第4話 片影
私はヴォーヴェライトの診療テントに来ていた。
今回は隊員の精神状態をチェックする目的ではなく、付き添いとして着ていた。
その男性隊員、アーリンゲ伍長は数週間前より酷い抑うつ状態に悩まされていた。
付き添いなど個人判断で診断を受けて欲しいのだが、彼の場合は自分自身がうつ状態であることを認めず、診療を拒否し続けていた。
これ以上の検診拒否は今後の作戦にも影響が出る可能性がある。と言うよりもう出ていた。その為に私が付き添う事で無理やり検診を受けさせているのだ。
「酷い抑うつねえ。原因ははっきりしているだろうが……話せるかい?」
「……いえ、今は……」
「そうか、ならそれでいい。現状君が抑うつ状態にあることは上司であるデクレチャフ少尉や同僚のセレブリャコーフくんから報告が来ているが。休暇は取る気はないのかい? 病気帰還するならばここで私が一筆するだけで後方に一時的に精神療養で戻れるが」
「いえ! それは、それだけはやめてください」
後ろで見ていた私はアーリンゲ伍長の反応に少々驚いてしまう。
精神貧弱かと思っていたが、戦場に止まる覚悟はあると言うのだ。どこから来る言葉なのか、今の状態が魔導中隊の連隊を少なからず崩しているのだから、潔く後方に下がってもらった方がこちらとしても有り難い。
ヴォーヴェライトはさらさらとペンをカルテに走らせ置く。
「侮辱じゃないよ。君は何故そんな状態になってまでここに居たがるんだい? 後方に下がったほうが部隊の為だろう?」
「俺は……。俺はもう祖国に命を捧げました。おめおめと辱を晒して戻る事は出来ません!」
「アーリンゲくん、君はなかなかの愛国者のようだ。その精神には脱帽だなあ」
それだけの愛国心があるのなら闘争心へと変換してくれないものか。
気概があっても実行できなければ内弁慶だ。
私はヴォーヴェライトが淹れた珈琲を一啜りし、ヴォーヴェライトの検診風景を眺め続けた。
「気にも心構えに応じてここに留めておきたいが、その判断は誤れないのが私の仕事だからねえ。善処はしよう」
「あ、ありがとうございます」
ヴォーヴェライトはアーリンゲ伍長の心理状態をカルテに汚い字で書き込み始めた。
「現状君が発症している症状は抑うつ症だ。人としての正常な精神反応の一つだ。気分が酷く落ち込んでやる気が無くなって、行動、感情、幸福感なんかに影響が現れ始めている。現状ではどのように感じる?」
「はい……確かにそういった感じはあります」
「そうか……自分自身で判る範囲でいい。言い辛い、事や言いたくない事はいわなくていいから、その原因はなんだと思う?」
「……多分、多分です。同期が戦死してしまった事だと思います」
「戦死......ふむ。苦難を共にして来たんだ、その悲しみは正しい反応だよ」
「それで……いつか自分もああなってしまうのかって、自分もいつかトーチカの中で肉片になっちまうっじゃないかってッ!!」
アーリンゲ伍長は泣きそうな声で叫んでヴォーヴェライトに訴えていた。ヴォーヴェライトはその叫びに真摯に向き合い、しっかりと聞いていた。
「人生の出来事とは苦難と快楽の繰り返しだよ。仲間の死は不幸が重なってしまっただけだ。君が思い悩む必要はないんだよ?」
「で、ですが。あの時俺が止めていれば――!!」
アーリンゲ伍長は口篭もってしまう。
ヴォーヴェライトは幼子に優しく連れ添う神父のように訊く。
「それは話せるかい?」
「――あ、う、ぁぁ」
言葉がうまく出ない様子のアーリンゲ伍長にヴォーヴェライトは眼を細めた。少しだけ息を吐きだし、椅子の背にもたれ掛った。
「デクレチャフ少尉。テントの入り口でマスコットをやってるヤギに餌と水を与えてくれないかい? 食料はヨーゼフに言えば用意できる」
「ヤギに餌をですか?」
「上官命令だ。さ、行った行った」
ヴォーヴェライトはそう言い。私を追い払うようにテントの外に追いやった。
外に出された私はぽかんとしてしまう。これでは隊員の心理的疾患の治療風景を見れぬではないか。口惜しさあった。
入り口のマスコット、白ヤギの「メリー」と呼ばれるヤギが私の足に擦り寄ってきた。純粋な眼で私を見つてくる。
「餌の分際で高待遇だな。メリー様」
皮肉を言わずにはいられなかった。
餌を貰い戻ってくる頃には既に検診は終わっており、ヴォーヴェライトはゆったりと珈琲を飲みながらカルテに目を通していた。
「ジーヴァス大尉。アーリンゲ伍長の完治は何時ほどになりますか。元より彼は幾度か兵役免除の身であったのを自身の希望と無理に兵役についてます」
「だから身体的精神的に不備があれば後方へって? 可哀想なこと言うねえ君は」
ヴォーヴェライトはカルテを置きレコードプレーヤーから流れるオペラ音楽を肌で感じるように、片手をレコードプレーヤー向けていた。
「可哀想も何もありません。ここは戦場です、使えぬ者は早々に死にます。死ぬだけでも数枚の書類紙を消費し、後方では棺桶に使われる木材が浪費される」
「人を物としてみるのは悪い癖だよデクレチャフ少尉。人は多きを消費するが、多くの物を作り出す。形在る物無い物さまざまに、それに彼は魔導師だ。死んだら私たちの研究に協力してくれる」
「なにを言っているのです?」
「彼がここに来る前にこれ文面にして持ってきた。――私、アーリンゲ伍長は死後帝国の研究機関に遺体を提供する。――右親指の拇印付だ、馬鹿な人だ」
「何故アーリンゲ伍長はそこまで固執するのです。後方勤務のほうが身の為でしょう」
関連資料の一枚をヴォーヴェライトは引っ張り出してきた。その資料はアーリンゲ伍長の家庭内環境の資料だった。
「虐待だ、酷い仕打ちを受けていたようだ。それから抜け出すために軍に志願していたようだ。帰りたがらない理由はこれらだろう、精神的なもので後方に戻されたなど笑い話にもならない。それを恐れている」
確かに精神疾患で戻された兵士は少なからず後ろ指差されることはあると訊く。
他の後方に戻る兵士たちは負傷や死傷なのに、自身は軟弱な精神だった為に戻ってしまった。
自責の念と他者の蔑み。どれだけの恥か。
それだけの共感精神を生憎と持ち合わせていないのが私だ。
さっさと後方に帰っていただきたい。
「彼の抑うつ症の原因を聞いたんだがねえ。原因はどうにも君にあるようだ」
「私が、ですか?」
「うん、君、最近自分の部隊の兵士を二人ほど異動させただろう。名前はなんだったかアーリンゲ君と、セレブリャコーフ君と同期だった」
「ハラルド・フォン・ヴィスト伍長とクルスト・フォン・ヴァルホルフ伍長でありますか。彼らは既に戦死しております」
「それが原因だ。私も聞いたよ。う・わ・さ」
「噂?」
「死にたがりを棺桶に叩き込んだって?」
どこから流れたのか。ヴォーヴェライトは咎める様子も無く訊いてくる。
観念するしかないようだった。
「確かに噂は的を射ていますよ」
それを訊いたヴォーヴェライトは咎めるどころか、よくやったといった表情を浮かべ冷めかけの珈琲に口を付け健やかに笑う。
「君も罪深い。でもせめて形の残る死体の作り方は出来ないのかい? 彼らのパーツはトーチかの中で
「それがジーヴァス大尉の仕事であります」
私は彼と話していて判ったことがあった。
ヴォーヴェライトは私と同じで、目的の為なら人の命が砂粒ほどの価値に代えられる価値観の持ち主であった。
私は後方勤務のために、部下たちを使い昇進を図り、戦果を挙げている。
ヴォーヴェライトは何らかの理由で、人を解剖し、笑って生命を冒涜している。
その理由が「鶏の頭」のような歪んだ理由で、私たちにメスを向けないでいる事に安堵と不安感を与えてくる。
珈琲を飲みきったヴォーヴェライトは一息つき、徐に訊いてくる。
「生理は女性魔導師の飛行能力に影響を与えるって本当かい?」
その戦闘は私がライン戦線を離れる二ヶ月前に起こった。
いつも通りの鉛色の雲を駆け抜け、地上攻撃を行っていたところ、フランソワの魔導小隊と遭遇し戦闘が始まった。
先の戦闘で私がフランソワの魔導小隊を撃墜した事で、航空戦はめっきり減って少々気が抜けていたところでの戦闘だった。
多少の混乱が私の部隊で起こっていた。
私の後ろにしつこく張り付いた魔導師に手間取り、部下への気配りが行き届いていなかった。
僅かに加速が、敵はしっかりと付いてくる。
かなりの速度であったがエレニウム九五式にも引けを取らない速度で付いてくる。
恐らく新型宝珠の実験部隊であった。だが場数が足りておらず、稚拙な飛行技術が目立ち、それにつけ込むことは容易であった。
意図的に
後は簡単だ。術式を練り込んだ弾丸が放たれ、新型宝珠もろ共粉々にしてくれた。
『
個々に報告を寄越し、無傷や軽傷といった声が回ってくる。
その中でたった一人だけ報告を寄越さない奴がいた。
『アーリンゲ伍長。どうした? 報告を』
アーリンゲ伍長のチャンネルに回線を合わせ話しかけるが、何も返ってこない。
勤勉なアーリンゲ伍長に限って敵前逃亡なんてことはないだろう。
という事は残る可能性は――
「小隊長! あそこ――」
私の側に戻ってきたセレブリャコーフ伍長が地上に指差した。
指差した先には敵に追われるアーリンゲ伍長の姿がある。
非常に低空を飛行しており、上を取られヘタに頭を上げられない状況にある。
「小隊長、支援を!」
「各員、
小隊全員が高度を落し、敵の頭に向かい
私たちが発砲し、敵が私たちに気づいた瞬間に、引き金が引かれた。
敵の弾丸はアーリンゲ伍長に向かい放たれた。
防殻を張ったアーリンゲ伍長だったが、弾丸は防殻は接触したとたん血噴き墜ちていった。
敵が細かな肉片に変わり落ちていく。
敵の死亡が確認できた、目をもう片方に向けた。
すぐさま地上に降り周囲を確認した。幸いな事にそこは他より比較的戦闘行動が落ち着いていた。泥水の臭い匂いが鼻に付き、それ以上に臭ったのが血の匂いだった。
「小隊長っ! アーリンゲが……」
あまりにも見るに耐えなかった。
息はしていた。――していたがどうして生きているのか不思議なくらいに人体の破損が酷すぎた。
腰から入った弾丸が、体のどこかに跳弾し、首筋から飛び出て行ったようだ。
生々しい肉の色、左腕が千切れと飛び溢れ出る途轍もない量の血液。そしてその状況でギリギリ息をしているアーリンゲ伍長はブクブクと血の泡を吹いていた。
大急処置が適応されているレベルを超えていた。いっそのこと墜落と同時に首の骨を折れば不運な戦闘事故として処理できたかもしれない。
「ここじゃ何も出来ない。処置はメンゲルベルク大尉に任す」
止血の為の術式をアーリンゲ伍長に施し、出来うる限り傷口を水で洗う。
「
『
通信に僅かな混乱が見られ、その声が入り込んでくる。
『ヴォーヴェライトだ。
「ジーヴァス大尉、腰より弾丸が入り首より抜けています。止血処理はしましたが裂傷が酷く、呼吸も弱まりつつあります」
『了解した。直ちに戻ってきたまえ、施術の準備を始める』
「――
私は少々驚いた。
ヴォーヴェライトがわざわざ通信機を毟り取ってまで耳を傾けているとは、あのテントより出ているとは夢にも思わなかった。
解剖に夢中な心理医学者程度だった評価が、私の中で献身的で有能な医者にはランクが上がった。
隊員の一人がアーリンゲ伍長を担ぎ、セレブリャコーフ伍長が千切れた左腕を持ち、私が周囲を警戒しながら、直ちに戻った。
テント群の中で白色の小さな粒が幾つも犇きあっているのが見える。
ヴォーヴェライトたちだった。脇にはストレッチャーを持った医学生たちが居り、その一歩前にヨーゼフ博士が両手に点滴を持っていた。
私たちが地上に降り次第、彼らはアーリンゲ伍長をストレッチャーに乗せて気道の確認を初め、残っている右腕の静脈に注射針を打ち点滴にそのチューブを繋ぐ。
「こりゃ酷いな。生きているのが不思議なくらいだ」
ヴォーヴェライトは半笑いで傷口の状態を確認していた。
千切れた左腕の具合は既に駄目であると判断したのか、医大生の一人に渡す。
「ヴォーヴェライト……彼ならいいじゃないか? 同意書にも署名している」
ヨーゼフ博士はいつもの柔らかな笑みではなく真剣な顔でヴォーヴェライトに話す。
「成分解析がまだだ、人体細胞にどういった反応を示すかわからないぞ」
「……オマキザルでは成功している。そろそろ始めてもいいじゃないのか?」
「そうだな――まずは400ミリからから始めよう、医療テントに運ぶぞ!」
ヴォーヴェライトの表情からも徐々に笑顔が消えていた。
彼らはアーリンゲ伍長を担ぎ、医療テントのなかに消えていった。
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