第陸話 こうれいのよる

陸の壱

 絶対に嫌だと言ったのに、案の定関に押し切られて来てしまった。借用書の力と彼の強引さは、横綱の押し出しよりも強い。

 交霊会である。即ち恐怖の温床だ。僕は洋館の大机の席で小さくなりながら、がやがやと集められた人々がざわめくのを見ていた。照明は薄暗い。演出の為だろう。


 関と僕とをこの場に紹介し連れて来たのはあの中小路秀樹なかのこうじひでき殿だ。人形の件であんな目に遭ったのに、怪異への興味は尽きぬらしい。見上げ果てた事だと思う。頼むから僕を巻き込まないで欲しい。


 関はいつもとは違い、きちんと背広を着込んでネクタイを締めているし、僕は羽織袴姿だ。周囲の有閑貴族と思しき人々も、それぞれに上品な格好で社交に励んでいる。洋装、和装、性別に年齢も様々だ。

 外は既にとっぷりと暗く、庭から虫の声が賑やかに聞こえてくる。秋の夜長である。僕は少し気鬱に傾きつつある頭を、部屋の様子を観察する事でどうにか巡らせていた。


「いや、そうでもないですよ」


 関が列席の、如何にも上等そうな訪問着のご婦人相手に何やら得意げに語っている。それを隣で黙って聞いているというのは、結構な苦行だと思った。


「怪異と言うのは、そこらにごろごろと転がっている。普段はそれに気づかぬだけです」

「それじゃあ、私なぞも遭遇出来るものでしょうか」

「出来ますともさ。ただ、お勧めは出来ませんがね」

「矢っ張り危険なのですか」

「そりゃあもう、私らなんぞ幾多の生死の境を……」


 何が私だ。見栄を張って。僕は出された軽い発泡酒をぐいと飲み干した。


「今のお言葉には賛同できかねますね」


 その時、さらり、と衣擦れの音がした。ゆったりとした長衣ローブを羽織った背の高い女性がしずしずとこちらに向かい歩いて来る。


「『本物の』怪異などそう起こる物ではありませんし、人が簡単に解決できるなど、驕りでしかありません」


 妙な雰囲気を纏った人だった。目尻に紫がかった紅を差している。


「何ですかな、突然。私らが怪異を生易しく祓ってでもいるみたいじゃないですか」


 関はじろりと女性を見た。


「簡単に解決出来ないと言うのには賛成ですよ。だが、怪異がそこらにあるってのは、石ころが転がってるような物だ。譲れんところですな」

「帝都読報の関さんでいらっしゃいますね」


 女性は婉然と微笑んだ。美女ではあるが、どうも表情に含みがある手合いだ。あまり近づきたくはなかった。


「宜しいですか。『本物の』怪異と言うのは然るべき手続きを取ることで霊界からの経路が開き、ようやく起こり得る物なのです。手練れの霊能者でも失敗は幾らでもしますわ。あなたがそこらで出会うような小さな怪異は、それこそ何かの見間違いか、良くて低級な霊の起こした物でしょうね」


 す、と整った顔に隠せぬ怒りの色が差した。


「迷惑なのですよ。ああいった風説を流布されるのは。それを申し上げたかったの。お会いできて光栄ですわ」

「ははあ、出会い頭に喧嘩を売って来るのが霊界流でしたか」


 関は水を一口飲むと、それを受けて立った。


「本物の怪異、正しい怪異、そんな物があってたまりますかね。奴らはその辺にただうようよと潜んでいる。別段、俺はそんな実感を誰かに伝えたい訳でもない。ただ、面白い、受けそうな話が出来たから書いている、それだけです。奴らは危険だが、俺の立派な飯の種です」


 矢張りこの男、どこか報道精神に欠けている。帝都読報もよくこんな記者を飼っているな、と思った。


「それは下賎な風説の流布以外の何物でもありませんわ。少なくとも、あの様な品の無い怪談話、読者があれを信じ込む事になればどうします」

「どうもしません、おおよそ事実ですからな。あのねえ、先ずは名乗ったらどうです。俺のことはご存知の様だが、俺はあなたをひとつも知らない。人を殴りつけておいてから最後に名乗るのも霊界流ですか」

「失礼致しました」


 彼女は深々と、どこか馬鹿にした様に頭を下げた。


深田一天斎ふかだいってんさいと申します。言わばあちらとこちらの道を繋ぐ役、と申しましょうか」

「霊能者だか霊媒だかですね。聞いたことが無いでもない。あなたが今日の目玉と言う訳だ」


 いつの間にか辺りはしんとして、ふたりのやり取りに聞き入っているようだった。秀樹殿など、呑気な顔でほうほうと頷いている。この人はもう少し危機感を持って頂きたい。


「シマを荒らされたからっていちいちおたつくもんじゃありませんよ」

「あら嫌だ事。私は警告しに来ただけですのに」

「警告?」

「本日、恐ろしい事が起こる予感が致します。あなたに。それを注意しに参りましたの」

「ほう、それなら」


 関は負けじと相手を睨みつける。


「俺にも予感がありますね。あなたが悲惨な目に遭って尻尾巻いて逃げるって予感だ。なあ大久保」

「僕を巻き込むなよ!」


 関が僕の方を向く。突然の事に僕は悲鳴を上げた。こんなややこしい喧嘩に晒されたくはない。


「まあまあ、その辺りで、おふたりとも」


 鷹揚な声が割り込んだ。この屋敷の主人、高畑男爵だ。軽く髭を生やした男前。もう少し早く止めていてくれれば僕にまで被害は及ばなかった物の、と少々恨みたくもなった。当事者のふたりは、軽く会釈をした。一天斎はくるりと踵を返し、かつかつと自分の席へ歩いて行く。


「皆様、お集まりのようで何より」


 柔和な笑みを浮かべ、男爵が言う。少々荒れていた空気が直ぐにそちらに向いたのは流石だ。


「本日は有識者の方々を含め、様々な方と怪異を実際に体験してみようではないかとこの会を催しました。驚異の奇跡を実感下されば幸いです。その案内役として深田一天斎様にお越しいただきました」


 彼女が深くお辞儀をし、ぱちぱちと拍手が湧き上がる。関が目を細めて口を僕の耳に寄せた。


「何が一天斎様だ。ありゃ多分インチキな芸人崩れだ。あの服の中にあれこれ隠し持ってる類だよ」

「随分詳しそうな事を言っていたが」

「あれくらいちと勉強すりゃ小僧でも言える。おい、大久保。暴くぞ」

「はあ!?」


 僕は小さく、だが情けない声を上げる羽目になった。


「あの女の化けの皮を剥がす。協力しろ」


 関は人の悪い笑みを浮かべ、そう言った。僕は男爵が何やら語っているのを遠く聞きながら、頭を抱える羽目になった。


 勘弁してほしい。僕を巻き込まないで欲しい。頼む。

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