32 誕生パーティー  その1

 鍛冶神が、右手の人差し指を小さく回す。それに呼応し、広い部屋を囲む壁の一面に炎の輪が一つ生まれた。

 真っ赤な炎が描き出す大きな輪だ。長身のダブルワークでさえあまり身を屈ませずに潜れるかもしれないその大きさに、勝利はつい、サーカスで行う動物の演技「火の輪潜り」を思い出した。

「じゃ、帰りましょ~か~」

 目的を果たした神々を見回し、ミカギが帰路に着くよう促す。

 ツェルバだけが一歩下がって、まんぼう亭に帰る集団から自主的に外れた。

「僕は、このままスールゥーの側にいるよ。帰るのは明日。湖守さんに、そう伝えておいて」

「わかった」

 小さく頷くライムが、勝利に手招きをする。帰りは間を置かず、皆でほぼ同時に火の輪を潜るつもりなのかもしれない。

 その彼を、鍛冶神が突然呼び止めた。

「待て、ライム。お前にはもう少し話がある」

「はい」と答える紳士の顔に、僅かな陰が差した。

 何故、ライムだけなのだろう。しかも、彼の様子が、見守る者の心をざわつかせる。

「ライムさん……?」

 炎の輪に進む事を躊躇する勝利に、眼鏡の紳士が優しく微笑んだ。

「ダブルワーク達について行くといい。私も後から行く。今日は、君が主役のパーティが開かれる日じゃないか」

 だからこそ側にいてほしいのに。そうは思うが声には出せず、失意の男は寂しさを堪えて軽く唇を噛んだ。

 もし、縫修の件について二人が話し合うのなら、勝利は完全に門外漢だ。

 ダブルワークが一礼し、「ほら、俺達は湖守さんに報告だろ?」と勝利を抱え込むようにして輪の中心に歩んでゆく。

「離してください!! 自分で歩きますって」

 腕を振りほどくなり、勝利は子供扱いをする強引な男神を睨み上げる。

 自身の愚者ぶりが、改めて嫌になった。ライムだけが残る違和感に一番敏感なのは、他の誰でもない、緑のパートナーではないか。

「ごめんなさい」

 浮遊しつつ、不二が勝利の頭上から背後に移る。

 はっとして、「不二、鍛冶神にお礼を言ったか?」と尋ねた。

「いや」

 美声で一言だけ返す不二を、「朝、教えただろ? 挨拶とかお礼は、習慣として身につけような」と窘める。

「礼、か」

「そう。お礼をしてから帰ろうな。ありがとうございます、って」

 短い間の後、「鍛冶神」と呼びかけ、「ありがとうございます」と不二が頭を下げた。

 直立する砲塔を背面に一対背負い、縦長の盾を左手に装着した武装ヴァイエルが、空中で器用に頭を垂れる。

 再び、工房の主が目を見開いた。

「代理神、それがお前のやり方か?」

「はい。でも、俺の気配りがまだまだですね。気づくのが遅れました」礼ではなく詫びとして、勝利もまた頭を下げる。「お預かりしている不二には、俺にできる事を返したいんです。挨拶したり、俺以外の仲間とか人間の事も大事にできるように。そういう事を教えるって、決めたんです」

「お前の名付けた不二が、人間の姿を模し人間に紛れる事は決してないぞ。今のままの不二を人間が見る事も、だ」

「見えるかどうかは関係ないですよ。俺には見えなくても、闇の子はいました。人間から見えなくても、ダブルワークさん達は吸魔と戦って、縫修するじゃないですか。もう一度神々を見えなくするのが優しさなら、見えていない相手を思いやるのも優しさですよ」

 つい良い事を口にしたくなり、言った直後から、やりすぎてしまったかと顔を紅潮させる。

「生意気ですみません!!」

 またも速攻で頭を下げてしまい、勝利は背にダブルワークの視線を感じた。勿論、場をわきまえた緑髪の男は、ただ視線で注意するに留める。

 鍛冶神の口端が、これ以上はないという下がり方をした。怒ったのかと思ったが、表情と話す内容はまるで合致していない。

「先程の言葉は撤回しよう、代理神。お前には、今後も工房を訪れる事を許す」

「あ……、ありがとうございます!!」

 つられたのか、不二も一緒に頭を下げた。

 ライムとツェルバに工房で見送られ、勝利達は順に炎の輪を潜る。帰りは驚く程あっけないもので、その輪を潜った先が湖守の使う二階の大部屋に直接繋がっていた。

 室内を見回せば湖守は不在で、壁と天井が乃宇里亜の声で「おかえりなさい」を告げる。

「ただいま」

 挨拶をする勝利に、不二も合わせて「ただいま」と呟いた。

(そろそろいいな、勝利)

 内なる勝負神が確認を求めるので、(おかげで助かりました。ありがとうございます)と、命を救ってくれた礼を心中で伝える。

(不二にシールドを張らせたら、お前を元に戻す)

「あ……」快適さに慣れすぎ、勝負神の力を失った途端、この部屋の清浄さに耐えられなくなる事を失念していた。

「不二、俺の周囲にさっきのシールドを」

「了解した、主」

 不二が勝利を反射シールドの中に取り込むと同時に、神の力が抜けて去ってゆく。

 途端に世界が小さくなるこの感じは、体験する度に勝利を落胆させる。「人間一人はちっぽけなものだ」を毎回思い知らされるのだから、落差を受け入れるまでにはどうしても数分を要してしまう。

 やがて、耳が壁の外にある往来の音をはっきりと聞き取り始めた。ここから工房に向かった時よりも屋外を賑やかに感じるのは、日の高い時間帯にさしかかっている十二月の土曜日だからだ。

 湖守が部屋に置いている時計は、十一時十八分を指している。

 鍛冶神が不二をどのように変えたのか。それは、今のシールドを見るだけでは知る事ができない。問題を抱えていた不二の反射技は、一面のみの縛りから本当に解放されているのだろうか。

「勝利クン、具合はどう~?」

 美しい女神に気遣われ、今更のように工房で命を失いかけていた事を思い出す。

「大丈夫です、全然」

 勝負神代理となっていた時、心身の修復が完璧に行われていたらしい。体は異常を訴えておらず、今も燃え続けている壁の炎にも恐怖は一切感じなかった。

 改めて、勝負神の機転に感謝したくなる。

「湖守さんは?」居所を尋ねるダブルワークに、「お店。少しづつパーティーの準備を始めてる」と乃宇里亜が答えた。

「パーティーか。お食事会だぜ、今日の夜は」

 それが、湖守の進めている勝利のバースデー・パーティーを指している事を皆が知っていた。

 何とも待ち遠しい。ライムが戻って来る時が。

 ついパートナーに尋ねたくなる。

「あの、ダブルワークさん。どうしてライムさんは工房に残っているんですか?」

「あァ?」一瞬怒声が混じりかけ、短髪の男が慌てて訂正する。「悪い。俺もよくは知らねぇんだ。ただ、神格の絡みじゃねぇかと俺は睨んでる」

「神格っていうと、第二世代神の最高神格の事ですか?」

「そうだ。君恵さんの縫修を行っただろ。あれを、俺達は『神縫い』と呼んでいる。神縫いを行うと、神格は上がりたがるんだ。普通は、な」



          -- 「33 誕生パーティー  その2」 に続く --

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