第9話 もう一つの道

 ここは鳥越とりごえ城内にある佐良善宗さがらぜんそうの屋敷である。先程から数人の男達が顔を付き合わせては、何やら真剣な表情を浮かべている。

 上座には城主の善宗が居り、その右手に二人の僧兵が並んでいる。名を林抄りんしょう七坊丸しちぼうまるという。

 林抄は大陸のみんより渡って来た槍の使い手で、一方七坊丸は鉄砲にも精通している。生まれは紀伊雑賀きいさいがの出であるということだが定かではない。

 二人はいずれも善宗が城より連れてきた者達であった。

 一方、左側には日向徳兵衛と一平、そして今では若者達を取りまとめている孫一が座っている。


 善宗は手短に切り出した。

 「相馬一平、こたびは如何いたす?」

 皆が一斉に彼の顔を覗き込む。

 一平は皆の前に敷かれた絵図面に目を落とすと、敵味方に見立てた木の駒をそこに置き始めた。

 「高瀬殿の鉄砲隊の方は、必ずこの前と同じ道を攻め上るはずです」

 彼は駒のひとつを、瀬木野せきのの河原へと続く手取川てどりがわ沿いに置いた。

 横から徳兵衛が、目だけは絵図面をじっと見つめながら彼に尋ねる。

 「高瀬殿の方は、とは?・・・」

 一平はもうひとつの駒を、今度は火燈山ひともしやまが記されたその南を走る山道へと置く。

 「高瀬殿は必ずや別働隊を用いるはずです。恐らくは木村殿が率いる主力は観音山かんのんざん迂回うかいし、火燈山の南側より白山の里に押し寄せるはず」

 「挟み撃ちとは、いかにも織田方が考えそうなことじゃな」

 善宗は相も変わらずである。

 「この間の長雨で地滑りが起こり、揚原あげはら山へと続く道は使えませぬ。となると、白山の里に攻め入るにはこの二通りの道しかございませぬ」

 「では如何にして、これに対するおつもりか?」

 徳兵衛はその目を、絵地図より彼に向けた。


 一平はその地図の一点を指さすと、水の入った湯飲みをひとつそこへと置いた。皆にはこれが何を意味するのか見当もつかない。

 孫一は不思議そうな顔をしながら、その椀が置かれた場所を見ている。

 「そこは河内かわうちたにの辺りじゃな」

 「いかにも、さらにこれより奥は春日谷かすがだにへと続いておる所じゃ」

 一平は竹の棒で、河内の渓から手取川に向かって一本の線を引いた。

 「この渓より手取川へは急な川が流れ込んでおる。この川を利用するのじゃ」

 一平の相向かいで、このことをじっと聞いていた林抄が流暢りゅうちょうな日本語で答える。

 「せきを作るのですね?」

 「あっ!」

 皆は一斉に驚いた。それもそのはずである。一平が書き記した一本の線は、そのまま手取川にある瀬木野の河原へと延びていた。

 つまりは、河内の渓に堰を作って水止めをし、織田軍が来たところを見計らって堰を一気に切り、この濁流だくりゅうで河原をあふれさせようと言うのである。

 孫一はまだその意味が分からないのか、未だにキョトンとしている。

 一平は水の入った湯飲みを、絵図面に記された手取川の方に向かって傾けた。すると、湯飲みの中の水は、瞬く間に瀬木野の河原を濡らし、置いてある織田勢の駒を勢いよく動かした。

 孫一は手を叩いて声をあげる。

 「織田の兵がみんな流れていくようじゃ」


 しかし一平は、喜びをあらわにする彼らとは裏腹に、ひとりさええない顔をした。

 「如何いかがいたした相馬一平。良き策ではないか」

 佐良善宗は鼻息も荒く、あたかもすでに勝利したかのような口振りである。

 徳兵衛も、彼にしては珍しく上機嫌で、濡れた絵図面を何度もなぞっている。

 すると孫一が、一平の顔が浮かぬ理由を見事に言い当てた。

 「じゃが、織田軍がそこに居なかったときはどうするのじゃ?・・・」

 一平はもう一度、織田の駒を瀬木野の河原へと置くと、ひとつ大きく頷いた。


 「その通りじゃ孫一。如何にして織田勢をこの瀬木野の河原に誘い込み、そしてこの河原に止まらせるかが最大の難問じゃ」

 皆も今度の相手が、とても一筋縄ひとすじなわではいかない高瀬右京うきょうであると言うことを知っている。そうこちらの思惑通りに、彼がこの河原に来るとはとても思えない。ましてや、右京率いる織田の精鋭部隊を一所に留め置くことなど、そう易々やすやすかなうものではない。

 皆は顔を見合わせると、また言葉を失った。


 それでも戦いまでの間、白山の里の人々は河内の渓に堰を作ろうと、毎日朝早くから晩までひたすら汗を流した。

 石を切り出す者、丸太をつなぎ堰を作る者、そして貯められる水の中には沢山の枝木が浮かべられた。

 こうすることで、一度切られた堰は濁流となって流れるはずである。

 この堰造りには、鳥越城の僧兵達も参加した。それは、それまでいくらかのへだたりがあった村の者達と僧兵達の間をぐっと近づけることにもなった。


 一方、一平は河内の堰を作るかたわら、村人達にはある別のことを教えていた。それには徳兵衛や作造、こうたち女子おなごまでもが動員された。

 そのあることとは、鉄砲の訓練である。

 鉄砲の訓練と言ってもけっして彼らがそれを撃つわけではない。彼らのうち二人は射撃手の後ろで、ひたすら弾込めをし、それが終わると射撃手に銃を手渡すのが役目だ。

 さらに射撃手の横にも一人付き、火縄に火を点けると、その火が消えぬようにぐるぐると回すのである。

 こうすることによって、従来鉄砲は一発撃った後、次の射撃までに時間がかかっていたため敵に攻め込まれることが多かったが、時間を掛けずに連続して撃つことが可能になったのである。

 こうして白山の里には、百人の射撃手に三百人の助手を含む鉄砲隊ができることとなったのである。


 一平は助手の働きをする村人の中に、香の姿を見つけた。香は手を真っ黒にしながら、その銃に弾込めをしている。

 「お香様。お香様まで申し分けございませぬ」

 香はそんな一平を笑顔で見上げる。

 「お香様は火縄の方を・・・」

 しかし、一平が言うが早いか、香はその銃を胸の前に構えたみせた。

 「一平様、こう見えて私はけっこう力が強いのでございますよ」

 そんな香に、彼も笑顔で返す。


 こうして少しずつではあるが、一平と白山の村人達とは、来る決戦に備えて着々とその準備を整えていったのである。



 そんな最中、村ではちょっとしたできごとが起ころうとしていた。

 それは白山の里の隣、倉ヶ岳くらがだけの東に位置する犀川さいかわ付近の一向衆徒らが、上杉の残党と供に松任の織田軍に戦を仕掛けるというものであった。

 その犀川一向衆の者達がこの白山の里にも助勢を求めにきたのである。

 彼ら犀川一向衆をまとめている長老は、名を作並与右衛門さくなみよえもんと言い、この村の村主むらぬし日向徳兵衛とは旧知きゅうちの仲でもあった。

 すなわち、与右衛門は一向衆徒としての最後の意地を示そうと、話を持ちかけてきたのである。


 「徳兵衛殿、我ら犀川一向衆の者はこれより御仏の元へと参る所存でございます。そこで、この白山の里の衆徒らにも声をかけ申したしだい」

 徳兵衛は与右衛門に対し、深く頭を下げる。

 「して、上杉の兵はいかほど?・・・」

 「上杉の兵は五十人ほどにて、我らを合わせれば三百は越えましょう」

 徳兵衛は目を見開き、作並与右衛門を見つめる。

 「与右衛門殿、松任はすでに織田方の手に落ち、その兵力も日増しに増えているとのこと。とても三百では城はおろか、無駄に死にに行くようなのもではござらぬか」

 徳兵衛のその言葉に、与右衛門は少し驚いたような、それでいて不思議そうな顔を彼に返した。

 「その通りでございます。我らは死ぬるために参るのでございまする」

 「しかし、それでは皆いぬ・・・」

 言いかけて、徳兵衛は言葉を飲み込んだ。それはついこの間まで、この里に住む者達も死によってのみ極楽浄土ごくらくじょうどの夢を成し得ようとしていたからである。

 今の与右衛門達にそれを説いてみたところで、何にもならないことは容易に計り知れたからであった。

 作並与右衛門の方も、この徳兵衛の対応に困惑していた。当然二つ返事で答えてくれるものと信じていたからである。

 彼は居並ぶ村人達の様子から、しだいにそれを感じ取ることができた。


 「どうやら戦支度いくさぢたくのようじゃが、ならばなおさら我々と・・・」

 これには徳兵衛の横で、ことの成り行きを聞いていた一平が答えた。

 「我らはこの地にて、来る織田方の軍勢と戦うつもりでございまする。唯今は、その準備をしているところにて、まことに申し訳ございませぬ」

 「こちらのお方は?・・・」

 与右衛門は徳兵衛の顔を見て尋ねる。

 「相馬一平殿と申し、我らに武器の使い方や戦の仕方などを導いてくれるお方にございます」

 「はて、我らを導くは阿弥陀如来あみだにょらい様だけかと思っておったが、ここ白山の里ではどうやら違うようじゃのう」

 ことが思うように運ばないためだろうか、与右衛門は皮肉を込めて一平を見つめる。

 それでも一平は、もう一度彼に頭を下げた。

 「作並殿、どうか松任へ行くことをお考え直していただけないでしょうか。そして、我らと供に、ここで生き残る道を・・・」

 「馬鹿な、生き残って何とする。生き残って再び地獄を見よとでも申すのか」

 与右衛門は一平に背を向けた。

 「たとえこの世が地獄だとしても、最後まで生きる道を選ぶことが、この世にせいを受けた者の定めであると存じます」

 一平は犀川の衆徒が村を出るまで、考え直すようにと説得を続けた。

 しかし、彼のその願いは、ついに犀川の一向衆徒らに届くことはなかった。


 次の夜、作並与右衛門と犀川一向衆徒らは、上杉の残党らと供に松任にある織田の陣営めがけて突撃を敢行した。

 突撃といっても彼らには織田勢と戦うだけの武器があるわけではない。ただ人のかたまりとして、念仏を唱えながらに押し進むだけであるのだ。

 一平と孫一らは、これを倉ヶ岳の山頂から見届けた。

 夜の暗がりの中、真っ赤に燃える火の塊がゆっくりと織田の陣営目指して動いていく。

 よく見ると、それは松明たいまつを手にした人の列であり、それらはきれいに横一列を幾重にも重ねている。ここからでは念仏の声まで聞き取ることはできないが、一種独特な空気の流れが星がきらめく夜空を少しだけ揺れ動かしている。


 「パン・パラ・パラ・パラ・・・」

 突然、乾いた鉄砲の音が聞こえてきた。遠目では、その音も紙に大豆をいた程度にしか聞こえない。

 それでも、その音が鳴りきらない内に、その火の塊の最初の一列が一斉に消えて無くなった。それはあたかも、木の皮を一枚がしているかのようにも見える。

 「パン・パラ・パラ・パラ・・・」

 鉄砲の乾いた音がする度に、その火の塊は少しずつ薄く小さくなっていく。

 「何故じゃ、何故自ら死を選ぶことがまことの教えだというのじゃ」

 一平は消え行く火の塊を見つめながら、一人呟いた。

 ほどなく、倉ヶ岳から見える松任の平野は、また元の暗がりと静寂とを取り戻していた。

 彼らがたたずむ山の上から日本海にかけては、満天の星が薄明るい天の川を作っているのが見えている。

 

 一平達より犀川一向衆徒の知らせを聞いた白山の里の村人達は、みな両手を合わせてはその死をいたんだ。

 しかし、一人として彼らと行動を供にしなかったことを後悔していた者はいなかった。むしろ今の彼らにとっては、犀川一向衆徒らが取った行いを拒絶する気持ちの方が大きいものとなっていたのである。


 さらに白山の里では河内の堰も完成し、これで織田軍を迎え撃つ準備もほぼ整ってきた。

 一平や村人らは、まさに今を生きる者として、ひとり一人が十二分に、自らの生を全うしていたと言っても過言ではなかった。

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