性悪狐と姫少女
狐付き
転生、出会い、そして
プロローグ ~救われた転生
────彼女は思わずとも、いい人生ではなかったと感じている。
小さなころから様々なお稽古ごとをこなし、家の名に恥じない教育を施された。
常に優秀さを求めるような親から育てられたせいか、彼女にとっては周囲の同級生が出来損ないに見え、見下し、自信からくる偉そうな態度をしていた。
そんな彼女に友人と呼べるものはいなかったが、取り巻きだけは大勢いた。
だが取り巻きとは所詮打算で近寄る連中だ。稲穂が不治の病と知った途端、誰も見舞すら来ない。
両親もそうだ。
淑恩寺家は代々石高を誇っていた大名家の血筋で、家督を継がせる候補の子供には米にまつわる名を付けてきた。
稲穂の名から、両親の期待がどれだけのものかがわかるだろう。
しかしその彼女はこの有様。失望した親は彼女を世間に晒すのも恥だと思ったのか、病院の個室へ閉じ込め、今の今まで足を運ぶことはなかった。
そして告げられた余命もそろそろ尽きる。
(もし生まれ変われるのならかわいい動物がいいわ。人の世界はもう嫌。なにがいいかな。エゾリス、ムササビ、フェネック、レッサーパンダ……)
そんなことを考えていた直後、稲穂は暗闇に飲まれていった。
次に意識が戻ったのは、やはり暗闇の中だった。
目は開いているつもりだが、暗い。周囲が暗いせいなのかもしれないが、病院だと様々な機器の明かりがある。
そして手足が自由に動かせない。まるで水────ではなく、沼の中にいるようだ。なかなか思うようにいかない。
そのような状況であっても空腹は耐えられない。とても空いており、すぐにでも食べないと死んでしまいそうだ。
匂いを嗅ぐと、なにか胃に訴えるような匂いがし、稲穂は必死にそこまで這いずっていき、匂いのもとへ食らいついた。
(……あれ!? 歯がない!)
舌でも確認するが、歯茎はツルツル。
でも今はそんなこといい。お腹空きすぎてやばい。口に入り込む謎の液体をどんどん飲み込んでいく。
なんとかお腹いっぱいになった。そう満足していたところ、なにかが稲穂の体を這いずり回る。
(……なんかぬめぬめしてる!?)
必死に抵抗するけど、文字通り手も足も出ない。
舐められているような気がするのだが、あまりにも舌が巨大だ。まるでカバかゾウのようなものに舐められているようだ。
動物の餌に……いや彼らは肉食じゃない。
では巨大な肉食動物がどこかの機関で作られ、どうせ埋葬するならと餌として売られたとかかもしれない。稲穂は恐怖に震えあがった。
杞憂だった。
どうやら稲穂は四足動物に生まれ変わったらしい。生まれたばかりなのだから手足が不自由なのも歯がないのも当たり前だ。
あと自力で排泄もできないから、親が舐めて出させるのも普通。
(
彼女は心の中で叫んだ。
そして暫く経ち、目が見えるようになって更に素敵な事実が発覚。稲穂はフェネックに生まれ変わっていた。
(お母さま凄くかわいい!)
兄弟たちも、これからかわいくなるぞ感半端ない。初めての家族は天使たち。彼女は人間だった記憶を含め、初めての幸せを味わった。
一時は神を恨んだこともあった。だが捨てる神あれば拾う神あり。拾ってくれた神へ必死に感謝の祈りを捧げた。
そして彼女は今日も幸せに抱かれて眠る。
生まれてから半年ほど経った。
兄弟たちは超絶かわいくなり、稲穂もかなり育った。
とはいえまだ母親のほうが大きい。まだまだ子供な感じだ。
狼とかならそろそろ親から追い出されるころだが、フェネックの群れは家族単位。つまり追い出されることなく一緒に過ごすことができる。
だがフェネックは大体1年くらいで大人とほとんど見分けがつかなくなるほど育つ。そうなったら自分でも獲物を捕らないといけない。それが不安だ。
雑食なため草などでも問題ないが、やはりタンパク質は必須だ。いろんなものを食べなくてはならない。小動物に生まれ変わったのだから、その覚悟は必要である。
そして兄弟たちはとても元気だ。超テンション高い。
『きゅきゅ、狩りごっこするきゃ!』
『するきゃ! するきゃ!』
「今ママに毛づくろいしてもらってるからぁ」
『きゅきゅは甘ったれきゃ』
稲穂は『きゅきゅ』と呼ばれている。人の記憶が邪魔をしているせいか、フェネ声で鳴くのがあまり上手くなく、普通のフェネックのように甲高く「きゃーきゃー」鳴けず、ちょっとハスキーな感じで「きゅーきゅー」と鳴いてしまうからだ。
そしてこんなテンションの高い兄弟たちが大人しく引き下がってくれるはずもなく、稲穂に飛びかかってくる。
「いたたっ。やったなぁー!」
『かかってくるきゃ!』
『やるきゃ! やるきゃ!』
稲穂はお返しとばかりに兄弟たちへ襲い掛かった。
完全に野性的な思考になってきている。頭の中で色々考えるときも既に一人称が「わたくし」ではなく「あたし」になり、「お母さま」も「ママ」など、どちらかと言えば幼退化していた。実はこちらのほうが彼女の性に合っているのかもしれない。
だけどそんな幸せは長く続かなかった。
フェネックに生まれ変わって1年近く経った。
稲穂はもとより、兄弟たちも母親と同じくらいの大きさに育っている。
そこで問題になるのは巣だ。
小さいころはそこそこのサイズだったこの穴も、みんなが大きくなったら狭い。みんなに包まれるのは幸せだが、寝づらい。
あとは餌だ。みんな大きくなったということは、それだけ多く食べないといけなくなる。砂漠は食べ物が少ないから、何キロも探し回らないといけない。この辺りのものは粗方取ってしまったから、最近困っている。
『そろそろ別のところに住むきゃ』
母親がそう言うと、みんなぞろぞろと外へ行く。人間と違い、荷物のようなものはなんにもない。決めればすぐ行ける。
(ここは天敵もいない、いい場所だったんだけど仕方ないよね。)
稲穂はここで生まれ育った。とても幸せに暮らせたし愛着がある。だけどみんなはそんなことお構いなしだ。動物の世界はドライなのだ。
でもみんながいれば寂しくない。またいい場所あればいいなと思いながら巣を離れる。
『敵きゃ!』
移動を開始して暫くしたのち、母親が険しい顔で体を低くする。キョロキョロするが当然のように見えない。
フェネックはとても耳がいい。1キロ先で落とした針の音さえ聞こえるという。だから敵の発見も早い。
(……あたしにも聞こえた。ネコ科に多い鼻呼吸の音。まだこちらに気付いていない?)
いや気付いているはず。稲穂らは耳で把握するが、あちらは鼻がいい。
だが音の伝達に比べ匂いの伝達は遅い。アドバンテージはこちらにある。
稲穂は耳を澄ました。他になにかあるかもしれないから。
『ママ! あっちに穴があるよ!』
『みんな、行くきゃ!』
穴から風の抜ける、ヒューヒューという音に気付いた稲穂はみんなと一緒にその穴へ向かった。ある程度大きいくらいの相手なら家族全員でかかれば倒せるが、それ以上大きかったら無理だ。しかし穴に逃げ込めば追ってこれないかもしれない。
見つけた穴は、フェネックならば楽に通れるが、戦って倒せないくらいの大きさの獣なら通れない。いいタイミングで適した穴があったのは幸運だ。
全員母親について小走りに穴を入っていく。かなり奥が深い。だけどここまで来れば安全だし、先の方から外の臭いがする。きっと穴の出口だろう。
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