お菓子の詰め合わせ

七咲

1つ目 雪の宿

 服を買いに少し早いクリスマスセールで賑わう地下街を歩く私は道の真ん中で行われている催し物に目を向けた。

 小鳥の広場と銘打たれてそこにあったのは豪華な家を模して造られた鳥籠だった。私はどうにも好きになれずに足をわずかに速める。速めたところで弱い私の脚力では私の荷物を運んでくれる同行者にとっては普通の速度か、むしろ遅いと感じるくらいだろう。

 下世話な想像をされた方には申し訳ないが、茶色がかった短髪の同行者と私は恋仲ではない。簡潔に言ってしまえば使用人と雇い主の関係だ。

「玲奈様、よく行く服屋さんはもう過ぎておりますが」

「あ、本当。少しボーっとしていたから。それより何を珍しく敬語なんて使っているの? 外だからと気取らずにいつも通りの軽い口調でいなさい。行動もかしこまらなくていいから」

 はいはい、と言って私の左隣を歩く優一はヘリウムガスの入った風船のようにふわふわと軽い言動に戻った。それでも荷物は頑として持ってくれているのが彼の優しさだと思う。


 数名しか暮らしていないので、どう考えても不必要な広さを持つ屋敷に帰る。移動は常に車。息が詰まりそうになる。

 買った服を広げつつ部屋の窓から外を覗くと、三階建ての高さのおかげで隣の空き地の様子がよく見える。だけど、少し伸びてきたミディアムボブの前髪が目にかかって邪魔に感じられた。そろそろ切りたいな。

 この地域にしては珍しく雪がうっすらと積もっている。何もこんな日に出かけなければよかったと、少し痛んだ肌を撫でつつ後悔した。

 車を降りて家に入る数秒でさえ冬の外気にさらされると皮膚が熱過敏症の私にとってはつらい。熱いのもダメ、寒いのもダメ。本当に嫌になる。

 外で遊んでいる子供が本当に羨ましく思える。外で遊ぶのもほとんどしないし、雪で遊ぶことなんてある種の夢だった。もししたとしたら肌がただれてそれどころじゃない。第一、そんな遊ぶ友達なんて私にはいないのだ。

 私を守ってくれているようなこの大きなお屋敷、実際には何もない。空き部屋の数がまた、むなしさを加速させる。

 父も母も経営が崩れかけている会社を保つために必死で働いている。か弱い私にかまっている暇なんてないみたい。住み込みの使用人を雇うお金もなくなってきていて、今いるのは通いで来てくれる一人の家政婦さんとその息子で、給料はいらないからと私のそばにいてくれる優一だけだった。早く引っ越せばいいのに両親は昔の状態に戻れると本気で信じている。

「玲奈、さっき渡し忘れてた荷物あったから。今部屋に入っても大丈夫か」

 ノックをしたうえで確認を取る細やかさは彼の美徳だ。私の許可とともに部屋に入り、荷物を置くとすぐに立ち去ろうとする。昔は何かにつけて部屋にいてくれたのに。

「ねぇ」

 ドアに手をかけたその背中がどうにも恋しくなって私は声をかける。話のタネなどないけれど何か言わずにはいられなかった。

「最近高校はどう? うまくやれている?」

「まぁ、ぼちぼちかな。やっぱり楽しいし」

 笑顔を見せる優一の顔を見て聞かなきゃよかったと思った。私はこの体のせいで学校も行っていない。家の中で一人勉強している。家庭教師はついているけれど基本的には孤独な勉強だ。

 一方、同い年の優一は普通に学校に通っている。私にとって友達と思えるのは優一だけだけど、彼はそうじゃないのだ。

 それ以上何も言えなくて私は黙った。私の挙動を不自然に思った優一は心配している様子だったけれど、泣きそうな顔を見られたくなくて彼を部屋から追い出した。

 外で遊ぶ子供の様子が目に痛くて、でも見ずにはいられない。嫌な臭いのほうが深く吸ってしまうような、そんな感覚だった。

 私はポツリと呟いた。あんな風に遊びたいなと。

 寂しさから逃れたかった。


 その日くらいから優一は妙に忙しそうにして、お屋敷に来なくなった。基本的に時間があれば私の傍に仕えてくれるというスタンスだったので、明確に決まっているわけではないけれどほとんど毎日来てくれていたのに。

 もしかしたら、色気づいて彼女と過ごしているのかもしれない。優一もそういう年頃だし、私と違って学校という出会いの場もある。見た目も性格も悪くない。そう考えると今まで恋人ができていなかったほうが不思議だというものだ。

 どうしてだかわからない。けれどこぼれるように悲しみが溢れ出てきていた。

 優一がお屋敷に寄り付かなくなってからすでに二週間近くがたとうとしている。私はもはや悲しみに慣れて痛みが麻痺してきていた。

 優一はたまにちょっと顔をのぞかせるものの、申し訳程度に話して帰っていく。そんな風にするなら来なければいいのにと苛立って言葉を投げかける。

「ねぇ、最近何をしているの。全然来ないよね」

「ちょっと、最近学校が忙しくてな。試験とかもあるし」

 優一は不器用な笑顔を浮かべた。私はそれを見てがっかりして気持ちが下がっていくのを感じた。優一がその表情をしているときは決まってウソをついているときだったからだ。

 自分の気持ちが制御できなくなった私は黙って下を向いた。こんな風にしていたら嫌って来なくなるのも当然だよね。

 そのまま眠ってしまったらしい。気が付くと日が昇ってきていた。今日はクリスマス。聖なる祭典のはずなのに最悪の一日になりそうな予感すらある。


 私は部屋で横になりながら昔読み切ったけれど内容を忘れかけている推理小説を読んでいた。本を読んでいるときが紛れてくれるから。初めはそんな理由だったが、トリックや犯人を忘れてしまっていて意外と面白くなってきた。

 クライマックスにかかってより一層読みふけっていると、外が騒がしくなっていた。

 目を向けると子供が雪合戦をしている。あんな風に一緒に遊んでくれる友達がずっと一緒に入れればいいのに。そう思っている私の部屋にノックが聞こえた。

 まさかサンタさんが来たんじゃないだろうかと子供の様に幻想的な考えを抱きつつドアを開けた私の視界に入ってきたのは、なぜか本当にサンタだった。いや、サンタの格好をした優一だった。

「メリクリー。驚いた?」

「な、何バカなことをしているのよ。子供じゃあるまいし」

 そう言いつつも嬉しくてたまらない自分がいた。思わず抱き着きたい衝動に駆られたけれど自重して踏みとどまった。

「よし、こっち来いよ。お前のしたいことを叶えてやるから」

 すでに私のしたいことはある程度叶っているのだけれど。優一といられればそれでいいのにと思いつつ、私は何が待っているのか全く予想がつかない行先に胸を躍らせた。

 暖房でちょうどいい温度に設定された家の中で優一の後ろを着いて行ってたどり着いたのは、たくさんある空き部屋の一つだった。確か昔は使用人が使っていた部屋だとか聞いたことがあるような気がする。

 ドアを開けるとその先は、一面の雪景色だった。部屋の中は本来のベージュ色が奪われ、圧倒的な白によって支配されている。

 雪を見ただけで、思わず私は身をすくめた。優一が部屋に雪を入れた?

 けれど、違ったらしい。その雪はまったく冷たくない。

「クリスマスの奇跡、冷たくない雪だよ。玲奈は雪で遊びたそうに窓から子供を見てたし、良いなって呟いてたし」

 触ると冷たくはない。心地よい温度で皮膚の痛みは何も感じられない。

「これって何?」

「人口雪と塩を混ぜた。人口雪だけだとなかなか綺麗にならなくて焦った」

 初めて触る雪は、本当に気持ちが昂るのだけれど、それ以上に準備してくれた優一への気持ちでいっぱいになった。これを準備するのがどれだけ大変だっただろう。

「ありがとう。もしかして、最近お屋敷に来なかったのってこれを準備していたから?」

「ま、まあな。別にそんなにつらくはなかったけど」

 そう言う彼の掌は今まで見たことがないくらい荒れていた。きっとバイトをしてお金を貯めて、これだけの準備を一人でして。私を喜ばせるこの一瞬のために。

 私の中で何かがはじけた気がした。それは理性という名のブレーキだったのかもしれないけれど、かまわずに私はアクセルを踏みしめる。


 私は、雪に憧れたわけじゃない、孤独が嫌だっただけなんだよ。この、お屋敷が嫌いなんじゃない。あなたがいれば、鳥かごの中の鳥でもいいの。


 私は何も言葉にできずに優一に抱きついた。クリスマスの奇跡を、私の本当の願いがかなうことを信じて。

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