
リミルリは目を伏せ呟く。そして今日まで頑張ってきたことが正しいことを嫌というほど実感した。
『ひとはもっと他人の内面を見るべきなのきゃ。そうすればリミだってここまですることなかったのに』
「でもきゅきゅちゃんだって最初私のこと嫌ってたよね」
『リミ』
「なぁに?」
『あたしの座右の銘はダブルスタンダードきゃ』
リミルリは唖然とした顔できゅきゅを見た。なんでそんなことをすました顔で平然と言ってのけられるのかと。
『あたしは他人にこう言うきゃ。ダブルスタンダードはよくないよって』
「う、うん」
『でもそれを指摘されてもあたしはかわいいから許されるきゃ』
「えー……」
『だからといって他人だったらかわいくても許さないきゃ』
「ええー……」
ダブルスタンダードを否定しながらも自らはダブルスタンダードをする。座右の銘は伊達じゃない。
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