バイト代が妖刀(現物支給)でした!?

夕凪

第1章 バイト先がもぬけの殻でした。

「こんに……ち、わ……?」


 いつものように扉を開くと、そこは空き室でした。

 京都は上京区。千本今出川からちょこっと歩いた場所にある旧い雑居ビルの三階。

学校帰りに市バスに乗って、制服のまま通い慣れたはずのバイト先に来てみれば、そこはもう、いっそ清々しいほどもぬけの殻と化していたのです。

 あっれ部屋を間違まちごうたかな、と階や部屋番号を確認するも、そもそも預かっていた合鍵で開いたのだから間違いのはずもなく。


「えええええ……?」


 そしてウチ、平野ひらの千花ちかはあんぐりと口を開けたまま、その場に立ちつくすしかありませんでした。


    *


『加茂野特殊興信所』


 これがウチのバイト先(だった)事務所の名前です。

 普通の探偵業は建前みたいなもんで、『厄祓い業』という、ちょっとした霊トラブルの解決などをお手軽価格で引き受ける何でも屋さん。

かくいうウチも、以前は強すぎる霊感のせいで霊障によく遭ってたのやけれど、ここの所長さんのおかげで以前より普通っぽい人生を送れるように。

そんな恩義のあるここは、自分の相談などもできる手頃なバイト先。

 怨霊悪霊のバーゲンセールが開けそうなここ京都では、それなりに需要のあるお仕事、というお話やったんけど。


「まさか……夜逃げ?」


 つい昨日までは、物という物が詰め込まれて足の踏み場もなかったのに、“うなぎの寝床”らしく細長い部屋はウソのようにがらんどうの空間と化していた。

 ウチはふと、その中心にぽつんと何かが置かれているのに気付く。


「刀……?」


 日本刀。しかも江戸時代の武士が持っていそうな、漆塗りの朱色の鞘と、装飾の入った立派な鍔と柄のある、「いわゆる」な見た目。


「模造刀や、あらへんよね……」


 近寄ってみれば、鞘に貼りつけられた紙には、マジックでデカデカと、


『バイト代(現物支給)』


と書かれていた。

 …………はい?

 よく見れば側にはメモ。そこには可愛らしいボールペン書きの丸文字で、


『ゴミン。ちょっと資金繰りしくった☆』


 ちょっとやばいことが書いてありました。


『待ってもらってたバイト代としてちょっとした妖刀を一本、現物支給しときます。私の代わりだと思って大事にしてね!

 携帯も解約したので連絡つかないと思いますが、また会いに行きます。じゃあねっ by由梨奈

 P.S.事務所の合鍵は明後日までに不動産屋さんに返しといて♡』


「…………」


 おいこらどういうことですか所長。

 というツッコミも言葉にならず、ウチはただ無言でそのメモを破り捨てた。


「でも、ちょっとした妖刀って……」


 ウチが持っててもしゃーないし、売ってお金になるんかなぁ。

 というかそもそも、持ったら即呪われるようなものもあるらしい(所長からの又聞き)ので、迂闊に触っていいもんかどうか。


「まあ、所長がバイト代言うなら、大丈夫やろ……」


 とりあえず家に持って帰ってから考えよ。

 そうして何気なく鞘を手にとった、瞬間。


「――――!?」


 うわキッツ!? という言葉も発せなくなるほど、強烈な呪いが腕から頭、心臓に駆け上ってきた。

 一気にクラつく視界。ウチがウチでない真っ黒な何かに塗りつぶされそうになる。

 けれど、ウチはどうにか歯を食いしばってその不意打ちに耐えきった。黒い塊を喉元で押しとどめると、一つ深呼吸。

 ……ああもう、えっと、こういう時は……。

 思い出す。所長に教わった護身術の中で最も簡単確実なものを。中指と人差し指を立てて、刀に見立てた指で格子を描く――


「……りんぴょうとうじゃかいじんれつざいぜん……!」


 はやを切ってみると、少し圧が弱まった。

大丈夫、効いている。よし、もう一回――


「臨、兵――」


「おいごら加茂野! おんのか!?」


「ふひゃっ!?」


 突然、背後のドア越しに、身がすくむようなガラの悪い怒鳴り声が飛び込んできた。驚いて振り向けば、


「期限はとっくに過ぎとんのやぞごらぁ! 金返せや! 聞こえとんのか加茂野!?」


 勢いよくドアを蹴り開けて、男が三人ぞろぞろと入ってきた。

三人が三人とも『たいそうにぎやかな色の背広』(京風表現)を着てはる上に、うち二人はさらに日差しがきついこともないのに金縁のオサレな日よけ眼鏡グラサンをかけてはってつまりおっちゃんらカタギの人ちゃいますね?


「ちっ、逃げよったか………」


 おっちゃんらが見ても分かる通り、ここは既にもぬけの殻。

 借金のカタに持っていくようなものはなにも残って……。


「あん? おいオノレ、加茂野の関係者か!?」


 あ、ウチがおった。

 いちばん背の高い黒髪のおっちゃんが、いかつい顔のままこっちに歩いてくる。

なんか怒られんのやろか。ウチただのバイトやのに。

というか刀の呪いでいまそれどころやないんですけど……!?


「え、いや、その……」


 とりあえずひきつった愛想笑いを向ける。

どうしよう、なんて言うたら穏便に済むやろか。

と、すっかりおっちゃんらに気を取られたのがまずかった。


「あ……」


 その瞬間、ウチは自分の身体を事を悟った。

 ウチの自我は残っているが、身体の制御は完全に効かなくなった。ありえない俊敏さで刀を両手に持って立ち上がる。

 ……あっ、ちょっ、待っ……!?

 と思うも、もはや時既に遅し。


「なんや、オノレ――」


ウチの身体はまったく躊躇なく白刃を抜き放つと、鞘を投げ捨て、右足が跳ねるように床を蹴った。

一歩、二歩。それでウチの身体は瞬間におっちゃんに向かって間合いを詰める。

 三歩目で重心を左足に。一気に身体を沈め、そこから全身の筋肉を余さず使って強引に刀を振り上げる。遠心力の乗った刃は右下からの大振り。

 殺意の乗った速度で、刃は正確におっちゃんの頸部クビを――

 ……ってアウト! それアウトやから!?

 根性というか精神力というか、あるいは人を殺めることへの恐怖が勝ったというべきか。

 どうにかウチは僅かに身体の制御を取り戻し、刃の軌道を上にそらすことに成功。

 振り抜かれた刃はギリギリでおっちゃんの頭を越え――けれども力及ばず、ふさふさの黒髪をかすめた。

 弧を描いて、刀身は打ちっぱなしのコンクリの床を削って止まる。男の頭部から引っさらってしまった、黒い塊とともに。

 ……あ、おっちゃんカツラやったんや……。

 あまりのことに、両者はしばらく無言で静止する。

 かたや、うっかり人を殺しかけたことに。

 かたや、まったく脈絡なく殺意を向けられて、挙句カツラを剥ぎ取られたことに。


「……ッ! んのアマ、アニキになにしてくれよんじゃボケェ!?」


 呆然とした空気を叩き割るように絞り出された怒声。動いたのは、後ろにいた舎弟っぽい金髪の兄ちゃん。手にはナイフが握られていた。


「あの……えっと、すんません、ちょぉ、この子がやんちゃで……」


 カツラを床に縫い付けたまま、引きつった笑顔で釈明するもまあ無意味。

 いきなり殺しかけましたけどすんませんこれ妖刀のせいなんで堪忍してくださいって信じひんやろふつー。


「いきなり日本ポン刀抜いてタダで帰れると思うなやワレ――」


 金髪兄ちゃんの左腕が迫る。胸ぐらをつかまれる、と思った瞬間、また身体が勝手に動いた。

 踏み込みと同時にカツラを振り飛ばして刀身を振り上げると、右足を軸に一回転。

 回転の勢いのまま、刃が狙うのはおそらく同じく頸部。

 このまま首を刎ねてまうのはさすがにようないけど、何もしいひんかったらどこぞへ売り飛ばされそうなんで、ウチはこの呪いに乗っかることにした。

 ……殺したらあかんけど、ぶちのめすぐらいはさしたるから、手ぇ貸してや……!

 妖刀はそれを合意ととったのだろうか。振り抜く直前、ウチの手は器用にも掌中で柄を半回転。速度の乗った刀の背で勢い良くナイフ金髪兄ちゃんの頭をぶっ叩いた。


「が……!?」


 強烈なみね打ちに、うめき声をあげて金髪兄ちゃんは吹っ飛び昏倒。

 打撃と同時に妖刀は彼の生気を吸い取ったらしい。金髪兄ちゃんは泡を吹いたまま起き上がらなかった。


「ほんますんませんこれウチやけどウチやなくて……!」


 言い訳を口走りつつ、護身のためにはやむなしとウチの身体は次の攻撃モーションに入っていた。


「アニキ、俺が――」


 次いで手に金属を握りこんだ男が、カツラを取られた人をかばうように前に出る。

 ……あ、あれ知ってる。メリケンサックいうのんや。

 クラスの不良男子が自慢してるのを聞いたことあるわ。

 などとのんきな思考とは裏腹に身体は妖刀の意のまま勝手に動いていた。

 右足で一歩踏み込み、左足の二歩目でメリケンサック男の右足を踏み抜く。


「なっ、この……」


 ウチの体重は軽い――大切なことでもう一度言うけれど『軽い』――が、それでも全力で足を踏み抜かれれば成人男性とて動きが妨げられるのは必然。

 そのまま勢いに乗せて刀の柄をみぞおちへ正確に打ち込んだ。


「ごふ……」


 呪いが男に伝わり、生気を吸い取るのがわかった。打撃というよりも強烈な呪いに耐えられなかったのだろう。こちらの男も瞬く間に崩れ落ちる。

 最後はカツラの取れたおっちゃんだ。


「オドレ、調子こくのもいい加減に――!」


 彼が懐から抜いたのはまさかの拳銃。なんかハリウッドとかで見るやつだ。警官さんの蓮根型とはちゃう感じの最近のやつ。

 ……あ、これ死んだかも。

 とビビったウチの思考も無視して、妖刀は全く躊躇わずウチの身体を突っ込ませる。

 銃を向けられながらまったくブレない動きに、逆におっちゃんはビビったんやろか。わずかに身を固めて後ずさった。

 一発、引き金が絞られる。けど撃発された弾丸は避ける必要もなかった。てんであさっての方向に飛んでいく。

 そして、それだけ時間があれば、ウチの身体はとっくに刀の間合いに入っていて。

 振り上げた刀身は、みね側を向けてきれいに真正面から脳天に叩き込まれた。


「んが……」


 鉄塊の衝撃と生気吸収に、おっちゃんは見事に仰向けにひっくり返った。


「…………さて」


 改めてウチは自分の周囲を見やる。

 昏倒したカラフルスーツ(隠語)のおっちゃん×三体。

 手にはちょっとどうかしてる感じの妖刀。

 どうしたもんやろかと途方に暮れていると、


『ふむふむ。多少荒いが、熟した男もまた良いものであるの』


「は?」


 どこからか声がした。女性のものだ。やけに古臭い雰囲気がする。


『美味かな美味かな……ところでぬし』


 呼びかけは、空気を震わせるたぐいのものではなかった。

心に滑り込んでくるようなこれは、霊的な意思の呼びかけだ。


「……ウチ?」


『ぬし以外におらんじゃろうて。で、ぬし。なぜ筋骨たくましき武士もののふではないのじゃ。わっちの持ち主としては甚だ不愉快なのじゃが』


 ならばその主は、この妖刀以外にありえないのですが。

 ……なんやこいつ。

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