第3話 朱赤色の里

 それからどれくらいの時が経ったであろう、相馬一平そうまいっぺいは大きくあいた穴の中で静かに目を覚ました。

 腰に刺さった矢のせいだろうか、歩くことはおろか身体を持ち上げることもできそうもない。

 彼は両肘だけを使ってその穴からい出ると、静かに辺りの様子を伺った。


 木立こだちの中から見えるそこは、もうすっかり昇った日差しを受け、心地よい風が回りの木々の葉を揺らしている。

 ここからは手取川てどりがわ一面を望むことができないものの、激しい戦の後を物語るかのように、黒い煙が二つ三つほど上がっているのが見える。

 「三郎太・・・・・」

 一平は、嗚咽おえつと共に彼の名を呼んだ。


 しばらくすると、どこからか、太鼓と半鐘はんしょうの音が聞こえてきた。一平には、それが一向衆徒らによる落ち武者狩りだとすぐに気付いた。

 彼は動かなくなった下半身を引きずりながら、また穴の中へとその身を隠す。

 もちろん一向衆徒に見つかればただで済むはずがない。彼は両手で脇差しを握りしめたまま、祈るような気持ちで目を伏せた。

 それでも半時もしないうち、太鼓と半鐘の音は少しずつ彼から遠のいていくような気がした。一平は少しだけ安堵あんどの表情を浮かべる。

と、その時、穴の上から誰かの声が。


 「もし・・・、もし・・・」

 一平は身体をさらに丸め、目を堅く閉じる。

 「もし、お侍様・・・」

 どうやら声の主は、女子おなごのようだ。

 一平はうっすらと目を開けると、切り株を見上げた。

 そこには小袖こそでを着た若い女子が上からその穴を覗き込んでいるのが見える。逆光のためだろうか、その顔まではよく分からない。


 「作造さくぞう、まだ息があるわ」

 「おこう様、織田方の落ち武者かも知れません。近寄よらん方が・・・」

 下男げなんの作造も、恐る恐るその穴を覗き込む。

 「でも、手当をしないと、死んでしまうかもしれません」

 「ですが、お香様。まずは徳兵衛とくべえ様にお知らせしなくては・・・」

 作造は竹槍の穂先で、一平の胸を軽く突く。

 当然、今の彼にはこの状況が分かるはずもない。それに抵抗を試みようとしても、彼にはそうする力も残ってはいなかった。

 一平は手にした脇差しを放り投げると、もう一度静かに目を閉じた。

 それから、彼の回りでは幾人もの男の声と気配とがしたが、一平は敢えてそれらが何を意味するのか理解しようとはしなかった。



 それから数日後・・・

 「はたして、いったいここは何処なのか、わしは死んだのだろうか」

 相馬一平は指先から伝わる感触を確かめる。

どうやら生きているようだが、もし生きているのならば、あれから何日が過ぎたのだろうか。

 何も答えが得られぬまま、一平は静かに目を開けた。


 目の前には天井が見える。次第にその焦点が思うようになると、その煤汚すすよごれた木目までがはっきりと分かってくる。

 首を右に傾けてみた。するとそこには、囲炉裏いろりに鉄鍋が掛けられている。

 再び首を、今度は左に傾けようとする彼の目に、あの時の女子の顔が映った。そして、その横には老人がひとり。

 一平は上半身を起きあがらせようとしたが、どうやらうまくいきそうもない。しかたなく、上を向いたまま口を開いた。

 「ここは何処ですか? 私は生きているのですか?・・・」

 そう言う彼の目からは涙が流れ出る。暖かな涙が、そう生きているあかしとも言える涙が後から後から止めどもなく溢れてくる。


 「あなた様は矢で討たれたのです。でも、今あなた様は生きておられます」

 香は布に水を少し含ませると、それを一平の口元に近づける。

 彼はそれを口に含むと、精一杯の力ですすった。

 再び彼の目からは、この世に生を受けた者だけが許される涙が、そのほおに一筋の跡を作っていく。


 「ここはこの村の村主むらぬし日向ひゅうが徳兵衛様のお屋敷の離れですじゃ。お香様がお前様をこちらへ運ばれてから、すでに三日が過ぎております」

 横から作造が口を挟む。

 「三日、ですか・・・」


 「ところでお侍様、お名前は?・・・」

 再び作造は身を乗り出す。

 「作造、この方はまだ怪我けがをなさっているのですよ」

 「ですがお香様、わしらにとっては吉とも凶となりますのじゃ」

 作造も譲らない。なるほど、この命を救った男が上杉方の武者であるならば、いかほどかの褒美ほうびも貰えるであろうが、もし織田方の武者であるとするならば、すなわちそれは敵方の兵を助けたということになるわけだ。

 一平はすべてを悟ったうえで、それでもなお正直に語り始めた。


 「拙者せっしゃ、名は相馬一平と申します。織田家前田利家様が家臣、奥村永福おくむらながとみ殿の家来にございまする」

 これを聞くや、すぐさま作造は立ち上がる。


 「これ作造、何処へ行くのです」

 香は言葉を荒げた。

 「お香様、すぐにこの事を徳兵衛様に申し上げねば成りませぬ。この御仁ごじんは敵方の・・・」

 「成りませぬ、作造! 未だ身体を動かすことのできぬこの方を、この手でほうむることなど、人として絶対にあっては成りませぬ」

 香もまた、譲らない。

 「よいですか作造、この方は当分の間、上杉方のお侍と言うことにするのです。そして、傷が癒えるまでここに止め置くことと致します。その様に、新吾しんご達にも伝えておいて下さい」

 「ですがお香様・・・」

 作造は恨めしそうに一平を振り返る。

 「父には、時が来たら、私の口からすべてを話します。ですから、それまでは・・・」


 いつもは気丈きじょうな香の目から、一粒大きな涙がこぼれ落ちた。

 それは作造にも、目の前に横たわる相馬一平が流した涙とは全く別の種類のものであることが伺い知れる。

 作造はそれ以上、言葉を繋げようとはしなかった。彼女の涙の中に人としての、女としての何かを見たような気がしたからである。


 香は、相馬一平にも口裏を合わせるようにと伝える。

 「相馬様、ここは一向衆の村でございます。傷がえましたら、どうぞここからお逃げ下さい。ただ、もう二度と戦はしないと誓って下さいませ・・・」

 一平は真っ直ぐ上を向きながら、大きくひとつうなずく。

 香はそんな一平に、もう一度深く頭を垂れた。



 それからというもの、香はかいがいしく一平の看病をかって出た。一平もそんな彼女に答えるかのように、少しずつ元気を取り戻していった。

 傷ついた一平をここまで運んで来た新吾や孫一まごいち、そして太助たすけら村の若者達も、彼に会うたびに声を掛けて来る。

 もちろん、彼らは一平の素性すじょうなど知るよしもない。そんな中ただ一人、作造だけは相も変わらずに無表情を装っている。


 それから五カ月ほどが経っただろうか。山に残っていた雪も少しずつ溶け、白山の里にも遅い春が訪れてきた。

 加賀から松任まっとうにかけては、あの時の戦ほどではないものの、織田勢と上杉勢とは多少の小競り合いを繰り返しているという。


 この頃になると、一平もようやく外を歩くことが出来るようになっていた。

 彼は雲龍山うんりゅうざんの麓にある願慶寺がんけいじまでの参拝を日課としていた。もちろん、そのかたわらにはいつも香が付き添っている。

 「相馬様、お身体の具合は如何ですか?」

 「お香様、かたじけない。この通り、もうだいぶ良くなりました」

 「でも、まだお一人での遠出は控えて下さいませ」

 香は一平の顔を恥ずかしそうに見上げる。

 一平は答える代わりに、軽く頭を下げた。


 二人が手取川に架かる橋に差し掛かったとき、橋の向こう側に新吾と孫一、そして太助の三人の姿が見えた。

 「相馬様、だいぶお身体の方もよろしいようで」

 彼らは、一向衆門徒もんとらが拠点としている鳥越とりごえ城からの帰り道である。

 新吾は、村の若い衆の中では一番年上であり、また学識もある。彼は幼い頃より松任の寺で修行をしていた為、彼らの中でも一目を置かれている。

 そんな新吾はまた、以前より密かに香を慕ってもいた。それでもけっして、それを顔の外に出すようなことはしない。彼はそれぐらいの良識も持ち合わせていた。


 「ところで相馬様は、越中えっちゅうのご出身でいらっしゃいますか、それとも越後でございますか?」

 新吾が尋ねる。彼の出身は越中にほど近い津幡つばたの出であったからだ。

 「え、越後です」

 一平は短く答える。

 「相馬様は槍が得意だとお聞き致しましたが、どの方のご家来衆だったのですか?」

 今度は孫一が目を輝かせている。孫一は身の丈六尺の大男で、彼は村一番の力持ちでもある。


 「・・・・・」

 「か、柿崎かきざき様よ。そう仰っていましたわよねえ、相馬様」

 すかさず香が合いの手を入れた。

 「柿崎様?・・・」

 新吾はその言葉が意外だったのか、目を丸くして一平を見つめる。

 一番年下の太助は、戦が嫌いである。幼くして両親を上杉勢に殺されたせいもあるのだろう。槍よりもすきくわを手に田畑を耕すことに生きる喜びを感じる若者でもあった。

 「ところでお香様、後でお屋敷の方に畑でとれた春菜はるなをお届けしておきますだ。相馬様もどうか召し上がって下さいまし」

 太助がそう言うと、香もまたいつもの優しい顔に戻っていた。


 太助ら三人は、二人を見送るように頭を下げる。新吾は、そんな二人の後ろ姿をいつまでも見つめていた。

 それからも、相馬一平と香、作造、それに村の若者達は、それぞれの思いを胸に秘め、それぞれの生活を送ることとなったのである。



 やがて短い夏も過ぎ、秋の涼しい風が白山の谷を渡るようになってきた。

 香は一平を、揚原あげはら山にほど近い棚田たなだへと案内した。

 棚田といってもそれは、山の斜面を利用した五十枚ばかりのものである。そこにはもう十分に実を付けた稲の穂が夏の緑色から黄金こがね色へと少しずつその色を変えようとしていた。

その棚田へと続くあぜは、これまた見事なまでの彼岸花ひがんばなで覆い尽くされている。その朱赤色と黄緑色とが、互いに混じり合わぬコントラストを作っている。

 揚原山からの風が棚田を渡ると、波のように稲穂が騒ぎ、続いて彼岸花が小刻みに揺れるのだ。

 一平は以前、越前の山間で見たそれを思い出していた。あの時も、見渡す限りの彼岸花が一平達の前には広がっていた。


 「今年は、稲穂が見事に実りそうですね」

 「ええ・・・」

 一平も今では、もうすっかり元の身体を取り戻している。

 彼は畦へと続く泥濘ぬかるみの前で、そっと香の手を取った。香はその手をしっかりと掴むと、跳ねるようにそれを渡る。


 「何とも美しい彼岸花ですね。以前、越前の・・・」

 「彼岸花?・・・」

 香は不思議そうな眼差しで、一平の顔を見上げる。

 「そうです、ほら、あの朱赤色の・・・」

 畦に立つ二人の前には、いっそう大きく見える彼岸花が、その鮮やかな色合いをかもし出している。


 「曼珠沙華まんじゅしゃげ、この里では皆そう呼んでいます」

 「曼珠沙華・・・、不思議な名前ですね」

 今度は一平が香を見つめる。


 「曼珠沙華は、天上界の花という意味があると聞いたことがあります」

 「天上界?・・・」

 「花は死者の魂を宿やどしていて、その心をなぐさめているとも言われています」

 香はその花の茎を、そっと細い指でなぞる。

 一平はそんな香の傍らに座ると、その一輪を茎の根本からひとつ摘み取った。

 

 「悲しい意味を持った花なのですね。でも、美しい・・・」

 一平は、横に座る香にその花を重ね合わせてみる。彼は急にその場に立つと、今度は空の彼方を見上げこう呟いた。

 「お香様、この村を出て無事に国元くにもとへと帰ることができましたら、いつか必ずお香様を迎えに上がりたいと思います」

 急に彼は早口になった。

 「そう、この曼珠沙華の花が咲く頃、きっと私は戻って参ります」

 「相馬様・・・」

 香は立ち上がると、一平のその赤らんだ顔を大きな瞳で見つめる。

燃えるような朱赤色に輝く曼珠沙華の花の中、やがて二つの影はひとつになった・・・



 

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